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156話:壮絶な兄弟喧嘩

 ベルトルドの意識は、完全にユリディスの呪いの力に飲み込まれている。ユリディスの力で召喚されたドラゴンを憑依させられ、一体となり、ベルトルドに本来備わっていた超能力サイと魔法の〈才能〉スキルが、徐々にドラゴンの力と融合し始めていた。それに加え、ベルトルドの持つ遺伝子の中に伝わっていた、アウリスの遺伝子まで完全に覚醒している。更に、アウリスの父であるロキ神の力まで覚醒してしまっているため、ドラゴンに変じたベルトルドの力は、もはや高位の神々に匹敵するまでに高まっていた。


「よくぞこの短時間で、あれだけの力が顕現するものだ」


 忌々しげに、フェンリルは吐き捨てた。


「スコルとハティの力じゃ、喰らいきれないかも」


 同意するように、キュッリッキは呟く。

 フェンリルの眷属たるスコルとハティは、ドラゴンの肉体には攻撃せず、直接霊体を攻撃していた。それゆえ、見ている側からすると、ドラゴンの周りの空気に噛み付いているだけにしか見えない。しかしキュッリッキには、ベルトルドの霊体が攻撃されている様がハッキリと見えていた。

 あらゆる力の膜が、ベルトルドの霊体を包み込んでいる。

 スコルとハティは、猛烈な勢いで食いちぎっているが、膜は少しも減る様子がない。


「無闇に食い散らかしちゃダメ。ベルトルドさんの意識を取り込んでいる、ユリディスの呪いの力のみを引き剥がさないと、多分いつまで経っても終わらないよ」


 キュッリッキに指摘され、フェンリルは頷いた。


「ホント、あいつらダメダメーだなあ。ボクがお手本見せてあげるよ」


 フェンリルの頭の上で見学を決め込んでいたフローズヴィトニルは、大きく尻尾を振ると、宙に飛び上がった。そして一瞬にして、黒い毛並みはそのままに、フェンリルと同じ姿になる。


「こうやったら早いんだよ~」


 フローズヴィトニルはドラゴン目掛けて飛びかかると、頭と首の付け根にガブリと噛み付いた。


「ちょっ、何するのフローズヴィトニル!!」


 キュッリッキが悲鳴を上げるのと同時に、ドラゴンは大咆哮をあげて、フローズヴィトニルを叩き落とそうと身体を激しくもがいた。


「頭落としちゃえばいいじゃん。そしたら死んでおとなしくなるよ」


 呑気な声はそのままに、フローズヴィトニルは鋭く巨大な牙を、更に喉笛に深々と食い込ませる。

 牙を喰い込ませた傷口から、滝のような血が噴き出し、辺りを鮮血に染め上げ始めた。


「やめて、ベルトルドさんが死んじゃう」


 ドラゴンは苦しげな咆哮を上げながらも、己の周囲に無数の白い光を作り出す。


「あれは…」

「いかん! ドラゴンから離れろフローズヴィトニル!!」

「うん?」


 放電しながら膨らむ無数の白い光の玉は、強い光を放つと、大爆発を起こした。


「きゃああ」


 両腕を交差させて目を庇ったキュッリッキにかぶさるように、フェンリルがキュッリッキを守る。

 室内には爆音と白い煙が充満し、空気中に静電気が多量に含まれ、あちこちで細い電気がバチバチと音を立てていた。

 ライオン傭兵団はヴェズルフェルニルの作り出した、風の膜によって守られ、かすり傷一つない。

 キュッリッキもフェンリルに守られ、傷ひとつなかった。

 爆音のせいで耳が聞こえづらくなっていたキュッリッキは、拳で頭をトントン叩いて、聴力を取り戻そうとする。


「今の……サンダースパーク……ベルトルドさんの」


 頭を軽く振ると、ゆっくりと周りの音が耳に聞こえてきてホッとする。しかし、


「下がれフローズヴィトニル!!」


 フェンリルの怒号で、キュッリッキはビクッと身体を震わせた。


「よくも…、よくもやってくれたな、下郎の分際で!」


 フローズヴィトニルの怒鳴り声がして、キュッリッキはハッと顔を上げた。

 頭と首の付け根から、大量の血を噴き上げながら、白銀の鱗を朱く染めたドラゴンが睨みつけるその先には。

 ドラゴンと同じくらい躯を大きくしたフローズヴィトニルが、今にも食いつかんばかりの険しい表情かおで、ドラゴンを睨みつけていた。

 その剣呑な空気に危険を察知し、キュッリッキは声を張り上げた。


「だめ、ダメ、ベルトルドさんを殺しちゃダメなの!」


 叫ぶキュッリッキの声が聞こえていないのか、フローズヴィトニルは躯を低くすると、ドラゴン目掛けて飛びかかった。

 ドラゴンは超能力サイを使って、身体の周りに幾重にも防御壁を敷いていたが、その全てを突破して、フローズヴィトニルの鋭い爪が白銀の鱗に覆われた腹に突き刺さる。そして、鋭い牙は再び喉笛に喰らいつき、首を食いちぎろうと、フローズヴィトニルは激しく首を振った。

 絶叫のような咆哮を上げ、ドラゴンはフローズヴィトニルの爪と牙から逃れようと、身体を激しく何度も振り続けた。時々口からサラマブレスが吐き出され、辺りを紫電の色に染め上げる。血も雨のように、室内に振りまかれた。


「お願いフローズヴィトニルやめて、ベルトルドさんが死んじゃう! お願いだからやめてえ」


 キュッリッキはどうしていいか判らず、暴走するフローズヴィトニルに泣き叫んだ。あのままでは、人間に戻す前に絶命してしまう。

 血を流し続け暴れるドラゴンの姿に、キュッリッキも相当頭の中がテンパっていた。その様子を見てとって、フェンリルは軽く首を振る。

 あまりにも短時間に色々なことがその身に起きて、あらゆる処理が追いついていないのだ。

 普段のキュッリッキなら、このような事態でも冷静に判断出来る。今すぐフローズヴィトニルに、制限をかけ直せばいいだけなのだ。


(あの男に酷いめにあわされたというのに、少しも死を願ってはいない。傷ついたあの姿に、心配のあまり心を痛めて涙を流している…)


 本当に、優しい子なのだ。


「スコル、ハティ」


 フローズヴィトニルの剣幕に気圧されて、下がっていた2匹の狼に、フェンリルは静かに声をかける。


「巫女を守れ」


 2匹は服従するように身を伏せ、そして起き上がる。


「全く、世話の焼ける、我が半身だ」


 フェンリルはキュッリッキから離れると、身体をフローズヴィトニルと同じように大きくした。


「フェンリル……?」


 手で涙を拭いながら、キュッリッキはフェンリルを見上げる。


「いい加減、落ち着かんか馬鹿者!!」


 フェンリルは静かに床を蹴り、勢いよくフローズヴィトニルに体当りした。

 ドオオオンッと室内に大きく轟く音と、獣の悲鳴。


「なにすんだよー!?」


 いきなり体当たりを食らったフローズヴィトニルは、勢いよく背中から床に落ちた。

 透き通った水色の瞳に困惑の色を浮かべ、目の前のフェンリルを凝視する。


「少しは落ち着け。思いつきで無茶な行動に出るな、キュッリッキの声が聞こえんのか」


 フェンリルはゆるゆると首を振り、呆れたようにため息をついた。


「キュッリッキはその男の死を望んではいない、殺してはならん」

「はあ?」


 身体を起こしながら、フローズヴィトニルは素っ頓狂な声を上げる。


「何をバカなこと言ってるの、殺さないとキュッリッキのほうが、殺されちゃうってのにさ」

「そうさせないために、我々であの男に憑依しているドラゴンを引き剥がし、ユリディスの力を祓い落とすのだ」

「ばっかじゃないの? もう手遅れさ。ドラゴンとベルトルドが完全融合するのも、もう時間の問題。意識も飲み込まれて自我もなく、スコルとハティがいくら頑張ったって無駄無駄」


 小馬鹿にしたようにフェンリルに向かって鼻を鳴らすと、フローズヴィトニルは軽く頭を振った。


「パパの血が隔世遺伝してんだよ、ドラゴンとは相性がいいんだ。見ろよ、ああしてる間に、傷の治癒を始めちゃってる」


 フローズヴィトニルから解放されたドラゴンは、下がったところで目を閉じてジッとしていた。噛み付かれて深い傷を負った喉や腹は、ゆっくりと傷口が塞がれ始めている。ドラゴンが本来持つ、強力な治癒能力だ。


「……あの者がなんであれ、我々は巫女の願い通り、あの者を人間に戻す。殺してはならん」


 フローズヴィトニルは不満を露骨に乗せた唸りを、食いしばった牙の間から漏らす。


「ボクたち制限が解かれたんだ、あんな人間の言うことなんて、聞く必要ないんだぞ」

「何を言い出す!」

「巫女なんて言ったって、たかが人間だろ。陵辱されて、もう処女じゃないじゃん。神聖なんてあるもんか」

「フローズヴィトニル!!」


 カッとなったフェンリルは、再びフローズヴィトニルに激しく体当りした。


「わきまえろ! 痴れ者がっ」

「痛ったいなー!」


 フローズヴィトニルはイラついたように目を細めると、飛びかかってフェンリルの首に大きく噛み付いた。


「グォオオ」

「人間に顎でこき使われるフェンリルも、死んじゃえよ! 目障りだ!!」


 大きく頭を振って、フローズヴィトニルの牙から逃れようとするフェンリルの触覚が、室内を暴れまわり、壁や床を抉り削っていった。




 キュッリッキは両手を頬にあて、盛大な兄弟喧嘩を始めた2匹を、驚愕とともに唖然と見つめていた。


「フェンリル…、フローズヴィトニル…」


 フローズヴィトニルの発言にも驚いたが、自分の命令を完全に無視したその行為に驚いている。

 本来アルケラの住人たちは、それがたとえ神であっても、こちらの世界ではキュッリッキの命令は絶対だ。それが、アルケラの巫女であり、召喚士でもあるキュッリッキに与えられている大きな権限である。

 アルケラの住人たちには破ってはならないルールがあり、その一つが巫女の命令は絶対だということ。

 幼い頃からキュッリッキはそのことは理解していて、無茶な命令は絶対にしてこなかった。アルケラの住人たちの心を傷つけたくないから、嫌がることは命令しなかったし、望まれても命令しなかった。

 制限を解いたことで、フローズヴィトニルの箍も外れてしまったのだろうか。

 人間を見下す、あれが、フローズヴィトニルの本音なのか。

 心がズキリと痛み、とても悲しかった。


「2人とも、喧嘩しないで……」


 ポロポロと涙をこぼしながら、キュッリッキは弱々しい声をあげた。

 そんなキュッリッキの声にも気づかないフェンリルとフローズヴィトニルは、激しく取っ組み合いながら、大暴れしていた。

 巨体と巨体がぶつかり合うので、室内は盛大な音とホコリが舞い上がり、ドラゴンの存在すら掻き消える勢いだ。


「どうしよう、どうしよう」


 狼狽えるキュッリッキの護衛についているスコルとハティも、なすすべもなく主たちの喧嘩を見守っていた。




 離れた位置で、喧嘩する狼たちとキュッリッキを交互に見ていたメルヴィンは、グッと顎を引くと、隣にいたタルコットにヴェズルフェルニルを押し付けた。


「すいません、この鷲お願いします!」

「いや、これ鷹だし」

「頼みます!」


 間違いを訂正しつつ、タルコットは面食らって左腕にヴェズルフェルニルを留まらせたまま、目をぱちくりさせた。


「リッキー!」


 キュッリッキを呼びながら、メルヴィンは駆け寄った。


「メルヴィン……」


 頼りなげな表情で振り向くと、キュッリッキは縋るように手を伸ばした。


「リッキー」


 伸ばされた手を握り、メルヴィンはキュッリッキを抱きしめた。


「フェンリルとフローズヴィトニルが、言うこと聞いてくれないの。アタシ、どうすればいいのメルヴィン」


 泣き出したキュッリッキの頭を優しく撫でながら、メルヴィンは情けない表情を浮かべて目を閉じる。


「ごめん、オレもどうすればいいか、答えてあげられません。でも、一緒に考えましょう」


 召喚士というものは、神の力を操る凄い存在である。そう、世間では言われている。噂には尾ひれが付いて広がるから、その存在自体が神ではないかとまで言う者もいた。

 実際に出会ってみて、キュッリッキの繰り出す奇跡の数々は、本当に凄い力だと信じるに値した。それなのに、召喚の力を封じられてしまうと、ただの無力で非力な女の子だということを思い知る。

 ナルバ山の遺跡で、瀕死状態のキュッリッキを見たとき、それを痛感したのだ。

 こうして腕の中で泣きじゃくる彼女は、紛れもなくただの女の子。

 ずっと独りで生きてきたキュッリッキには、頼るべき『人間の仲間』がいなかった。

 でも、今は違う。


(アルケラのことも、神のことも、召喚のことも、何も知らない。でも、こうして側で支えることはできる。励ますことも、一緒に考えることもできる。

 辛いことの連続で、リッキーの心身はすでに限界だろうに)


 頼みの綱のフェンリルとフローズヴィトニルが、あんなことになってしまって、もはや冷静な判断などできないだろう。

 激しく喧嘩する2匹の向こうには、怪我を静かに癒すドラゴンが控えている。傷が癒えれば、再びキュッリッキを殺そうと動き出す。

 とにかくあの2匹の喧嘩を、一刻も早く止めなくてはならない。


「スコルさんとハティさんでは、どうしようもない、んですよね…?」


 メルヴィンの問いに、スコルもハティも小さく頷くだけ。眷属の身でしかない2匹には、主たちの喧嘩を止めるなど、到底不可能だった。


「では、別の何かを召喚する事は出来ませんか? あの2匹に対抗出来るだけの力を持つ何か」

「何かを…?」


 グスグスと涙声でキュッリッキは呟く。

 ほかに妙案が浮かばない。メルヴィンの言うとおり、何かを召喚してみることに決めて、キュッリッキはアルケラを視るべく、目を見開いた。

 その時、突如視界に紫電の光が過ぎって、ドラゴンの大咆哮が轟渡った。


「ベルトルドさん…?」

「もう、動けるんですか」


 白黒の2匹の巨狼の向こうに、己の血で赤く染まった白銀のドラゴンが、強烈な光をその目に宿し、キュッリッキを睨みつけていた。

 キュッリッキ目掛けて一歩踏み出そうとしたとき、フェンリルがドラゴン目掛けて飛びかかった。


「フェンリル!!」


 フェンリルの頭突きで後ろによろめいたドラゴンは、しかし後ろ足で踏ん張り耐える。


「キュッリッキは殺らせん!」

「ボクとの勝負がついてないだろー!」


 突然喧嘩を放棄してドラゴンに飛びかかったフェンリルにムカついて、フローズヴィトニルはフェンリルに体当りした。

 弾き飛ばされたフェンリルは、床を数回転がり身を起こす。


「いい加減にやめんか!」


 呆れ半分、怒り半分の声音を滲ませ、フェンリルは吐き捨てる。


「ボクとの勝負がまだ終わってないんだ! いくらでも邪魔してやるからな」

「本当にお前は、いつまで経ってもバカのままだ」


 牙を食いしばり、目を細めたその時、視界に金色の光が差した。


「あれは」


 ドラゴンの周りに、無数の黄金の三叉戟が出現していた。


「――雷霆ケラウノスとかいうものか、数が多すぎる…」


 人間であった頃のベルトルドが扱っていたものよりも、ずっと巨大な質量をほこる三叉戟だ。

 魔法〈才能〉スキルも解放されている今のベルトルドなら、自らの魔力も込めて生み出せるのだろう。それに加えてドラゴンの力もあるのだ。


「守り……きれるか…我に」




「おっさん、ホントにスケールがデカすぎるっつーか…」

「もはやスケールとかいう問題じゃなくね??」


 ルーファスの呟きに、ザカリーがツッコむ。


「短い人生でしたねえ…。せっかく傭兵界でのし上がってきたばかりだったのに。アジトは吹き飛ばされるし、こうして宇宙空間ってところまで飛んできちゃうし、目の前の壮大なファンタジーに殺されそうになっているし……」


 まるでワイングラスを片手に、しみじみといった口調でカーティスに言われ、皆げんなりとため息をこぼした。

 人間相手になら、こんな弱音は吐かない。何としてでも勝って生き延びる。しかし、相手は神だの化物だのの類である。専門外も甚だしい。


「キューリさん、本当にまいっちゃってるようだし、これは奇跡も起きないかもですね…」


 メルヴィンに縋って泣いているキュッリッキを見つめ、シビルは諦めたように肩を落とした。

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