僅かに瞼を震わせ目を開けると、腕が見えて、それをたどって上に目を向けるとメルヴィンの横顔が見えた。
そのままジッと見ていると、メルヴィンはぐっすりとよく眠っている。
端整な寝顔を見つめながら、キュッリッキはほんのりと顔を赤らめる。
昨夜メルヴィンに愛された。
心も身体も全てメルヴィンの愛で満たされ、幸せを迸らせるように意識が真っ白になり、気づいて今に至る。なので、どの時点で意識が途切れてしまったのか判らない。そのくらい夢中で愛に溺れていたのだった。
「メルヴィン……」
身体を起こすと、引き締まった胸に顔をうずめるようにして、ぽつりと名を呟く。耳を押し付けると、トクン、トクンと心臓の鼓動が聞こえた。
「大好き、メルヴィン」
キュッリッキは嬉しさを訴えるように、メルヴィンの胸に愛おしそうに頬ずりした。
こうして身体に触れていても、メルヴィンは目を覚まさない。
昨日は命を張った戦いをしていたのだ。相当疲れているのだろう。それが判って、キュッリッキはそっとベッドから出ると、裸のままバスルームへと向かう。
「………」
ふと立ち止まり、やや困惑げに眉を寄せ、首をかしげつつ再び歩く。そしてまた立ち止まった。
「なんか、まだ股間に何か挟まってるみたいな感じがするかも……」
熱いシャワーを浴びながら、キュッリッキは胸元の傷にそっと触れる。
湯が当たっても滲みなかった。昨夜シビルが塗ってくれた薬のおかげだろう。
複雑な気持ちで傷を見ていると、背後でドアが開く音がして、ギョッと後ろを振り向いた。
「めっ、メルヴィン」
「おはようございます」
「もお、びっくりしたんだから」
後ろからメルヴィンに抱きしめられ、キュッリッキは愛らしく唇を尖らせた。
「ちゃんと声はかけましたよ?」
「……聞こえなかったもん」
「じゃあ、しょうがないです」
耳に軽くキスをして、メルヴィンはふとキュッリッキの胸元の傷に目を向ける。
「滲みませんか?」
「うん、大丈夫。薬が効いてるみたい」
「それは良かった」
ホッとしたように、メルヴィンは肩の力を抜いた。
「ねえメルヴィン」
「はい?」
「股間にまだメルヴィンの挟まったままみたいな感じがするの。これいつになったらおさまるんだろう? 歩きにくいの」
物凄く困った表情で見上げられて、メルヴィンは顔を真っ赤にする。
感触が残っていて感じてしまうから困る、なら判るが、歩きにくいと言われたのは生まれて初めての経験だった。なんだか視点がズレてる気がして、心の中でガックリ肩を落とすメルヴィンだった。
「もう、そんなことを言う口はこうです!」
そう叫ぶように言って、目を丸くするキュッリッキの顔を片手で押さえ、塞ぐようにして唇を重ねた。
メルヴィンは着替えのために一旦自分の部屋へ戻り、キュッリッキもバスタオルを身体に巻いたまま衣装部屋に向かう。
衣装部屋の扉を開けて入ると、全て秋・冬ものに入れ替わっていた。
ベルトルドとアルカネットが、キュッリッキのために用意してくれた沢山の衣装。どれもキュッリッキに似合うものばかり。キュッリッキの身体にぴったり合うように誂られたものだ。
下着を身に付け、何を着ようか選んでいると、衣装部屋の開けっ放しの扉がノックされた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはようリトヴァさん、アリサ」
この
「お疲れは取れましたか?」
「うん、大丈夫だよ」
「それはようございました」
リトヴァは微笑んで、アリサのほうへ顔を向ける。
「お嬢様、今日から正式にこのアリサが、お嬢様専属の侍女となり、お嬢様のお世話を担当いたします。これまではわたくしが担当を兼任しておりましたが、アリサに一任致します」
「どうぞよろしくお願いします、キュッリッキお嬢様」
「そうなんだ、よろしくね、アリサ」
キュッリッキは小さく頷いて了解した。この屋敷に来てから、アリサを始め幾人かのメイドたちも世話をしてくれたが、中でもアリサとは一番仲良しなのだ。年が近いこともあり、色々話しやすかった。
「それからお嬢様、わたくしのことは、リトヴァと呼び捨てになさってください」
「え、どうして?」
「わたくしは使用人です。お嬢様はこのお
「……ううん……」
キュッリッキは難題を押し付けられたような顔で唸り、しかし、ふと目を瞬かせた。
「なんでアタシが女主人なの? ここはベルトルドさんが主じゃないの?」
不思議そうにキュッリッキに見つめられ、リトヴァとアリサは表情を曇らせてキュッリッキを見つめた。
「――そうでございましたね。ですが、お嬢様も主のお一人なのです。慣れてくださいませね」
キュッリッキがいまだ、ベルトルドの死を受け入れられていないのは、リュリュから聞いている。
僅かに悲しげな笑みを浮かべながら、リトヴァは頭を下げた。
もともとキュッリッキは誰彼構わず呼び捨てにしている。しかし、皇王など身分の高い相手には様を付けるし、ベルトルドやアルカネット、リトヴァのようにずっと年長者にはさん付けする。誰かにそうしろと言われたわけじゃなく、自然とそんな風にわけて呼んでいた。
「うん、頑張ってみる」
襟と袖口に白いレースをあしらった、濃紺のベルベット生地のワンピースを選んで、濃紺色のリボンを髪に結んでもらう。こうして身支度が整うと、追い出されるようにして食堂へ向かわされた。
部屋の主が朝食をとっている間に、メイドたちが数名で掃除やベッドメイクなどを終わらせるのだ。それが判っているので、キュッリッキは素直に食堂へと向かった。
食堂へ入ると、メルヴィンとタルコットとランドンの3人しかいない。棚の上に置かれた時計を見ると、もう朝の8時を回っている。
タルコットもランドンも、まだ疲れた顔をしていた。2人とも朝は早い方なので、習性で起きてしまったのだろう。
キュッリッキは自分の席に着くと、ふと斜め前のベルトルドの席を見る。
「ベルトルドさん、まだ寝てるのかな。アルカネットさんも」
ハッとした空気が食堂に漂う。
「それに、お皿とか食器が並んでないよ? なんで?」
首を傾げたキュッリッキは、向かい側に立つセヴェリを見る。
「それは…」
心底困ったようにセヴェリが言い淀んでいると、
「ベルもアルも、もう食事をする必要がなくなったからよ」
そう言いながら、リュリュが颯爽と食堂に姿を現した。その後ろから、ライオンの残りの仲間たちも食堂に入ってくる。
「食事をする必要がないって……どうして?」
「だって、もう死んじゃってるんだもの」
「え…」
「リュリュさん!」
リュリュを咎めるようにメルヴィンが席を立つ。しかしリュリュは目もくれず、キュッリッキをタレ目でしっかりと見据えた。
「あーたも看取ったんでしょ、2人を。フリングホルニの中で、ベルトルドとアルカネット両名は死んだの」
キュッリッキは暫くほうけたような顔でリュリュを見つめた。食堂にいる仲間たちも、固唾を飲んで2人を見守っている。
脳裏では、フリングホルニの中での出来事が、ゆっくりと再生されていく。
胸に大きな穴を開けられ、血だまりの中で絶命していたアルカネット。そして、指先一つ動かせず横たわって、静かに息を引き取ったベルトルド。
ちゃんと、2人の死を見た。
2人は、死んでしまったのだ――。
「あぅぁ…アァ…」
キュッリッキの呼吸が急に荒くなり、目を大きく開いて、大粒の涙をこぼし始めた。
身体がガクガクと震えだし、ついには椅子から落ちて倒れてしまった。
「リッキー!」
「小娘!」
リュリュは慌ててキュッリッキを抱き起こしたが、激しく胸を突き飛ばされて、後ろに尻餅をついた。
「ウソだ! ウソ! ウソ! ベルトルドさんもアルカネットさんも、死んでなんかないもん!」
怒りで顔を真っ赤にして、涙をあふれさせながらキュッリッキは怒鳴った。
「ベルトルドさんもアルカネットさんも、寝てただけだもん! すぐ起きてくるんだからウソ言わないでよ!!」
ハア、ハア、と肩を激しく喘がせて、キュッリッキはリュリュを睨みつける。
頭の中では、2人の死んだ姿がフラッシュバックしている。それでもキュッリッキの心は2人の死を拒絶し続けた。
「リッキーって言いながら、抱きしめてキスしてくるんだから。それで2人ともいつも喧嘩して、でもやっぱり毎日そうしてきて」
そんな当たり前の日々が、続いていくだけなのに。
「アタシに酷いことしたのに、したのに…」
もう、帰ってこない。
「ベルトルドさん……アルカネットさん……」
「小娘…」
「わあああああああああああっ!」
ついに2人の死を認め、キュッリッキは絶叫した。
リュリュは身体を起こし、目の前で泣き崩れるキュッリッキをしっかりと抱きしめた。
「イイ子ね。今はとにかく沢山泣きなさい」
キュッリッキの頭を優しく撫でながら、リュリュは沈痛な面持ちで目を伏せた。