目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

163話:突き付けられた現実

 僅かに瞼を震わせ目を開けると、腕が見えて、それをたどって上に目を向けるとメルヴィンの横顔が見えた。

 そのままジッと見ていると、メルヴィンはぐっすりとよく眠っている。

 端整な寝顔を見つめながら、キュッリッキはほんのりと顔を赤らめる。

 昨夜メルヴィンに愛された。

 心も身体も全てメルヴィンの愛で満たされ、幸せを迸らせるように意識が真っ白になり、気づいて今に至る。なので、どの時点で意識が途切れてしまったのか判らない。そのくらい夢中で愛に溺れていたのだった。


「メルヴィン……」


 身体を起こすと、引き締まった胸に顔をうずめるようにして、ぽつりと名を呟く。耳を押し付けると、トクン、トクンと心臓の鼓動が聞こえた。


「大好き、メルヴィン」


 キュッリッキは嬉しさを訴えるように、メルヴィンの胸に愛おしそうに頬ずりした。

 こうして身体に触れていても、メルヴィンは目を覚まさない。

 昨日は命を張った戦いをしていたのだ。相当疲れているのだろう。それが判って、キュッリッキはそっとベッドから出ると、裸のままバスルームへと向かう。


「………」


 ふと立ち止まり、やや困惑げに眉を寄せ、首をかしげつつ再び歩く。そしてまた立ち止まった。


「なんか、まだ股間に何か挟まってるみたいな感じがするかも……」




 熱いシャワーを浴びながら、キュッリッキは胸元の傷にそっと触れる。

 湯が当たっても滲みなかった。昨夜シビルが塗ってくれた薬のおかげだろう。

 複雑な気持ちで傷を見ていると、背後でドアが開く音がして、ギョッと後ろを振り向いた。


「めっ、メルヴィン」

「おはようございます」

「もお、びっくりしたんだから」


 後ろからメルヴィンに抱きしめられ、キュッリッキは愛らしく唇を尖らせた。


「ちゃんと声はかけましたよ?」

「……聞こえなかったもん」

「じゃあ、しょうがないです」


 耳に軽くキスをして、メルヴィンはふとキュッリッキの胸元の傷に目を向ける。


「滲みませんか?」

「うん、大丈夫。薬が効いてるみたい」

「それは良かった」


 ホッとしたように、メルヴィンは肩の力を抜いた。


「ねえメルヴィン」

「はい?」

「股間にまだメルヴィンの挟まったままみたいな感じがするの。これいつになったらおさまるんだろう? 歩きにくいの」


 物凄く困った表情で見上げられて、メルヴィンは顔を真っ赤にする。

 感触が残っていて感じてしまうから困る、なら判るが、歩きにくいと言われたのは生まれて初めての経験だった。なんだか視点がズレてる気がして、心の中でガックリ肩を落とすメルヴィンだった。


「もう、そんなことを言う口はこうです!」


 そう叫ぶように言って、目を丸くするキュッリッキの顔を片手で押さえ、塞ぐようにして唇を重ねた。




 メルヴィンは着替えのために一旦自分の部屋へ戻り、キュッリッキもバスタオルを身体に巻いたまま衣装部屋に向かう。

 衣装部屋の扉を開けて入ると、全て秋・冬ものに入れ替わっていた。

 ベルトルドとアルカネットが、キュッリッキのために用意してくれた沢山の衣装。どれもキュッリッキに似合うものばかり。キュッリッキの身体にぴったり合うように誂られたものだ。

 下着を身に付け、何を着ようか選んでいると、衣装部屋の開けっ放しの扉がノックされた。


「おはようございます、お嬢様」

「おはようリトヴァさん、アリサ」


 このやしきのハウスキーパーのリトヴァと、メイドの一人アリサが笑顔で立っていた。


「お疲れは取れましたか?」

「うん、大丈夫だよ」

「それはようございました」


 リトヴァは微笑んで、アリサのほうへ顔を向ける。


「お嬢様、今日から正式にこのアリサが、お嬢様専属の侍女となり、お嬢様のお世話を担当いたします。これまではわたくしが担当を兼任しておりましたが、アリサに一任致します」

「どうぞよろしくお願いします、キュッリッキお嬢様」

「そうなんだ、よろしくね、アリサ」


 キュッリッキは小さく頷いて了解した。この屋敷に来てから、アリサを始め幾人かのメイドたちも世話をしてくれたが、中でもアリサとは一番仲良しなのだ。年が近いこともあり、色々話しやすかった。


「それからお嬢様、わたくしのことは、リトヴァと呼び捨てになさってください」

「え、どうして?」

「わたくしは使用人です。お嬢様はこのおやしきの女主人でございます。使用人たちは全て、呼び捨てでようございます」

「……ううん……」


 キュッリッキは難題を押し付けられたような顔で唸り、しかし、ふと目を瞬かせた。


「なんでアタシが女主人なの? ここはベルトルドさんが主じゃないの?」


 不思議そうにキュッリッキに見つめられ、リトヴァとアリサは表情を曇らせてキュッリッキを見つめた。


「――そうでございましたね。ですが、お嬢様も主のお一人なのです。慣れてくださいませね」


 キュッリッキがいまだ、ベルトルドの死を受け入れられていないのは、リュリュから聞いている。

 僅かに悲しげな笑みを浮かべながら、リトヴァは頭を下げた。

 もともとキュッリッキは誰彼構わず呼び捨てにしている。しかし、皇王など身分の高い相手には様を付けるし、ベルトルドやアルカネット、リトヴァのようにずっと年長者にはさん付けする。誰かにそうしろと言われたわけじゃなく、自然とそんな風にわけて呼んでいた。


「うん、頑張ってみる」




 襟と袖口に白いレースをあしらった、濃紺のベルベット生地のワンピースを選んで、濃紺色のリボンを髪に結んでもらう。こうして身支度が整うと、追い出されるようにして食堂へ向かわされた。

 部屋の主が朝食をとっている間に、メイドたちが数名で掃除やベッドメイクなどを終わらせるのだ。それが判っているので、キュッリッキは素直に食堂へと向かった。

 食堂へ入ると、メルヴィンとタルコットとランドンの3人しかいない。棚の上に置かれた時計を見ると、もう朝の8時を回っている。

 タルコットもランドンも、まだ疲れた顔をしていた。2人とも朝は早い方なので、習性で起きてしまったのだろう。

 キュッリッキは自分の席に着くと、ふと斜め前のベルトルドの席を見る。


「ベルトルドさん、まだ寝てるのかな。アルカネットさんも」


 ハッとした空気が食堂に漂う。


「それに、お皿とか食器が並んでないよ? なんで?」


 首を傾げたキュッリッキは、向かい側に立つセヴェリを見る。


「それは…」


 心底困ったようにセヴェリが言い淀んでいると、


「ベルもアルも、もう食事をする必要がなくなったからよ」


 そう言いながら、リュリュが颯爽と食堂に姿を現した。その後ろから、ライオンの残りの仲間たちも食堂に入ってくる。


「食事をする必要がないって……どうして?」

「だって、もう死んじゃってるんだもの」

「え…」

「リュリュさん!」


 リュリュを咎めるようにメルヴィンが席を立つ。しかしリュリュは目もくれず、キュッリッキをタレ目でしっかりと見据えた。


「あーたも看取ったんでしょ、2人を。フリングホルニの中で、ベルトルドとアルカネット両名は死んだの」


 キュッリッキは暫くほうけたような顔でリュリュを見つめた。食堂にいる仲間たちも、固唾を飲んで2人を見守っている。

 脳裏では、フリングホルニの中での出来事が、ゆっくりと再生されていく。

 胸に大きな穴を開けられ、血だまりの中で絶命していたアルカネット。そして、指先一つ動かせず横たわって、静かに息を引き取ったベルトルド。


 ちゃんと、2人の死を見た。

 2人は、死んでしまったのだ――。


「あぅぁ…アァ…」


 キュッリッキの呼吸が急に荒くなり、目を大きく開いて、大粒の涙をこぼし始めた。

 身体がガクガクと震えだし、ついには椅子から落ちて倒れてしまった。


「リッキー!」

「小娘!」


 リュリュは慌ててキュッリッキを抱き起こしたが、激しく胸を突き飛ばされて、後ろに尻餅をついた。


「ウソだ! ウソ! ウソ! ベルトルドさんもアルカネットさんも、死んでなんかないもん!」


 怒りで顔を真っ赤にして、涙をあふれさせながらキュッリッキは怒鳴った。


「ベルトルドさんもアルカネットさんも、寝てただけだもん! すぐ起きてくるんだからウソ言わないでよ!!」


 ハア、ハア、と肩を激しく喘がせて、キュッリッキはリュリュを睨みつける。

 頭の中では、2人の死んだ姿がフラッシュバックしている。それでもキュッリッキの心は2人の死を拒絶し続けた。


「リッキーって言いながら、抱きしめてキスしてくるんだから。それで2人ともいつも喧嘩して、でもやっぱり毎日そうしてきて」


 そんな当たり前の日々が、続いていくだけなのに。


「アタシに酷いことしたのに、したのに…」


 もう、帰ってこない。


「ベルトルドさん……アルカネットさん……」

「小娘…」

「わあああああああああああっ!」


 ついに2人の死を認め、キュッリッキは絶叫した。

 リュリュは身体を起こし、目の前で泣き崩れるキュッリッキをしっかりと抱きしめた。


「イイ子ね。今はとにかく沢山泣きなさい」


 キュッリッキの頭を優しく撫でながら、リュリュは沈痛な面持ちで目を伏せた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?