何進は広く人材を求めた。若く評判の良い者のみならず、かつて、罪を得て身を潜めていた者たちにも大赦が出されたことを理由に門戸を開いた。その中には後の時代に活躍する者も多く含まれていた。
何進に人材を推挙した張津はその帰り、袁紹の元を尋ねた。
絢爛豪華な豪邸の客間へと通される張津。
そこでは袁紹が寛いだ様子で彼を待っていた。頭には簡素な頭巾をかぶり、衣服は緩やかな青紫の深衣(上下が一つになった着物)を身に着けている。
彼は床(足の低い座具)に坐り、凭几(肘置き)に寄りかかり、足を前に投げ出して、蒼頭に洗わせている。
足を洗わせている袁紹のすぐ側には既に一人の男が立っていて、彼と何やら話しこんでいた。
袁紹は張津の姿を見つけるなり、すぐに蒼頭を下がらせ、彼に一礼した。
「これは張子雲殿、よく来られた。
この度はご協力いただき感謝する」
袁紹の挨拶に合わせ、彼の隣に立っていた男もまた、張津に一礼した。
その男の歳は三十代後半ほど。細面で顎は小さい。彼の小さな目はキョロキョロと忙しなく動き回っている。
袁紹に倣ってか、その身なりは簡素だが、小綺麗にまとまっている。
張津は彼とも面識があったので、すぐに彼にも挨拶をした。
「これはこれは。逢元図殿もおられたか」
張津が挨拶をしたその男、彼の名は逢紀。字は元図。彼は張津が何進に推薦した人材の一人であった。
「張子雲殿も、この私までご推薦いただきありがとうございます」
逢紀にとっては仕官するきっかけを作ってくれた相手だ。彼は深々と張津に頭を下げた。
「いえいえ、私も袁家のお役に立てて光栄でございます」
袁紹もまた、張津に礼を述べる。
「張子雲殿、貴殿が私を推薦してくれたおかげで、大将軍より一層私を重く用いることであろう」
この言葉に、張津も頭を下げて返答する。
「もったいないお言葉でございます。
しかし、私の推挙でお役に立てたでしょうか。
聞けば、袁本初殿は既に大将軍の覚えめでたく、信頼された部下だと聞いておりますが⋯⋯」
張津は袁紹の要請を受ける形で何進の元に赴いた。そして、宦官たちの害を説き、袁紹らを推挙した。
しかし、袁紹は既に何進の寵臣の一人として知られている。張津は何故、わざわざ袁紹を何進に推挙させたのか尋ねた。
「確かにあなたの言うとおりだ。私自身、今でも十分に大将軍より信任を受けているという自覚はある。
だが、まだ不足だ。
大将軍には既に多くの部下が揃っている。その中の寵臣の一人ではダメだ。抜きん出た一人にならねば意味がない。
だが、正攻法でそこまでいくには時間がかかる。それを飛び越して、私自らが『私をもっと重用してください』などと直接言おうものなら、返って信頼を失うというものだ。第三者に言わせるのがより効果的だろう」
そう語る袁紹の目はまるで燃え盛る炎のような光を発していた。
彼はさらに張津を指差した。
「特に大将軍は自身の肉屋という出自に劣等感を抱いている。君のような同郷の名家に言わせれば効果は抜群ということだ。
オマケに、逢紀、お前も大将軍府に招くことができたしな」
袁紹が笑うと、逢紀もまた笑顔で返した。
「おかげで恩恵に預かることが出来ました」
逢紀は、袁紹がまだ何進に招かれる以前より付き合いのある人物であった。彼はその出自がよくないことから、世間にはあまり名が知られていなかった。だが、袁紹は逢紀の忠義と聡明さを高く買い、側近くに置いていた。
袁紹は逢紀を見ながら話を続けた。
「逢紀を招こうと思えば私の推挙でも出来ぬことはない。
だが、今は悪い。私が派閥を作ろうとしていることを知られるわけにはいかない。
この度、他にも我が奔走の友・何伯求も加えることができた。荀公達とはあまり親しく交際してきてなかったが、確か彼は何伯求と親しかったはずだ。いずれ、彼とも親交を深め、我が派閥に加えよう」
袁紹は不敵な笑みをこぼす。彼の計画は着実に前に進んでいた。
そんな彼を張津はチラリと見、軽く呼吸を整えてから尋ねた。
「奔走の友といえば、この度は許子遠殿は推挙致しませんでしたが、よろしかったでしょうか」
袁紹は顎に手を当てて、一拍置いた後に話し始めた。
「うむ、奴は合肥侯の一件で目をつけられているからな。今は無理に起用せんでもいいだろう」
袁紹の意見に、逢紀も同意した。
「それが良いかと思います。
合肥侯の一件に彼が関わった証拠は押さえられておりませんが、疑われていることに変わりはありません。
それに彼は剛毅果断な人物ではございますが、金銭にだらしないところがあります。今、彼を招いて本初様の名声を損なう恐れもございます」
かつて、若き日の袁紹には、一度危険あれば駆けつけようと誓いあった友人がいた。すなわち、張邈、何顒、呉匡、伍瓊、そして、許攸である。袁紹は彼らを奔走の友と呼んだ。
許攸は字を子遠という。彼は素行にこそ問題があったが、命の危険をも顧みずに進む、その行動力、決断力は高く評価されていた。
前年、冀州刺史・王芬は、彼主導の元、霊帝を廃立し、代わりに合肥侯を擁立しようとするクーデターを計画していたが、事前に失敗に終わった。この計画に関わっていたとして、許攸は朝廷より睨まれていた。
なお、このクーデター計画に袁紹が関わっていたという話は、噂一つ出ることはなかった。
袁紹は逢紀の言葉に頷いて聞いていた。
「うむ、許攸は今、世に出すのは得策ではない。それに奴は自由にさせていた方が使い所がある。
あの男は自ら泥をかぶれる忠義者だ。今はまだ、私が匿っておくとしよう」
なお、逢紀・許攸の二人は、後に袁紹の謀臣として名を残すこととなる。
袁紹は話題を切り替えるかのようにつぶやいた。
「今回、大将軍は張子雲の推挙した者以外にも多くの者を招いた。この者たちも上手く我が派閥に加えようと思う。
例えば劉景升だ。彼もまたこの度、招かれた。だが、既に高齢のはずだ。
今、彼はいくつだ?」
袁紹の言葉に逢紀が答える。
「確か⋯四十八かそのくらいだったかと」
この度、何進の招集を受けた一人。劉表は字を景升という。若くして当時著名であった王暢に学び、儒者として名を知られていた。
だが、党錮の禁で追われた張倹の逃亡を助けた罪で、彼自身もお尋ね者となった。今、罪を許され、何進によって改めて招集されたが、彼の経歴は大きな空白期間を挟むこととなった。
逢紀から劉表の年齢を聞き、袁紹はフフと笑う。
「その歳で新人として働くのは苦労が多かろう。
そこで私自ら彼に優しく声をかけ、親しく接するのだ。そうすれば彼も私を信頼し、我が派閥に加わることだろう。
そうして、私は大将軍の中の最大派閥の主となる。
そうなれば、大将軍も自在に操ることができる!」
袁紹の不敵な笑いが辺りに木霊する。
〜〜〜
張津は袁紹との話を切り上げ、彼の邸宅から退出した。
玄関では柄の大きな若者が車馬とともに彼の帰りを待っていた。彼は張津の族弟・張允である。
「津兄上、袁本初殿はいかがでしたか」
袁紹邸からの帰り道、張允は車馬に同席しながら、張津に尋ねた。
「ふむ、底知れぬ恐ろしさのある男であった。やはり、兄上の言う通り、本初に協力するのは早計であったのかもしれん」
俯いて語る張津に、張允はすぐさま言い返した。
「しかし、袁本初殿が今勢いがあるのは間違いありません。我らとしても協力しておく方が損はないのではありませんか」
その言葉に張津は少し躊躇いながら答えた。
「それはそうなのだが⋯⋯。
この度、私は大将軍に袁本初殿とともに袁公路殿も推挙しておいた。この二人、今は表面上は仲良くしているが、元より仲が悪いのは周知の事実。
この二人が互いに牽制し、上手く調和を保ってくれれば良いのだが⋯⋯」
袁紹と袁術。今、若手の官吏の中心に彼らがいた。果たして彼らが後漢を良い方向に導くのか。それはこの時代の誰もまだ知らなかった。
ただ、一人、転生者・劉星を除いては⋯⋯。
《続く》