即位した少帝は全国に対して大赦(罪人の罪を許すこと)を行なった。また、皇弟の劉協を渤海王に封じた。
そして、後将軍の袁隗(袁紹の叔父)を太傅とし、録尚書事とした。さらに大将軍の何進にも参録尚書事を加えた。
録尚書事も参録尚書事もその意味するところは同じである(太傅の場合は録尚書事となり、それ以外は参の字をつける)。
尚書は公文書の伝達を請け負う。録尚書事はその総領である。臣下から皇帝に差し出された上奏をあらかじめ確認し、不適当ならば停止するという強い権限を持つ。
この役職に就いた何進と袁隗は事実上の漢朝のトップとなった。
これからは何進と袁氏の時代の到来する。誰もがそう予感していた。
〜〜〜
ここは大将軍府。
そこには皇帝の義兄から、皇帝の伯父へと立場を変え、さらに権力を増した大将軍・何進がいた。
彼は執務室の座床に腰掛け、満足気に自身の顎髭を撫でた。だが、彼は新たな立場からくる重圧に、若干の不安を抱いていた。
「新帝陛下が即位され、我が妹は皇太后となった。
これより私もますます重責を背負うことになるだろう。
どうしたものか、袁紹にでも尋ねるか」
元々、袁紹は何進が重用する部下の一人であった。それが霊帝の遺詔騒動の時の助言や、蹇碩の暗殺計画から守られたことで、日増しに何進の袁紹への信頼は大きなものへとなっていた。
そこへ部下がそそくさとやってきた。
「大将軍、お客人です」
「誰だ? つまらぬ奴なら後に回せ。大将軍の私は忙しいのだ」
「張津という年若い方でした」
「張津? 知らんな。若僧に会っても仕方がない」
部下は一枚の板切れを何進に差し出した。何進は念の為とその板切れに目を通した。
この板切れは名刺である。板には名や出身地が書かれ、長さは約一尺(約二十三センチ)ほど。この時代、身分のある人に面会する場合はこの名刺を先に差し出していた。
「なになに⋯⋯『張津再拝、問起居、南陽郡穣県(現代の河南省南陽市鄧州市の辺り)(の人)、字(は)子雲』
⋯⋯南陽張氏ではないか!
名家の御子息に失礼があってはならん。丁重にお通しせよ!」
「は、はい!」
何進に急かされ、部下は慌てて張津を出迎えた。
通された張津の歳は二十代半ば。黒々とした髭を蓄え、小綺麗に着飾った好青年であった。
「お通しくださり、ありがとうございます。
族父に代わり挨拶に罷り越しました。
新帝陛下の御即位おめでとうございます」
張津はそう言いながら深々と頭を下げた。
その謙った態度に何進は満足しつつも、頭を上げるように声をかけた。
「張子雲殿、頭を上げてくだされ。
そう畏まる必要はない。私とあなたは同郷の仲ではないか」
張津は荊州の南陽郡の生まれであった。そして、何進もまた、南陽郡の生まれである。
また、張津は名家の生まれであった。彼の族父・張温はかつては三公(大臣最高位)の司空や太尉を務め、さらに車騎将軍として韓遂・辺章の反乱の鎮圧にもあたった人物である。
現在は九卿(九つの大臣)の一つ・衛尉となり、先の霊帝の大喪にも参列している。
「津はまだ若輩の身でございます。
大将軍である貴方様にお会い出来ただけで光栄でございます」
何進からすれば張氏は郷里の南陽を代表する名門である。まだ肉屋であった頃の彼であれば、対面すら敵わないほどの高家であった。その名家が子弟とはいえ、わざわざ自分のところに挨拶伺いに来ているのだ。これほど気分の良いことはない。
「名高い張子雲殿に来ていただけて、私も鼻高々だ。
私に何か至らぬところがあったら是非、遠慮なく言ってくれ。君の意見が聞きたい」
何進は自らの度量の広さを見せつけるように彼に尋ねた。
張津は最初、謙遜しながらも、再度何進に尋ねられ、私見を述べた。
「愚見を申し述べさせていただきます。
今、宦官たちの横暴は久しく続いております。また、永楽太后は不正な利益を貪っております。
大将軍におかれましては、賢良の士を選び出し、天下を正して救済され、国家の癌を取り除くのがよろしかろうと存じ上げます」
張津の意見に、何進は深く頷いた。
「なるほど、永楽太后とその側にいる横暴を働く宦官か。
確かにかの者たちこそ国家の癌かもしれんな」
何進にはすぐに心当たりが浮かんだ。董太后の側近くに侍る宦官と言えば一人しか思い浮かばない。奴を除かねばならぬかと何進は考えた。
「閹人(宦官のこと)を除くことこそが、国家太平への道でございます」
そう申し述べる張津に、改めて同意を示した。
「私も奴ら一派こそ、この国の病巣だと認識している。
貴殿の意見はよくわかった。さすが、名門張氏の士人である。よく事情を理解している。
ところで、子雲殿、賢良の士とはどなたか心当たりはありますかな」
何進は張津の洞察に感心し、さらに彼に意見を求めた。今や何進の立場は三公を超える。国家を運営する立場にある彼は賢者を求めていた。
それに対して、張津は一礼して答えた。
「今、天下第一の士といえば袁本初、そして第二には袁公路でございましょう。
彼ら袁氏は累代に渡り殊寵を受け、高貴を預かり、海内の名士に対して恩徳を施しております。
そして、袁本初はもとより士を養い、天下の英傑を従えております。
また、その従弟の袁公路は侠気をもって人を従えております。
賢良の士といえば、今はこの二人こそ第一、第二と言えるでしょう」
その意見に何進は大きく頷いた。袁紹、そして袁術の二人は何進も大いに評価する人物であった。
「なるほど、確かにその通りだ。
袁紹にはかねてより私もよく助けられていた。袁術も先の大喪の折に、史侯の身を守ってもらい、信頼に足る人物であると思っておった。
やはり、私の目に誤りはなかった。
これからより一層、あの二人を尊重しよう」
元より袁紹・袁術の二人は何進が目にかけていた。だが、張津からも太鼓判を押され、何進はますますこの二人を重要視するようになった。
「それがよろしいと思います。
その他、未だ用いられていない智謀の士として、逢紀、何顒、荀攸らがおります」
張津の口から語られたのは、何進がまだ知らぬ者たちであった。
その名に何進は食いついた。
「まだそのような者たちが世に眠っているのか」
何進は前のめりになって、彼に尋ねた。
「党錮の禁は解除されましたが、未だ出仕を躊躇う者は多うございます。
袁氏の二人を中心に、この未だ出仕せぬ智謀の士たちを拾い上げれば、大将軍の治世も盤石かと思われます」
張津とその言葉を聞き、何進は決意を固める。
「よろしい。
早速、召し抱えよう。その者たちばかりではない。未だ用いられていない天下の士を広く求めよう。
新帝陛下は世に大赦を行った。かの御代をより良いものする義務が私にはある!」
何進は大々的に人材を求めることを決める。それが新たな時代を切り開くと信じて。
《続く》