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第七十九話 何進(一)

 即位した少帝しょうていは全国に対して大赦たいしゃ(罪人の罪を許すこと)を行なった。また、皇弟の劉協りゅうきょうを渤海王に封じた。


 そして、後将軍こうしょうぐん袁隗えんかい(袁紹えんしょうの叔父)を太傅たいふとし、録尚書事ろくしょうしょじとした。さらに大将軍だいしょうぐん何進かしんにも参録尚書事さんろくしょうしょじを加えた。


 録尚書事ろくしょうしょじ参録尚書事さんろくしょうしょじもその意味するところは同じである(太傅たいふの場合は録尚書事ろくしょうしょじとなり、それ以外は参の字をつける)。


 尚書しょうしょは公文書の伝達を請け負う。録尚書事ろくしょうしょじはその総領である。臣下から皇帝に差し出された上奏をあらかじめ確認し、不適当ならば停止するという強い権限を持つ。


 この役職に就いた何進かしん袁隗えんかいは事実上の漢朝のトップとなった。


 これからは何進かしん袁氏えんしの時代の到来する。誰もがそう予感していた。


 〜〜〜


 ここは大将軍府だいしょうぐんふ


 そこには皇帝れいていの義兄から、皇帝しょうていの伯父へと立場を変え、さらに権力を増した大将軍だいしょうぐん何進かしんがいた。


 彼は執務室の座床いすに腰掛け、満足気に自身の顎髭を撫でた。だが、彼は新たな立場からくる重圧に、若干の不安を抱いていた。


新帝陛下しょうていが即位され、我が妹は皇太后こうたいごうとなった。


 これより私もますます重責を背負うことになるだろう。


 どうしたものか、袁紹えんしょうにでも尋ねるか」


 元々、袁紹えんしょう何進かしんが重用する部下の一人であった。それが霊帝れいてい遺詔いしょう騒動の時の助言や、蹇碩けんせきの暗殺計画から守られたことで、日増しに何進かしん袁紹えんしょうへの信頼は大きなものへとなっていた。


 そこへ部下がそそくさとやってきた。


大将軍かしん、お客人です」


「誰だ? つまらぬ奴なら後に回せ。大将軍だいしょうぐんの私は忙しいのだ」


張津ちょうしんという年若い方でした」


張津ちょうしん? 知らんな。若僧に会っても仕方がない」


 部下は一枚の板切れを何進かしんに差し出した。何進かしんは念の為とその板切れに目を通した。


 この板切れは名刺である。板には名や出身地が書かれ、長さは約一尺(約二十三センチ)ほど。この時代、身分のある人に面会する場合はこの名刺を先に差し出していた。


「なになに⋯⋯『張津ちょうしん再拝ご挨拶致します問起居ご機嫌いかがでしょうか南陽郡なんようぐん穣県じょうけん(現代の河南省かなんしょう南陽市なんようし鄧州市とうしゅうしの辺り)(の人)、あざな(は)子雲しうん


 ⋯⋯南陽張氏なんようちょうしではないか!


 名家の御子息に失礼があってはならん。丁重にお通しせよ!」


「は、はい!」


 何進かしんに急かされ、部下は慌てて張津ちょうしんを出迎えた。


 通された張津ちょうしんの歳は二十代半ば。黒々とした髭を蓄え、小綺麗に着飾った好青年であった。


「お通しくださり、ありがとうございます。


 族父ちょうおんに代わり挨拶にまかり越しました。


 新帝陛下しょうていの御即位おめでとうございます」


 張津ちょうしんはそう言いながら深々と頭を下げた。


 そのへりくだった態度に何進かしんは満足しつつも、頭を上げるように声をかけた。


張子雲ちょうしん殿、頭を上げてくだされ。


 そうかしこまる必要はない。私とあなたは同郷の仲ではないか」


 張津ちょうしん荊州けいしゅう南陽郡なんようぐんの生まれであった。そして、何進かしんもまた、南陽郡なんようぐんの生まれである。


 また、張津ちょうしんは名家の生まれであった。彼の族父おじ張温ちょうおんはかつては三公さんこう(大臣最高位)の司空しくう太尉たいいを務め、さらに車騎将軍しゃきしょうぐんとして韓遂かんすい辺章へんしょうの反乱の鎮圧にもあたった人物である。

 現在は九卿きゅうけい(九つの大臣)の一つ・衛尉えいいとなり、先の霊帝れいていの大喪にも参列している。


わたしはまだ若輩の身でございます。


 大将軍だいしょうぐんである貴方様にお会い出来ただけで光栄でございます」


 何進かしんからすれば張氏は郷里の南陽を代表する名門である。まだ肉屋であった頃の彼であれば、対面すら敵わないほどの高家であった。その名家が子弟とはいえ、わざわざ自分のところに挨拶伺いに来ているのだ。これほど気分の良いことはない。


「名高い張子雲ちょうしん殿に来ていただけて、私も鼻高々だ。


 私に何か至らぬところがあったら是非、遠慮なく言ってくれ。君の意見が聞きたい」


 何進かしんは自らの度量の広さを見せつけるように彼に尋ねた。


 張津ちょうしんは最初、謙遜しながらも、再度何進かしんに尋ねられ、私見を述べた。


「愚見を申し述べさせていただきます。


 今、宦官かんがんたちの横暴は久しく続いております。また、永楽太后とうたいごうは不正な利益を貪っております。


 大将軍かしんにおかれましては、賢良の士を選び出し、天下を正して救済され、国家のがんを取り除くのがよろしかろうと存じ上げます」


 張津ちょうしんの意見に、何進かしんは深く頷いた。


「なるほど、永楽太后とうたいごうとその側にいる横暴を働く宦官かんがんか。


 確かにかの者たちこそ国家のがんかもしれんな」


 何進かしんにはすぐに心当たりが浮かんだ。董太后とうたいごうの側近くに侍る宦官かんがんと言えば一人しか思い浮かばない。奴を除かねばならぬかと何進かしんは考えた。


閹人えんじん(宦官かんがんのこと)を除くことこそが、国家太平への道でございます」


 そう申し述べる張津ちょうしんに、改めて同意を示した。


「私も奴ら一派こそ、この国の病巣だと認識している。


 貴殿の意見はよくわかった。さすが、名門張氏の士人である。よく事情を理解している。


 ところで、子雲ちょうしん殿、賢良の士とはどなたか心当たりはありますかな」


 何進かしん張津ちょうしんの洞察に感心し、さらに彼に意見を求めた。今や何進かしんの立場は三公さんこうを超える。国家を運営する立場にある彼は賢者を求めていた。


 それに対して、張津ちょうしんは一礼して答えた。


「今、天下第一の士といえば袁本初えんしょう、そして第二には袁公路えんじゅつでございましょう。


 彼ら袁氏えんしは累代に渡り殊寵しゅちょうを受け、高貴を預かり、海内の名士に対して恩徳を施しております。


 そして、袁本初えんしょうはもとより士を養い、天下の英傑を従えております。


 また、その従弟の袁公路えんじゅつは侠気をもって人を従えております。


 賢良の士といえば、今はこの二人こそ第一、第二と言えるでしょう」


 その意見に何進かしんは大きく頷いた。袁紹えんしょう、そして袁術えんじゅつの二人は何進かしんも大いに評価する人物であった。


「なるほど、確かにその通りだ。


 袁紹えんしょうにはかねてより私もよく助けられていた。袁術えんじゅつも先の大喪の折に、史侯りゅうべんの身を守ってもらい、信頼に足る人物であると思っておった。


 やはり、私の目に誤りはなかった。


 これからより一層、あの二人を尊重しよう」


 元より袁紹えんしょう袁術えんじゅつの二人は何進かしんが目にかけていた。だが、張津ちょうしんからも太鼓判を押され、何進かしんはますますこの二人を重要視するようになった。


「それがよろしいと思います。


 その他、未だ用いられていない智謀の士として、逢紀ほうき何顒かぎょう荀攸じゅんゆうらがおります」


 張津ちょうしんの口から語られたのは、何進かしんがまだ知らぬ者たちであった。


 その名に何進かしんは食いついた。


「まだそのような者たちが世に眠っているのか」


 何進かしんは前のめりになって、彼に尋ねた。


党錮とうこの禁は解除されましたが、未だ出仕を躊躇ためらう者は多うございます。


 袁氏えんしの二人を中心に、この未だ出仕せぬ智謀の士たちを拾い上げれば、大将軍かしんの治世も盤石かと思われます」


 張津ちょうしんとその言葉を聞き、何進かしんは決意を固める。


「よろしい。


 早速、召し抱えよう。その者たちばかりではない。未だ用いられていない天下の士を広く求めよう。


 新帝陛下りゅうべんは世に大赦たいしゃを行った。かの御代をより良いものする義務が私にはある!」


 何進かしんは大々的に人材を求めることを決める。それが新たな時代を切り開くと信じて。


《続く》

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