霊帝の殯が終わると、場の空気は徐々に変わっていった。群臣たちは先ほどまでのしめやかな雰囲気から、活気を取り戻していく。
そのままここ、南宮・嘉徳殿の正殿にて皇子・劉弁の即位式が行われるからだ。彼らの気持ちは既に霊帝への追悼の意識は薄れ、次世代に対する興味へと移っていた。
次期皇帝である劉弁について群臣の多くはよく知らなかった。先ほどの大喪の場面で盛大な哭礼を行なっていた姿が初対面であった者も少なくない。群臣一同は劉弁に対して、不安半分、期待半分といったところであった。
しかし、この不安定な時代、次期皇帝に対する期待は大きなものであった。
後漢王朝は幼帝が続いた。三代目章帝が十九歳で即位して以降、皇帝は年長でも十代前半での即位ばかりであった。中にはわずか生後百日余りの赤子が即位したことさえあった。劉弁の十七歳という年齢は歴代で四番目に高齢の即位である。
この青年皇帝に皆、何かしら期待の気持ちを持って見ていた。
その期待の青年・劉弁は殿上に立っていた。人々の気持ちが次代へと移っていく中、彼だけはまだ気持ちが父・霊帝へと行っていた。まだ、目元に涙が溜まり、肩を震わせている。彼は母・何皇后は言われるがまま、霊帝の棺より引き剥がされ、この場へと立たされていた。未だ泣き止まぬ彼の姿に、群臣は些かの不安を抱いた。
だが、時間は待ってくれない。彼が完全に泣き止むのを待つことなく、儀式は始まった。
三公(大臣最高位)の一つ、司徒・丁宮が殿上へと昇る。
そして、彼は殿上の劉弁と向かい合うようにして立った。
丁宮の手には一巻の書が握られている。彼は劉弁に一礼すると、その書を広げ、劉弁に向かって読み上げていった。
「『成王將崩,命召公、畢公率諸侯相康王,作『顧命』⋯⋯』」
丁宮が読み上げている書は『尚書(書経)』、その『顧命篇』である。
この篇には周(前十一世紀〜前三世紀頃の王朝)の成王(二代目の王)の崩御から康王(三代目の王)の即位までの様子が語られている。その様子は後漢当時の大喪から即位式の様子とは細部が異なっていた。だが、未だに理想的な古代の大喪と即位式であるとして、こうして今もなお読みつがれているのであった。
歴代の皇帝は即位に及び、これを奉読させることが決まりとなっていた。
丁宮は奉読を終えると、劉弁に天子の御位に即くよう請う。
「願わくは皇子は民心に従い、すみやかに御位に即かれ、天下を安寧に導かれんことを」
その言葉に劉弁は頷いて了承する。
続いて何皇后にも同様に皇太后になることを請う。
この儀式を終えると、百官は一度退出する。そして、喪服から正装へと着替える。彼らは着替えると再度、参内する。
劉弁の頭にかぶる冠は冕冠と呼ばれる。黒い冠で、頂上に長方形の板を載せる。その板の先端から前後に六、合わせて十二の玉飾りを垂れ下げている。
その服装は上衣は黒く、下裳は薄紅の色をしていた。服の全体には日や月、龍等の十二の文様が刺繍されている。腰には玉佩(宝玉製の飾り)を垂らし、足には飾りのついた赤い木靴を履いている。
劉弁のその姿は、まさにかつて朝堂に臨む霊帝のようであった。
その息子の晴れ姿に、何皇后改め何太后はうっとりと満足気に眺めていた。
「弁皇子、いえ、陛下、この儀を終えればあなたもついに皇帝です。
さあ、いつまでも泣いてないで、早く即位の儀を終えるのです」
母・何太后に促されるまま、劉弁は再び嘉徳殿へと向かう。
既に百官は正装へと着替え、正殿前で劉弁の到来を待ち構えている。劉弁はその中を分け入り、正殿へと登っていく。
これより即位の儀の第二幕が始まる。
劉弁の登上を見送ると、再び、司徒の丁宮が殿上へと登る。彼は霊帝の柩の前でお辞儀を二回した後、坐して頭を床につける稽首という動きを行い、霊帝の遺詔を奉読する。
「この中平六年夏四月丙辰、皇帝は、『史侯弁よ、そなたは我が嫡子にして、よく謙り恭て、若くして勤勉に努めている。よって天地の郊祭と祖先の宗廟を奉じて、大業を継ぐべきである。
今、侯に皇帝の御位を嗣がせる。謹んで漢の君主となり、正しく中庸の徳を守り政務を執ってもらいたい。皇帝よ、どうか勉められよ』」
ここで読み上げられる遺詔は、先に蹇碩が霊帝に書かせた劉協を後継者にする旨の書かれた遺詔ではない。そんなものを劉弁の即位式で読めるわけがない。これは何皇后らが用意した偽の遺詔である。
だが、これで体裁は整えられた。
遺詔を読み上げた丁宮は、皇帝に代々受け継がれてきた伝国の玉璽と皇帝のみが許された黄赤色の綬を手に取った。
伝国の玉璽とは、かつて秦の始皇帝が作られたという印璽である。璽とは皇帝の用いる印鑑のことだ。それを漢王朝が引き継ぎ、皇帝の証として代々伝えていた。形は上は丸みを帯び、下は四角で大きさは四寸(約十センチ)。上部の紐を掛けるところには五匹の龍が彫刻され、そのうちの一つは角が欠けていた。この玉璽は五色の光を発したという。
綬はその身分を証明する布である。黄赤色(濃いオレンジ色に近い)は皇帝にのみ許された色。更に黄、赤、縹(薄い青)、紺の四色で彩れている。
丁宮は、劉弁に向かって跪き、彼にこの二品を捧げた。差し出された劉弁はこれを受け取る。この瞬間、劉弁は皇太子より皇帝になったのである。
ここに後漢王朝の新たな皇帝が誕生した。劉弁は歴史上、少帝の名で呼ばれている。
その様子に、宦官で構成された中黄門の部隊は、各々武器を手に、即位を祝した。
少帝となった劉弁は、皇帝累代の宝具、隨侯の珠、斬蛇の宝剣を司徒の丁宮に授け、改めて官職を信任したことを示した。これも本来は司徒ではなく、太尉の役目だが、不在のため丁宮を代理とした。
隨侯の珠とは、その昔、隨侯(周の時代の諸侯の一人)が助けた大蛇から授けられたという伝説の宝玉。直径は一寸ほどの球体で、夜になると光を発するという。その光は月のように明るく、部屋を照らすことができたと伝わる。
斬蛇の宝剣とは、漢の高祖・劉邦がまだ若かりし頃、白帝の化身とされる蛇を斬ったとされる伝説の宝剣。その剣は七彩に輝く宝珠、九華に煌めく宝玉で飾られていたという。そして、その宝剣は五色の瑠璃で散りばめられた箱に納められていた。その刃は十二年に一度磨かれ、その輝きは未だ失われず、鞘の外まで光照らすほどであったという。
この二つは先の伝国の玉璽と並ぶ漢朝累代の宝具であった。
「これにて即位の儀を終了とする。
皆様、万歳とお唱えください」
太常・馬日磾が、前に進みで、群臣に合図を送る。
それに合わせ、群臣たちは平伏し、「万歳!」「皇帝万歳!」と合唱した。
これにて少帝の即位式は終了した。
混乱続く後漢王朝に新たな皇帝が誕生した。
《続く》