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第七十八話 少帝即位

 霊帝れいていもがりが終わると、場の空気は徐々に変わっていった。群臣たちは先ほどまでのしめやかな雰囲気から、活気を取り戻していく。

 そのままここ、南宮・嘉徳殿かとくでんの正殿にて皇子・劉弁りゅうべんの即位式が行われるからだ。彼らの気持ちは既に霊帝れいていへの追悼の意識は薄れ、次世代に対する興味へと移っていた。


 次期皇帝である劉弁りゅうべんについて群臣の多くはよく知らなかった。先ほどの大喪の場面で盛大な哭礼こくれいを行なっていた姿が初対面であった者も少なくない。群臣一同は劉弁りゅうべんに対して、不安半分、期待半分といったところであった。


 しかし、この不安定な時代、次期皇帝に対する期待は大きなものであった。

 後漢王朝は幼帝が続いた。三代目章帝しょうていが十九歳で即位して以降、皇帝は年長でも十代前半での即位ばかりであった。中にはわずか生後百日余りの赤子が即位したことさえあった。劉弁りゅうべんの十七歳という年齢は歴代で四番目に高齢の即位である。

 この青年皇帝に皆、何かしら期待の気持ちを持って見ていた。


 その期待の青年・劉弁りゅうべんは殿上に立っていた。人々の気持ちが次代へと移っていく中、彼だけはまだ気持ちが父・霊帝れいていへと行っていた。まだ、目元に涙が溜まり、肩を震わせている。彼は母・何皇后かこうごうは言われるがまま、霊帝れいていの棺より引き剥がされ、この場へと立たされていた。未だ泣き止まぬ彼の姿に、群臣はいささかの不安を抱いた。


 だが、時間は待ってくれない。彼が完全に泣き止むのを待つことなく、儀式は始まった。


 三公さんこう(大臣最高位)の一つ、司徒しと丁宮ていきゅうが殿上へと昇る。

 そして、彼は殿上の劉弁りゅうべんと向かい合うようにして立った。

 丁宮ていきゅうの手には一巻の書が握られている。彼は劉弁りゅうべんに一礼すると、その書を広げ、劉弁りゅうべんに向かって読み上げていった。


「『成王將崩成王、まさに崩ぜんとす命召公、畢公率諸侯相康王召公・畢公に命じて諸侯を率いて康王をたすけしめ作『顧命』顧命を作らす⋯⋯』」


 丁宮ていきゅうが読み上げている書は『尚書しょうしょ(書経しょきょう)』、その『顧命篇こめいへん』である。


 この篇にはしゅう(前十一世紀〜前三世紀頃の王朝)の成王せいおう(二代目の王)の崩御から康王こうおう(三代目の王)の即位までの様子が語られている。その様子は後漢当時の大喪から即位式の様子とは細部が異なっていた。だが、未だに理想的な古代の大喪と即位式であるとして、こうして今もなお読みつがれているのであった。


 歴代の皇帝は即位に及び、これを奉読させることが決まりとなっていた。


 丁宮ていきゅうは奉読を終えると、劉弁りゅうべんに天子の御位に即くよう請う。


「願わくは皇子りゅうべんは民心に従い、すみやかに御位みくらいかれ、天下を安寧に導かれんことを」


 その言葉に劉弁りゅうべんは頷いて了承する。


 続いて何皇后かこうごうにも同様に皇太后になることを請う。


 この儀式を終えると、百官は一度退出する。そして、喪服から正装へと着替える。彼らは着替えると再度、参内する。


 劉弁りゅうべんの頭にかぶるかんむり冕冠べんかんと呼ばれる。黒いかんむりで、頂上に長方形の板を載せる。その板の先端から前後に六、合わせて十二の玉飾りを垂れ下げている。


 その服装は上衣じょういは黒く、下裳かしょうは薄紅の色をしていた。服の全体には日や月、龍等の十二の文様が刺繍されている。腰には玉佩ぎょくはい(宝玉製の飾り)を垂らし、足には飾りのついた赤い木靴を履いている。


 劉弁りゅうべんのその姿は、まさにかつて朝堂に臨む霊帝れいていのようであった。


 その息子の晴れ姿に、何皇后かこうごう改め何太后かたいごうはうっとりと満足気に眺めていた。


弁皇子りゅうべん、いえ、陛下りゅうべん、この儀を終えればあなたもついに皇帝です。


 さあ、いつまでも泣いてないで、早く即位の儀を終えるのです」


 母・何太后かたいごうに促されるまま、劉弁りゅうべんは再び嘉徳殿かとくでんへと向かう。


 既に百官は正装へと着替え、正殿前で劉弁りゅうべんの到来を待ち構えている。劉弁りゅうべんはその中を分け入り、正殿へと登っていく。


 これより即位の儀の第二幕が始まる。


 劉弁りゅうべんの登上を見送ると、再び、司徒しと丁宮ていきゅうが殿上へと登る。彼は霊帝れいていの柩の前でお辞儀を二回した後、して頭を床につける稽首けいしゅという動きを行い、霊帝れいてい遺詔いしょうを奉読する。


「この中平ちゅうへい六年夏四月丙辰、皇帝れいていは、『史侯弁りゅうべんよ、そなたは我が嫡子にして、よくへりくだうやまいて、若くして勤勉に努めている。よって天地の郊祭こうさいと祖先の宗廟そうびょうを奉じて、大業を継ぐべきである。


 今、りゅうべんに皇帝の御位を嗣がせる。謹んで漢の君主となり、正しく中庸の徳を守り政務を執ってもらいたい。皇帝よ、どうかつとめられよ』」


 ここで読み上げられる遺詔いしょうは、先に蹇碩けんせき霊帝れいていに書かせた劉協りゅうきょうを後継者にするむねの書かれた遺詔いしょうではない。そんなものを劉弁りゅうべんの即位式で読めるわけがない。これは何皇后かこうごうらが用意した偽の遺詔いしょうである。


 だが、これで体裁は整えられた。


 遺詔いしょうを読み上げた丁宮ていきゅうは、皇帝に代々受け継がれてきた伝国の玉璽ぎょくじと皇帝のみが許された黄赤色のじゅを手に取った。


 伝国の玉璽ぎょくじとは、かつて秦の始皇帝しこうていが作られたという印璽いんじである。とは皇帝の用いる印鑑のことだ。それを漢王朝が引き継ぎ、皇帝の証として代々伝えていた。形は上は丸みを帯び、下は四角で大きさは四寸(約十センチ)。上部の紐を掛けるところには五匹の龍が彫刻され、そのうちの一つは角が欠けていた。この玉璽ぎょくじは五色の光を発したという。


 じゅはその身分を証明する布である。黄赤色(濃いオレンジ色に近い)は皇帝にのみ許された色。更に黄、赤、はなだ(薄い青)、紺の四色で彩れている。


 丁宮ていきゅうは、劉弁りゅうべんに向かってひざまずき、彼にこの二品を捧げた。差し出された劉弁りゅうべんはこれを受け取る。この瞬間、劉弁りゅうべんは皇太子より皇帝になったのである。


 ここに後漢王朝の新たな皇帝が誕生した。劉弁りゅうべんは歴史上、少帝しょうていの名で呼ばれている。


 その様子に、宦官かんがんで構成された中黄門ちゅうこうもんの部隊は、各々武器を手に、即位を祝した。


 少帝しょうていとなった劉弁りゅうべんは、皇帝累代の宝具、隨侯ずいこうたま斬蛇ざんじゃの宝剣を司徒しと丁宮ていきゅうに授け、改めて官職を信任したことを示した。これも本来は司徒しとではなく、太尉たいいの役目だが、不在のため丁宮ていきゅうを代理とした。


 隨侯ずいこうたまとは、その昔、隨侯ずいこう(周の時代の諸侯の一人)が助けた大蛇から授けられたという伝説の宝玉。直径は一寸ほどの球体で、夜になると光を発するという。その光は月のように明るく、部屋を照らすことができたと伝わる。


 斬蛇ざんじゃの宝剣とは、漢の高祖・劉邦りゅうほうがまだ若かりし頃、白帝の化身とされる蛇を斬ったとされる伝説の宝剣。その剣は七彩に輝く宝珠、九華に煌めく宝玉で飾られていたという。そして、その宝剣は五色の瑠璃るりで散りばめられた箱に納められていた。その刃は十二年に一度磨かれ、その輝きは未だ失われず、鞘の外まで光照らすほどであったという。


 この二つは先の伝国の玉璽ぎゃくじと並ぶ漢朝累代の宝具であった。


「これにて即位の儀を終了とする。


 皆様、万歳とお唱えください」


 太常たいじょう馬日磾ばじつていが、前に進みで、群臣に合図を送る。


 それに合わせ、群臣たちは平伏し、「万歳!」「皇帝万歳!」と合唱した。


 これにて少帝しょうていの即位式は終了した。


 混乱続く後漢王朝に新たな皇帝が誕生した。


《続く》

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