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第七十七話 大喪(七)

 大喪三日目、大斂たいれんが始まった。


 正殿の前の庭に、先日と同じように霊帝れいていの衣服が並べられる。だが、その数は百二十揃えと昨日以上の数が取り揃えられている。

 もちろん、その全てを霊帝れいていに着せるわけではない。そのうちの一揃えが、正殿の南側に用意される。

 そして、昨日と同じように、霊帝れいていの遺体を覆い被せて紐で縛り付けた。


 その様子を見届けると、大鴻臚だいこうろ崔烈さいれつが群臣に向けて合図を出す。


「さあ、皆様、哭礼こくれいを行ってください」


 その言葉に応じて、群臣一同はその場で伏せて大声をあげてき始める。そのく回数、合わせて十五回。もはや、故人を偲ぶというよりただの儀式の感があるが、これが正規の儀礼である。


 そして、まもなく、霊帝れいていの遺体を棺に移すもがりの儀式が始まろうとしていた。


 哭礼こくれいが一段落すると、三公さんこうである司徒しと丁宮ていきゅう司空しくう劉弘りゅうこう(太尉たいい劉虞りゅうぐは欠席)が東側より正殿に上がり、霊帝れいていの遺体の各所に六つの玉を置いていく。


 その間、皇太子である劉弁りゅうべん哭礼こくれいを行い、足摺あしずりのような踊を踊る。劉弁りゅうべん哭礼こくれいは真に迫ったもので、はばかることなくさめざめとき、肩を震わせ、拳を力強く握っていた。


「なんと、深い悲しみの哭礼こくれいか。


 陛下れいていのもさぞや安心なされておられることだろう」


 劉弁りゅうべん哭礼こくれいを見て、馬日磾ばじつていがそう呟いた。


 だが、それに隣に着席する崔烈さいれつが噛みついた。


「迫真の哭礼こくれいもよろしいが、そちらに力を入れ過ぎて、足の動きが疎かになっておる。あれでは儀礼に適っておるとは言えまい」


 冷たく言い放つ崔烈さいれつに、つい、馬日磾ばじつていも言い返してしまった。


「確かに儀礼からは外れておるやもしれん。


 だが、親を失った悲しみを全身全霊でもって表すことこそ、真の孝心と言えませぬかな」


馬太常ばじつてい、貴殿は学者であり、さらに今は太常たいじょうである。儀礼に外れていると思うのなら、それを指摘することこそが、貴殿の仕事ではございませんかな?」


 馬日磾ばじつていも痛いところを突かれたようで、顔をしかめる。彼も反論したようと思ったが、隣で衛尉えいい張温ちょうおんが咳払いをしたので話はそこで終わってしまった。今は大事な式典の最中、九卿きゅうけいの自分たちが私語を続けるわけにもいかない。馬日磾ばじつていもそう思い口をつぐんだ。


 何より太常たいじょうである彼にはすぐに次の仕事があった。


 そなえものの準備である。とは言え、既に準備済みである。門の外には三つの鼎が並び、それぞれに豚、魚、ほしにくがあらかじめ入れてあった。さらに、部下たちにもよく説明してあるため、彼のやる仕事は少ない。


 馬日磾ばじつていの見守る中、正殿の下、東側にそなえもが並べられていく。並べられる品はあまざけ、酒と葵の酢の物、蝸牛かたつむりしおから、栗、ほしにくとなっている。


 そして、儀式はもがりへと移っていく。


 もがりとは、遺体を埋葬するまでの間、棺に入れていくことを言う。なお、後漢の皇帝の埋葬は崩御から約一ヶ月後に行われるのが通例となっている。


「慎重に運んでくださいね。棺にきずをつけないように」


 守宮令しゅきゅうれい荀彧じゅんいく青年は昨日作らせた棺を正殿に運ばせる。


 竜輴りゅうちゅんという車を西の階段の上に置く。さらにその上に棺を載せる。頭が南向きになるよう遺体を納めた。


 棺は四重で遺体を覆う。まず遺体を革の棺に入れる。次にそれをしなのきの棺に入れる。さらにそれをあずさの棺に入れ、最後にあずさの大棺に入れる。棺の蓋には接合部に漆を塗り、釘を使わずに留め具を使う。


 斧の絵が描かれた布をかぶせ、ほこりよけの幕を三重に張る。木を四方に積み上げうわひつぎを作り、火災防止のために周囲に土を塗りつける。


 蟻がたからないように四方に八つの熬筺ごうきょうを置く。これは穀物、魚やほしにくを入れ火で炙る容器である。この炙った香りで蟻を集め、遺体から遠ざけるようにする。


 これでもがりは一段落を迎える。


 太常たいじょう馬日磾ばじつていは部下に命じて、横に置いておいた供物を撤去させる。そして、太牢たいろうを供え、祭祀を行う。太牢たいろうとは、牛、羊、豚である。太牢たいろうは正殿の南に供えられる。


 祭祀が終わると、馬日磾ばじつていは百官の前に姿を現した。


「それでは皆様、哭礼こくれいをお願いします」


 馬日磾ばじつていの合図の下、皆一斉にき出した。


 ここが大喪最後のきどころである。この大一番で失敗があってはならぬと皆、全身全霊でもって悲しみを表現した。ある者は滂沱の涙を流し、ある者は垂れる鼻水も気にせず泣きじゃくり、ある者は全身を震わせて悲しみを表した。


 この大げさなほどの泣き様こそ、忠義の証。彼らはそう信じて必死に泣き喚いた。


 この最後の哭礼こくれいの時、張譲ちょうじょうはようやく一息がつけた。彼は霊帝れいていが亡くなってから、これまでの期間、気の休まる時がなかった。


 張譲ちょうじょうはここでようやく霊帝れいていの死に向き合えた。


(なんと激動の三日間であったろうか。


 陛下れいていが崩御されたというのに、蹇碩けんせきの暗躍により、危うく史侯りゅうべんの即位が阻まれるところであった。


 色々あったが、これさえ終わればついに悲願の史侯りゅうべんの即位だ。


 長かった⋯⋯これまで⋯⋯)


 張譲ちょうじょうは目を静かに閉じ、昔を思い出していた。


 彼が霊帝れいていと初めて会ったのは、今から二十一年前、霊帝れいていがまだ十二歳の時であった。先帝の死後、新たな皇帝に選ばれた片田舎の皇族の少年。それが後の霊帝れいてい劉宏りゅうこうであった。


 宮中の右も左も分からぬこの少年を、張譲ちょうじょう宦官かんがんたちは熱心に養育した。そこに私欲や打算が無かったわけではない。それでも張譲ちょうじょうらは精一杯、この少年を育て上げた。


 その結果、霊帝れいていは、張譲ちょうじょうを我が父、趙忠ちょうちゅうを我が母と呼ぶまでになっていた。


(『我が父』か⋯⋯。


 私は宦官かんがん、子を成せぬ身。


 ちょうほうを養子に迎えた時には既に成長していた。


 私にとっての子とはもしかしたら⋯⋯。


 いや、陛下れいていに対して、この感情は不遜なことだ。


 だが、それでも⋯⋯)


 その時、張譲ちょうじょうの目から自然と涙が溢れた。


「おお、陛下れいてい


 あなたは私にとって唯一無二の存在でした!


 何故、こんなにも早く、私より先に亡くなられたのですか!」


 張譲ちょうじょうはその場でむせび泣いた。彼は両手で顔を覆い、肩を震わせる。その指の間からは止めどなく涙が流れ落ちていった。


 それは他者から見れば忠実に哭礼こくれいを行っている参列者の一人。だが、張譲ちょうじょうにとっては哭礼こくれいで片付けられるような涙ではなかった。


 その時、張譲ちょうじょうは思った。


 今、参列者は皆、一様に泣いている。だが、それは哭礼こくれいだから泣いているに過ぎないのではないのか。一体、この場で本気で涙を流しているものが何人いるであろうか、と。


中宮かこうごうは息子を皇帝にしたい一心で、陛下れいていの死を特段悲しんではいない。


 大将軍かしんに至っては、暗殺が怖いと言って大喪に参列さえしていない。


 この大喪の時に、暗殺なぞ考える蹇碩けんせき董氏とうし一派も同じこと。奴らも政争に手一杯で陛下れいていの死を何も悲しんでおらん。


 太常たいじょうの合図一つで一斉に泣き出す官吏なぞもってのほかだ。奴らは普段は儒教だ忠孝だと言っておるが、結局、形だけのものではないか)


 張譲ちょうじょうは振り返ってみたが、誰一人として霊帝れいていの死を本当に悲しんでいるようには見えなかった。


 いや、まだいる。はばることなく、感情の赴くまま泣き続けた皇子・劉弁りゅうべんだ。彼こそ真に霊帝れいていの死を悲しんだ人物と言えた。そして、張譲ちょうじょう自身であった。


(やはり、史侯りゅうべんを次代の皇帝に選んで正解であった。あの方こそ真の孝心の持ち主である。


 だが、何氏かしにせよ、董氏とうしにせよ、名士めいしにせよ、どれも忠義とは言えぬ者たちだ。


 私こそが、陛下れいていの死に本当の涙を流した私こそが、真の忠臣である!)


 その考えに至り、張譲ちょうじょうはポツリと呟いた。


「ああ、これが陛下れいていにできる最後の忠義であったか。


 陛下れいてい、見守っていてください。不忠者の何氏かし董氏とうし名士めいしどもをこの朝廷より排除して見せましょう。


 そして、孝子・史侯りゅうべんをもり立て、この張譲ちょうじょうが、陛下れいていの御意志を引き継いでいきましょう⋯⋯」


 その言葉はあまりにも小さく、くことで忠義を表そうとする者たちの声でかき消されていった。


《続く》

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