大喪三日目、大斂が始まった。
正殿の前の庭に、先日と同じように霊帝の衣服が並べられる。だが、その数は百二十揃えと昨日以上の数が取り揃えられている。
もちろん、その全てを霊帝に着せるわけではない。そのうちの一揃えが、正殿の南側に用意される。
そして、昨日と同じように、霊帝の遺体を覆い被せて紐で縛り付けた。
その様子を見届けると、大鴻臚の崔烈が群臣に向けて合図を出す。
「さあ、皆様、哭礼を行ってください」
その言葉に応じて、群臣一同はその場で伏せて大声をあげて哭き始める。その哭く回数、合わせて十五回。もはや、故人を偲ぶというよりただの儀式の感があるが、これが正規の儀礼である。
そして、まもなく、霊帝の遺体を棺に移す殯の儀式が始まろうとしていた。
哭礼が一段落すると、三公である司徒の丁宮、司空の劉弘(太尉の劉虞は欠席)が東側より正殿に上がり、霊帝の遺体の各所に六つの玉を置いていく。
その間、皇太子である劉弁は哭礼を行い、足摺りのような踊を踊る。劉弁の哭礼は真に迫ったもので、憚ることなくさめざめと哭き、肩を震わせ、拳を力強く握っていた。
「なんと、深い悲しみの哭礼か。
陛下のもさぞや安心なされておられることだろう」
劉弁の哭礼を見て、馬日磾がそう呟いた。
だが、それに隣に着席する崔烈が噛みついた。
「迫真の哭礼もよろしいが、そちらに力を入れ過ぎて、足の動きが疎かになっておる。あれでは儀礼に適っておるとは言えまい」
冷たく言い放つ崔烈に、つい、馬日磾も言い返してしまった。
「確かに儀礼からは外れておるやもしれん。
だが、親を失った悲しみを全身全霊でもって表すことこそ、真の孝心と言えませぬかな」
「馬太常、貴殿は学者であり、さらに今は太常である。儀礼に外れていると思うのなら、それを指摘することこそが、貴殿の仕事ではございませんかな?」
馬日磾も痛いところを突かれたようで、顔をしかめる。彼も反論したようと思ったが、隣で衛尉の張温が咳払いをしたので話はそこで終わってしまった。今は大事な式典の最中、九卿の自分たちが私語を続けるわけにもいかない。馬日磾もそう思い口を噤んだ。
何より太常である彼にはすぐに次の仕事があった。
饌の準備である。とは言え、既に準備済みである。門の外には三つの鼎が並び、それぞれに豚、魚、腊があらかじめ入れてあった。さらに、部下たちにもよく説明してあるため、彼のやる仕事は少ない。
馬日磾の見守る中、正殿の下、東側に饌が並べられていく。並べられる品は醴、酒と葵の酢の物、蝸牛の醢、栗、脯となっている。
そして、儀式は殯へと移っていく。
殯とは、遺体を埋葬するまでの間、棺に入れていくことを言う。なお、後漢の皇帝の埋葬は崩御から約一ヶ月後に行われるのが通例となっている。
「慎重に運んでくださいね。棺に瑕をつけないように」
守宮令の荀彧青年は昨日作らせた棺を正殿に運ばせる。
竜輴という車を西の階段の上に置く。さらにその上に棺を載せる。頭が南向きになるよう遺体を納めた。
棺は四重で遺体を覆う。まず遺体を革の棺に入れる。次にそれを杝の棺に入れる。さらにそれを梓の棺に入れ、最後に梓の大棺に入れる。棺の蓋には接合部に漆を塗り、釘を使わずに留め具を使う。
斧の絵が描かれた布をかぶせ、埃よけの幕を三重に張る。木を四方に積み上げ槨を作り、火災防止のために周囲に土を塗りつける。
蟻がたからないように四方に八つの熬筺を置く。これは穀物、魚や脯を入れ火で炙る容器である。この炙った香りで蟻を集め、遺体から遠ざけるようにする。
これで殯は一段落を迎える。
太常・馬日磾は部下に命じて、横に置いておいた供物を撤去させる。そして、太牢を供え、祭祀を行う。太牢とは、牛、羊、豚である。太牢は正殿の南に供えられる。
祭祀が終わると、馬日磾は百官の前に姿を現した。
「それでは皆様、哭礼をお願いします」
馬日磾の合図の下、皆一斉に哭き出した。
ここが大喪最後の哭きどころである。この大一番で失敗があってはならぬと皆、全身全霊でもって悲しみを表現した。ある者は滂沱の涙を流し、ある者は垂れる鼻水も気にせず泣きじゃくり、ある者は全身を震わせて悲しみを表した。
この大げさなほどの泣き様こそ、忠義の証。彼らはそう信じて必死に泣き喚いた。
この最後の哭礼の時、張譲はようやく一息がつけた。彼は霊帝が亡くなってから、これまでの期間、気の休まる時がなかった。
張譲はここでようやく霊帝の死に向き合えた。
(なんと激動の三日間であったろうか。
陛下が崩御されたというのに、蹇碩の暗躍により、危うく史侯の即位が阻まれるところであった。
色々あったが、これさえ終わればついに悲願の史侯の即位だ。
長かった⋯⋯これまで⋯⋯)
張譲は目を静かに閉じ、昔を思い出していた。
彼が霊帝と初めて会ったのは、今から二十一年前、霊帝がまだ十二歳の時であった。先帝の死後、新たな皇帝に選ばれた片田舎の皇族の少年。それが後の霊帝・劉宏であった。
宮中の右も左も分からぬこの少年を、張譲ら宦官たちは熱心に養育した。そこに私欲や打算が無かったわけではない。それでも張譲らは精一杯、この少年を育て上げた。
その結果、霊帝は、張譲を我が父、趙忠を我が母と呼ぶまでになっていた。
(『我が父』か⋯⋯。
私は宦官、子を成せぬ身。
奉を養子に迎えた時には既に成長していた。
私にとっての子とはもしかしたら⋯⋯。
いや、陛下に対して、この感情は不遜なことだ。
だが、それでも⋯⋯)
その時、張譲の目から自然と涙が溢れた。
「おお、陛下!
あなたは私にとって唯一無二の存在でした!
何故、こんなにも早く、私より先に亡くなられたのですか!」
張譲はその場でむせび泣いた。彼は両手で顔を覆い、肩を震わせる。その指の間からは止めどなく涙が流れ落ちていった。
それは他者から見れば忠実に哭礼を行っている参列者の一人。だが、張譲にとっては哭礼で片付けられるような涙ではなかった。
その時、張譲は思った。
今、参列者は皆、一様に泣いている。だが、それは哭礼だから泣いているに過ぎないのではないのか。一体、この場で本気で涙を流しているものが何人いるであろうか、と。
(中宮は息子を皇帝にしたい一心で、陛下の死を特段悲しんではいない。
大将軍に至っては、暗殺が怖いと言って大喪に参列さえしていない。
この大喪の時に、暗殺なぞ考える蹇碩や董氏一派も同じこと。奴らも政争に手一杯で陛下の死を何も悲しんでおらん。
太常の合図一つで一斉に泣き出す官吏なぞもってのほかだ。奴らは普段は儒教だ忠孝だと言っておるが、結局、形だけのものではないか)
張譲は振り返ってみたが、誰一人として霊帝の死を本当に悲しんでいるようには見えなかった。
いや、まだいる。憚ることなく、感情の赴くまま泣き続けた皇子・劉弁だ。彼こそ真に霊帝の死を悲しんだ人物と言えた。そして、張譲自身であった。
(やはり、史侯を次代の皇帝に選んで正解であった。あの方こそ真の孝心の持ち主である。
だが、何氏にせよ、董氏にせよ、名士にせよ、どれも忠義とは言えぬ者たちだ。
私こそが、陛下の死に本当の涙を流した私こそが、真の忠臣である!)
その考えに至り、張譲はポツリと呟いた。
「ああ、これが陛下にできる最後の忠義であったか。
陛下、見守っていてください。不忠者の何氏、董氏、名士どもをこの朝廷より排除して見せましょう。
そして、孝子・史侯をもり立て、この張譲が、陛下の御意志を引き継いでいきましょう⋯⋯」
その言葉はあまりにも小さく、哭くことで忠義を表そうとする者たちの声でかき消されていった。
《続く》