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第112話 妖怪達の事情

「どうだった?大丈夫だったか?」


 スタッフルームから出てきた土敷に、猫田が心配そうな声をかけた。


 水をある程度吐いた後、意識を失ってしまった少女を抱えて、猫田がやってきたのはくりぃちゃあであった。幸い、今日は客の入りが悪かったので対応できているが、これが大入りの日だったらどうするつもりだったのか、土敷は軽く溜め息を吐いてから、やや呆れたような顔をしている。


「心配いらないよ。怪我も無さそうだし、何かに憑りつかれてるとか、悪霊の影響もない。今はハマさんに着いててもらってるから、直に目を覚ますさ。ただ、君が狛君達とは違う人間の女の子を連れ込んだって、皆だいぶ怒ってるから気を付けた方がいい」


「はぁ?なんだそりゃ?しょーがねぇだろ。成り行き上、放っておくわけにもいかなかったんだからよ」


「まぁ、事情は聞いたからね。仕方ないのも皆理解してるさ、その上でお冠なんだよ。万に一つでも狛君を悲しませるような事は許さない…ってさ」


「あのな…いつも言ってるが、お前ら狛に甘すぎなんだよ、いい加減にしろよ。何考えてやがんだ。ったく」


「狛君は僕らのアイドルみたいなものだからねぇ、はっはっは」


 土敷は冗談めかしているが、実際のところ、猫田に対して嫉妬のような感情を抱く妖怪は少なくない。くりぃちゃあで働く彼らはそもそも、人間が好きで、人と接することを望んで暮らしている妖怪達だ。出来れば人と共に在りたいと願う彼らの中には、妖怪としての生き方を曲げてまで、ここで生活しているものもいる。

 そんな彼らにとって、猫田のように妖怪として、ありのままの全てを曝け出してなお、人と一緒に暮らせる事はそれだけで羨望の対象なのだ。しかも、それが狛のように妖怪からも好かれる人物ともなれば、羨ましがるのは当然である。そんな猫田が他の人間の女の子に浮気(?)でもしたとなれば、くりぃちゃあに住む全ての妖怪達を敵に回すことになるだろう。特に、神子祭で行動を共にしていたカイリ達、武闘派妖怪三人娘などは冗談抜きで猫田を手にかけかねないので、注意が必要だ。


 ちなみに、今日は三人共にお休みで店には来ていない。知られたら厄介な事になるな、と猫田は想像して身を震わせた。


「それにしても、君の昔の飼い主に瓜二つか。…確か、子孫はいなかったんだろう?となると、血縁の線はなさそうだね」


 土敷の言葉に、猫田は一瞬苦い顔を見せた。出来るだけ思い出したくもないが、あの惨劇の夜は、今でもはっきりと思い出せる。仇は取ったし、あれからもう600年近い時間が流れているので、ある程度は心の整理もついているが忌々しい過去であることに変わりはない。


「ああ…ミツは嫁に行く前だったし、弟や両親も一緒に殺されて、燃やされちまったからな。子孫ってことはねぇはずだ」


 当時、野盗共に蹂躙されたミツの母親は身籠っていたが、出産にはまだ早い時期だった。その状態で殺害されて家ごと火をかけられてしまったので、子が生き残ったはずはない。あの時生き残ったのは、ミツの末期の血を飲んで妖怪へ覚醒した猫田だけである。


「でも、他人の空似、というには似すぎていると君は思ったんだろう?とすると考えられるのは…生まれ変わり、か」


「……」


 土敷の出した答えは、猫田も思いついていた。あれから600年弱もの時間が経っているのだから、ミツ達はとっくに生まれ変わっていてもおかしくはない。むしろ、もっと早くに転生していたとしてもいいくらいである。実際、猫田はこれまでの人生で、ミツとその家族がどこかに生まれ変わり、幸せに暮らしている事を望んでいた。妖怪となってしまった自分は一緒にいられないとしても、せめてあの家族が皆、次の人生では辛い思いをしなくて済むようにという気持ちは、常に心の中にあったものだ。

 だが、先程見た少女の横顔は、とても幸せに暮らしているとは思えない表情だった。猫田はそれがどうしても気になっているのである。


(執着は、僕ら妖怪には必要不可欠なものだけど…難しいな)


 土敷の考えている通り、現世への未練や執着は妖怪の存在にとって、とても重要なものだ。もちろんそれだけでは、そこらの悪霊などと大差ないのだが、その線引きは中々難しい。悪霊等々と違って人の霊魂だけでなく、この世界に在る万物の気…或いは人の想いを宿す器物からであっても生じるもの、あらゆるものから成るのが妖怪である。ある意味、妖怪は妖精や精霊に近い存在と言った方が良いだろう。


 猫田にとって、自身が妖怪へと変化するきっかけとなった最初の飼い主を強く想う気持ちは、土敷には痛い程よく解る。だが、今の猫田には狛がいるのだ。まだ出会ってから数か月の付き合いとはいえ、傍から見ていても狛と猫田はとてもいいコンビに見える。メイリーという少女のように狛が猫田に恋をしているということは無さそうだが、家族のような繋がりはあるだろう。出来れば、猫田にはそちらを大事にして欲しいという気持ちも、土敷の中にはあるようだった。


「きゃああああああッ!!」


「なんだ!?」


「…あの子みたいだね、起きたのかな」


 突然、絹を裂くような悲鳴がスタッフルームの方から聞こえてきて、猫田と土敷は顔を見合わせた後、急いで店の奥へ入っていった。店内には一人か二人の客がいたが、幸い何かのイベントだと思っているようで、騒ぎにはなっていない。くりぃちゃあは妖怪のコンセプトカフェだけあって、客も慣れたものである。


「どうした?!」


 猫田と土敷が個室に入ると、カブソの子どもがベッドの端にくっついていて、少女はそれに驚いたようだった。カブソというのは、カワウソが妖怪化したものの一種だ。見た目には動物のカワウソに似ているが、二本足で立ち、何故か頭に笠を被っている。通常は人語を解して喋れるのだが、このカブソは子どもなので話す事が出来ず、もっぱら身振り手振りでのコミュニケーションが主体である。


「あれ?カブソじゃないか、どうしてここに。というか、ハマさんに任せてたはずだけど…」


 土敷がベッドにしがみ付いているカブソを抱き上げてやると、カブソは個室の外を指差した。どうやら、ハマさんが席を外す間、この子に少女の様子を見させていたらしい。カブソは子どもということもあって、まだ店には立てず、よくスタッフルームで暇を潰している事が多い。ハマさんに代理を命じられた事がよほど嬉しかったのか、土敷の腕の中で実に満足そうな顔をしている。

 そんな様子に怒る気にもなれず、土敷がよしよしと頭を撫でてやっていると、ハマさんが戻ってきた。手にしたお盆の上には、お菓子やジュース、お茶にお水、さらにはコーヒーやミルクなど、様々な品が載せられている。


「あれ、土さん、猫さんも、どうしたの?…ああ、その子起きたのね。どう?何か飲む?色々持ってきたけど」


「頼むよ、ハマさん。その子、起きたらカブソがいてビックリしたみたいだ。そうならないように君に頼んでおいたのに…」


「ごめんごめん、急に注文が入っちゃったから、ついね」


 そんな話をしている土敷達を、少女は震えながら見ている。よほどカブソが怖かったのだろうか。カブソは見た目には愛らしい姿をしているので、怖がらせることもないとハマは考えていたようだが、当てが外れてしまったらしい。

 猫田はそんな少女に気遣って、出来るだけ優しく声をかけた。


「だ、大丈夫か…?そんなに怖がらなくても平気だぞ」


「あ、あんた、さっきのホスト?…ここ、どこなの?」


「ここはくりぃちゃあっていう喫茶店だ。…お前が川に落ちて、水をしこたま飲んじまったみたいだったからとりあえず連れてきちまった。すまねぇ」


 猫田の言葉で、少女は何があったのか思い出したらしい。悪霊に引きずり込まれたことまで理解しているのかは定かではないが、猫田が助けてくれた事だけは解ったようだ。バツが悪そうに顔を伏せた後、大人しくなった。


「わ、私の方こそ、ごめんなさい。ちょっとイライラしてて…助けてくれてありがとう」


「いや、気にするこたぁねーよ。俺の方こそ、急に声かけて悪かったな。…その、知り合いの子に似てて、心配になっちまったんだ。ああ、そういや、名前は何て言うんだ?」


「カスミ…嵯峨原春見さがはらかすみです」


 カスミはそう名乗った後、ポロリと大粒の涙をこぼした。声を殺して泣くその姿に、その場の誰もが胸を痛め、室内は静寂に包まれていた。

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