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第114話 激突 神野vs猫田

 冷たい風が吹く中、原野の中央に神野が立っている。ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、猫田がその気になるのを待っているようだ。立会人に指名された土敷は、力無く神野に返事をしてから、猫田に近づいた。


「あ、ああ…解った。しかし、いいのかい?猫田…」


「構わねーよ。いけ好かない野郎だが、神野は約束した事を違う奴じゃない。あいつをしっかり認めさせればいいんだろう、なんとかなるさ」


 猫田は土敷の肩をポンと叩いてから、神野の元に向かう。風になびく草むらにはピリピリとした緊張感が漂い始めている。二人が睨み合うように向かい合って立つと、猫田は確かめるように口を開いた。


「改めて聞くが、俺がお前を認めさせりゃ角盥漱つのはんぞうを紹介してくれるんだな?」


角盥漱つのはんぞうか、いいぜ。俺を満足させることが出来れば、俺の名の下にきっちり協力させてやるよ、心配すんな。ただし…」


 神野の瞳が怪しく光り、エメラルド色に煌いた。同時に、神野の足元から爆発するように妖気が噴き出して、猫田と少し離れた所にいる土敷を圧倒する。


「俺を満足させるには、相応のもんを見せてもらわねぇとなぁ!」


「くっ…!?」


「流石だな、相変わらずとんでもねー妖気だ。…全く、難儀だな、魔王って奴も」


 神野が放つ天を衝く炎のような妖気のオーラは、並の霊能者や抵抗力のない一般人などは、近づいただけで命を奪われるほどの威力がある。それほどの力を持つが故に、彼は普段、全力を出して戦う事が出来ない。理由なくそれをすれば、多くの人間が死に至るからだ。それは世界を構成する全ての存在に対する敵対行為と言える。

 かつての八岐大蛇が生きたような神代の頃とは違い、既に神の時代は終わりを告げて久しい。今の神々の多くは世界を維持する為の秩序と、それを守る為のシステムに近い者達だという。そんな現代に於いては、神野のように飛びぬけた力を持つもの達には多くの制約が課せられるのだ。神も悪魔も、それは等しく平等である。


 たった今、神野が見せているこの力も、そのごく一部だろう。


 だからこそ、神野はこうして自らの力を発揮できる機会を楽しみにし、決して見逃さない。合法的に遊べるまたとないチャンス…そんな感覚なのだろう。付き合わされる猫田や土敷には、たまったものではないが。


 二人はそのまま、向かい合って立っていた。拳で殴り合うにはやや遠い間合いに見えるが、既に戦いは始まっている。鋭く攻撃的な妖気と霊気の応酬によって、神野の頬や、猫田の手などお互いのあちこちに小さな傷が増えていた。そこから先に動いたのは、神野の方であった。


「へへっ!行くぞ、オラァッ!!」


 神野が一歩強く踏み出した次の瞬間には、もう猫田の目前に彼の拳が迫っていた。とても防御するには間に合わない距離とタイミングだ。猫田は素早くスウェーバックをして、その拳を回避してみせた。しかし、神野の猛攻はそれだけでは終わらない。


「っく…!」


「オラオラ!どうした、猫助ぇっ!」


 拳、蹴り、また拳…次々に繰り出される攻撃は、猫田を防戦一方に追い込んでいる。最初の一撃から更に速度は上がっていて、躱しきれなかった攻撃により猫田の服は破れたり切れたりが増えていく。


「は、速い…あれが神野、神野悪五郎の速撃乱打そくげきらんだか…!」


 立会人として最初に神野が乗っていた岩の上に立ち、二人を見守る土敷の言葉にも思わず熱が入っていた。神野の恐るべきスピードによって残像が見え、猫田がどうやって躱しているのか解らないほどの動きになっている。立会人と言っても、土敷は元々戦闘が得意な方ではないこともあって、その光景にはただただ圧倒されるばかりだ。


「あっ!?」


 ほんの一瞬、猫田の動きが遅れ、神野の拳が腹にめり込んでいた。土敷からは見えなかったが、神野は乱打の中で瞬間的にフェイクをかけた。その猛攻に慣れていた猫田はまんまと騙され、手痛い一撃を喰らってしまったのだ。しかも、攻撃はそこで終わらない。


「ハハッ!まだおねんねするには早すぎるぞっ!!」


 限りなく振るわれる拳の嵐が、猫田の全身を襲う。これほどの打撃を受け続ければ、例えくりぃちゃあでも屈指の、強固な肉体を持つ鬼部であってもただでは済まないだろう。それでも神野は攻撃を止めず、一方的な攻撃は一分以上続いた。


「オラ…よっ!!」


 猫田の身体がくの字に曲がり、軽く数メートルは吹き飛ばされた。それでも倒れていないのは大したものだが、さすがの猫田も膝をついてしまった。


微温いなぬり!あの時のてめぇはそんなもんじゃなかったろう?やっぱり、人間なんかと一緒に暮してると腑抜けちまうもんなのかねぇ。そんなもんじゃ、とても俺は満足させられねぇぞ」


「ぐぅ…!」


 神野のに、猫田の顔が歪む。打撃の威力もさることながら、かつての大喧嘩は猫田にとっては苦い思い出だ。ささえ解散直後で、自暴自棄になっていた猫田は、目をつけられた神野と戦うことにある種の憂さ晴らし的な意味を見出していた。しかし、今の猫田には守りたいもの、助けたいものがある。あの頃のように我を忘れて自棄になれるほど、若くはないのだ。

 だが、そんな猫田を嘲笑う神野の一言が、猫田の逆鱗に触れた。


「そうだ。せっかくだからな、お前が負けた時の事も決めておこう。お前が俺を満足させられなかったら…お前の周りにいる人間の女どもを、俺が貰うぞ」


「なに…?」


「俺もこう見えてそれなりに長く生きてきた。まだまだ若ぇつもりだが、他の連中はそう思ってなくてな。次の世代を仕込めとうるせぇのよ。正直、人間の女なんぞに興味はねぇが、たまにゃ玩具にするのも悪くねぇ。俺のガキなんざ産んだら、命はねぇだろうがな。ハハハッ!」


 次の瞬間、猫田は巨大な猫の姿へと変わり、神野に襲い掛かった。先程見せた神野の動きよりも更に速く、右手の爪が神野の身体を引き裂こうとしている。


「っと…何ッ!?」


 その爪をジャンプして躱した神野だったが、続けて飛んできた尻尾の一撃は予想外だったのか、そちらは躱すどころか防御する事さえ出来ずまともに食らってはるか先へと吹き飛ばされていった。6本の尾を一つにまとめ、岩石のように硬質化した猫田の尾には大量の霊力が込められており、その破壊力は尋常ではない。


「ゴルルルルルッ!フシャアアアアアアアッッ!!」


 猫田は獣のような唸り声を上げ、神野が吹き飛んでいった方向を睨みつけている。あんなもので終わるはずがないと確信しているからだが、追撃はしなかった。


「ククッ!やってくれるぜ、ようやく本気になりやがったか…!」


 土煙の向こうで、神野はなおも不敵な笑みを浮かべ、身体を鳴らしながらゆっくりと近づいてきていた。いつの間にか、服装はチャラチャラとした若者風の洋服ではなく、侍のように裃の付いた羽織袴に変わっている。しかし、刀は持っておらず、侍然としているのは、あくまでその服装だけのようだ。


「神野…例えどういうつもりでも、狛達やカスミには指一本触れさせねぇ…!俺は今度こそ、アイツらを守ってみせる!」


「へっへっへ…!面白れぇ!俺達妖怪が人間を守るだと?確かにそういう生き方をする奴がいるのは知ってるが、よりによってお前がか?そんだけの力を持っといて、人間に与するだけとは、こんな笑える話はねぇな。山本さんもとのジジイが聞いたらなんて言うかね…ククク、想像しただけで笑えるぜ」


 笑い続ける神野の表情が、急に鋭いものに変わる。挑発的な笑みは消え、怒気と殺気を孕んだ恐ろしい眼差しで猫田を見据えていた。


「上等だ。お前の覚悟がどれほどのものか、この神野悪五郎様が見定めてやる…半端な覚悟で人間と関わるなんざ、元締めとして許すわけにはいかねぇんでな」


 妖怪達の元締めと言っても、元々妖怪達は個々で生活し、活動する者達ばかりだ。各々が性質にあった生き方をし、勝手気ままに生きるのが妖怪達であるが、そこにも一応ルールがある。例えば、必要以上に神と諍いを起こしてはいけないし、人の世に干渉しすぎて、世界の存続を危ぶませてもいけない。

 それは彼らが妖怪として存在する為に必要なルールであり、最低限の法のようなものだ。その為に、彼らを厳しく取り纏めるものがいる。それが神野や山本なのである。


 神野はその右手を手刀とし、勢いよく振り下ろした。たったそれだけで、地面に亀裂が生じている。侍のような恰好をしても刀を持っていないのは、これが理由だ。神野の右腕は、その恐るべき妖力によって、この世に並ぶもの無き剣へと変化するのである。


「さぁ、来い。この俺の本気を、しかと見せてやろうじゃねぇか」


 それを目の当たりにしても、猫田は一歩も引くつもりなどなかった。むしろ、より強く戦意が湧いてくるようだ。

 戦いは、まだ終わらない。


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