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第115話 猫田の切り札

「…どうした?この俺相手にあそこまで啖呵を切ったんだ。やっぱ止めたとは言わせねぇぞ」


 居合術のような、左に腰溜めた構えをして神野が挑発する。右の手刀はいつでも放てるということだろう。あの手刀の威力は、たった今見た通りだ。大地を切り裂くほどの一撃を前に、怯まぬ者などそういない。だが、猫田は決して怯んでいるわけではなく、勝利の為のタイミングを窺っていた。


「フゥゥゥ…!」


「猫田、どうするつもりなんだ…あの攻撃をまともに受けたら、いくら猫田でもただでは済まないぞ」


 土敷の呟きは、誰に届くこともなく風に乗って消えていく。彼の心配している通り、あの手刀は速撃乱打とは次元が違う。いかに霊力で強化された堅く分厚い毛皮に護られているとはいえ、猫田の身体は裸のようなものだ。あれほどの切れ味を持つ一撃の前では、容易く切り裂かれてしまうだろう。

 そんな土敷の心配を余所に、猫田は徐々に姿勢を変えていった。尾を水平に伸ばして腰を上げ、上半身は低く伏せるような前傾姿勢…まさに猫特有の攻撃態勢である。


 そして、数呼吸の間を置いて、遂に猫田が動いた。


「ガアァァァァッッ!!」


 猛虎のような唸り声が周囲に響き、一気呵成に飛び掛かる。両の前足を左右に広げた、抱き着くような飛び掛かり方だが、そのスピードはとんでもないものだった。神野と猫田の距離は、およそ刀や槍をもってしても届かない距離…ざっと20メートルは離れていただろう。それをまさに瞬間、瞬きする程度の時間で猫田は距離を詰めていた。


 猫田の右前足が、爪を立てて神野を襲う。しかし、神野はそれを予想していたのか、構えを解かずに真後ろにバックステップで回避した、そこへ。


「ほう…!」


 猫田の尾から、6つの炎が光線のように放たれた。空振りした前足が地面を叩くと、衝撃で地面が揺れ、神野の足をとっている。強烈な熱線が間違いなく神野を貫く…はずだった。


 神野は避けられないと見るや、目前に迫るそれを右手で薙ぎ払った。手刀の速度で打ち消したのではない。彼が撫でただけでのだ。


「なっ!?」


 驚愕する土敷と猫田に、神野は何事もなかったかのようにストンと着地し、笑った。


「今のはな。ちゃんと殺す気があったのは褒めてやるぜ。それに免じて一つ教えておいてやる、俺の真名は『神野悪五郎日影しんのあくごろうにちえい』…つまり、ってわけだ。生憎だが、俺は炎じゃ殺せねぇよ」


「そ、そんな…」


 その事実を知って、猫田よりも土敷が動揺していた。猫田が魂炎玉こんえんぎょくと呼ぶ炎の技は、どれも猫田にとっての必殺技、とっておきの切り札だ。それをああも完璧に封じられてしまっては、手の打ちようがない。


「ググ、…ゥ…!」


 そのやり取りの直後、猫田が苦しみだしたかと思うと、突如左目の辺りが切り裂かれ、大量に出血をした。大きな体から溢れ出る血で、猫田の足元に血だまりが出来ている。神野は先程、猫田の攻撃を避ける際、素早く反撃をしていたらしい。あと一歩の踏み込み次第では、猫田は頭部を両断されていたに違いない。これが、魔王の実力というものか。


「猫田っ!」


 咄嗟に近寄ろうとした土敷だったが、神野の強烈な気迫を叩きつけられ、その場から一歩も動けず身動きを封じられた。笑っていたはずの神野は、再び真剣な表情に戻っていた。


「座敷童、お前は立会人だ、割って入ることは許さねぇ。…で、さてどうする?まだ続けるか?」


 ここで終わりにすれば、殺す気はないと言いたいのだろう。神野は更なるプレッシャーを猫田に浴びせ掛け、その意を問うた。

 しかし、当然だが猫田はそれに屈しようとしない。深く負った傷を押して尚、戦う意思は衰えていなかった。


「まだやる気か、ふん。まぁ、認めてやるよ、確かにてめぇは強くなった。見ねぇ内に尾も増えていやがるし、150年前のあの時は、俺にここまで本気を出させることは出来なかったんだからな。…とはいえ、だ。お前は何故そこまでする?たかが人間の小娘なんぞ、お前が命を懸けてまで守ってやる必要があるのか?大蛇退治は人間だけの問題じゃなかったが、そいつらを守ることは違うだろう。その狛とかってぇ小娘は、お前の何なんだ?」


 神野の問いかけに、猫田は怯む事無く彼の気迫を受け止め、睨み返した。ボタボタと流れ落ちる血を拭う事もなく、命を惜しむつもりなど微塵もない。そう宣言しているかのようだ。


「神野…魔王であるアンタの生まれはどうか知らねぇが、俺達妖怪にゃ、に足る理由がある。俺の場合、最初の飼い主を守りきれなかった悔しさと、犯人への憎しみだったが、長い時を経て憎しみはもう消えた。仇も取ったしな。だが、悔恨は今でも残っている。そして、何よりも今の俺を形成しているのは、恨みを晴らした後からずっと…ずっとあてもなく生きてきたこの俺に、家族の温かみと群れの力強さを教えてくれた人間達への恩返しだ。犬神宗吾はその筆頭だが、もうこの世にいねぇ。だから、その子孫の狛に初めて会ったあの時、俺は誓ったんだ。あいつが一人前になるまで、今度こそ守り抜いてやると…!」


 猫田はそう言い放つと、全身の霊力をフルに使って、尾から6つの炎を解き放った。猛々しく燃え盛る紫の炎は、より一層激しさを増し、神野に向かって飛んでいく。


「それが答えか、炎は効かねぇとあれほど…なんだ?」


 6つの炎は神野に直接ぶつかるのではなく、その周囲を取り囲むように展開していた。そしてぐるぐると回りながら、やがて煌めく氷の塊へと変化していく。


魂炎玉こんえんぎょくは、ただの炎じゃねぇ。俺の魂と霊力を分けて、炎の形に安定させているものだ。そしてそれは、俺の意思で姿を変える…『魂炎玉こんえんぎょく氷炎万化ひょうえんばんか』。悪いが、後出しはお前だけのもんじゃねぇってことだ…!」


「ちっ…!」


 燃え盛り揺らめく炎の形のまま、魂炎玉は氷塊へと性質を変えた。瞬く間に周囲の温度は極端に低下し、無数の氷柱が生み出されて神野に襲い掛かる。さすがの神野も、霊力をふんだんに込められた氷柱は喰らえば危険なもののようだ。それを避けようとした時、既に彼の足元は凍り付いてしまっていた。


「最初に飛び回ってたのは、これが狙いか!?やりやがる!」


 再度、炎による攻撃が来るものと油断していた神野は、既に逃げる機会を失っていたのだ。全方向から飛び交う氷柱の嵐は、もはや手刀一つで防ぎきれるものではない。その上、両足を封じられているのだ。これでは如何に神野と言えど、打つ手はなかった。


「ウオオオオオオオオオッ!!」


「うわっ…!猫田、何て力を…」


 凍てつく寒波は、土敷の元まで冷気が届くほどの威力を見せた。これほどの猛攻をまともに浴びては神野の命すら危ういかもしれない。土煙と温度差による霜を含んだ大量の霧が発生し、神野の姿は見えなくなってしまっている。


「くっ…!」


 一方の猫田も、大怪我を負った上で大量の霊力を消費したことで、膝をついていた。四本の脚を曲げて、身体が地面についてしまっている。立っていられないほどに消耗しているようだった。

 今のを凌がれたら、今度こそ完全に手も足も出ない、そんな有り様である。


 ややあって、光を反射してキラキラと輝く煙が晴れると、神野の姿がはっきりと見えてきた。全身を氷柱で切り裂かれ、着物はズタボロになっている。頭や胴体の一部などを重点的に守り、後はまともに受けたらしい。血に染まったその顔は、鋭い眼光を保ったままだ。


「そんな、あれでも倒せないのか…」


「ぐっ、まだ、まだ…!」


 よろめきながら立ち上がろうとする猫田を見据えると、神野はフッと力を抜いて、その顔に満足そうな笑みを溢れさせた。


「ハッハッハ!大したもんだぜ!俺をここまで追い詰めた奴は山本さんもとのジジイか、造物大女王ぞうぶつだいじょおうぐらいのもんだ!猫助、お前はそこらの妖怪にしておくにはもったいねぇな!俺の後を継いで魔王にしてやってもいいくらいだよ!ハハハハ!」


 神野の豹変ぶりに、猫田も、傍で見ていた土敷さえもついていけず、ポカンと呆気に取られている。


「な、なに…?」


「何締まらねぇバカ面してやがる、さっき認めてやるって言ったろうが。お望み通り、角盥漱つのはんぞうには渡りをつけてやるよ。それと、お前の妖怪としての生き方もな、面白れぇもんじゃねぇか。いいぜ、それも含めて手を貸してやる。今度困った時には、俺の名を呼びな。この国の中でなら、どこに居たって聞きつけて助けてやるよ。いやぁ、しかし久々の運動だったぜ、楽しかったなぁ!あばよ!」


 神野が笑いながら背を向けると、猫田と土敷はいつの間にか、くりぃちゃあの店内に戻されていた。猫田は異常に疲れていたが、斬られたはずの目は元に戻っており、身体のどこにも傷一つない。それはかつて大寅が狛とレディにやってみせた、疑似神域での一幕と全く同じである。


 どこまでが神野の狙い通りだったのか、猫田と土敷には解らない。しかし、危機は去り、問題解決の糸口は掴めそうだ。二人は顔を見合わせて、廊下に座り込むのだった。

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