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第116話 困った奴ら

「そう言えば、角盥漱つのはんぞうはどうなるんだい?神野は帰ってしまったけど…」


「あ!そうだった。あの野郎、さらっと忘れていきやがって…!おい、神野!聞こえてんだろ!戻ってこい!」


 狭いので人の姿に戻った猫田が廊下で怒鳴り声を上げると、不意に二人の背後から間延びした老人の声が聞こえた。


「ほっほっほ、神野様に呼ばれてきてみれば、ずいぶん血の気の多い若者達よのう」


「え?いつの間に…あ、いや、来てくれてありがとう角盥漱つのはんぞう。僕は土敷、座敷童だ。で、こっちは…」


「猫田…猫又だ」


 老人然とした喋り方をする角盥漱つのはんぞうは、腰の曲がった老人のような姿をしていた。古いボロボロの着物を纏い、右手には杖をついて、左手を腰の後ろに回している。ほとんど人間と言って差し支えない身体だが、頭だけは人間のそれではない。洗面桶よりも少し大きなたらいそのものが首から上についていて、そこにかわいらしい目と口、その真ん中には小さな角が鼻代わりに付いている。どことなくピノキオを連想させるような顔立ちであった。


「おお、おお…座敷童に猫又とは、また珍しい妖怪だわい。普段はあまりお目にかからん者らよのう」


 角盥漱つのはんぞうはそう言って、ニコニコと笑いながら二人を見比べている。確かに、一般的な座敷童は基本的に憑いた家から動く事はないし、猫又も元々数が少ない種族ではある。事実、猫田は化け猫には何度か会った事があるものの、同じ猫又に会った事はほとんどない。余談だが猫田の場合は、初めは恨みから化け猫になり、恨みを晴らした後で何故か猫又にスライドしていった希少中の希少種なのだが、本人はあまり気にしていないようだ。


「俺らの事はいい。それより、お前は千里眼が使えるってことでいいのか?」


「ふむ。失せ物探しか?それとも尋ね人かの?どちらにせよ、まぁ概ね間違っておらんよ。強いて言うならば、儂の『水の目』は儂自身には見えん。儂のこの頭を使って占うのでな。手伝いが必要じゃ、お前さん方のどちらかでもよいし、別の妖怪でもよいぞ。どうする?」


「あー…実は探してほしいものがあるんだが、俺らの持ち物じゃない、人間のだ。その手伝いってのは本人じゃなくてもいいのか?」


 猫田の質問に、角盥漱つのはんぞうは自分の顔…おそらく顎に当たる部分を撫でながら空中に視線を投げている。何か考えているようだが、見た目が見た目なので、なんだか面白い姿だ。


「人間のか、そうさなぁ。持ち主がおらんと探しようがないのう」


 角盥漱つのはんぞう自身は、のほほんとした様子だが、言っている事はそれなりに厄介である。


「やっぱりか…どうする?あの子は僕らが妖怪だと知らないぞ」


「そうなんだよなぁ…どうするか」


 二人が心配していたのは、そこだ。本当ならば、春見カスミには妖怪のことなど何も知らせず、裏で全て手を回して解決して穏便に終えたい所だった。しかし、角盥漱つのはんぞうの力でぬいぐるみを探すとなると、本人の協力は不可欠だ。なにしろ、猫田達は誰一人、そのぬいぐるみを見た事がないのだから、探しようがない。ただ、妖怪と言う存在を普通の人間に知らせる事が気がかりなのだった。


「おい、角盥漱つのはんぞう、お前もうちょっと人間っぽく変化できたりしないか?もしくは元々の姿に戻るとか…どうなんだ?」


「ふむ、出来ない事はないが…変化は年寄りにはキツイんじゃよなぁ。おお、そうじゃそうじゃ、………が、欲しいのう」


「ん?」


 よく聞き取れなかったが、何かが欲しいと言っていた気がする。あまりに急だったのと突拍子もないものだったので、猫田にも聞き取れなかったようだ。土敷には聞こえていたのか、何とも渋い顔をしている。


「なんだって?もういっぺん言ってくれ」


「おなごの下着が欲しいと言ったんじゃ」


「…すまねぇ、もう一回頼む」


「じゃから、おなごの下着が欲しいんじゃ、パンツじゃよパンツ」


「ぶっ殺すぞ、テメー!!」


「ね、猫田、落ち着いて!」


 怒った猫田を土敷が止める。いくら人間に戻ったとはいえ、猫田と子どもの身体である土敷とでは体格差があるので、抑えるのも一苦労だ。普段は隠している猫田の耳はイカ耳になって現れ、瞳は縦長の瞳孔がギラギラと光っている。さっきまで神野と戦っていたせいか、微妙に本性を隠しきれていないようだ。

 そんな猫田の怒りなどどこ吹く風で角盥漱つのはんぞうは、また顎にあたる丸い縁を撫でている。


「変化するのが大変だからって、なんだってそんなもんが要るんだよ!ふざけんじゃねぇ!」


「じゃって、いつも儂の千里眼をねだるやつはそんなんばっか言うんじゃもん。儂は見れないのに…つまらんじゃろ、そんなの」


「誰だよ、お前にそんな事言ってる奴はよ!?」


 猫田は怒りを通り越し、頭を抱えて若干混乱気味に陥っていた。彼の今までの人生においては、大概の事を力業でこなしてきたものだが、こういった手合いに遭うのは初めてだった。人を煙に巻くのは妖怪の得意技と言えど、まさか女性のパンツを要求してくる妖怪がいるなど想像もつかなかったらしい。


「ま、まぁ落ち着いてくれ。ええと、それはあれかい?誰のとか希望があるのかい?」


「おい、土敷。まさかそんな話に乗る気じゃ…」


「そうじゃのう、やっぱり若いおなごがええのう。美女が理想じゃがカワイイ系でもよいな。スタイルはこう、ボンッキュッボンッで、あと生娘は絶対じゃぞ、貢物は純潔であってこそじゃからな」


「…土敷、コイツ殺した方が良くないか?」


「う、うーん…ちょっと考えてみよう」


 本気かよと猫田が言う前に、土敷はどこかへ行ってしまった。数分後、本当に女性物の赤いパンツを持って戻ってきた。猫田は本当に土敷がそんなものを用意したことが信じられず、ドン引きしているようだ。

 猫田の視線を無視して、土敷はパンツを角盥漱つのはんぞうに手渡し、様子を窺っている。


「それで、どうだい?」


「ふむ…………お主、儂を年寄りだと思ってバカにしておるな?こんなもんじゃダメじゃ!」


「やっぱりダメか…」


「おい、どっから持ってきたんだ?あんなもん」


「いや、ちょっと鬼部に頼んで買ってきてもらったんだけど。新品じゃダメみたいだね」


「ちょっと待て…お前、そんなことあの鬼部にやらせたのか?お前は鬼かよ」


 鬼部の見た目は、かなり体格のいい、いかつい赤い肌をした男性である。そんな彼が女性物の下着を購入するなど、多様性を叫ばれる今の時代ならば問題ないのかもしれないが、世が世なら完全に不審者のそれだ。猫田は鬼部に同情しつつ、その尊い犠牲すらも拒否する角盥漱つのはんぞうに更なる怒りを向けた。


「くそ、どうすりゃいいんだ?神野の奴と戦うよりもよっぽど厄介だぞ…」


「うーん…困ったな」


 そんな思い悩む二人の元に蛇骨婆のジャコがやってきた。どうやら土敷を探していたらしい。見た目には老人二人と子どもに若いホスト風の男という組み合わせが集まり、図らずも混沌とした様相を呈している。


「おお、坊ちゃん、こんなところに。坊ちゃんを指名しておる客が来ましたよ、いつもの、子を亡くした女ですわい」


「ああ、あのお客さんか。クリスマスも近いからね、そういう気分なのかな。ごめん、猫田、後は頼むよ」


「は!?お、おい待ってくれよ、俺にコイツの面倒看ろってのか!?」


 猫田の懇願も空しく、土敷は客の元へ行ってしまった。土敷を指名した客は、事故で夫と子どもを亡くし、土敷にその子の面影を重ねている未亡人の客である。イベントの季節や、死んでしまった子の誕生日などが近くなると店を訪れ、土敷と話をして帰っていく、ただそれだけの客だ。

 しかし、土敷自身、その客の事は気に掛けているようで、指名が入ればせっせと相手をしに行くのが決まりになっていた。


 そして、この場に残された猫田は絶望のあまり顔を真っ青にして立ち尽くしていた。正直に言って、角盥漱つのはんぞうは猫田の手に余る相手である。殴り合いで解決できる神野の方が遥かにマシだ。過去一番の難題を突き付けられた猫田は、その場に膝から崩れ落ちた。もはや、彼にはどうしようもない。


「猫、どうしたんじゃ?」


「ジャコ婆さん、俺はもうダメだ…」


 落ち込む猫田の様子に、ジャコは顔をしかめている。その時、隣に立っていた角盥漱つのはんぞうが杖を取り落とし、フガフガと意味不明な声を上げてジャコの手を取った。


「お、おおおおお…!お主、なんと素晴らしい娘なんじゃ…、な、名前は?名前は何という!?」


「ハァ?!な、なんじゃこのジジイは?!おい、猫、なんなんじゃコイツは!」


「何が何だか俺にもわかんねーよ、もう…」


 その日、混沌の坩堝るつぼと化したスタッフルームの廊下からは、奇妙な声と不思議な気配がしばらく聞こえ続けていたという。

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