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第117話 異史探訪

「えー!?そんなことがあったんだ…大変だったねぇ」


 すったもんだの騒動の翌日、移動中の車内で、狛が驚きを込めた労いの声を上げた。外はすっかり冷え込んでいるが、黒塗りの高級車の車内は温かく快適で、落ち着く雰囲気ではある。猫田は狛が優しい言葉をかけてくれたのが心に響いたのか、朝から沈んでいた表情がいくらか明るくなったようだった。


 現在、狛と猫田は、拍の命令でとある場所へ向かっている。


 春見カスミの一件は、あの後、角盥漱つのはんぞうの協力を得て、無事に解決する事ができた。角盥漱つのはんぞうの要求した女性下着は、後日、蛇骨婆のジャコとデートをするという形で話が着いたらしい。ジャコは高齢の老婆なはずなのだが、角盥漱つのはんぞうは平安時代から存在している付喪神なので、本人曰く「まだピチピチ」な部類なのだそうだ。


 ジャコはああみえて今は亡き連れ合いを想い続ける一途な女性の妖怪なので、話を聞いている限りでは角盥漱つのはんぞうに勝ち目はなさそうだが、そこは本人達の自由恋愛だし、外野がとやかく言う事ではないだろう。


「でも、その春見カスミちゃん?ぬいぐるみ見つかってよかったねぇ」


「ああ、まさか犬神家の敷地の山の中に投げ捨ててやがったとはな…灯台下暗しっつーかなんつーか、縁だな、ホントに」


 春見カスミはぬいぐるみが捨てられたと知って家を飛び出した後、方々を探し回っていたらしい。件の叔父とやらはかなり性悪な性格をしていたらしく、普通にゴミ捨て場に捨てて、また取り戻されないようにと念を入れて山に投棄したというから驚きだ。

 探せばすぐ見つかる場所にあったものに、あれほどの労力をかけたのが、猫田には一番ダメージが大きかったらしい。


 その叔父は、自身の偉大な兄の娘である春見カスミが、立派な大人になれるように心を鬼にして捨てたと言っていたらしいが、そもそも他人の敷地にゴミを捨てるのは不法投棄である。偉大な兄の弟である自分が悪い事をしてはいけないという意識がないのは、常軌を逸しているとしか言いようがない。


春見カスミちゃん大丈夫かな…その叔父さんって人、居候なんでしょ?また喧嘩になるんじゃない?」


「ああ、その点は心配いらねーよ。きっちり落とし前はつけてやったからな…!今頃泡食って逃げ出してるだろ」


 そう、猫田は散々苦労させられた腹いせに、昨日の深夜、その叔父の元を訪れていた。久々に化け猫時代を思い出し、捨てられたのが猫のぬいぐるみだったことも利用して、たっぷりと脅しをかけてきたのだった。


 当初は見つけたぬいぐるみに細工をして、何度捨てても春見カスミの元へ戻って来るようにする案が出たらしいが、あまり妖気に触れさせると、ぬいぐるみ自体が変質して呪物や別の怪異になってしまう恐れがある。出来れば、普通の状態で持ち主からたっぷりと愛情を受け、人間の事を好きな付喪神になって欲しい。そんな願いが土敷達にはあって、細工をする案は消えたそうだ。

 その代わりの猫田による脅しである。半分以上、八つ当たりのような気がするが、猫田の気持ちも解るので、狛は黙って触れないでおくことにした。


「それにしても、妖怪の元締めですか、猫田さんは付き合いが広いのですね」


 運転しながら二人の話を聞いていた女性が、そう呟いた。今回、狛達を現場まで連れて行く役目を買って出たのは、彼女、犬神黒萩いぬがみこはぎだ。いつぞやとは違い、今回は情報部を介した正式な仕事なので、彼女が運転手を務めている。


 狛達が拍から命じられた仕事…それは隣県で見つかったとある遺跡の調査に関連するものであった。


 数年前に見つかったその遺跡は、かなり年代の古いもので、遺構自体も規模が大きく独特な造りをしているようだ。当初はかの吉野ケ里遺跡と並ぶ邪馬台国の跡なのでは?とセンセーショナルに報じられたが、出土品の種類などからどうやらそれは違ったらしい。それが解ると、報道陣などは潮が引いたようにいなくなり、最近まで調査がストップされていた。

 今になって調査が再開されたのは、土地の所有者が今後の開発の為に遺跡を調べ尽くし、問題が無ければ潰して開発をしたいと考えたことによるものだ。


 しかし、調査が再開されてから、段々と奇妙な事が起こり始めた。


 ある者は白装束の集団の霊を見たといい。またある者は、深夜に泣き叫ぶ女性や子どもの悲鳴を聞いたという。それらに共通しているのは、巫女のような恰好をした、青褪めた顔の女が枕元に立つという点である。

 しかも、その現象は日に日に範囲を広げており、土地の所有者や発掘に関わった者達だけではなく、その遺跡が見つかった市内全域に拡大しつつあるそうだ。これは何かとんでもないものに手を出してしまったのではないかと、街全体が戦々恐々としているらしい。

 そうして、事態を重く見た所有者が手を尽くし、犬神家に連絡をしてきたのだった。


「いやまぁ、たまたまだけどな。…にしても、拍の奴が狛に仕事を回してくるとは。あいつ、なんだかんだ言って、狛をまだ一人前だと認めてねーみたいなのに、どういう風の吹き回しかね?」


「…拍様は、ちゃんと狛の事を認めていますよ。ただ、彼は狛に甘いだけです」


 黒萩こはぎにしてみれば、狛はもう実力的には立派に一人前の退魔士である。先日には大日如来と直に相対したと聞くが、確かに、実際に顔を合わせてみると、霊格そのものが大きく引き上げられている事がよく解った。神仏と直接交信、ないし目通りが叶ったというのは、世が世ならもう信仰の対象となり得る存在だろう。

 今の狛ならば、もしかすると呪文や経などなくとも、発する言葉だけで魂を成仏させることも可能かもしれない。そう感じられるほどであった。


 そういう意味では、狛は今回の仕事にピッタリな人選なのだが、狛達が現在向かっているのはその遺跡ではない。土地の所有者が新たに発見したという、別の遺構であった。


 やがて到着したその屋敷の前には、かなり大きな和風の門があった。狛達が住む犬神家の本宅も山の中にあるだけあって土地は広く、大きい家だが、この屋敷はそれをさらに上回る規模である。門を通ると、乗用車が二台は並んで通れそうな道があって、右手には大きな蔵が見えた。


 門の前に車を止め、三人は降りて屋敷へ向かう。以前、猫田と二人で仕事に行った野上邸よりも大きい。狛は完全に圧倒されているようだ。


「私の家も結構大きいけど…ここはもっとだねー…」


「しかも、街中、住宅街のど真ん中だからな。相当な地主か?ここの主は」


「二人共、こちらです。…お察しの通り、化野あだしの様はこの辺りに古くから伝わる旧家で大地主ですよ」


 黒萩こはぎに案内され、着いた屋敷の前には、恰幅のいい中年男性が待ち構えていた。ニコニコと笑っているようだが、目はそうでもなく。油断ならない人物のように見受けられる。その後ろには使用人なのか、主人の男よりもやや歳を召した老紳士が控えていた。


「やあ、ようこそ犬神家の皆さん。この度は何度もご足労頂いて申し訳ありませんな」


「お気遣いなく、それが私達の仕事ですので…こちらは私のサポートとして連れて参りました、犬神狛と猫田です。二人共、ご挨拶を」


「犬神狛です、よろしくお願いします」


「猫田吉光、よろしく」


「おお………これはお若いお二人だ。頼りになりそうですな。では、早速ですが、見て頂きたいのはあちらなのです。おい、実理、皆様をお連れしろ」


 主人である化野という男は、狛と猫田を見て、明らかにガッカリしたようだった。嫌味交じりの挨拶もそこそこに三人を現場へ向かわせようとしている。彼にとって、狛達はよほど歓迎されざる客なのだろう。実理と呼ばれた男に先導されながら、猫田は狛の耳元でこっそりと囁いた。


「俺らが相当気に入らなかったみたいだな。普通、客に茶の一杯くらい出すだろ…金持ちだし」


「ちょっと猫田さん、そういうこと言わないでよ…もう」


 前を歩く二人に聞こえなかったかと、狛は慌てた。いくら塩対応をされたと言っても、失礼に失礼を返すわけにはいかない。そんな二人の会話は黒萩こはぎにはしっかりと聞こえていたようだ。小さく溜め息を吐いて、狛はこういう所がまだ半人前なのだと感じるのだった。

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