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第145話 父、帰還

「はっ…はっ…!」


 降りしきる雪の中、狛は一人、自宅へ急いでいた。


 歌習家でシズとその夫が残した幸せが成る木…実際は妖精の宿り木だったわけだが、そこで感動的な光景を目の当たりにした後、もう一つ採れた実を譲られたので受け取ってみれば、狛の頭の中に浮かんだのは何者かに追い詰められている猫田の姿であった。


 猫田を助けたい。そう思った瞬間、実が光を放って砕け散り、後には何も残らなかった。猛烈に嫌な予感がして、狛は急いで歌習家を後にしていた。既に道路には薄っすらと雪が積もり始めていたので走り難かったが、そんな事は気にしていられない。出来る限り早く足を動かし、息を切らせながら自宅に向かう道を進んでいる。


「あれは、ただの夢じゃなかった…お願い、間に合って!」


 せっかくのクリスマスだというのに、猫田にもしもの事があったらと思うと気が気ではない。狛にとって、猫田はもう大事な家族であり、もう一人の兄と言っても差し支えない相手なのだ。このままでは学校をサボることになるだろうが、それを気にする余裕は狛には無かった。


「もうちょっと…!猫田さんっ!!」


 家の前の坂を上りきり、門を抜けて敷地内へ飛び込む。すると、ちょうどそこにはハル爺とアスラ、それに猫田がいて、見知らぬ女性が傍に倒れていた。


「狛…?お主、学校はどうしたんじゃ?」


「猫田さんが危ない気がして…そ、それより何があったの?この人、誰?」


 倒れている女性は、どうみても季節にそぐわない薄着の女性だった。見た所怪我をしている様子はないが、こんな格好で雪の中に放置していたら風邪をひいてしまうだろう。詳しい事情を聴く前に、ひとまず狛が女性を抱え上げて、皆で家の中に入る事になった。


「いやぁ、正直、狛が戻ってくれて助かったわい。今の儂じゃ、あの女子おなごを抱えて運ぶのは厳しいからのう」


 そう言って、ハル爺がカラカラと笑っていた。ハル爺も寄る年波には勝てないのか、先日、ついに腰を痛めてしまい、今は重いものが持てない状態だ。自身の霊具である二本の大斧は相当な重量があるので長年のダメージが蓄積したのかもしれない。そう言う事もあって、必然的に仕事に出る回数も減っている。


 先程の女性は、狛が身体を拭いた後、温かい服装に着替えさせて客間に敷いた布団に寝かせてある。断片的に聞いた情報では何かに憑りつかれていたようだが、今は全くそんな影さえない。それでも一応、念の為に霊符を身体に張って、客間自体に結界を張っておいた。

 彼女が一体どこの誰なのか、何があったのかは、拍が帰ってきてから改めて事情を聴くことにした。どの道意識を失っているし、詳しい話はあとでも問題ないだろう。


「もう、訳が解らないことだらけだよ…猫田さんはすっかり良くなったの?」


「ああ、心配かけたな。もう落ち着いたよ、ありがとな」


 狛が出がけに見た、辛そうに眠る姿はどこへ行ったのか、猫田はスッキリした顔で尻尾を揺らめかせて横になっている。ゆらゆらと揺れる尻尾そのものはいつもの事だが、それ以上にとんでもない変化が目立って、狛は何と言えばいいのか解らない様子であった。


「あの、猫田さん」


「ん?なんだ?」


「その…おかしくない?尻尾、が…」


 そう目下、狛が一番気になっているのは、正体不明のあの女性の事ではない。のではなく、事が問題だった。


「1、2、3、4……7つあるように見えるんだけど、それ…」


「あー…そうだな。増えたわ」


「増えたわ、じゃないよっ!どういうこと!?」


 何度数えてみても、明らかに猫田の尻尾は一本多いのだ。今朝まで6本だった尻尾が、数時間で一本増えるなんて、そんなバカな話があるとは思えない。いくら猫又が妖怪で、普通の猫の常識とはかけ離れているとは言っても、尻尾が増えるというのは前代未聞だ。元々猫の尻尾は一本で、猫又になると二本になるものらしいが、猫田はとっくの昔に猫又である。しかも1が2になるのではないのだ。狛はそれがあまりにも理解の外にあって、思わず声を荒げていた。


「そう言われてもなぁ…言ってなかったのは悪いが、猫又だからなのか知らねーけど、俺の尻尾って昔から増えるんだよ。周期的に…大体、100年に一回くれーかな?前回は何十年か前だったから、考えてみりゃいつ増えてもおかしくなかったんだけどよ、すっかり忘れてたんだよな」


 事も無げにそう言い放つ猫田の様子に、狛は開いた口が塞がらなかった。いくらなんでも心配をかけすぎである。せめて解っていたのなら、予め教えておいてくれればよかったのにと狛は口を尖らせていた。とはいえ、実際にこうして尻尾が増えたのを見ても狛は中々受け入れられないのだから、何もない時に尻尾が増えるだなどと言われても何を言っているのかわからなかっただろうが。

 結局、猫田の体調不良は、尻尾が増える前兆だったということらしい。猫田自身、ここまで症状が重いのは初めてだったようなので、あまり責めるのも酷な話である。


「そう言えば、ナツ婆とお兄ちゃんは?朝ごはんの時はいたよね?」


 一頻り話が終わってから、狛は二人が姿を見せないことを気に掛けた。そもそも拍がちゃんとしていれば、あの女性の襲撃など問題ではなかったはずだ。一体、どこに行ってしまったのだろうか。すると、ハル爺は急に神妙な顔つきになって、何かを言いにくそうにしている。


「ハル爺、どうかしたの?」


「あー…それがな、さっき急に連絡があって、二人は迎えに出とるんじゃ」


「お迎え?誰の?」


 ハル爺はつるっとした頭をぺしんと叩き、意を決したように口を開く。これ以上は隠せないと観念したかのようだった。


シンじゃ。お前の父親が帰ってくると、連絡があったんじゃよ」


「ええっ!お父さんが!?」


 突然、父親の帰宅話を聞き、狛は目を見開いて驚きの表情を見せている。猫田は拍と狛の父親について、その存在を話にこそ聞いていたが、詳しい話を聞いた事がないので二人が何に驚いているのかよく解らないようだ。急に増えた7本目の尻尾の具合を確かめるように動かしながら、気になった事を聞いてみた。


「お前らの親父かぁ。そういや、一緒に暮してねーんだったな。帰って来るならいいことじゃねーか、何でそんなに驚いてんだ?」


「ああ、うん。別に嫌ってわけじゃないんだけどね。その、お父さんとお兄ちゃんって……」


 狛が言い終わる前に、玄関の方から物音がした。足音は二つ、霊気の気配から言って、恐らく拍とナツ婆だろう。二人は真っ直ぐに狛達が話している居間に向かって来て、襖を開けた。


「あ、やっぱりお兄ちゃんだ。それにナツ婆も、おかえり。……お、お父さんは?」


「…狛。何故お前がここにいる?学校はどうした?」


「え?ああ、ちょっと色々あって…あのね、実は…」


 明らかに不機嫌そうな拍のプレッシャーに、狛はすっかり委縮してしまった。仕事の話を除けば基本的に狛に甘い拍が、ここまで狛に圧をかけるのは珍しい。どうやら、父親の話を拒絶したいようだ。隣にいるナツ婆も、黙ったまま空いている座布団に座って、ハル爺の飲んでいたお茶を横から奪って飲んでいる。ハル爺は黙って湯呑をもう二つ用意して、ナツ婆と拍の為にお茶を淹れ直し溜息を吐いた。

 全員の空気がここまで悪くなるのも珍しい。基本的に、犬神家は全員で一つの群れを形成しているかのように、非常に結束が強い家族だ。猫田はそこも気に入っているのだが、二人の父親の影がちらついた途端、こんなに空気が悪くなるとは想像もつかなかったようである。


 あまりに重苦しい空気に耐えられなくなったのか、何の気なしに猫田が拍に問いかけた。


「そういや、拍。お前女絡みでなんかやらかしたか?」


「……は?狛の前で何を言いだすんだこのクソボケ猫は。名誉毀損にも程があるぞ、封じられたら最後二度と出られん一級霊石に封印してやろうか?」


「ふざけんな。悪霊に憑りつかれて、お前の名前を譫言うわごとみたいに繰り返すヤバい女が乗り込んできたんだよ。とりあえず憑き物は落としたはずだが、お前の関係者じゃなきゃ、なんでお前の名前なんか知ってんだ」


「なんだと…?」


 あまりに唐突な話だったせいか、拍は訝しみつつも何か考え込んでいる。思い当たるフシが無いと言いきれないのは、やはり拍も男だということなのか。やや間を置いて、とりあえず全員でその女性を確認しようと言う事になった。


 客間に向かって移動しつつ、狛と猫田がこれまでの顛末を話す。妖精の宿り木については拍も興味を示したようで、後日改めて話を聞きに行くそうだ。なんでも、今の時代に妖精が宿る物品というのは珍しく、その手の人種や一部の妖怪達には、妖精は格好の餌食であるらしい。場合によっては陰ながらでも護衛が必要になると拍は語った。


 そうして五人が客間に到着し、襖を開けると、女は既に目を覚ましていて布団の上に座り込んでいた。放心状態と言った様相の女に、拍は見覚えがあったのか「貴女は…」と言って近付く。すると、女はいきなり顔を上げ、釣り上がった眼から血の涙を流し、大きく開いた口から奇怪な腕を吐き出して拍の首を狙った。


「お兄ちゃん!?」


 咄嗟に誰もがそれを止めようとしたが、拍の身体が邪魔になっていて一歩踏み出すのが遅れた。鋭い爪が拍の首に手をかけたその時だった。


 バチン!という大きな音を立てて、その腕は弾かれた。拍の首元にはいつの間にか呪文のようなものが浮き出ている。どうやら、それが拍を守ってくれたらしい。


「あ~らら、いつも言ってるだろう?拍。油断するなってさ~。全く、やっぱり父さんがいないとダメだな~」


「この声は…!?」


 狛が声のする方を見ると、客間の隅に男が立っていた。右目に眼帯をして長く伸ばした髪を後ろでまとめ、にこやかに笑っている。そして何事かを呟くと女の口から飛び出た腕はボロボロと崩れ去り、女は布団へ倒れ込んだ。


「お、親父っ…!」


「お父さん!」


 狛と拍の二人が同時に男を父と呼ぶと、男はさらににっこりと笑顔を浮かべて、軽く右手を挙げた。


「よっ、ただいま。二人共、元気そうだな~」


 ずいぶんと軽薄に感じる言葉を交わすこの男こそ、犬神真いぬがみしん。狛と拍の実の父親、その人である。

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