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第164話 野望の足音

「さて、そろそろ奴を起こして事情を聴くとするか…そこの狼よ、その腕を返してくれぬか?」


 一頻り神野との小競り合いをした後、山本さんもとは黒狼に向かって言った。黒狼は白眉から食い千切ったままの腕を口で放り投げると、興味を無くしたように身を翻してどこかへ走り去ってしまった。明らかに普通の狼ではなかったが、あれはこの里の住民ではないのだろうか、狛はその後ろ姿に惹かれるものを感じ、それが見えなくなるまで見つめていた。


 投げられた腕は綺麗な放物線を描いて、吸い込まれるように山本さんもとの手へと収まった。大したコントロールである。山本さんもとはそれを持って、倒れ伏す白眉の元に近寄ると、強引に腕をくっつけて何事か呟いていた。すると、白眉はカッと目を開き勢いよく起き上がり、白眉は繋がった腕と身体を確かめる。その後、山本さんもとに土下座する勢いで深く頭を下げた。


「こ、これは御前様…大変お見苦しい所をお見せしまして……」


「そのような世辞の口上など必要ない。だが、白眉よ、貴様一体何をやらかすつもりであったのか答えよ。以前から貴様と人狼達が不仲である事は知っていたが、よもや訳もなくこの里の者共を鏖殺するつもりだったのではあるまいな?事と次第によっては、如何に貴様と言えど、ただでは済まさぬぞ」


 ギロリと、山本さんもとの鋭い視線が白眉を射抜く。直接その目を向けられているわけではないというのに、狛はその迫力に思わず身体を震わせているのだから、睨まれている白眉は堪ったものではないだろう。よく見ると翼や肩が、小刻みに震えているようだった。狛はなんだか可哀想だなと、ほんの少しだけ同情心が芽生えていた。


「そ、それが、その……私にも何がなんだか…」


「…なんだと?」


 その返答は、山本さんもとに対する非礼ととられたようだ。先程よりも更に強いプレッシャーが掛けられて白眉は更に震え上がり、周りにいた鴉天狗達は恐怖に怯えている。山本さんもとの怒りは比喩ではなく本当に力を持っていて、彼がもう少し力を込めれば、力の弱い鴉天狗達はたちまちにひしゃげて潰れてしまうだろう。事実、距離があるので狛は気付いていないが、天狗達の身体からはミシミシと骨が軋む音が鳴っている。


「かような返答が許されるとおもっておるのか?貴様、儂を誰だと思っている?……もう一度聞くぞ、一体何をしでかすつもりだったのだ?」


「ひっ!?お、お許しを!!本当に、本当に解らぬので…あ、ぎっ!?」


 白眉は咄嗟に顔を上げて許しを請うたが、それによって山本さんもとの視線を直視してしまい、その圧によって全身を貫かれるような痛みとプレッシャーで圧し潰される寸前になっていた。これが魔王の眼力というべきものだが、狛は彼が魔王であることなど知らないので、余りの事につい口を出してしまった。


「ちょ、ちょっと待って!たぶん、その天狗ヒト達はウソを吐いてないから!」


「……何?」


「狛っ!?バカ野郎、黙ってみてろ…!」


 慌てて猫田が狛の口を抑えようとしたが、既に山本さんもとの眼は狛を捉えている。改めて目の当たりにすると、それは怒りと疑心に満ち溢れた凍り付くような視線であった。狛は一瞬たじろいだが、ここで黙ってしまえば天狗達を助ける事は出来ないと、心を強く持ってその目を強く見据え返した。


「わ、私がその天狗達を倒した時、その天狗ヒト達の身体から、何か黒い靄みたいなものが抜けていくのが視えました。まるで、何かに操られていたみたいだったし…きっと、り、理由があるんじゃないかって…!」


 狛の言葉を聞き、山本さんもとは静かに目を閉じて少し考え込むような仕草を見せた。そのお陰で、鴉天狗達は束の間プレッシャーから解放されたようだ。そして、縋るような目で狛と山本さんもとを交互に見比べている。かたや、白眉は息も絶え絶えと言った様子でぐったりと地面に体を預けている。


「操られていた、か。やや都合のいい話ではあるが、白眉よ、思い当たるフシはあるのか?」


「は…は、ぃ…お、思い出し、ました。何も解らなくなる前に、い、一匹の妖怪が私達の元を訪れたのです」


 白眉はよろめきながら体を起こし、震える身体を両手で支えて、また地に頭をこすりつけている。先程、山本さんもとが治療したのは最低限の部分だけだったのだろう。よく見ると、狛との戦いでついた無数の傷がそのまま残っているようだ。そして、ゆっくりと記憶を言葉にして紡ぎ始めた。


「その妖怪、は…人の姿に化けておりました。妖怪だと解ったのは、全身から異様な妖気を漂わせていたからで…そいつは私に目通りを願うと、強引に私の元に赴き話を始めたのです……」





 今から数日前、遠馬山に突然現れた恰幅のいい黒服の男は、並み居る鴉天狗達を物ともせず蹴散らすようにして、白眉が住む山頂の堂に足を踏み入れた。元々修験者達の聖地であったこの山には、彼らが創った寺社が残っており、白眉達はそこを根城にしていたのである。


「お前が、遠馬山の天狗達の首領か?」


「そうだが、なんだ貴様は?誰の許しを得てこの堂に入ってきたのだ?」


「ふふ、どうしてもお前に会いたくてな。通せと言っても通してくれんので、少々無理を通してしまった。まぁ、許せ」


「ふざけるなよ。どこの妖怪か知らんが、人の姿に化けておっても我らを謀る事など出来ぬ。八つ裂きにして森に撒いてくれようか」


 白眉がそう言うと、男はニヤリと笑って両手を挙げた。戦う意思はないと言いたげだが、既に白眉や他の鴉天狗達は臨戦態勢である。そんな中でも、男は不敵な笑みを絶やさず、余裕綽々と言った様子であった。


「何がおかしい?」


「いやいや、その気概に相応しい良い話を持ってきたのだ。まぁ聞け、これより数日の後に、あるお方がこの国を割って立つ。これまで長く人間共の支配してきた国ではあるが、そのお方が指導者となれば、人間と妖怪が共存する素晴らしい国へと生まれ変わるだろう。お前達も、その仲間にならないか?」


 男の言に、白眉はその顔を顰めて、不快感を隠さなかった。人間と妖怪の共存する国など、望むべく物でもない。表立って人間と相対しないのは、彼ら天狗は今の不可分の状態が特に不満ではないからだ。仮に人間達と争った所で、根絶やしにするのでもなければ確実に遺恨が残るだろう。そして彼らを殺し尽くした所で、何ら利点はない。無駄な行為以外の何者でもないのである。しかし、男は白眉達の苛立ちなど気にせずに、そのまま更に言葉を続けた。


「俺達妖怪は、本来人よりも優れた存在だ。今まではその数の差と、奴らを守る神仏共に邪魔をされてきたが、これからはそんなものなど気にする必要はない。我らと共に来るならばな……想像してみろ?生意気で下らぬ人間、いや人狼共を思う様甚振り、蹂躙する様を!どう言い繕っても俺達は妖…魔に属する者。どうだ?ワクワクしてこないか?」


「聞いてみれば下らぬことを…!もういい、そんなゲスの世迷言などもうたくさんだ。不快な戯言を垂れ流した罪、その身であがなうがいい!」


 白眉の言葉に続いてその場にいた全ての天狗達が立ち上がると、男は高く掲げた手から何かを落とした。黒々と輝くその玉は、床に落ちた瞬間、瞬く間に煙のような靄を放ち、それは一気に堂の中に充満していく。


「そうか、残念だ。では、お前達には都合のいい手駒として働いてもらうとしよう…これもあのお方の為、ククク、精々殺戮さつりくに酔って派手に暴れるのだな。ハハハハハ!」


「な、なんだこれは!?き、貴様…っ!!」


 白眉は視界を覆うその靄を一吸いしただけで、意識が遠のいていくのを感じていた。そして男はいち早く堂から抜け出し、その場を後にする。わずか数分の内に、堂から漏れ出した黒い靄は周辺を押し包み、やがて天狗達は我を忘れ、獲物を求めて次々に山頂から飛び去っていったのだった。

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