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第165話 合縁奇縁

 黙って聞いていた山本さんもとが、静かな怒りを宿して呟く。


「謎の男、か…お前達はそいつにまんまとしてやられたと、そういうわけか」


「も、申し開きも…ございません…」


 全てを思い出した白眉は、自分達の失態がどれほど彼を怒らせているか、理解したようだ。妖怪の世界では魔王として名高い、誇り高き山本五郎左衛門さんもとごろうざえもんにとって、自らの眷属が失態を犯したという事実は耐え難い怒りをもたらすものであった。

 そもそも、力のあるものが持つ眷属というものは、ただの手下ではない。言ってみればそれは名代みょうだいであり、即ち自らの代理人でもあるわけだ。となれば当然、その失態は全て、主の失態に繋がるのである。通常であれば、白眉はそれを軽々に忘れるような妖怪ではないのだが、今回はその信頼を大きく裏切る結果となってしまった。山本さんもとが怒るのも無理のない事と言える。


「く…クククッ、ハハハ!ざまぁねぇな、あれだけ多くの手下引き連れといてそのザマかよ!?耄碌もうろくしたんじゃねぇのか?ジジイ」


 神野はここぞとばかりに山本さんもとを嘲笑い、表情を醜くひしゃげている。しかし、笑われても仕方がない。妖や魔の世界は徹底的な実力主義であり、特に魔王を名乗るからにはそれは更に厳しく、力のある者が絶対正義なのだ。彼らが生きているのはまさに、弱肉強食の修羅の世界なのである。


「……ふん。眷属の一つも持てぬ貴様にこの苦労は解らぬことであろうよ。同じ魔王を名乗りながら、一人も付き従うものがおらぬような、寂しいお前とは訳が違うのだ」


「なんだとぉ…?」


 山本さんもとの嫌味は、神野の痛い所を深く抉った。実際、妖怪達のまとめ役を自称しているが、神野は自らの眷属や直属の手下を持っていない。彼の性格上、部下になれるものはこれまでに一人もいなかった。彼は強い力を持っている分、我儘で我慢が出来ないのだ。かつては手下になりそうなものを引き連れた事もあったが、ミスを犯した者は容赦なく殺し、暇潰しに遊んでやれば力の強さ故にまた殺してしまう…そんな事が度々起こって、神野について行く者はいなくなってしまった。

 彼があれだけ猫田に固執するのも、自分についてこられるだけの力を、猫田が持っているからである。もしかすると、内心は一人を嫌っているのかもしれない。


「やっぱりテメェとは一度キッチリカタをつける必要がありそうだな…」


「上等な口を利く……しかし、お前にしては良い考えだ。ここらでその腐れ縁を断つ頃合いか」


 一触即発の空気が流れ、周囲に恐ろしいほどの緊張が満ちていく。先程の白眉が妖気を全開にした時以上のプレッシャーが、多くの者達を震え上がらせていた。


「ちょっと待って!いい加減にして下さい!こんなところで喧嘩しないで!」


「!?」


「狛、お前っ…!」


 そこへ割って入ったのは狛である。可哀想な事に抱き締めていた子どもは恐怖の余り気を失ってしまっているが、狛はその子を守りながら二人を睨み、厳しく叱るように叫んでいた。


「あなた達が凄く強くて偉い妖怪なのは解りました、けど、ここにはこの子みたいな子どもだっているし、怪我してる妖怪ヒトだってたくさんいるんです!偉いんだったらそんなつまらないことで喧嘩してる場合じゃないでしょ!?喧嘩するなら余所でやって下さい!」


 しんと、里全体が静まり返ったようだった。よもや人間の、狛のようなまだ歳若い少女が魔王二人を𠮟りつけるなど、誰も予想だにしていない事態だ。猫田でさえ、あの二人が本気でやり合うとなったら逃げるしかないのである。それをまったく恐れもしないなど、妖怪の常識で言えば有り得ないことであった。

 鴉天狗達は狛を、まるで怪物でも見ているかのような目で見て、すっかり震えている。白眉もまた信じられないものを目の当たりにして固まっていた。


「ふ…クックック、ハッハッハッハ!まさか人間の小娘に叱咤されようとはな!だが、確かに今この場で争う事ではないか、面白い。……娘、名は何と言う?」


「ご、御前!?」


「お、おい…」


「い、犬神狛です…けど」


「ふむ、狛か。良かろう、覚えておく。……白眉」


「ははっ!」


「此度の失態は、あの娘、犬神狛に免じて許してやる。だが、次は無いぞ?解っておろうな」


「はっ!慈悲溢れる御情け、痛み入ります。ありがたく頂戴致します…!」


 狛はあまりピンと来ていないようだが、これは大変な事である。人間である狛の名を山本さんもとが覚えておくと言う事は、それだけ彼が狛を気に入ったと言う事だ。猫田が神野に目をかけられているように、今度は狛が山本さんもとに興味を持たれたのである。大日如来に引き続いて、魔王と縁を結んだ人間など前代未聞だろう。途轍もない偉業を成し遂げたと言っても差し支えない状況である。


「はぁ……お前はホントに…モノ知らねぇってとんでもねーな」


「え?え?」


 これには、さすがの猫田も呆れ果ててそれ以上何も言えないようだった。当の狛本人は、名前を聞かれたから答えたというだけの認識しかない。それでも、猫田の反応を見ているとマズい事をやらかしてしまったような気がしてくる。あわあわと焦っていると、それを見ていた神野が腹を抱えて笑いだした。


「ブハハハハ!なんだそりゃ、面白すぎるぜ。まさかあのジジイが人間に興味を持つたぁな!しかも、あの稲生平太郎ならいざしらず、ただの小娘とはよ!よし、面白いもんをみせてもらった礼だ、ここは俺も引いてやるよ。クック…やっぱ猫助、お前見てると飽きねぇわ」


「笑いごとじゃねぇんだが…もういい。特に害はねーだろうしな」


 笑いこける神野と、どっと疲れが出て肩を落とす猫田に挟まれて、狛は混乱している。その様子を見ながら、山本さんもとは心の中で唸っていた。


(先程、儂は白眉に向けた威嚇の視線を同じようにあの娘に向けていたはずだ。だが、あの娘は怯む事無く正面からそれを見返しおった…大したものよ。よほどの胆力と地力があるとみえる。この白眉でさえ、怖じ恐れるというのにな)


 そう思いながらも、山本さんもとは決して悪い気分ではなかった。強く優秀な人間に出会うのは、いつの時代になっても心躍る瞬間だ。普段は特別人間に対して関心があるわけではないが、かといって山本さんもとはそこまで人間を嫌っているわけではない。むしろ、自分が認められるほどの人間を見つけた時は嬉しさの方が勝るくらいだ。

 それはまさしくダイヤの原石を見つけたかのような強い高揚感と、それを自らが見出したという達成感、或いはその鑑定眼を誇りたくなるような、そんな不思議な感覚に近い。今の山本さんもとはそんな感覚を覚えている。


 和気藹々わきあいあいとした空気に包まれた後、猫田は渋い顔をしたまま口を開く。その言葉で、再びその場に張り詰めていた空気が戻っていった。


「しかしよ、そのハクビって奴がおかしくなっちまったってのは、一体何をされたんだ?それをやったヤツの目的も解らねぇ…どうなってんだ?」


「ふむ。確かにな、捨ておいてよいものとは思えぬ。調べる必要があるな」


 山本さんもとがそう言うと、狛の方を見て何かを念じたような素振りを見せた。すると突然、狛が懐に忍ばせていたスマホが音を立て始めた。


「え!?なんで?ここ…って電波入るの?」


「今、儂が少し弄ってやった。それは調べ物が出来る道具なのだろう?試してみよ」


「ええ……だ、大丈夫かな?」


 正直、いきなりそんな事を言われても、不安しかない。ここしばらくは山暮らしだったのでデータ通信量は残っているはずだが、そもそも妖怪が改造してしまっては何をやり取りするものになったのかも不明である。さすがに爆発したりはしないだろうが、違法な改造になっていたりはしないだろうか。

 まだ買ってから数か月しか経っていないスマホがおかしなことになってしまったと嘆きつつ、狛はスマホを起動させた。


「って、調べるって何を調べれば…?妖怪について、なんてさすがに調べても出て来ないと思うけど」


「白眉の話から察するに、下手人は単独ではなく、複数で何らかの計画を持って行動しているはずだ。しかも、ここ数日で動きがあると言っていた。であれば、他にも妖怪共が暴れ出し、人を襲った事例などあるやもしれん、それを探せばよい。今の人間達は情報の共有が速いからな」


「そっか、なるほど……」


 狛は少し納得して、それらしいニュースを探すことにした。妖怪に襲われたという直接的なものでなくとも、不思議な話題を探すだけでも手掛かりにはよさそうだ。適当に検索などしてみて、スマホが問題なくネットに繋がっている事を確認して、狛は改めてニュースを探す。すると、すぐにそれは見つかった。


「なにこれ?動画…?凄い勢いでバズってるみたい」


「猫助、バズってるってなんだ?」


「……俺に聞くなよ、わかんねーよ」


 呟く神野と猫田を余所に、狛はその動画を開いてみた。そこに映っていたのは、この国の人々に対する恐るべき布告であった。

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