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第167話 嬉し恥かし

「普通に考えればその通りだが、神が動くような事態となれば、それはもはや取り返しがつかん事態であろう。彼奴きゃつらは動き出すのが遅い故な」


 山本さんもとはそう皮肉めいた言葉を口にしたが、あまり軽々に神に動かれて困るのは妖怪の方である。神の持つ力というものは凄まじく、人にとっては頼れるものだが、彼らが動けば影響は広範囲に及んでしまう。神という存在は、本当に最後の安全装置のようなものでなければならないのだ。


「なら、どうする?俺達が動くか?」


「落とし前をつけさせる意味ではそれも良いがな。こやつらの居場所を探し出して、叩き潰してくれようか」


(神の横槍、か…こいつらは本当にそれを想定してねーんだろうか?そもそもこいつらの目的はなんなんだ?人と妖怪の楽園だなんて、そんなもの在るはずがねぇ)


 山本さんもとと神野の話を余所に、ふと、猫田はささえ隊の事を思い出し、自嘲気味ながら一笑に付した。確かにあれは人も妖怪も関係なく過ごしていたが、彼らは特別である。対妖対心霊組織だけあって、隊員達は誰もが超常の存在を否定も疑いなどしなかった。しかし、通常の世の中に生きる人々は違う。妖怪は元より、霊魂やあの世の存在ですら懐疑的だ。それらを感じ取れるものの方が少ないのだから、むしろそれは当然だと、猫田は思っている。


 そんな世界で、人と妖が手を取り合うなどまやかしもいい所だ。もしも、その境界を突き崩すことが目的ならば、地獄をこの世に出現させようとしたギンザ一味の行動よりも、恐ろしい事になるだろう。多くの人間は、手も足も出せず意思の疎通すら危うい相手を理解する事など出来ないのだから。多くの人間が恐怖でおかしくなるか、妖怪達の食いものにされるのがオチである。それが、動画で言う所のだなどと、思えるはずもなかった。


「しかし、白眉ほどの者が惑わされるとなると油断は出来んな。儂は眷属や配下の者達の動向を見極めつつ、この者達の行方を捜すとしよう。…狛よ、お主の働きにも期待しておるぞ。何かあれば、これを叩いて我が名を呼ぶがよい。そなたがどこにいてもたちまち駆けつけてみせよう」


「え?あ、はい。ありがとう……ございます」


 そう言って、山本さんもとは小さな木槌を差し出すと、狛の手に乗せた。それは、江戸時代の妖怪絵巻『稲生物怪録』にも描かれていた、山本さんもとを呼び出す為の道具である。まさしく伝説のアイテムなのだが、狛はその逸話をよく知らない。山本さんもとや神野のような魔王達が人前に現れる事など滅多になく、さすがの犬神家の記録にも、彼らに関する記述などほとんどないからだ。


 木槌の持ち手である柄の部分には黒い漆が塗られ、頭の部分は鮮やかな赤い漆で牡丹の花が描かれている。工芸品としての価値も高そうで、一見すると打ち出の小槌のようにも見えるが、これは願いを叶えてくれるものではなく魔王を呼び出すものだ。正直に言って物騒にも程がある。よく解っていないのか、何の気なしにそれを振ってみている狛の隣で、猫田は冷や汗を一つ搔いていた。


「さて、ではそろそろ儂は引き揚げるとしよう。白眉よ、お前も疾く山へ帰るがよい。くれぐれも防備を忘れるでないぞ?」


「ははっ!」


「では、皆の者、さらばだ」


 その言葉と共に、びゅうと風が吹いた時、既に山本さんもとは姿を消していた。それを確認してから、神野も両腕を組み、顎を撫でつけながら笑顔で別れの言葉を告げる。


「へっ、腹の立つ事もあったが、全体でみりゃあ面白かったぜ。出張ってきて正解だったな。それじゃあな猫助、何か解ったら山本さんもとのジジイより先に俺に言えよ?小娘もだ、また会おうぜ」


「ああ、またな」


 そう言うや否や、神野も山本さんもとと同じように、瞬き程の間にふっとその姿を消していた。来る時も去る時も、彼らは一瞬だ。それもまた彼らの力の一端を表すものなのだろうが、巻き込まれる方は堪ったものではないというのが、猫田の正直な感想である。

 そうして、最後に残った白眉は、じっと狛を見つめて何かを言いたそうにしていた。


「あの、何か?」


「娘、犬神…狛と言ったな。一つ聞いておきたい、何故なにゆえ、我が配下の鴉天狗達を殺さなかった?我とあれだけ戦ったお前の力は大したものだ。やろうと思えば、一撃で天狗達の命を奪う事も出来ただろう。お前は人狼なのだろう?配下に襲われたものもいたはず…それが、何故?」


 妖怪である彼らにとって、敵対者に情けをかけることはまずあり得ない行動である。自らを殺しに来た相手を殺すことなど、力が全ての妖怪の世界では至極当然の事だ。だが、狛はそれをしなかった。さすがに白眉相手に手加減は出来ていなかったが、殺そうと言う意思があったわけではない。それが、彼には不思議でならない事だったようだ。


「それは…貴方達にも、何か事情がありそうだったから。それに、猫田さんにも天狗と必要以上に争っちゃダメだって言われてたし。私は退魔士のたまご…ううん、退だけど、殺し屋じゃないので」


 一族の当主代理を任され、狛はもう半人前を名乗る事は出来ない。例え足りないものがあろうとも、それを言い訳にしていい立場ではなくなったのだ。そうハッキリ自分に言い聞かせる意味でも、狛は一人前の退魔士であると言い直した。それは決意表明のようなものだ。自らの胸の内だけでなく、それを口に出して言葉にすることで、退路を断とうとしている気概の表れであった。


「そうか……感謝する。よ、お前に約束しよう。今後一切、我ら遠馬の天狗はこの里の人狼達に手出しはしないと。山の神に仕えるものとしての優劣など、もはや比ぶるるものでもなくなったしな。それでは、さらばだ。また会おう、狛」


「ひ、姫!?いや、私別にそんなんじゃ…きゃっ!?」


 狛の言葉を最後まで聞かず、巻き起こした突風に乗って全ての天狗達はあっという間に飛び去っていった。彼らは妖怪なので見える人間にしか見えないだろうが、まるで巨大な一羽の鴉のように、大空を黒く染めて飛ぶ天狗達の姿は、夕焼けに映えてとても美しい。妖怪達の自分に対する評価がとんでもない事になっているような気がして、狛は気が気でなかったが、この光景には感動さえ覚え、複雑な思いをしばし忘れるようだった。


「……さて、俺らも戻るか。そうだ、爺さん連れて来ねーとな」


「うん、帰ろっか。それと猫田さん、皆を守ってくれてありがとね。…ああ、お腹空いたなぁ」


 最近は隠遁生活が続いていたので、狛はずいぶん長い間、満足に食事を摂っていない。普段から食い溜めしているようなものなので、なんとか保てているが、そろそろ限界が近そうだ。ぐうぅと大きな音を鳴らす狛の腹を横目に、猫田はどうやって狛を満足させるか頭を悩ませていた。


(コイツ今なら牛一頭くらい平気で食いそうだな……その辺に野良の牛でも…いるわけねーか)


 現在、日本には野生の牛などごく一部の地域にしか生息していない。なので、狛に食べさせる為に捕まえるとすれば猪か熊だろう。とても田畑の恵みでは、狛を満足させられそうにない。そもそもどこの世界に牛を丸々一頭食べる姫がいると言うのか、猫田は白眉の言葉と狛を照らし合わせて思わず吹き出してしまった。


「猫田さん、どうしたの?」


「いーや、なんでもねーよ。その辺で猪か熊でも捕まえてくるかと思ってただけだ」


「牡丹鍋かぁ、美味しそうだねぇ!」


「お前、そういうとこだぞ…?」


 二人がそんな他愛も無い話をしていると、里の家々から次々に無事だった人が現れ、いつの間にか二人を取り囲んでいた。そこへ走ってきた有と朔、それにこんが加わって、跪いて狛に首を垂れている。突然の出来事に、狛は驚いて目を白黒させながら、慌てて声をかけた。


「え…?え?ちょっと何、どうしたの?皆、頭を上げてください」


「狛様、猫田殿!何と礼を言えばいいものか…里の者達を代表して、まずは儂から礼を述べさせて頂きまする。この度は里の者を救ってくださって、ありがとうございます!お二方のお陰で、一人の犠牲者も出さずに済みました。しかも、特に狛様のお陰で、天狗共が金輪際我らに手を出さぬという約定まで……!あの白眉が最後に申していたように、狛様は我らが里の姫様でございます。誠にありがとうございました!」


「ええっ!?そ、そんな…私、別にそんなつもりじゃ…っていうか、こん爺ちゃんまでなんで頭を下げてるの?!」


「狛よ、今のお前の力は儂らが思っているよりもずっと凄まじいものじゃ…まだ若いお前を当主代理にすげる事には不安もあった。しかし、それは杞憂だったようじゃ、詫びさせてくれ、すまぬ」


「えええええ!?」


「つきましては、犬神家の皆様を我らが里に匿うというお話も、謹んで受けさせて頂ければ…!我らが恩をお返しするまたとない機会でございますゆえ…!」


「おう、そりゃよかったじゃねーか。これで一安心だ、な?狛」


「う、うん。それは嬉しいけど……何か私、凄くいたたまれないよ…」


 見返りを求めて戦ったつもりではないというのに、すっかり祭り上げられてしまって、狛はどうにもむず痒い思いをしているようだ。とはいえ、これで懸念材料は一つ無くなった。嬉しいやら恥ずかしいやら、狛は顔を赤らめながら猫田に助けを求めるのだった。


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