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第173話 予期せぬ対決

 放課後、狛は猫田を連れて桔梗から聞いた現場へ訪れていた。


 そこは高層ビルが立ち並び、中津洲市内でも有数なオフィス街だ。駅前の商店街からは離れているが、近くには働く人達が休む為の公園や、雰囲気のいいカフェやレストランなどが用意されていて、割合人気のある区画である。


「人間が多いな、この辺は……でも、妖気ははっきり残ってやがるぜ」


 猫田は狛の隣で、事件があった道路を見つめ、そう呟いた。人の多い雑踏というのは、時として様々な思いが入り乱れる空間である。そう言った場所では、霊魂のような想念に近い存在は紛れてしまい感覚が掴みにくくなるものだ、それは妖怪も同様である。

 通常、人の眼には見えない妖怪も、多数の人の中にいると、自然と目立たなくなる。もちろん、暴れたり妖気を過剰に放てば別だが、普通に隠れようとしていれば見つけるのは難しいだろう。ただし猫田が見つけ、感じた鎌鼬の妖気は自身の痕跡を隠そうと言う気が全くなく、むしろ見せつけるようにその場に残っているものだった。


「人は多いんだけど、この辺ってなんか爽やかなんだよね。空気がさっぱりしてるっていうか……まるでみたい」


 狛は何も考えず、ただ感じたままの感想を述べていた。オフィス街なので、当然ここに森や林などはない。公園まで行けばまとまった植物も植えられているが、およそ森とは程遠い数だ。後は歩道に沿って植樹してある程度の自然である。

 そして、狛の感想と同じものを、猫田も感じ取っていた。力無き神とはいえ、この場所はかつて二百年以上も神域だったのだから、清浄な気が残っていてもおかしくはない。人心が乱れ、腐敗した世の中にでもならない限りは、この地が穢れることはないだろう。或いは、鎌鼬の残した妖気のような異物がなければ…だが。


「しっかし、この妖気…なんかヘンだな」


「ヘン?……ああ、変か。どうして?」


 なんだか久し振りに見る人型の猫田だが、最近は妙なイントネーションで喋る事がある。どうやら、桔梗に抱かれながらテレビをずっと一緒に見ている影響らしい。桔梗があんなに猫好きだったとは知らなかったが、猫田も抵抗をしなくなってきている。メイリーにとって、厳しいライバルにならなければいいなと、狛は考えていた。


「いや、妖気は妖気なんだが、どうもな……神の気配がするっつーか。そうだ、神使が纏ってる空気に似てるんだよ。妖怪がそんなものを持ってるはずがねぇんだが」


 神と妖怪というものは、基本的に全く相容れない存在である。元がその動物である神…例えば狐のような存在であれば、狐妖怪を眷属として使役することもあるが、稲荷のような狐の神が、猫や犬の妖怪を使う事はほぼ無い。種族の違いが余計な諍いを生むし、そもそも神と妖怪は敵対者であるからだ。

 それでなくても、神の放つ清浄な力…俗に言う神気は、多くの妖怪にとって毒である。人が妖気に中てられて体調を崩してしまうのと同じで、よほど弱い神気であるか、それに妖怪側が慣れることを訓練しなければ適合する事は難しいだろう。


「神気…妖怪なのに……っ?!痛、み、耳が…何?」


 猫田の言葉を噛み締めるように口に出した時、突然、狛に激しい耳鳴り痛みが襲った。気圧が急激に下がったようで、耳を塞がれた感覚がする。これは一体…そう思った瞬間、答えが解った。いや、目の前に現れたのだ。

 だけが、まるで絵の具で塗りつぶしたように黒く染まっている。或いは、昼が一点だけ夜に変わったような不気味な変化だ。そして、その異変は徐々に形を成して、やがて一体の獣の姿をとっていった。


「猫田さん、あれ…!」


「おう、出やがったな。……とんでもなくご立腹じゃねーか、空気が薄くなってやがる」


 ハッとして周りを見ると、バタバタと人が倒れていた。強烈な妖気に中てられて耐性のない人間が耐えられるわけもない、このままでは危険だ。狛がどうやって鎌鼬をこの場から離れさせようか考えを巡らす中、猫田は一人頭を搔いて、ぼそりと呟いた。


「しょーがねーな。疲れるからあんまりやりたくねぇんだけど、よっ!!」


 猫田が気合を入れると、周囲の景色が一変した。オフィス街だったはずの場所が、見渡す限りの草原になっている。…これは、異界化だ。猫田も妖怪なので、当然ながら自分の領域である異界を作る事ができる。他の妖怪が作ったもののようにおどろおどろしい景観をしていないのは、彼の心象風景が自由な、まさに草原のようなものだからだろう。

 そして今、この場所には猫田と狛、そして姿を見せた鎌鼬のみになった。異界はそれを形作る際、そこに立ち入れるものをある程度制限できる。この場所が戦いのリングというわけだ。


「猫田さん、これって…」


「驚いたろ?俺だって異界化くれー出来るんだよ。疲れるから滅多にやらねぇけど」


 胸を張る猫田の姿は、なんだか新鮮だ。頼り甲斐があるような子どものようでどこかかわいらしさもある。一方で鎌鼬は、自分が異界に引きずり込まれたことを理解したのか、猛烈な敵意を二人にぶつけていた。


「ニンゲン…ヨウカイ……ジャマヲスルナラ、コロス!」


「あれが鎌鼬…?」


「ほとんど狂ってやがるな。何が目的か知らねーが、もう暴れさせてやるわけにはいかねぇ」


 フゥフゥと荒い息を吐きながら、涎を垂らし、鎌鼬は二人を睨みつけている。猫田の言う通り、とても正気とは思えない様子だ。狛が夢の中でみた獣は、普通のニホンイタチだったが、今目の前にいるのは完全に怪物化した鎌鼬である。この差が何なのかは不明だが、話を聴き出すのは不可能そうだ。


「でも、どうしよう?人を傷つけるのは止めなきゃいけないけど、戦うつもりなんてなかったのに」


「バカ!言ってる場合かよ、来るぞ!」


 猫田が叫んだのを合図にしたかのように、鎌鼬は一気に駆け出してきた。かなりのスピードだが、天狗達に比べればそれほどでもない。ただ、その様子は尋常なものではなかった。どうやら鎌鼬は風を操れるのか、強烈なつむじ風を纏って突撃してくる。二人は咄嗟に左右別々に飛んでその突進を回避した。


「わわっ…!?制服が…!」


「ちっ、思ったより厄介だな!」


 あの時、白眉が使っていた梵天の風技と比較してみても、遜色ない威力のつむじ風だ。だが、鎌鼬から感じられる妖気の強さは、白眉とは比較にならないほど。それはつまり、彼が能力以上の技を使っている事を意味する。恐らくは自分の命を削っているだとか、何かしらの代償を支払っているに違いない。

 その命を奪う為でなく、出来れば救いたいと思っていた狛にとってそれは見過ごせない事態であった。


「止めて!私達は戦いにきたんじゃないの!お願い、話を聞いてっ!」


「グルルルル…ッ!」


「よせっ、狛!」


 狛は懸命に声を上げているが、鎌鼬には通じていない。それどころか、より敵意を強めるきっかけになっているようだ。それでも、狛はあの夢でみた小さなイタチの姿が忘れられなかった。きっとあの夢は、今は本院に合祀されている神が狛に向けたメッセージだったのだ。狛はその声に応えたくて、どうにか戦わずに済むようにと両手を広げて鎌鼬を受け入れようとしていた。


「大丈夫、私達は敵じゃないよ…!あなたを助けて欲しいってあの子も言ってるから」


「グ……ガアァッ!!」


 だが、その想いは狂ってしまった鎌鼬には届かない。鎌鼬はその獰猛な爪を鎌状の鋭い刃に変えて、狛に斬りかかってきた。


「させるかよっ!!」


 猫田は瞬時に大きな猫の姿に変化し、瞬く間に狛と鎌鼬の間へと割って入ると、その刃を身体で受け止めた。


「ぐ、ぅっ!」


「ね、猫田さんっ!?」


 心配する狛の声を無視して、猫田はその身に刃を食い込ませたまま、七つの尾を一つに纏めて全力で鎌鼬を殴りつけた。逆に刃をとられて身動きを抑えられていた鎌鼬は、その一撃をモロに食らい、自慢の鎌はへし折れその身は豪快に吹き飛んでいった。猫田と鎌鼬では、地力に大きな差がある。今のはかなりのダメージになったはずだ。


「猫田さん、大丈夫!?」


「バカ野郎、甘い顔してやられそうになってんじゃねーぞ。しかし、アイツはやっぱりおかしいな、消えかけちまってるが神気を纏ってるぞ…」


 狛が慌てて猫田の身体に残った刃を引き抜こうとそれに触れた時、そこに残っていた鎌鼬の感情が狛の中に流れ込んできた。後悔と悲哀、憎しみ…そして喪失感……だが、何よりも強いのは、力の存在である。それだけで、彼の身に何があったのかを、狛は鮮明に知ることが出来た。


「……そうか、そういう事だったんだ。なら、尚更、放っておけないよ!」


 キッと鎌鼬を睨み、狛は九十九つづらを身に纏う。イツも影から飛び出してきて、狛の指示を待っているが、人狼化はしない。


「大丈夫だよ、イツ。あの子を止めるから、手伝ってね」


 イツはその言葉を聞くと、狛の頬をペロリと舐めて、肩から降りた。そして、狛から霊力の供給を受けて、大型犬程度の大きさに変化する。何故人狼化しないのか、端的に言えばからだ。今は暴走状態の為に力が増しているようだが、あの鎌鼬は本来、決して強い妖怪ではない。むしろ、鎌鼬という種族の中では相当弱い部類に入るだろう。

 それは未成熟な子どもの頃から退魔士の張った結界に護られ、成長してからは神域の中で育った事に起因する。彼は身体こそ成長したが、妖怪としての力を伸ばすきっかけがなかったのだ。それが、神気に満たされた森の中でも生きていられた理由でもあった。


「……狛、どういうことだ?」


「その鎌に触れて解ったの。あの子は鴉天狗達みたいに、何かに憑りつかれてる。だから、それを取り除いてあげれば…!」


 引き抜いた鎌を投げ捨て、狛は彼の身に起こった事態を告げた。あの鎌鼬は倒すべき敵ではない、救うべき相手である。そうと解った狛と猫田は、どうやって彼を取り押さえるかを考えるのだった。

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