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第174話 生まれ変わっても

「天狗達みてーに、って…そうか、あのイカレ具合はそういうことか。だが、それなら今のでケリが着いたんじゃねーか?相当イイのが入ったは、ず……」


 猫田が言い終える前に、吹き飛ばされた鎌鼬は立ち上がってこちらを睨み付けていた。その瞳は血走って、爛々と金色に光っている。


「あー…ありゃ、全然だな。しかし、なんでだ?天狗共の時は一撃食らわせりゃ抜けてったはずだが、何が違うんだ」


「猫田さん見て、あの首の下のとこ。何か光ってるように見えない?」


 狛が指し示す場所には、確かに何か黒光りする宝石のようなものが見える。しかも、それを認識して見れば、例えようもない不快感と、底なし沼に沈んでいくような不安感が胸の奥からじわじわとせり出してくる…なんとも嫌な気配だ。猫田は顔をしかめて背中の毛を逆立たせていた。


「……なんだ?スッゲー嫌な気配がするぜ。もしかして、あれが何かってやつか?」


「たぶん、そうだと思う。私自身はそうでもないけど、あれに気付いた途端、九十九つづらとイツが物凄く落ち着かなくなったし、嫌な気持ちがするって教えてくれてる。きっとあの子鎌鼬は、あれを埋め込まれておかしくなっちゃってるんだよ。……なんて酷い事を」


「しかし、お前よく解ったな。あの黒い身体に、あんな黒光りするものを…俺だって言われなきゃ気付かなかったぜ」


「うん。あの刃に触れた時に視えたんだ、全部じゃないけどね」


「触っただけでか?へぇ……」


 猫田は素直に感心した。最近の狛には力がついてきたと、傍で見ていても思っていたが、その成長する速度はかなり早い。妖怪と比べて生きる時間の短い人間は成長するスピードも速いとはいえ、狛のそれは桁違いである。眠っていた才能が開花するとは、まさに彼女のような状態を言うのだろう。


(狛は、特に霊媒としての才能があるみてーだな。拍みてぇに、霊視で遠隔を見るのとはまた違うってことか。これだから人間は面白ぇ)


 猫田は狛の保護者として誇らしい気持ちと、頼れる相棒になり始めた彼女への信頼感が強くなり、こんな状況だが嬉しく思えていた。彼女が一人前に育つまで…と思っていた事はもう頭には無いようだ。当の狛は、そんな猫田の想いには気付かず、どうやって鎌鼬を救えばいいのかと頭を悩ませている。


(あれを抜き取ればいいのはそうだけど、見た感じ、そう簡単には取れなさそう。……それに、あの子はあの石みたいなもので強制的に力を発揮させられてる。それだけ身体に深く根付いてるんだ、無理矢理剥ぎ取っても大丈夫なの?どうしたらいいんだろう)


 実力から言って、狛も猫田も鎌鼬を倒すだけなら簡単である。あの鎌鼬は元々個体として弱いし、今は見るからに命を削って、能力以上の力を暴走させているのだ。そんな状態が長く続くわけがない、放っておくだけで数時間と命を保てないだろう。だが、狛は何としても彼を救いたかった。神と妖怪という、決して相容れないはずの存在が築き上げた友情と関係を、どうにかして守ってあげたい…そう考えている。


「グ、グウゥゥ…」


 一方、立ち上がった鎌鼬は、呻きながら大量の妖気を放出していた。あの少年の神を忘れ棄てた人間と自分への憎しみ、怒り、焦り…さらには悲哀という、ありとあらゆる負の感情が己の内から沸き上がってきてそれが力に変わっているようだ。だが、同時にそれが自身の生命力を奪っていることも、頭のどこかでは理解していた。

 それでも止まらない、止まれない。あの時現れた謎の男…人の姿に化けた妖怪に埋め込まれたこの胸の石は、鎌鼬に留まる事を許してくれない。あの男は何と言っていたかももう思い出せないが、これが復讐の力を望んでしまった罪の結果だとしたら、猶の事一人でも多くの人間を殺し道連れにしなければ割に合わない。狛の言葉は鎌鼬に聞こえていたが、踏み止まるきっかけにはなり得なかったのである。


「ウ、ウゥ…コロス、ニンゲンモ…オレ、モ…スベテ!」


 そうして芽生えた殺意が、さらなる力を呼び、より鎌鼬の命を削っていく。そんな負のスパイラルが完全に出来上がっていた。そして、今度は狛に狙いをつけて、再び駆け出してきた。


「……止めるっ!」


「おい!狛!?」


 猛突進してくる鎌鼬のスピードは、明らかに落ちている。妖気だけが膨れ上がっていて、明らかにアンバランスな状態だ。それを目の当たりにした狛はあえて避けることもせずに、真正面から受けて立つべく、猫田が止める間も無く自身も走り出した。そして。


「ガ、アアアアアッ!!」


 射程内に飛び込んできた狛に向かって、鎌鼬は左前脚に残った鋭い鎌を振り上げる。それが振り下ろされる前に、狛はその足の部分を掴んで受け止めてみせた。鎌を失ったもう片方の右前脚が出て来る前に、そのまま身体を押し込んで捕まえる形になった。


「くぅっ…!まだまだっ!」


 膨れ上がった妖気で強化されたつむじ風で狛の身体にはあちこちに切り傷で出来ているが、九十九つづらを着込んでいるお陰で致命傷はない。そして体の下に一歩潜り込んだことで、鎌鼬の身体を蝕むあの石を、間近に捉える事が出来た。


「イツ!」


「ウオオオォォンッ!!」


 狛の合図を待っていたかとばかりに、猫田の隣で待ち構えていたイツが唸りを上げて走り出し、猛然と鎌鼬に飛び掛かった。狙いはその首元にある石だ。そして、その勢いのまま石に噛みつき、嚙み剥がそうとする。


「グルルルルッ!!」


「グ!?ガ、アアアアッ!!」


 だが、石は予想以上に鎌鼬の身体に根を張り、食い込んでいた。場所が首元だけあって、力を入れて食い千切れば鎌鼬は死んでしまうだろう。


「ダメ!死んじゃう、一旦離れて!」


 狛が指示を出すと、イツは身体を震わせて鎌鼬から飛び退った。その口からは、鎌鼬のものとは違う、どす黒い液体が滴り落ちている。それこそが、彼を狂気へと奔らせている正体であると、狛は確信した。


「イツ、ごめん!戻って!」


 イツを影の中に下げさせたのは、それ以上、そのどす黒い何かに触れさせるのは危険だと直感したからだ。イツもまた、犬神という妖怪の一種であるが、狛の中にいれば影響は薄れていくだろう。しかし、こうなると九十九つづらを長時間その石に触れさせるのも危険だ。当然、猫田も同様である。


「っ…九十九つづらも離れて!猫田さん、お願い!」


 狛が叫ぶと、九十九つづらは狛の身体を離れて、反物状に変わって猫田の元へ飛んでいった。残ったのは制服姿の狛と鎌鼬だけだ。


「な…!?バカ野郎!どうするつもりだっ?」


「妖怪を狂わせる石なら、生身の私がっ!」


 九十九つづら身体から離した事で、瞬く間に体のあちこちをつむじ風で切り刻まれている。しかし、狛はそんな事はものともせずに、左足をさらに一歩踏み込ませた。同時に、掴んでいた左前脚を引っ張って態勢を崩させ、自身の左手を後ろ足の間に差し込んで持ち上げ、反転させてその場に投げ落とした。


「ガフッ!!」


「ごめんねっ!」


 倒れた鎌鼬の上で馬乗りになり、狛は自らの霊力をその石に流し込む。すると、石はビシビシと音を立ててひび割れていった。どうやら、妖力を取り込む力があるようだが、霊力には弱いようだ。狛はそれを勝機とみて、さらに強く霊力を放射した。鎌鼬は悶え苦しんでいるようだが、これ以上長引かせればどちらにしても鎌鼬の命はない。これが最後のチャンスである。


「ガアアアアアッ!!」


「やった!…きゃあっ!?」


 破裂音と共に石が砕けた瞬間、猛烈な妖気が噴き出し、狛の身体を跳ね飛ばしていた。そんな中、鎌鼬は最後の力を振り絞って立ち上がる。


「あの野郎、まだ……何っ!?」


 猫田が飛び出そうとした次の瞬間、辺りは元のオフィス街に戻っていた。何者かの力によって、猫田の作った異界化が解除されたのだ。周囲には多くの人達が救急隊に助けられたりして、騒然としている。だが、その場の誰もが鎌鼬や狛、それに猫田には気付いていないようだった。


「こ、これは…?」


 さすがの猫田も、状況が解らずに面食らっていた。異界化を外部から解除するなど、並大抵の力で出来る事ではない。術者を倒すなどしたならともかく、猫田に直接何かをしたわけではないのだ。一体何者がそれをしたのか、それはすぐに分かった。


――もういい、イタチよ。帰ってきておくれ、私はもう二度と、お前を失いたくないのだ。


「ア、アァ……」


 鎌鼬の前に、ぼんやりと光る少年の姿があった。それは、あの神である。異界化を解除したのは、彼の仕業だったようだ。


――人間の娘よ、礼を言うよ…ここまで私を連れてきてくれて。それだけでなく、イタチを縛る悪意からも解き放ってくれたな。本当に、ありがとう。


「え…あ、え?」


 弾き飛ばされてやっと起き上がった狛は、その突然の状況に困惑していたが、彼の言葉を聞いて即座に理解をした。つまり、あの夢を見た時から、神が狛に憑いていたのだ。神憑りとは少し違うが、それに近い状態であったのかもしれない。


――さぁ、イタチよ、行こうか。


 少年の姿をした神は、嬉しそうに微笑んでから鎌鼬の頭を撫でた。途端に、漆黒に染まっていた鎌鼬の身体そのものがひび割れて、中から小さなイタチが顔を出す。その身体からはもはや妖気は一切感じられず、神使としての清浄な気配を漂わせているばかりだった。そうして、眩い光に包まれて天へ昇るように空へ消えた。

 狛と猫田は、呆然としながらしばらくの間、空を見上げ続けていた。




 後日、桔梗が境内の掃除をしている時のこと。一人の高齢の女性が神子神社に現れた。女性はキョロキョロと境内を見回し、やがてホッとしたように顔を綻ばせると、実に手際よく参拝をしていた。今時珍しいほどに美しい作法を見て、桔梗は思わず声をかけた。


「こんにちは。お参りですか?」


「あら、こちらの神社の方ですか?こんにちは。そうなんです。旅行でこの街に来たんですけど、何故かどうしてもお参りしたくなって……ここはとても落ち着きますね。由緒ある神社なのかしら」


「そうですね、歴史はそれなりに古いですよ。旅の方にまで気に入って頂けて、神様も喜んでいることでしょう」


 そんな二人が会話をする様子を、一匹の獣と少年が鳥居の上に座って眺めている。懐かしそうに女性を眺めるその後ろ姿は、絵に描いたように、とても幸せそうであった。

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