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第175話 群れ成す悪夢

「うーん……結局、これってなんなんだろう」


 狛は桔梗に与えられた自室の机の上で、小さな石の欠片を眺めていた。既に摘まんでみたり、転がしてみたりしているのだが、特に反応はない。触った感じは石なのに、まるでガラスのように透明なのが不思議である。

 こうして狛が悩んでいるのは、あの鎌鼬の身体から取れた石の欠片についてだ。


 あの戦いの後、割れ落ちていた石を全て拾い集めて持ち帰ってみたものの、これと言って手掛かりになりそうな情報は得られなかった。あの時、鎌鼬の身体に根を張っていた時は、黒々と光っていたはずなのに、今は全く色がない。やはりあの時、中身は流れ落ちてしまったということだろうか。

 正直な所、これ自体に力が残っていなくても、その痕跡くらいは見つけられるのではと期待していたのだが、どうもアテが外れてしまったようだ。


 それにしても、解らないのはこの石の在り様である。


 鎌鼬に埋め込まれたこの石は、それを目撃しただけで猫田やイツ、九十九つづらといった妖怪達の精神に影響を及ぼしていた。それほど強力に精神を侵すものであるなら、これを作った妖怪や、手に持っただけでも妖怪が無事でいられるとは思えない。その効果の強さと霊力に強く反発した所から見て、これは人間が扱う事を想定して作られたような印象を受ける。だが、天狗達の元にこれを持ってきたのは、人間に化けた妖怪であったというが、どうしてその妖怪は無事だったのだろうか。


「こういうの調べるの得意なのは、お兄ちゃんかハル爺だったんだけど……」


 そう呟いてから、未だ目を覚まさない兄と、もういないハル爺を思い出し、狛の胸が痛む。自分で言ってから、しまったと思った。今は感傷に浸っている時ではないというのに、二人の事を考えるとまだ、胸が苦しくなる。胸に手を当て唇をぎゅっと噛み締めて、狛はただただ悲しみを堪えていた。

 そこへアスラが近づいてきて、狛の頬を一舐めした。こういう時、いつも必ず傍にいて慰めてくれるのがアスラだ。アスラにとって狛は母親のはずだが、時に姉妹のように振る舞うことがある。狛は手のかかる家族、ということなのだろう。


 少しの間、アスラを抱き締めているとスマホに通知が入った。それはニュースアプリからの通知で、どうやら昨日のオフィス街で大勢の人が意識を失ったニュースの続報のようである。鎌鼬が現れた時、瞬間的に空気がかなり薄くなっていた。真空とまではいかないが、かなり高い山の頂上くらいではあったはずだ。猫田がすぐに自分達と鎌鼬を異界に隔離してくれたからよかったものの、放っておけば大きな惨事になっていたことだろう。


「あれ?これって……」


 その現場を写した写真の中に気になるものがあった。かなり小さく隅の方に映っているが、見覚えのある顔だ。それは正月に槐が犬神家を襲撃した際、彼が従えていた者達の中にいた男の一人である。慌てふためく人達が大勢写っている中、その男は冷静に周囲を見据えているようだった。

 これだけで、槐の一味とこの騒動が繋がるわけではない。だが、この男がここにいたのが本当に偶然なのか考えると、どうしても無関係とは思えずに狛は胸騒ぎを覚えるのだった。




 その頃、中津洲市なかつしましの隣にある小さな町、七首市ななくびしに一組の男女が訪れていた。この七首市は、かつて戦国時代に合戦があった古戦場のある町として知られ、歴史マニアが訪れることで人気の町だ。しかし、その名の由来は物騒で、当時七人の高名な武将が次々に首を刎ねられて晒された際、その怨みにより三日三晩、首が怨嗟の声を上げた所から七首市という名がつけられた。何とも恐ろしい言い伝えのある町である。

 そんな古戦場跡は、今は静かなゴルフ場になっている。バブル時代には華々しく一世を風靡したゴルフ場だが、現在はブームなどとっくに過ぎていて、経営はかなり苦しいらしい。週末に辛うじて数名の客がゴルフをしに来るだけという有り様だ。


 一応、ゴルフ場の中には、入場料を払えばゴルフ参加者でなくとも入れるらしい。その一角に、古戦場跡の石碑が建てられていて、最近ではゴルファーよりも、そう言った歴史マニアの方が多いようである。


「いらっしゃい。……ずいぶん珍しいお客さんだね」


 支配人…というにはかなりくたびれた高齢の男性が、クラブハウスの入口で受付をしている。二人組の客は、一人がスーツ姿の中年の男で、もう一人は独特なデザインのコートを着て、不思議な匂いのするタバコを燻らせた外国人の若い女だった。


 男はふっと薄笑いを浮かべて、支配人に金を渡し入場料を支払っている。


「彼女がこう見えて、歴史好きでね。特に日本の合戦なんかに興味があるらしい。…まぁ、デートするには似つかわしくない場所だが、女性が行きたいという場所に付き合うのは、男の義務のようなものさ」


「なるほど。若い女の子を相手にするなら、機嫌を取るのも大変だね、フェッヘッヘ」


 田舎のおじさん感丸出しの支配人は、奇妙な笑い声で男の苦労を慰めた。そして、二人分の入場料を手抜かりなく受け取ると、手首にかけるタイプのタグを二つ出して、二人の前に置いた。


「それをしていれば、場内の施設は自由に見て回れるよ。レストランもね。外していると警備員が不法侵入者と間違えてしまうから、気を付けて。……ああ、それと、人が居ないからってのは程々にしておくれよ。フェヒヒ」


 品の無いジョークを残して、支配人は奥に引っ込んでしまった。相手をしていた男の方はやれやれと肩をすくめているが、女の方は意味が理解出来たのか、不機嫌さを隠さず表情に出している。男はそんな女を宥めるように背中を押して、二人はクラブハウスを後にした。


「……Jerk最低。どこの国も、田舎の中年はいつもああね。嫌な男だわ」


「一応、俺も中年としてはそう言われると耳が痛いが……まぁ、そう怒るな、。あんなのはどうせだ。持ち帰る対象にもならんのだろう?放っておけ」


「ふん、当たり前よ。美点の何もないオジサンなんて、金を貰ってもコレクションしたくないわ。…その点、あなたなら持ち帰ってもいいくらいだけど?」


 レディは挑戦的な瞳を、隣にいる男に投げ掛けた。相当鬱憤が溜まっているのか、上手く挑発に乗ってくれば殺してやろうという気が見え見えだ。しかし、男はそれを一切相手にせず、スタスタと目的地に向けて歩き始めていた。


「…バカな事を。俺はまだやる事があるんだ、お前の玩具になってやるわけにはいかん。それに」


「それに?」


「俺は女房一筋だ、お前のようなガキは好みじゃない」


 そう言って、男はまた薄笑いを浮かべていた。



 二人はしばらく歩いて、コースから少し外れた場所にいた。一見すると林のようだが、狭い歩道があり、そこを抜けると大きな石碑が現れる。石碑には大きく、『史跡・七首合戦場』と刻まれていた。


「ここがそうなの?」


「ああ、槐様はここで実験をしろと命じられた。妖怪共を狂わせる狂華種は、果たして古き亡霊共にも影響を与える事が出来るのか、知りたいらしい。俺個人としても興味がある話だな」


 男はハッキリと笑みを浮かべて、石碑の前に立っている。実のところ、この石碑は単なるモニュメントではない。一般には知られていないことだが、この七首合戦場の石碑の下には、町の名前の由来となった七人の武将…その遺体が埋められている。つまりこれは、遺体を祀った塚なのだ。


 この七首町カントリークラブには、古くから幽霊を見たという噂が多数報告されている、曰くつきの場所であった。首の無い鎧武者が敷地内をあてもなく彷徨っているという噂だ。過去には何度か雑誌やテレビの取材もあったらしいが、本当に幽霊を見てしまい、取材者が発狂してしまう事が相次いだ為に、そのどれもがお蔵入りになっているという。


 普通の人間には単なる噂でしかないが、霊的な力を持つ者達にしてみればそれが事実かどうかは、現場を見れば一目瞭然である。そして、犬神家の調査部はそれを完全な事実として認定していた。


「さて、始めるか。骸が起きるかもしれん、その時はお前の好きにしろ」


「いらないわよ、どうせ骨だけでしょう?大した力もないでしょうし」


 レディはそう言うと、つまらなさそうな顔をして薬タバコに火をつけた。男は反抗期の娘を見る様な目でその様子を見てから、懐に忍ばせた黒い玉を取り出し、呪文を唱えた。


 ややあって、黒い玉からは天狗達を暴走させた黒い靄が噴き出して、辺りに立ち込める。…それによって恐るべき死者の群れが現れるとは、この時は誰も想像していなかった。

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