七首市に繋がる中津大橋のたもと。厳重な警察の警備を避けるようにして狛と神奈、それに猫田とアスラが隠れている。
「さて、どうやって向こう岸に渡るか…」
神奈はビルの陰から、警察の動きを探っていた。朝のニュースはかなり大きな反響を呼んだらしい。映像は侍の亡霊達によってテレビ局の取材クルーが襲われる、かなり衝撃的な内容だったが、それ以上に人々を惹き付けたのは、見る者によって侍の姿が見えたり見えなかったりするというある種のエンタメ性によるものであった。
七首市に家族や親戚、知人がいる者、あの映像をみて霊の存在だと騒ぎ立てる者、それを立証しようとする者…様々な人物が様々な思惑で七首市に入ろうとしている。警察は、それらを抑えようとして警戒態勢をとっているのだ。
中津洲市から七首市に入るにはいくつかのルートがあるが、神奈曰く、彼女が助けようとしている部長の自宅には、この中津大橋から入って行くのが一番近いらしい。猫田が空を飛んで連れていってくれればよかったのだが、まだ日も高くまた大勢の人目があってそれも難しい。それ以上に厄介なのは、七首市全域に何者かの手で
恐らくは七首市から周辺の地域へ、あの亡霊達が出て行かないようにする為だろうが、それにしても仕事が早い。これのお陰で、猫田を七首市に連れて行く事自体が困難になってしまった。結界を抜けるならば、出来るだけ霊力を抑えて結界を反応させないようにするしかない。結局、猫田は普通の猫の姿で狛の頭に乗っかったまま移動している有り様である。
「強行突破…って、訳にも行かないよねぇ」
狛も神奈も、どちらかというと猪突猛進なタイプである。普段の行動であれば、考えるのはメイリーの役割であることが多い。しかし、今回ばかりはメイリーには内緒である。実は何度か連絡がきているのだが、さすがに彼女を巻き込むわけにはいかないと、二人は適当な理由をつけてあしらっているつもりだ。勘のいいメイリーの事なので、誤魔化しきれているかは不安な所である。
「……ん?狛、何か知ってる匂いがしねーか?」
「え?」
狛の頭の上で、猫田がスンスンと鼻を鳴らして何かを嗅ぎつけた様子である。いくら狛でも、人狼化していない状態ではそこまで正確に判別できるわけではない。猫田の言葉に耳を傾けて視線を巡らすと、警察官に混じって見覚えのある顔を見つけた。
「あっ、弧乃木さん!?」
それは以前、カメリア国王を狙った空港でのテロが起きた際に協力してくれた、自衛官の弧乃木精一であった。何故自衛隊員の彼がここにいるのだろうか?狛は少し不思議に思いながらも、神奈達を引き連れて弧乃木の元へ向かった。
「こんにちは、弧乃木さん。お久し振りです!」
「ん?おお、君は犬神家の狛君か。久し振りだね、元気そうで何よりだよ」
弧乃木は狛の事を覚えていたようで、声をかければすぐに対応してくれた。よく見ると自衛官は彼だけでなく、他にも十数名ほどいるようだ。
「弧乃木さんこそ…それより、どうしたんですか?その……こんなところで」
「ああ、私は今、防衛省から試験的に出向していてね。あまり詳しい事はまだ言えないんだが、省庁の垣根を超えて動ける…まぁ、そんな部隊にいるんだよ。ところで、猫田さん…だったかな、彼は来ていないのかい?」
どうやら、あまり大っぴらに情報を出せない話が混じっているらしい。さすがにそれを聞いたからと言って、狛達が拘束されるようなことはないだろうが、機密というものはおいそれと見聞きするものでもない。狛はなんとなく言えない事情を察して、頭の上に乗せた猫田を指し示した。
「猫田さんなら、ここに」
「……ニャーオ」
人前なので、猫の姿である猫田は喋るわけにもいかない。人の姿で会った事のある人間に猫として相対するのは多少の気恥ずかしさもあるのだが、この際気にしないことにしたようだ。猫田は当たり障りのない程度に鳴いてみせた。
「おお…!なるほど、改めてその姿を見ると本当に……うぅん、ところで君達は何をしにここへ?」
「あの、実は……」
話ながら物陰に移動し、狛は弧乃木に、ここへ来た理由とお願いを正直に話すことにした。彼が頭ごなしに否定したり、聞く耳を持たないような人間でないことはよく知っている。ならば、あえて包み隠さず話すことで、何かのアドバイスだけでももらえるのではないか?と踏んだようである。
そして、事情を聴いた弧乃木は、腕を組んで考え込むように押し黙ってしまった。
「なるほど、友達が…しかも、体調不良で猶予がない、か。やはり恐れていたことが現実になり始めているな。……よし、少し待っていてくれ、上に打診してみよう」
「え? あ、はい」
何かを思いついた弧乃木は、その場を離れて無線で誰かとやり取りをしているようだ。残った狛達は静かに彼の戻りを待った。
「猫田…さん。何か?」
待っている間、猫田からの強い視線を感じた神奈は、居心地の悪さに耐えきれず反応してみることにした。問いかけられた猫田は、気にせず神奈を見続けている。
「いや、ちょっと……」
「?」
狛も神奈も、猫田が神奈を注視する理由が解らない。今までに何度か顔を合わせているはずだが、こんな事は始めてだ。そういえば、神奈のフルネームを聞いて、猫田は驚いた風だった。
(コイツ、
そんな猫田が気にしているのは、かつての
しばらくして、弧乃木が女性の部下を連れて戻ってきた。あの時、一緒に戦った畦井と十畝だ。弧乃木に続いて見知った顔に会って、狛は喜びを隠せず抱き着いた。狛の距離感の無さが久々に発動して、畦井と十畝は一瞬面食らったものの、すぐに表情を微笑みに変えた。
「
「狛ちゃん久し振り。私達には敬語じゃなくていいわよ、あの時は本当にありがとね」
畦井はニコニコしながら、狛を抱き締め返している。十畝はどちらかというと、神奈のようにクールなタイプなので微笑んで抱き合う二人を見つめているばかりだ。神奈は笑顔の中にほんの少しだけ青筋を立てながら、狛と抱き合う畦井を睨みつけている。
「……狛、ちょっとくっつき過ぎじゃないか。それより、この人達は?」
「え?あ、畦井さんごめんなさいっ!二人に久し振りに会えたし、元気そうだったから嬉しくて。紹介するね、神奈ちゃん、この人達が前に一緒に戦ってお世話になった自衛隊の畦井さんと十畝さんだよ」
「初めまして、畦井です。階級は三等陸曹よ、よろしくね」
「…初めまして、十畝です。同じく三等陸曹だ、よろしく」
「……蘿蔔神奈。狛の親友です…!よろしくお願いします」
神奈は妙な対抗意識を見せているが、畦井と十畝にはその意味がよく解らない。狛はアハハと力無く苦笑しながら、神奈の困った癖に頬を搔いている。そんな和やかな空気の中、その一部始終を見ていた弧乃木が口を開いた。
「さて、待たせてすまなかったね。上に作戦の打診をしていたので時間がかかってしまった。早速だが、狛君、君達が協力してくれるなら我々は七首市民の救出活動に乗り出そうと思う。手伝ってもらえるかな?」
「弧乃木さん…!ありがとうございます!」
弧乃木の粋な計らいに、狛は感極まって精一杯頭を下げた。それを見ていたアスラも、満足そうにワン!と一鳴きしていた。