作戦開始の打ち合わせから一時間後、狛達は、自衛隊の車両に乗って七首市内に入っていた。
『超自然特殊災害対策班』と書かれた装甲車には、武装こそないが、後部に十数人ほどが一度に乗れるスペースがあり、狛達はそこに乗っている。四隅には防御結界を展開する為の呪文が刻まれている。どうやら対心霊装備が施されているらしい。
一般的に霊や妖怪などへの対応など想定していないはずの自衛隊において、そんな装備を搭載した車両があるなど聞いた事がない。狛は驚きながら車内を観察していた。
「凄い……ちゃんとした結界用の術式だ。どうしてこんなものが?」
「驚いたかな?以前、君達と一緒に戦ったカメリア王国のテロリストとの一件で、防衛省や警察庁などでは、新たに対心霊装備の導入が検討されるようになったんだ。何しろ、あの事件では現場の隊員が皆、悪霊の存在を目の当たりにしていたし、実際に魔法使いとも交戦したからね。国もそれをまやかしだと決めつけて、何も対策しないわけにはいかなかったのさ。混乱を避ける為に、あえて世間には公表されていないけどね」
弧乃木はどことなく誇らしげに胸を張るようにして、驚く狛に説明をしてみせた。確かにあの時、出動していた自衛隊員の多くが、空に渦巻く無数の悪霊の姿を目撃し、ゴーレムや魔法使いなどとも交戦を行っていた。いかに霊の存在が一般的には信じられていないとはいえ、あれだけ多くの現場の声を、無視するわけにはいかなかったのだろう。実際に、悪霊に襲われて一般の利用者などにも犠牲者が出た事も事実なのである。
しかし、わずかな期間でこれほどの装備が生産されるというのは早すぎる気がする。あの事件があってから、まだ半年も経っていないのだ。そんな狛の疑問と同じものを猫田も感じたのか、なにやら難しい顔をしていた。
「それにしたって、こんなクルマを造るには早すぎるんじゃねーのか?お前らの多くは霊の存在すら認めてなかったはずだぜ。
「仰る通りです、猫田殿。この装甲車はあくまでテスト段階の試験車両でしてね、実は未完成なんですよ。こいつは元々、海外派遣に使われる予定だった次世代新型装甲車を流用したモデルです。なので、車両用の武装はありませんし、台数も少なく運用できる人間も限られています。とはいえ、防衛省の上層部には
なんとも驚きの発言が連発である。猫田の言う通り、世間一般では眉唾物として扱われるオカルトに対して、自衛隊や警察のような公的機関が対応するのは前代未聞である。しかも、それ専用の装備を作るには相当なハードルがあるはずだ。そもそもそんな研究はおろか、それを真面目に語ることさえどうかしていると思われても致し方ない。にもかかわらず、新型車両を流用してまでこれほどの装備を用意するには、かなり高度な政治的圧力や権力が働いていなければありえないだろう。専門の担当者とやらは一体何者なのか、猫田も狛も興味が湧いたようだった。
「担当者ねぇ…どんな奴なんだか、何か覚えがあるような気がすんだよな……」
猫田がそう呟いた時、突然車内に警告音が鳴り響き、マイクを通して畦井の声が車内に響く。
「隊長!前方に霊と思しき侍の集団を確認しました。こちらに向かって矢や銃器を番えています。交戦の意思がある模様、如何致しますか?」
「ちょうどいい、戦闘試験も済ませよう。蹴散らせ」
「了解!霊式対応装甲結界、起動します!」
弧乃木の命令に畦井が答えると、狛達が乗っている後部スペースの結界が起動し、車内は淡い光に包まれた。窓の外をよく見ると、車両全体が結界に覆われて光を放っているようだ。そして、そのまま速度を上げて、車は侍の集団に突撃をした。
「え?え?ええええ!?」
「こいつは……冗談みてぇだな」
結界を張ったままの装甲車は、まるで砲弾のように侍の集団に飛び込むと、彼らを文字通り跳ね飛ばして蹴散らした。物理的な存在ではない霊達も、これほど強力な結界そのものが動いて高速でぶつかってくれば、ただではすまない。蹴散らされた霊達はその威力で霧散し、あっけなく消滅していく。原理としては狛が霊力を込めて殴りつけるのと同じではあるが、退魔士である狛も、妖怪である猫田も、こんな除霊の方法は初めてみる光景だった。二人共ポカンと口を開けて、信じられないものを見た気分である。
「どうです?この霊式対応装甲結界の威力は。担当者によると、まだ改良の余地はあるようですが、現時点でも大型の悪霊に対しても有効であると試験結果が出ているんですよ」
「まぁそりゃ……霊や妖怪ってのは元々金属が苦手だからな。こんなデカい鉄の塊が結界張ってぶつかってくりゃ、ただじゃ済まねーだろうよ…こんなバカなもん考えて作るヤツがいるたぁ…」
「自衛隊は凄いな、狛!こんな事が出来るなんて…ビックリだ!」
「う、うん。神奈ちゃんこういうの好きなんだね、ちょっと意外かも……でも、これって大丈夫なんですか?こんな強力な結界を展開するとなると…」
狛の言いたい事は、すぐに弧乃木に伝わったようだ。弧乃木は先程まであんなに誇らしげだったのに、すっかり肩を落としてしまっていた。
「さすがに鋭いな。問題はそこなんだ、この車を運用するには霊力という特殊な力を持った人間が必要でね。現状は複座でないと規定のパワーを発揮できない。畦井と十畝が二人で運転席にいるのは、それが理由さ」
弧乃木だけでなく、畦井と十畝は元々霊感があるタイプだったようだが、彼女達は霊的な才能を鍛える訓練などした事がなかった。あの空港での一件で、無数の悪霊達を目の当たりにし、霊の存在に触れた事で彼女達に眠っていた才能が目覚めたのだという。それでもまだ、未発達の才能である。単独で高出力の結界を張るのは退魔士でも大変な作業なのだ。運用する人間が限られるのは、当たり前のことであった。
「目下、自衛隊員の中から霊的な才能を持った人材をピックアップする作業が急務なんだが、それと並行して装備を完成させることも視野に入れなくてはならない。君達犬神家の人達にも、協力を仰ぎたいと思っていた所だったんだよ」
「なるほど。お兄ちゃんなら喜んで賛同したと思いますけど……今はちょっと」
犬神家で内紛が起きているとは、中々言い難い状況である。狛は当主代行であるので、協力要請に応えるのは吝かではないが、槐との事がある以上、しばらくは対応が難しそうだ。弧乃木は狛の反応に複雑な表情をしてから、そうか…と一言力なく呟き、また肩を落とした。
一方その頃、この事態を引き起こした元凶の二人は、レストランの一角を陣取って身体を休めていた。
「ふむ、まさか霊に対してもあれほどの効果を発揮するとは。狂華種の力は凄まじいな」
男は窓の外をうろつく侍の霊団を眺めながら、ナイフでステーキを切っている。向かいに座るレディはウンザリといった顔で、コーヒーを口に含んだ。
「……アンタ、こんな所でよく食事なんてしてられるわね。臭くって味なんか解らないじゃない」
レディはちらりと店内に視線を向けると、そこは大量の血で汚れきっていた。まさに血の海である。あのゴルフ場から程近いこのレストランは、多くの人々が食事をしていた事もあり、かなり早いタイミングで霊団に襲われたようだ。レディともう一人の男は、霊団がいなくなったこの店を拠点として滞在し、実験の結果を報告している。
「なぁに、血の滴るステーキだと思えば、血の匂いなどスパイスも同様だ。残念ながら、ここの肉はそう良いものではないようだがな」
「アンタとデートするような女は不幸でしょうね。どこへ連れ回されるか、解ったもんじゃないわよ」
「フフ、少なくとも女性の望みならどこだろうとエスコートするさ。例えば、死体が好きなお前なら、墓場だろうと付き合ってやる」
とてもステーキを頬張りながら言う台詞とは思えないが、男はニヤリと笑って食事を続けた。レディはつまらなそうにそれを聞き流し、霊団に追われる哀れな犠牲者の姿を見るともなく見ていた。