狛達を乗せた装甲車が市内の中心部に入ると、あちこちに夥しい血痕が残っているのが確認できた。あのテレビスタッフのように、侍の霊団に襲われた人々のものだろう。その血痕からすると、確実に命を奪われているはずだが、その何処にも在るはずのものが見当たらない。
「凄い血の量なのに…どうして人がいないんだろう」
「そりゃあ、あいつらが
猫田は事も無げに言うが、それはあまりにも絶望的な話であった。猫田の言う七人ミサキとは、妖怪の一種に例えられているが、その正体は強烈な怨みを持った怨霊、または亡霊の集団である。彼らに出会った者は必ず死ぬとされる恐ろしい怪異達だ。彼らはその名の通り、必ず七体で行動しているが、その理由は憑り殺した人間の数だけ成仏し、その空いた分に憑り殺された人間が新たに補充されるというシステマチックな一面を持っているからだ。
もっとも、侍たちの霊団は、単に哀れな仲間を増やそうとしているだけのゾンビのようなものだが、そういう意味では七人ミサキよりも数段性質が悪いと言ってもいいだろう。
ただ七人ミサキの場合、彼らはターゲットと決めた存在の前に現れずまた興味を示さない。目的を邪魔するものに対しては容赦なく危害を加えるものの、見境なく人を襲うような真似はしないのだ。そうでなければ、日本中の人間を殺し尽くすまで彼らは止まらないだろう。
しかし、この侍達の霊団は違う。明らかに目に付いた全てのものを殺して取り込もうとする危うさを持っている。その意味でも両者は全くの別物である。
「人間を襲って自分達の仲間にする、か…おぞましい怪物だ。何故そんな者達が今になって現れたのか…」
弧乃木の疑念はもっともだ。この七首市に古戦場跡がある事は周知の事実であり、この町はそれを内包したまま現代まで存続してきた。そして、これまでに一度たりともこんな怪物達が現れたことなどないのだ。それはつまり、外的要因によって霊団が目覚めたことを意味する。
「まさか、これも…?まさかね」
狛はふと、あの妖怪を狂わせる石の事を思い出していた。しかし、あれは妖怪を狂わせるもののはずだ。悪霊や怨霊を呼び込むような事に使えるとは思えない。そう考えて、その着想を打ち消した。
「もうすぐ、目的地の住所です」
狛たちのいる後部スペースに畦井の声が響く、市内の住宅街に入ってから何度か10人ほどで構成された侍の霊団を蹴散らしたが、今のところ生存者には出会っていない。血痕を目にする機会が減って来ているのは、住民達が家に閉じこもっているからだろうか。外出禁止令はかなり早いタイミングで出ていたので、それが功を奏したのかもしれない。
「どう?神奈ちゃん」
「ダメだ。既読もつかないし、通話にも出てくれない……もう、直接家に行くしかないか」
目的地の付近に車を停めて、神奈は改めて連絡を試みた。しかし、剣道部の部長である
「待って、私も一緒に行く。猫田さんはここで弧乃木さん達と車を守ってて。アスラ、行くよ」
市内を隔てる結界は越えたので猫田は人の姿に変化しているが、見知らぬ男性を連れていくよりも狛と神奈の二人で一緒に行く方が安心するだろう。何より、周防やその家族を連れて逃げる為にはこの装甲車が必要不可欠である。車の守りの方に人員を多く割いた方がいいはずだ。
「解った、気をつけろよ」
猫田もそれは解っているようで、狛の言う通り弧乃木達と一緒に周囲の警戒に気を向けた。そうして、装甲車を周防の家の前につけて後部の大きなドアを開けると、狛と神奈、そしてアスラは素早く飛び出して周防の家の玄関に向かっていった。
「周防部長…!私です、蘿蔔です!いらっしゃいませんか!?」
インターホンを鳴らそうとしたが、反応がない。どうやらこの辺りは停電しているらしい。仕方がないので玄関のドアを叩いて声をかけてみたが、反応がないようだ。やはり、既に家を出てしまったのだろうか?
「いないのか?部長、どこに行ってしまったんだ…」
「神奈ちゃん、待って……アスラどうしたの?」
焦る神奈の隣で、アスラは器用に耳を動かし、何かを聞き取ろうとしているようだった。しばらくして、ワンワンとアスラが吠え始める。
「そっか!ありがと、アスラ。神奈ちゃん、周防先輩はやっぱり家の中にいるよ。息を殺してじっとしているみたい」
「解るのか?…いや、ならどうして出て来ないんだ?」
狛は動物の考えている事が解るので、アスラが気付いた事もしっかりと理解する事が出来ている。その理由がどうしてなのか、狛が説明する前にそれはやってきた。
――おーい!おーい!誰かいないか?おーい!おーい!開けてくれ!
二つ離れた家の方から、人の声がする。強く玄関のドアを叩いて呼びかけているようだが、その声はどこか奇妙だ。こんな状況だというのに逼迫した感情も感じられず、合成音声のように発音がおかしい。異様な気配を漂わせたその声は、僅かに時間を空けて、今度はすぐ隣の家の玄関から聞こえてくるようになった。
「ウゥゥゥ…!」
その声の方を向いて、アスラが低く唸っている。ここまで来れば、神奈にも、その声が発する妖気に気付いたようだ。隣家の住人も扉を開けないと解ると、それは遂に周防の家にやってきた。
――なぁんだ…いるじゃないかぁぁぁぁ!ここにぃぃぃぃっ!
ずるりと塀を乗り越え、悍ましい姿の死体が狛達の前に現れた。これはここに来るまでに見た侍の霊ではない。本物の人間だ。彼らに殺された哀れな犠牲者が、家々を巡っていたのだ。血に塗れ、首が折れた男性の死体が動いていた。
「こ、こいつは!?」
「これが呼びかけて回っているから、周防先輩は不安で出てこれなかったんだよ…!」
――フフフフウフフ、一緒に行こぉぉぉ!
這いずっていた男の死体が突然立ち上がり、狛達に襲い掛かってきた。両手を上げて抱き締めようとするかのような動きだ。
「アスラ!」
「ガァウッ!!」
狛の呼びかけに、瞬時の反応をみせてアスラが男の足に噛みつき、その動きを止めた。アスラはこう見えて、しっかりと訓練を受けた退魔犬と言うべき存在だ。これまではハル爺やナツ婆と組んで任務に当たっていたが、狛とでもその力を十分に発揮できる。その爪と牙には練り上げた霊力が込められていて、妖怪や怪異にはこの上ない武器となる。
――ギャアアッ!?こ、この犬ぅ!!
「えぇいっ!!」
悲鳴を上げる男の死体がアスラに注意を向けた隙を突いて、狛はその胴に渾身の蹴りを放つ。直撃と同時にアスラは男の足から離れた為、男の死体だけが吹き飛び、塀をぶち破って隣家の庭へと消えていった。今や人狼化せずとも、狛の怪力は軽く人のそれを超えている。神奈は目を丸くして、その光景に驚いていた。
「やったね、アスラ!」
「狛…すごいな、本当に」
連携が上手く行って、ハイタッチをする狛とアスラを前に驚愕する神奈だが、実のところ、鬼の血を目覚めさせればこの程度は神奈にも十分可能である。むしろ単純な力で言えば、狛が人狼化しても、神奈の方が上であるかもしれない。鬼というものはそれだけ規格外のパワーを持っているのだ。
だがその時、無情にも猫田の叫びが周囲に響く。
「お前ら!戻れ!デカい集団がこっちに向かって来やがる!ここで戦う訳にはいかねぇ、一旦離れるぞ!」
猫田の声をかき消すように、ざっざっと近づいてくる集団の足音が、狛達の耳にも聞こえた。狛と神奈は止むを得ず、万全の態勢で敵を迎え撃つ為に周防の家から撤退するのだった。