猫田はそれを誰よりもよく解っているので、この状況になるまで力を温存していたようなものだ。弧乃木達が使ってみせた自衛隊の新装備が、想像以上に強力だったということも、もちろんあるのだが。
炎が作り出す回廊を駆け抜けるように、一列になって狛と神奈とアスラが走る。既に狛は
「狛!私は何をすればいい?私には、儀式を行うような知識はないんだ!」
走りながら、神奈が問うた。魂炎玉はこの世ならざる炎である為に、ほとんど煙を出さずに燃える。従ってその合間を駆けていても、煙を吸い込む心配はないが、多少の熱は感じるし、目の前に火の粉がちらつけば顔を背けたくもなる。それは本能的な反射なので仕方がない。だが、狛は違った。
火勢の強い先頭を走りながら、炎を一切気にしないどころか、時に猛然と炎の中へ飛び込むのだ。ほとんど自殺行為にすら見えるその動きは、後に続く神奈とアスラを守る為であると神奈は気付けもしなかった。
「もしも塚が壊れたりして御霊が荒ぶっているなら、私が祀り直すから、神奈ちゃんはその間、敵が近づかないように戦って欲しいの!アスラも一緒に戦ってくれるから心配いらないよ!でももしそうじゃなかったら……」
その時、炎に巻かれた死体が、狛の進路上に立ち塞がった。神奈が危ないと叫ぶ前に、狛はそれに体当たりをして炎の中へと押し込んでいた。
「…私も一緒に戦うから!へへ、やることは結局一緒かも」
神奈にウィンクをする狛の表情は明るい。狛の性格から言って、それは不自然なほどの明るさであるが、不思議と神奈は心が軽くなった気がした。例えそれが強がりだとしても、狛には神奈を気遣ってくれているのだ。それが解るから、神奈の心から負担がわずかでも消えたのだろう。
「解った…頑張るよ!」
そして、そのまま二人と一匹は怪しい光を光を放つ林の中へと飛び込んでいった。
「これは……!?」
そこにいたのは、6体の首の無い鎧武者達である。狛達を待ち構えていたのか、あれほどたくさんいた侍の霊団や死体達は、ここにはいない。彼らは一人一人が禍々しい妖気に近い霊気を放っており、首から上がないというのに強い殺意と敵意を狛達に向けているのがハッキリと感じ取れた。
「塚に異常はないみたい……それにこの気配、やっぱり」
狛はそこで自分の見立てが外れた事を悟ったが、同時に、間違っていると思っていた予感が的中していた事に気付いたようだ。6体の亡霊武者達を目の当たりにして初めて解ったが、彼らの身体には、あの妖怪を狂わせる石が漂わせていた黒い靄が薄っすらとかかっている。
一体だけなら気付かなかっただろう。事実、先程弧乃木が打ち倒した騎馬武者からは感じられなかったほど微弱なものだ。こうして6体まとまっているからこそ辛うじてわかる、そんな程度である。
「静かに眠っていた霊達まで起こして、こんな騒動を……許せない!」
これまで、鎌鼬や鴉天狗達の時は犠牲者こそ出なかったが、今回は多くの人々が命を落としている。それだけでも許せないことだが、死者の眠りを妨げて悪事に走らせたことも、狛の怒りを増幅させる一因であった。冥界に行かず、現世で眠る魂達の事情は様々だが、彼らの多くは輪廻の輪に戻れないほどの怒りや憎しみ、或いは悲しみを持つ者達だ。そんな彼らが静かに眠っているのは、いずれ時を経て再び輪廻に戻る日を待ち望んでの事である。
それを妨害し、更なる罪に走らせることは、何よりも魂そのものを汚す行為に他ならない。そんな事をする権利は誰にもない、それは許されざる所業だと狛は思う。だからこそ、狛の心は怒りに震えていた。
「イツ!」
肩に乗っていたイツはすぐさま反応して、狛と一つになった。人狼化した狛はその勢いのまま突撃する。
「ウオオッ!」
「そんなの、見えてるっ!」
飛び込んだ狛の左前にいた最初の武者が雄叫びと共に刀を振り下ろすと、狛はすらりと身体を半身だけずらして避けてみせた。そのまま立て続けに今度は右側から刀が襲ってくる。狛はそれが振り抜かれるより早くその場で回転して、その二体を強烈な尾の一撃で弾き飛ばした。
「オオオッ!」
そこへ間髪入れずに二体の武者が同時に狛に斬りかかる。狛がそれをジャンプして避けると、狙い澄ましたかのように、空中の狛に向かって二本の槍が伸びてきた。
「狛、あぶな…っ!」
あまりに矢継ぎ早な展開に呆然としていた神奈が叫ぼうとしたが、狛は少しも慌てることなく、その穂先を
「すごい…あれが、本気で戦っている時の狛なのか…」
神奈は、狛が全力で戦う姿を見るのは初めてである。紫鏡戦で狛がその力を取り戻した時には、神奈は顕明連を使った反動で倒れ込んでいたし、狛の地獄行には帯同していない。狛の本気を見る機会は今までなかったのだ。
その光景に心を奪われている神奈とは対照的に、狛は違和感を覚えていた。敵の中に、飛び道具を使うものがいない。先程の装甲車を攻撃したのは、明らかに何かしらの射撃によるものだった。分厚いタイヤを撃ち抜くほどの威力からみて、少なくとも鉄砲のようなものを扱う侍がいると想定していたが、ここにいる鎧武者の霊はどれも、刀か槍しか持っていないのだ。ここにはまだ
「うあっ!」
「なにっ!?こ、狛…!」
神奈とアスラは慌てて狛の元へ駆け出そうとするが、その前にはいまだ健在な四体の鎧武者が立ち塞がっている。行く手を阻まれた神奈の視線のその先には、いつの間にか女が一人立っていた。紫煙を燻らせ、倒れた狛の傍らで立つその姿を目の当たりにして、神奈は言葉を失っていた。
「
「う、嘘だ…どうしてお前が…?」
「あら?カンナも久し振りね、元気そうじゃない。悪いけど、私の遊び相手は狛が先よ。あなたはそこでチャンバラゴッコをしてるといいわ」
かつてのクラスメイトであり、友人だと思っていたレディの登場に、神奈はただただ絶句することしか出来ずにいた。
その頃、猫田は横転してしまった装甲車を守って戦う真っ最中であった。敵の強さは大した事がないとはいえ、その数は厄介だ。鴉天狗達と戦った時といい、どうも最近は多勢に無勢で戦う羽目になる事が多い。強敵と戦うことが目的ではないが、雑魚を薙ぎ払ってばかりというのも、あまり面白いものではない。
「まだいるのかよ、しっつけぇな!この…!」
引っ切り無しに襲い来る亡霊と死体達だが、猫田の烈火の如き猛攻により、次第にその数を減らし始めていた。それでもまだ、かなりの数が残っているのだが、猫田は悪態を吐きながら、迫る敵を排して、装甲車の上に立った。
「あと半分は切ったか?ったく、面倒クセェったらねーぜ。…はっ!?」
キュンッという甲高い音がして、何かが猫田を狙って放たれた。咄嗟に体を捻って頭への直撃は避けたが、左前脚の肩には抉り込むようにして何かが突き刺さっている。これが装甲車のタイヤを撃ち抜いた攻撃だ。
「ぐぅッ!」
「ほう、大した反射神経だな。やんちゃな猫かと思ったが、ただのケモノとは一味違うか」
「野郎…っ!誰だ!?」
群れを成す亡霊と死体達の陰から、一人の男が姿を見せる。それはレディと行動を共にしていたあの男であった。男は薄笑いを浮かべ、猫田を見上げて言った。
「妖怪相手とはいえ、誰かと問われれば名乗る他あるまい。俺の名は