目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第185話 一つ目の決着

 最後に残った首無し武者は、明らかに、他の亡霊達とは違う気配を纏っていた。


 怒りや憎しみ、恨みつらみ…そう言った負の感情が、はっきりと目に見えるほど濃いのだ。それが何を意味するのかは、退魔士ではない神奈には解らない。ただ、神奈の隣で歯を剥いて唸りを上げるアスラの表情が、良くないものだと雄弁に物語っているようであった。


「何か解らないが、コイツは他の奴とは違う。まるで…そう、名のある武将のような、そんな雰囲気だ」


 神奈の頬に一筋の汗が伝った。そう、神奈の感じたものは概ね当たっている。彼女が相対している最後の首無し武者こそ、この一連の騒動を引き起こした直接のきっかけである。彼はかつて、この地で起きた合戦において主君から捨て駒にされた悲運の武将で、その名を織戸金重盛おとがねしげもりという。


 この地で起きた合戦は、関東に存在した戦国期の猛将同士が雌雄を決する、重要な戦いの一つであったと言われている。しかし、歴史に伝えられている史実と事実は、多少異なる。その名のある猛将達は、初めから命懸けの決戦をするつもりはなかったらしい。彼らは戦国期に一際大きな名を遺す大六天魔王、織田信長をけん制する為に八百長紛いの勝負をした。つまり、この合戦は最初から、仕組まれた見せかけの勝負だったのだ。


 そうとは知らない織戸金は、主君から撤退する敵軍の掃討を命じられた。この地に陣を構え、落ち延びようとする敵方を仕留めよと頼まれたのである。織戸金が聞いた作戦は、撤退する敵の前に待ち構えた織戸金の部隊と、主君率いる追討部隊が敵を挟み撃ちにして討ち取るというものであった。


 そして、予定通り陣を構え、織戸金の部隊は撤退してくる敵の主力を待った。与えられた兵力は敵主力の半分ほどだったが、事前の情報で敵の主力は半数以下まで落ち込んでいるという、その上で主君の本軍が追討に出れば、確実に負けは無い。長く主君に忠してきた織戸金は、何も疑うことなく戦いに臨んだ。

 しかし、実際に蓋を開けてみれば、敵方の主力は誰一人欠けることない万全の状態であった。これには織戸金も大いに動揺したが、まさか主君が自分を捨て駒にするなど思いもよらない彼は、部下達を鼓舞し、懸命に戦って主君の追撃を待っていた。


 だが、どれだけ待っても、主君は追撃に出て来なかった。織戸金は最後まで自身に付き従った6人の忠臣と共に囚われ、処刑されることとなる。その間際、彼は敵将の言葉により真実を知った。この合戦が、初めから仕組まれたものであったことを。

 撤退してくる敵の主力がほぼ無傷だったのも、自分達が敵方の戦功の為に供された生贄であった事も、全てである。

 実際、後の歴史には、この合戦が双方の勇猛さを称える戦いであったと記録されている。そうする事で、信長に自分達の力を見せつけようとしたわけだ。


 織戸金は首を刎ねられる直前まで、自分達を裏切った主君への怨みと憎しみの言葉を吐き、死んでいった。その怨念は数百年経った今も健在であり、槐達はそうとは知らず、妖怪達を狂わせるという石…狂華種によって力を与えてしまったのである。


 神奈とアスラの前に立つ、最後の首無し武者…織戸金は、狂華種で強化されたその怨みによって、この地に眠るかつての同胞達の魂を呼び起こし従える力を得ていた。彼を打ち倒さない限り、再び亡霊達は蘇り、また人々を襲うだろう。その力は、死霊術師ネクロマンサーであるレディの力とよく似ている。それは偶然だったのか、或いは必然だったのか、誰にも解らないことであるが。


(落ち着け…冷静に感じ取るんだ。剣の腕で言えば、私は本物の侍に比べれば大したものじゃない。全てを懸けなくては勝てない…!)


 神奈は剣道を好んではいるが、剣道家としての資格や実績を積んでいるわけではない。所詮はまだ学生の、一剣道部員に過ぎない身だ。亡霊に身をやつしたとはいえ、戦国期の侍を相手に誇れるような腕前は、まだない。だからこそ冷静に、その上で全力で挑まねば勝てない相手だ。そう感じていた。


 だからだろうか、無意識のうちに、神奈は正眼の構えを取っていた。隣で唸るアスラのように、織戸金の常軌を逸した怨念に対し、強い心で立ち向かうのではなく、負の想念を受け流すように静かな凪の心で相対している。

 織戸金を一介の、格上の侍と認めた上でとったその構えは、怨念に満ちた亡霊でしかなかった織戸金にほんの少しだけ、侍としての矜持を思い起こさせるものであった。どんなに恨みつらみに飲み込まれようとも、彼は一人の武士ぶしであり、誇り高き武士もののふであったということだろう。

 渦巻く怨念の塊は鳴りを潜め、新たな亡霊を蘇らせることもなく、辺りは神奈と織戸金を中心に世界が閉じたかのように静まり返った。アスラはそれを察したのか、唸るのを止めて勝負を静かに見守っている。


 対する織戸金は刀を立てて顔の右側に寄せ、左足を一歩前に出して立つ、所謂八相の構えを取っている。薩摩は示現流の蜻蛉の構えに似ているが、別物だ。ただし、織戸金はその示現流のわざのように一撃で神奈を打ち倒すことを狙っていた。何故なら、先程までの攻防から、神奈の一撃は確実に彼を葬るだけの威力があるからだ。神奈の持つ鬼の剛力と霊力が合わされば、受けに回って防ぎきる事は不可能である。事実、攻撃を仕掛けた首無し武者の二人は、刀もろ共に胴体を両断されていた。時代は違うが七ツ胴ななつどうも真っ青な切れ味である。


 織戸金が生前の、生身の身体を持っていたなら、神奈と同じように冷たい汗を流していただろう。そして、睨み合った二人は互いの隙を窺っている。

 つつ…と、神奈の頬を伝った汗が顎から一滴、滴り落ちた。そのまさに刹那の瞬間、織戸金は上段から刀を振り下ろし、神奈は素早く踏み込んで横薙ぎに胴を払った。


 ……ポタリ。普通なら聞こえるはずのない小さな音が、集中しきった神奈の耳に届く。それは、滴った汗が地面に落ちた音だ。その汗が地面に染み込むよりも速く、織戸金の身体は真っ二つに両断されていた。


――御見事。


「…っ!?」


 首の無い武者は喋る事など出来ないはずだ。だが、神奈の耳に届いたそれは、間違いなく織戸金の声である。彼はその魂の身体を両断され、消えゆく瞬間に、生前の姿を取り戻していた。侍として納得の行く最期を迎えられた事で、怨みは消え去ったのだ。しかし、己を取り戻しても、彼の魂は消滅する他ない。咄嗟に振り向いた神奈に向けて、織戸金は満ち足りた笑顔を見せ、消えていった。


「あら?やるじゃない、カンナ。けど、ここで邪魔されるのも困るのよね。もうちょっとだけ、そこで死体と遊んでなさい」


 それを横目で見ていたレディが呟くと、神奈とアスラの前に、大量の死体の群れが現れた。織戸金が蘇らせた亡霊の侍達とは違う、ゾンビのような死体達だ。彼らは地の底から響くような低い唸り声を上げて、我先にと神奈に向かって遮二無二突っ込んでくる。


「な、なんだ!?」


 神奈とアスラは、突如現れた襲い来る死体達を迎え撃つ事に注力する羽目に陥った。これでまだしばらくは、狛に加勢は無い。レディはほくそ笑んで、改めて狛を見据えていた。


「フフフ、さぁ、どうしたの?狛。早くしないと、カンナが危ないんじゃない?」


 ここに至っても更に、言葉で狛を揺さぶる事を忘れない。狛は何よりも友人や家族を優先する人間だ、それは今までの付き合いで身に染みて解っている。こう言えば、狛は間違いなく焦り、動き出すだろう。それは大きな隙を生むはずだ。

 レディは狛に勝つ為に、どんな手段でも使うと決めていた。死体を弄り、新しい死体を作り出すなど、これまでのレディからはあり得ない戦術である。彼女は死霊術師ネクロマンサーであって、フランケンシュタイン博士ではないのだから。


「行くよ…っ!」


 レディの目論見通り、狛はここで遂に動き出す。レディは勝利を確信し、怪しげな笑みを浮かべるのであった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?