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第186話 満月の人狼

(affectedかかった…!やっぱりあなたは甘いのよ、狛!)


 レディは胸の中で狛を嘲った。どんなに策を弄したとしても、レディには狛を確実に倒せる保証はない。それは本質的に、狛の持つ力がレディに打ち克つものだからだ。


 狛がその身に宿す人狼の力は、狼という強靭な野生動物の生命力そのものを人が取り込んだ結果である。人狼族は種として、精気に溢れ、不死に匹敵する強い生命力を武器に生きてきた者達だ。それ故に、遠く海を渡った海外では不死族の頂点たる吸血鬼達と、血で血を洗う戦いを続けてきた。同じように不死身の怪物としての伝説を持っていても、根本的にその在り様が違うのだ。


 吸血鬼とは死を自らの常識として取り込んだ、不死の王ノーライフキング達だ。彼らは元よりからこそ、を乗り越える事が出来た。対して、人狼族は違う。彼らは圧倒的な生命力を基にして、からこそのなのである。


 レディの死霊術師ネクロマンサーとしての力は、そのどちらかといえば、吸血鬼の持つ属性に近い。死者という、既に死を内包した存在を操る事で力を得るのが死霊術師ネクロマンサーという存在だ。死というを受け入れ、自らの力にする吸血鬼は、彼らの同類のようなものである。相克という言葉が示すように、強い生命力を力の起源として、死をただのではなく本当の意味でのへと塗り替えてしまう人狼は、吸血鬼や死霊術師ネクロマンサーの天敵というわけだ。


 だからこそ、レディは考えた。考えに考え続け、悩みに悩んだ。狛に勝つ為には何が必要なのかと。そうして見つけた狛の弱点こそが、その甘さだ。


 これまでの戦いで、狛が追い詰められた時は、そのほとんどが甘さによるものだった。偽物の母を攻撃出来なかった事や、ヒリヨミの攻撃から黒萩こはぎや猫田を守ろうとした時…まら無間地獄で超巨大な緑鬼に襲われた時はヤマの化身であるイマを守ろうとしての事だったし、鴉天狗の頭領たる白眉に追い詰められた時は、幼い人狼の子を庇って大きなダメージを受けた事もある。


 その全てをレディが知っているわけではないが、メイリーを助けに自ら地獄へ向かうなど、己を省みずに仲間や家族を助けようとする甘さが狛を追い詰めてきたことを、レディは何度も見てきた。その甘さこそが、狛の弱点というわけだ。


 群れに生き、仲間との絆や連携を武器とする狼らしい弱点だが、レディが狛に勝つにはその弱点を突かねば最後の一押しにならないと、彼女は結論付けたのだ。


「仲間のピンチには、必ず助けに入る…。それがあなた…でもね」


 Rieseリーゼに向けて突撃する狛の速さは、今日これまでで一番早い。とても目で追う事など到底できないスピードである。だが、レディはそれを挑発して敢えて引き出した。その速さこそが、狛を打ち破る最大の隙だからだ。


「でやあぁぁぁぁっ!!」


 傘から発せられる高出力の霊気の刃…それは攻撃の瞬間に更に勢いを増していた。まともに受ければ、例え1000人だろうが一万人だろうが貫くだろう。しかし。


 バチィッ!という激しい衝撃への反発音が響く。どんなに速くとも、それを見越して結界を発動させていたレディは、Rieseリーゼへの狛の一撃を完璧に防ぎきった。その瞬間こそがレディの狙いである。


(目で追う事など出来ないほどの強烈なスピードは、確かに恐ろしい。でも、そのスピードに、のかしら?)


「っ!?」


「今よッ!Rieseリーゼ!」


 狛は自分の全力の一撃が弾かれるとは、想定していなかったようだ。自分の動きがあまりにも早いが故に、動き出しから攻撃までの間隔も当然短い。それは、想定外の出来事へ対応する時間も短いという事だ。

 狛がこれまでに見せた動きから、そこまでを全て想定していたレディは、自身の作戦が完璧すぎるほどハマったことに歓喜した。それを見越していたのだから、狛への反撃までも想定している。既にRieseリーゼが持つ巨大な槌は、狛の顔面を捉えていた。


 大きく鈍い、骨を砕く音がする。狛の頭か、首の骨が折れ砕けたのは間違いない。普通の人間ならば、即死しているだろう。


I did itやったわ!」


 凄まじい勢いで吹き飛ばされた狛の身体は、あちこちを地面にこすりつけ無惨過ぎる姿を晒していた。ゾンビのように群がる死体を蹴散らしていたアスラと神奈も、余りの光景に一瞬、その手が止まる。


「フ、フフフ…アーッハッハッハ!やっと、やっとよ!ようやく手に入れたわ!勝利を!狛自身を!」


 レディは喜びを爆発させて、自分の身体を抱き締めた。歓喜の震えが止まらないなど、生まれて初めてのことだ。今までの神奈は、殺しに特別な感情を抱いた事がほとんど無い。大半は仕事であったので、強い怒りや憎しみで人を殺す必要などなかったのだ。

 だが、狛だけは違う。レディにとって、狛だけは、トロフィーのようになんとしても欲しい存在であった。己の全てを懸けてこの手に掴むだけの価値が、狛にはあった。


「さぁ、これで私達は永遠に一緒だわ。狛、死が二人を一つに繋げてくれるのよ…立ちなさい。立ってこっちへ来て」


 レディが呟くと、狛はゆっくりとややぎこちない動きで立ち上がった。俯く顔は、夜の闇に紛れてよく見る事が出来ない。


「こ、狛……?」


 目の前で起きている事が信じられないと、神奈は呆然としつつ狛に呼びかけた。レディは神奈達に見せつけるように、敢えて死体達の動きを止めている。狛は、一歩ずつレディに近づいていく。


 やがて、薄く空にかかっていた雲が流れ、その隙間から、ゆっくりと満月が顔を覘かせた。青白い月明かりが狛とレディを照らすと、暗くて見えなかった狛の表情が、はっきりと浮かび上がった。


「え?」


「レディちゃん、ごめんね…っ!」


 狛はニッコリと笑って、レディの鳩尾みぞおちに強烈な当身を入れた。完全に無防備だったレディは、成す術もなくその一撃を喰らってガックリと膝から崩れ落ちた。


「か…はっ…!?」


 死霊術師ネクロマンサーである以前に、暗殺者でもあるレディは、常に急所を守るボディアーマーを服の下に着込んでいる。それでも、今の狛のパワーで殴りつけられれば、それは役に立たないほどの威力だ。レディは意識こそ失わなかったが、呼吸もままならず、何が起きたのかとただただパニックになっていた。

 それでも、狛が敵対したままだという事は理解している。レディはRieseリーゼに視線を送り、狛への追撃を命じていた。


「もう解ってるよ。結界を張ってたんだね。…身体の中から」


 向かってきたRieseリーゼを見据え、狛は九十九つづらの帯と袖を伸ばして拘束すると、持っていた大きな槌を奪い取りそれで思いきり殴りつけた。Rieseリーゼに張られていた結界は、狛の霊力にのみ反応する特殊なものである。狛の打撃や霊気の刃は防げても、それ以外の物は防ぐことができない。その条件があるからこそ、狛に対しては完璧な防御能力を発揮できるのだ。

 Rieseリーゼは自らの武器で、頭から胸にかけてまでを完全に潰され、その動きを停止した。狛が拘束を解けば、重力に従って後ろへ倒れていく。もはや、二度と立ち上がることはできないだろう。


「狛…い、一体…」


 それを見ていた神奈は、何が起きたのか全く解らず唖然とするばかりであった。狛の骨が折れる音は神奈の耳にも確かに聞こえたのだ、あれで無事でいられるとは思えない。だが、狛はでそこに立っていた。よく見ると、顔や手の擦り傷が、信じられないスピードで修復されていっている。それこそが、狛が生存している理由である。


 伝説に謳われる人狼は、限りなく不死身に近い怪物である。人よりも遥かに強靭な肉体を持ち、満月の夜には狼へと変身し、その牙に噛まれたものは同じように人狼となる伝染性を持っている等…そんな数ある逸話の中でも最も恐ろしいのは、という点だ。


 かつて、狛は新月に力を失くし、急激に弱体化した事があったが満月はその逆である。初めて猫田に出会い、狗神走狗の術で人狼化したあの夜も満月であった。月が満ちる時、それは人狼が最大の力を発揮する刻なのだ。つまり、満月の人狼は不死身なのである。

 歴史上、人狼族が不死の吸血鬼達と互角以上に渡りあえたのも、それが理由であった。


「ば、バカ…な……っ!」


「一瞬、もうダメかと思ったけどね。イツが大丈夫だって教えてくれたんだ。……ねぇ、レディちゃん、もう止めよう?きっと私達、普通の友達になれるはずだよ、ね?」


「……っ…!」


 呼吸がままならないレディは、返事をすることを諦め、狛の瞳を睨み返した。こんな事では終わらない、終わりにはしない。そう訴えているようだ。狛が根気強く説得を続けようとしたその時、近くの木に大きな稲妻が落ちた。


「きゃっ!?」


 狛が驚いて視線をそちらへ向けた瞬間、高速で走る黒い影が現れてレディを口に咥えると、あっという間に逃げ去ってしまった。あれは正月に犬神家を破壊した、雷獣に違いない。


「あ!?ま、待って!レディちゃん!!」


 狛がそれに気付いた時には、既に雷獣の姿は遠く離れた空に移動していた。その頃には、レディが出した死体達も綺麗さっぱり消え去っており、戦いは唐突な形で幕を下ろしたのだった。

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