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第187話 煮え切らぬ結末

 雷獣がレディを咥えて逃げた、ちょうどその頃。猫田と戦っていた八雲は、突然の落雷に驚き、事態を察していた。


「あの稲妻は……雷獣か?まさか、レディの奴が…」


 雷獣はえんじゅの側近…というよりも、槐を守る親衛隊としての役割を持たされた妖怪である。槐が常に傍に置く二体の女妖怪も同じだが、彼女らとは別に、特別な命を受けて行動する事が多いようだ。もし雷獣がここに来ているのだとしたら、八雲とレディには槐からの監視が着いていたということになるだろう。

 とはいえ、別にそれ自体に不満や文句はない。八雲やレディは、槐の思想に心酔し傾倒して彼についているわけではないのだ。レディは雇われた人間だし、八雲は自分のを達成する為に、槐の傍にいた方が都合が良いから彼に手を貸しているだけだ。むしろ、裏切りを心配されても仕方がないとも言える。


 八雲達がいる場所から、あの塚があった場所の間には林があって、視線はそこまで通らない。距離にすれば300メートルほどしか離れていないのだが、戦いの様子までは窺い知ることが出来ないようだ。


 八雲はレディ達が戦っているであろう方を向いて考えを巡らす。加勢に行くべきか否か、それが問題だ。


「あのガキ共、特に変な着物を着崩した方とは因縁があると言っていたな。いくら手出し無用と言われても見捨てるわけにもいかないが…やれやれ」


 八雲はレディと別れて戦う前に、絶対に手出し無用ときつく念を押されていた。別段それに従う必要もなかったのだが、勝手な手出しをして恨まれるのも敵わないので、了承して猫田の相手をすることにしただけである。


「こちらの仕事は終わったし、様子を見に行くべきか?しかし、雷獣が来ているのなら、加勢の必要などないか」


 雷獣は、槐が従える妖怪達の中でも、トップクラスの戦闘能力を持つ妖怪だ。どういう経緯で手懐けたのかは知らないが、非常に槐に懐いていて、槐を傷つけるものには容赦しないと言うような過激さを持っている。もし、雷獣とまともに戦えば、八雲は恐らく手も足も出せずに敗北するだろう。そんな存在がレディを助けに入ったのなら、自分が救援に行くのは藪蛇になるかもしれない。


 八雲がそう呟いて完全に警戒を解いたその時、彼の背後、未だ燃え続ける炎の中から何かが飛び出してきた。


「なにっ!?」


「オオオオオオッ!!」


 大きな影は、身も凍る唸りを上げて八雲に襲いかかった。八雲は振り向く間もなくその背に鋭い爪を立てられ、吹き飛ばされた。


「ぐぅっ!?バカな、貴様!」


「……へっ!不意打ちのお返しだ、散々好き放題やってくれたからな」


 その影の正体は、やはり猫田であった。身体中のあちこちに抉られたような穴が開き、かなりの出血をしているようだ。しかし、眉間に受けたはずの傷だけは影も形もない。八雲は体勢を立て直して立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。それは当然だろう、猫田の爪によりザックリと深く抉られた背中の傷は、致命傷寸前の重傷であったのだから。


「俺は確かに貴様の眉間を撃ち抜いたはず…!何故、無事でいられる…!?」


「炎で身体を隠した後、氷で作った俺の像を置いといたのさ。お前が撃ち抜いたのは偽物の俺だ。一か八かの賭けだったが、うまく行ったぜ。…本物の俺と氷の区別がついてねー所を見ると、テメーの弱点はその眼か」


 猫田の指摘に、八雲は苦笑で答えた。鷲崎八雲という男は、生まれつき普通の人間よりも視力が弱かった。その分と言っていいのかは不明だが、普通の人の目には見えないものを見て、感じる事が出来た少年であったようだ。

 猫田の素早い動きを目で追わずに攻撃していたのも、それが理由である。彼は視力に頼らず、対象の妖気や霊気を感知して、それを狙って攻撃しているのだ。目で狙いをつける必要がない分速射性に優れているが、猫田のいる方向だけを感知していたせいで、炎で隠れた本物の猫田と氷で出来た偽物が解らなかったのである。


「妖怪がそんな賭けに出るのか、しかも俺の眼に気付かれるとはな……貴様、ただの妖怪ではないようだ」


「生憎と、長く生きてるもんでな。そこらの妖怪ヤツよりゃ、肝が据わってるのさ」


 策を弄する妖怪はそれなりにいるが、自分の命を賭けに使うような妖怪はそういないものだ。妖怪達の大半は、野生の動物のように本能で生きている。自分の身が危なければ逃げる事を優先するし、命懸けで勝負にこだわるような事もほとんどない。怨みや憎しみで成り立つような存在でない限りは、だが。


「大したものだ…しかし、何故俺を殺さない?そう甘い妖怪には見えんが」


「よく解ってるじゃねーか。殺すつもりならとっくにその喉笛を噛み千切ってるさ…ちょいと聞きたい事があってな」


「何…?」


 猫田の縦長の瞳孔が怪しく光る。深手を負っている八雲には、その威圧だけでも大きな負担だ。それでも、祓い屋としての意地なのか、その睨みに、真っ向から視線を返している。


「……鷲崎八郎は、お前の親族か?」


「八郎……?ああ、聞いた事があるな。剣の達人だったらしいが、何かの拍子に利き腕を無くしたとか…それがどうした」


「…そうか、やっぱりな」


 八雲の答えを聞き、猫田は悲し気に目を伏せた。八郎というのは、かつてのささえの隊士だった男である。猫田はこれまで、何人もの仲間の子孫達に出会ってきたが、彼らと敵対する事になるのは初めてであった。その名を聞いた時からまさかと思っていて、戦う事に僅かな躊躇いがあったのだ。


 仲間達の子孫は、その血を引く者達であるとはいえ、かつての仲間とは別人である。皆が皆善人というわけではないだろうし、時として、敵対するような事もあるだろう。事実、宗吾の子孫である槐とは完全に敵対しているのだ。いつかはこんな日が来るかもしれないと、猫田の頭の片隅にそんな意識があった。


 正直な所、八雲を殺す事には若干の抵抗がある。だが、この男のやった事で、この町で多くの人間が犠牲になったのも事実だ。やはり見過ごすわけにはいかない。猫田は覚悟を決めて、八雲に鋭い眼光を向けた。


「…よく解ったぜ。やはりテメーをここで野放しにするわけにはいかねぇ、覚悟しな」


「よく解らんヤツだ…だが、殺すならもっと早くやっておくべきだったな」


「なんだと?」


 次の瞬間、猫田の身体に何本もの黒い蛇が絡みついていた。蛇はどれも異常に太く大きな体格をしており、猫田の身体中に雁字搦めになって巻き付いてやがてそれは堅く重い鎖に変化していった。


「な、なんだ!?くっ、外れねぇ!」


「……まさかアンタが迎えに来るとはな。黒萩こはぎさんよ」


「槐様の命令ですから仕方ありません。それと、レディは既に脱出していますから心配は無用です。速やかにこの場を離れますよ、猫田かれを長時間抑えておける術ではありませんので」


 月明かりの下、影から突然現れたのは黒萩こはぎである。雷獣と同じタイミングで八雲を救出しにきたようだが、今の今まで呪縛によって猫田を封じる隙を狙っていたらしい。鎖を引き千切ろうと藻掻く猫田を一瞥いちべつすると、八雲に肩を貸して静かに何かを唱えていた。


「ぐぅ!この野郎、待ちやがれっ!」


「ハハハ!いずれまた会おう、猫又。今度は俺も本気でやらせてもらう」


 そう言い残して、黒萩こはぎと八雲は闇の中へ溶けるようにその姿を消していった。それとほぼ同時に、猫田は拘束から逃れたが、既に二人は消えていた。猫田は吐き捨てるように呟き、夜空を仰いだ。


「ちっ…!狛の事は笑えねーや、とんだ俺も甘ちゃんだ。もっと早く覚悟を決めるべきだった。しかし、黒萩こはぎって言ったか、あの女が来やがったってことは……これも槐絡みかよ。厄介な事になりそうだぜ」


 狛と猫田は、ここでようやく、事態の裏に潜む槐の影を突き止めた。槐の目的、その本当の目論見を知るのは、まだ先の話である。

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