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第189話 神奈の決意

 次の日の昼休み。玖歌くっかがいつも通り紙パックのジュースを片手に食堂まで行くと、堆く積まれたパンの山に遭遇した。察しの通り、狛である。


(どこからでも解るのよね、あの子の居場所って)


 玖歌は呆れながらも、それが日常の光景である為にそれ以上は気にしない。スタスタと歩いて近づいてみれば、そこには狛とメイリーが座っているだけで、いつも一緒にいるはずの神奈の姿がどこにも見当たらなかった。そして心なしか、狛も元気が無さそうである。パンを食べるスピードが、いつもより遅いのだ。

 玖歌は席に着くことなく、正直に思ったままを口にしてみた。


「あら、神奈はどうしたの?アンタ達いつも一緒なのに、珍しいじゃない。風邪でも引いた?」


「イヤー、それがね。神奈ってば学校には来てるんだけど、イッショにお昼食べたくないっていうからさ~」


「何よそれ、喧嘩でもしたの?」


「私がちょっと……怒らせちゃったみたいで…」


「ふーん……」


 狛は力ない笑顔を見せながら、モソモソとパンを食べている。よく見れば、パンの山も今日は高さが低いようだ。普段の狛であれば、この程度なら五分とかからず食べきるはずだが、今の食べるペースでは昼休み中に食べきれるかどうかも怪しい。これはかなり異常事態で、重症であることを示している。

 玖歌は少し考えた後、何か思いついたのか一緒の席には着かず、身を翻した。


「あ、ちょっとクッカちゃん…!」


「アタシも今日は別で済ませるわ。……狛の事は頼んだわよ」


 玖歌はそう言い残し、背中越しに手を振って食堂を後にした。高等部の校舎付近は玖歌の縄張りだ、神奈の居場所は、霊気を辿って既に突き止めている。玖歌は足早に、その場所へと向かった。





「はぁ……」


 校舎裏に程近い、人気ひとけの少ない場所で、神奈は弁当を膝の上に広げて溜息を吐いていた。体調が悪いわけではないのだが、どうにも胸が苦しくて食欲が湧かない。原因はよく解っている、狛の事だ。あの一件以来、神奈は狛を避けるようになってしまい、今も仲直り出来ていない。

 狛に対して怒った事は、決して間違っていたとは思っていないが、ああも狛に強く当たる必要は無かったはずだ。やはり、自分がおかしいのだろうか?


 答えの出ない悩みに頭を悩ませ、もう一度溜息を吐く。すると、その時、神奈の背後から声が聞こえてきた。


「なによ、アンタも重症なんじゃない。溜め息なんか吐いて…こんな所で一人寂しくお昼とはね。そういうの、ぼっち飯って言うんだっけ?」


「玖歌…!どうしてここに?」


「食堂に行ったらアンタが居なくて、狛も元気が無かったから、ちょっとね。それに」


「それに?」


「メイリーよ。あの子、アンタ達に何かあったらしいのに話してくれないからって、私に毎晩連絡してくるのよ?いい加減にして頂戴、これが続いたら、夜におちおち出歩けもしないわよ」


「そ、そうだったのか…すまない」


 玖歌はトイレの花子さんである為、基本的に放課後はトイレに籠って過ごしている。だが、それだけでは生活はともかく学生として生きていくのに必要な金は稼げない。それを解決する為に彼女は月の何日か、夜にパパ活を取り締まって稼ぎを上げているのだ。もちろん違法な事はしていない。少女の親や、知り合いの児童相談所の職員などから依頼を受け、危ないやり取りの現場を押さえて、未然に犯罪を防いで報酬を得ているのである。

 そう言った行為をする少女は、よくトイレで危ない募集の書き込みなどをするので、トイレを自らの領域とする玖歌にとっては朝飯前の仕事だったりする。トイレの中で起こっている事なら、彼女に隠し事は出来ないのだ。


 玖歌は黙って神奈の隣に座ると、その横でジュースを一口飲んで様子を窺った。案の定、神奈は弁当に全く手を付けていない。狛同様、神奈も相当思い煩っているようである。玖歌はやれやれと思いながら、話を聴き出す事にした。


「それで?アンタ達、何を揉めてるワケ?メイリーに言えないってことは、妖怪絡みなんでしょ?アタシになら話せるんじゃないの?」


「そ、そうか。そうだな…と言っても、何から話せばいいのか……」


 神奈は基本的に竹を割ったような性格をしているのだが、今日に限ってはとても歯切れが悪い口振りだった。自分の中でも迷いが大きく、戸惑っているせいだろう。玖歌は辛抱強く待ちながら、適度に相槌を打って神奈から事情を聴き出す。その手際はまるで熟練のカウンセラーのようであったと、神奈は後に語っている。


「――というわけなんだ。私も、言い過ぎた、とは思ってるんだが」


「なるほど、そう言う事だったの。狛が、ねぇ…まぁ、あの子らしいっちゃらしいわよね」


「そ、そうか?」


「そうでしょ。でなきゃ、アタシの正体を知った上で友達になろうなんて言い出さないわよ」


「あ……」


 そう言って笑う玖歌の言葉は、神奈の胸に重く響いたようである。以前、狛は玖歌が妖怪であると知った上で、手を差し伸べ友達になろうと言ってくれた。多分にお節介だと感じたことも一度や二度ではなかったが、友人だったミカという少女を失い、人と接する事を畏れていた玖歌が今笑えているのは、きっと狛のお陰である。そういう意味では、狛の明るさに救われたのは玖歌も一緒だ。メイリーも神奈も、同じように狛の明るさに救われた経験がある。少々向こう見ずで危なっかしい所もあるが、それが狛の良い所だと、今なら言えるだろう。


「私が、間違っていたのか…」


「いや、それは誰だって怒るでしょ、当たり前よ。アタシだってその場にいたら文句の一つも言うわ、バカ言うのも程々にしなさい!ってね。……でも、心配なのは、それだけ神奈にとって狛が大事だからでしょう?それは絶対間違いなんかじゃないわ」


「…玖歌、ありがとう。そう、心配なんだ、本当に。狛はどんどん強くなって、妖怪退治とか、私達の知らない経験をたくさん積んでいる。でも、いつか狛は私達の知らない所で無茶をして、二度と帰ってこれない所まで踏み込んでしまうんじゃないかって…メイリーを助けようとして、地獄にまで行ってしまった時は感覚が麻痺していたけど……あの時だってとても危ない状況だったはずだ。それがとても怖いし、心配なんだ」


 そう囁くように心の内を溢す神奈の手は、小刻みに震えていた。レディの操る死体の一撃によって、狛の首の骨が折れる音は今も神奈の耳に残っている。一歩間違えれば親友が死んでいた、そんな状況を目の当たりにしたのは、生まれて初めてだった。神奈にはそれがこんなにも恐ろしいことだとは思ってもみなかったのである。


 そんな神奈の震える手を、玖歌は優しく握ってこう言った。


「神奈、アンタが狛を大事に思ってるのはよく解るわ。でも、あの子は止められないし、きっと止まらないわ。狛って犬っぽい癖に、猪突猛進だしね。…だから、心配ならアンタが助けてあげればいいのよ。アンタには鬼の…戦うだけの力があるでしょ?悪いけど、今じゃ戦いならアタシなんかよりアンタの方がよっぽど強いんだから、さ。狛が危険な場所に行っても戻って来られるように、アンタが狛を守る時が来るかもしれないわよ」


「私が、狛を……守る?そうか、そうだな。私がもっと強くなって、狛を守ればいいんだ。レディからも、他の危険からも…!」


「その調子よ。アンタ、アタシと最初に喧嘩した時にみせた、あの狛へのキモ…ううん、ストレートな感情を思い出しなさい」


「ああ…!」


 玖歌は危うくキモいと言いそうになったが、寸での所で踏み止まった。玖歌からみても、狛の感覚はかなり危うい。群れを大事にする感情が強いと言っても、自分を殺す寸前まで追い詰めてきた相手と手を取り合うのは、普通の人間の感覚からは外れ過ぎている。それが狛の良い所なのかもしれないが、そんな事を続けていては遅かれ早かれ、人の社会の中では生きられなくなりそうだ。そんな時、理解して彼女の傍に寄り添い。時に窘めてやる存在は必要だろう。

 人に近い怪異である玖歌はそんな感覚がどの妖怪よりも優れている。だからこそのアドバイスであった。


(それにしても、レディか……アイツは間違いなく、普通の人間の中では生きられないわ。どっち道、友達なんて無理があると思うけど…)


 そんな事を考えていると、ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。神奈は急いで弁当を仕舞うと、それを玖歌に手渡して、晴れ晴れとした顔で立ち上がった。


「ちょっと、これ…」


「あげる!ありがとう、玖歌。少し気分が晴れたよ。じゃあ、先に教室へ戻るから!」


「あげる…って、いや、私もこれから授業だし、食べる時間なんか無いし……」


「また放課後になー!」


「はっや。でもこれ、どうしよ。……仕方ない、晩御飯にするか。はぁ、トイレでお弁当食べるの、嫌なんだけどな…」


 あっという間に走って行く神奈の背を眺めつつ、玖歌は弁当を片手に立ち尽くしている。次の授業をサボって食べれば良かったと気付いたのは、その夜のトイレの中であった。

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