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第191話 束の間の安息

「よし、あとちょっと、っと……!へへぇ」


 にへら、と笑いながら狛が机の上で何かを見つめている。視線の先にあるのは、夕方神奈から貰ったバングルだ。仲直り出来た事がよほど嬉しいのか、作業の合間に手を止めては、それを眺めて笑っていた。


「何やってんだか……」


 猫田は猫の姿になって、ベッドの上からそれを見つめている。その傍らにはアスラも丸まって眠っているようだ。基本的に、猫田が家で猫の姿でいると、アスラが傍にいる事が多い。そうでない時は桔梗に捕まって全身を揉みくちゃにされているのが最近の猫田のルーティーンである。

 狛の元気が戻ったのはいい事だが、今日は帰ってきてから夕食の他はずっと、自室で机に向かって何かを一心不乱に作ってばかりである。猫田は普通の猫とは違って、興味を向けて欲しいからと作業の邪魔をするようなことはしないが、狛がずっと机に向かいっきりだと少し面白くないのも事実であった。


 少し拗ねたように猫田がアスラの上で丸くなると、狛が振り向き、手招きをした。表情は少し怖い程にっこりと笑っていて、猫田は若干引いた。


「なんだよ…?」


「猫田さ~ん、ちょっとこっちおいで」


「お前、最近俺をペットかなんかだと思ってねーか?」


 桔梗には完全に弄ばれがちではあるが、猫田は一応妖怪としてのプライドを持っている。自分はあくまで狛の保護者であり、後見人のようなものだ。いくら人と暮らす事を選んだ猫又と言えど、玩具にされる謂れはないのである。とはいえ、ムキになって言う事を聞かないほど大人げないわけでもない。猫田は狛の表情に何となく嫌なものを感じつつ、渋々近づいて狛の膝の上に飛び乗った。


「…ほれ、どうした?」


「あー、出来たらちょっと降りてもらえると……あとおっきくなってもらってもいい?」


「ハァ?」


 いちいち要求が細かいのは、嫌な予感しかしない。そもそもこんな室内で大型の猫形態になるのは、狭いので出来ればやりたくないものだ。せめて理由を知りたい所であった。


「こんなせめぇとこで変化なんかしたくねーよ。理由を言え理由を」


「…いやぁ、大きい方が痛くないかなと思って」


「……お前ホントに何するつもりだよ、いい加減にしろよ」


 不安しかない狛の物言いに、さすがの猫田も不信感が募っていく。狛は観念したのか、苦笑しながら上目遣いに両手を合わせた。


「猫田さんのヒゲが欲しいの!お願い!」


「バッッッカじゃねーの!?ふざけんな!」


 狛に甘い猫田でも、さすがに聞けることと聞けない事がある。ヒゲを抜くのはいくら猫又といえど痛い、巨大化していてもそれは変わらないものだ。猫田はすぐさま狛から離れる為にジャンプして逃げようとした。


「なにっ!?ば、バカなっ!!」


「フッフッフ…、こう近付けば逃がしはしないよ。最近の私の速さを甘く見たね?猫田さん。私だって成長してるんだよ~」


「こ、この野郎…!」


 猫田が飛び離れようと宙に浮いた瞬間、その身体は狛の両手でがっちりと掴まれていた。猫田は普通の猫の姿になっていても、身体能力は普通の猫とは桁違いに高い。普通の人間なら、飛んだ瞬間すら解らないはずだ。だが、強敵との戦いや、度重なる人狼化と霊力の強化によって狛はその瞬間を逃さず、むしろ瞬発力で言えば猫田を凌駕するほどの素早さを身につけていた。しかも、器用なことに桔梗の手捌きまでもを完璧に習得していて、猫田がどんなにもがいても、絶妙なタッチで逃がさない手技で猫田を抑えている。こうなってしまっては、もはや猫田に逃げ場はなかった。


「くっそー!汚ぇぞ!放せぇ!」


「ふふん、暴れても桔梗さん直伝の手捌きからは逃れられないよー?…でも、そんなに嫌?あんまり痛いなら諦めるけど」


 猫田の動きを封じつつ、その瞳をじっと見つめて、狛が問いかける。本当に嫌な事はしたくないという気持ちは、十分猫田にも伝わってきたが、こうなると弱いのは猫田の方であった。たじろぎながら抵抗を止め、しばし考えてみる。猫又と言っても、身体の仕組みはある程度猫と同じだ。ヒゲは半年に一回程度のスパンで生え変わったりするのだが、無理矢理に抜こうとするとかなり痛い。ただし、猫田の場合は長く生きているからか、身体のコントロールが効くので、自分から生え変わらせる事も可能ではあった。


(狛の事だし、別に妙な事に使ったりはしねーだろうが……まぁ、一本位ならいいか?うーん…)


 猫田が気にしているのは、その使い道である。というのも、猫田は妖怪であるが故に、身体から離れた部位にも霊力が残っている場合がある。普通の毛ならばともかく、ヒゲや爪のような部分はそれが残りやすいのだ。人間の髪が呪いなどに使われるのと、原理は同じだろう。放っておけば抜け落ちたヒゲや爪からは霊力が抜けていくので心配いらないが、保存する術や加工などをされた場合は別だ。何に使うつもりなのかは不明だが、狛が本気を出せば、呪いの藁人形のようなものを作るのは朝飯前だろう。それはさすがに勘弁願いたい。


 そうは言っても、猫田は狛がそんな悪意のあるものを作ったり、猫田に呪いをかけるとは微塵も思っていない。結局、あれこれ考えた挙句、猫田は観念して、狛の願いを聞いてやることにした。くりぃちゃあの面々と同じで、猫田も相当、狛に甘いのである。


「……わぁったよ。ほれ、手ぇ出せ」


「…いいの?ありがとう!猫田さん大好き!」


 すっかりツボを押さえられている気がしなくもないが、今更言っても仕方ないことである。猫田は大人しく狛の膝に戻ると、自らの意思でヒゲを一本、狛の手の上に抜け落とさせた。そして、抜け落ちた部分から、新たなヒゲがみるみるうちに伸びてくる。若干ホラーな光景ではあるが、妖怪らしい一面であった。


「すごーい!そんな事出来るんだ!?え、じゃあどうしてあんなに嫌がったの?」


「無理矢理引っこ抜いたら痛ぇからだよ!第一、お前がそれをどうするつもりかも解んねーのに、おいそれとくれてやれるか。呪いの人形とか作ったら祟るからな?」


「そんな事しないってば…!ちょっと待っててね、えっとこれに霊力を通して柔らかくして……ここに通して……っと、出来たっ!」


「あ?なんだそりゃ?」


「これはね、今日YaMaChi先生の所で習ったバングルっていう腕輪なんだけど、これを霊糸れいしで作ってみたくてねー。さ、猫田さん、ちょっと人間の恰好になってみて」


「あ?ああ…」


 猫田は訳が解らないと言った表情を見せながら、狛の膝から降りて人間の姿に変わった。最近では、だいぶ神子神社の清浄な気にも慣れてきて、人に変化することも以前ほど苦ではない。すると、狛は猫田の左腕にその出来たばかりのバングルをはめた。


「うん、ピッタリ!へへ、メイリーちゃん達にはミサンガを作ったんだけどね。猫田さんならバングルの方が似合うかなって、首輪だと何か変だし」


「お、おう。ありがとよ。……でも、これ変化したらダメになるんじゃねーか?」


 さっきまで猫の姿だった猫田は、腕にぴったりとフィットするバングルに興味津々のようである。霊糸で作ったそれは赤みがかった銀色に輝いていて、猫田の好みとしても悪い気はしないのか、ダメになるのがもったいなさそうだ。


「ふっふっふー!その為に霊糸と猫田さんのヒゲを編み込んだんだよ。猫田さんの霊力に反応して大きさが変わるから、どんな姿になってもピッタリのはずだよ」


「お前、変なトコですげー器用な事するよな…」


 猫田は半分呆れているが、プレゼント自体は気に入ったようである。霊糸というのは、その名の通り霊力で編まれた糸の事だ。普通の糸とは違って、元が霊力というエネルギーそのものである為に、加工すればどんな形にもなるし、しなやかでかつ金属のように硬くなったりする。狛が身に纏う九十九つづらも、元は普通の織物だったが、付喪神になった時点でその大半は霊糸に変換されている。だからこそ、戦闘時に形を変えたり、伸び縮みすることができるのだ。

 狛の作ったバングルは霊糸と猫田のヒゲが編み込まれたことで、猫田本人にアジャストされた専用の腕輪となったようだ。試しに普通の猫の姿に戻ってみると、ちゃんと身体にあった大きさに変わっていて左の前足にしっかりはまっている。猫田の赤茶けた毛色とマッチして、なかなかの見栄えであった。


「よしよし!大丈夫そうだね。…今まで、ありがとね、猫田さん。いつも守ってばっかりで、ちゃんとお礼出来てなかったから……これからもよろしくね」


「そんなこと気にしてやがったのか…気にすんな、好きでやってんだ。途中で放り出したら宗吾さんに申し訳が立たねぇからな」


「うん、知ってる。さ、一息入れようか、お腹空いてきちゃった!」


「お前…もうちょっと元気無かった方がよかったんじゃねーのか?」


 笑いながら部屋を後にしようとすると、アスラも起きてきて一緒にリビングへ向かった。残された狛のスマホに通知が入ったのは、その直後の事であった。

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