某県
高度特殊先進技術研究所。通称、先技研と呼ばれる施設だ。
科学技術庁所管のこの施設は、その名が示す通り、主に一般にはまだ周知されていない技術や研究・開発を行う場所である。過去には米軍から一般に公開された国内インターネットの研究を大学と一緒に行ったり、サイバネティクスを含めた次世代・近未来技術の基礎研究も行われている。公的な機関ではあるが、民間とのやり取りもそれなりに活発で、ここで研究されるものの一部は、近々民間に公開されるものも多いらしい。
時には、古くからその真偽が取り沙汰される事の多い超心理学なども研究対象であったようだ。しかし、今回、防衛省のとある人物から流れてきたという対妖・対心霊装備の技術開発は異例中の異例なものである。
どうやら、その人物は防衛省内部でもかなりの高官であるらしく、自衛隊向けの新装備をかなりの急ピッチで作るように指示が出ていた。しかも、普通は機密扱いになるはずのそれらの情報は、ある程度一般に公開しても構わないというのだから、おかしな話である。これには先技研で働く技術者達も首を傾げつつ、開発に携わっていたらしい。
そんな先技研の施設を囲むように集まり、細い月明かりが差す小高い樹海の木々の上から狙う者達がいた。それぞれが夜の闇の中で煌々と光る真っ赤な瞳を持ち、獣そのものといった独特の臭気と、獰猛な気配を隠そうともしていない。その先頭に立つ大柄の男だけが、黒いスーツを身に纏い、人に近い風貌をしているようだった。
「クックック…ここが、槐様のおっしゃられていた人間共の棲み処か。グフフ、夜だというのに多くの人間共がうようよと
槐が
「さぁ、行くぞ!」
怒号のような雄叫びを皮切りに、暴虐の侵攻が始まった。誰もが我先に獲物を捕まえ、貪ろうという浅ましさに駆られている。津波のように押し寄せる彼らの勢いは凄まじく、先技研は瞬く間に悲鳴が飛び交う阿鼻叫喚の地獄の様相を呈していった。
「なぁ、なんだか妙な物音がしないか?」
「うん?こんな時間にか?……本当だ、今時暴走族ってこともないだろうし…ひっ!?」
「えっ…お、おい!窓の外を見ろ、なんだあれは!?」
研究者達が目にしたのは、闇に蠢く真っ赤な瞳をした大きな猿のような生き物達だった。一頭一頭がゴリラのように大きく、奇怪で鋭い牙を生やしている。彼らは
特に狒々はかなり獰猛で、古来から人を襲ってはその肉を喰らい、面白半分に弄んだり、女であれば子を産みつけたりする厄介な性質を持っている。一方の猩々は比較的大人しく、狒々に比べれば理知的であまり人を襲う事はないとされているのだが、この場に集まった者達は例外なのか、狒々と同等かそれ以上に獣性を露わにしていた。
「た、助けてくっ…ぅぎゃあ!」
「止めろっ!食われたくないっ…来るな、あああああ!」
「いや、いや!止めてっ、離して、誰かたすっ…ぎぃゃあああっ!」
狒々と猩々達は、研究者達を見つけては次々にその毒牙にかけていく。本来であれば、自分達の仲間を増やす為にも犯して子を産みつけた人間は殺さないのだが、今日この場に限っては、女を犯しながら食い殺したりと本気で皆殺しにするつもりのようである。
そんな惨劇の様子を、緋猩はまるで特等席で極上の舞台でも観ているかのように手を叩いて大声で笑い、楽しんでいた。
「ぬはははは!さすがは頼もしき我が眷属達だ!やはり人間共はこうして殺してしまうに限るな!さて、儂は目的の情報とやらを探すとするか」
緋猩はそう言うと、手近に倒れていた人間の死体を拾い上げ、その頭蓋を割って脳を啜った。彼らにパソコンのような人間の機械は使えないが、人の頭に残った記憶をそうやって吸い出す事が出来る。
「遅かったか……よもや、ここを直接狙ってくるとは、よほど
まだ二月の終わりだが、女の服装はかなり薄着である。きゅっとヒップの締まったグレーのタイトスカートに身を包み、女は眼鏡をクイッと上げて呪文のような言葉を唱え始めた。その風貌はどことなく
女が呪文を唱え終わると、先技研の敷地全体が怪しい霧に包まれていった。すると、先程まで聞こえていた狂乱の喧騒が嘘のように治まって、元の静かな施設の姿を取り戻していた。女はふう…と息を吐いて、静寂に包まれた先技研を見つめている。
「この状態も、もって数時間といった所か…この数を相手にするのは自衛隊員と数少ない試作装備だけでは到底足りんな。仕方ない、不本意ではあるが、犬神の娘に協力を要請するか。それと、
女はそう言うと、スマホを取り出して、どこかへと連絡を始めた。狛に直接連絡をするのではなく、何者かを経由して話を持ち込もうとしているらしい。狛の元に連絡が入ったのは、その数十分後の事であった。
「え?弧乃木さん?どうしたんですか?こんな時間に」
「狛君、夜分にすまない、緊急の用件でね。うちの上役から、君に話を繋げて欲しいと連絡があったんだ。私は足をやられているので動けないが、畦井と十畝をそちらに向かわせたから、一緒に来て欲しい。多くの人の命がかかっているんだ。頼む…!」
突然に連絡が来たかと思えば、何とも申し訳なさそうに弧乃木は頭を下げた。電話越しだが、かなり切羽詰まった様子が感じられる。狛に話が回ってくると言う事は、妖怪や悪霊といった怪異絡みの話だろう。つい先日、七首市での騒動で顔を合わせたばかりの弧乃木が、こうも深刻そうに頼み込んできたのだからよほどの事だ。狛はそれを快く承諾し、畦井と十畝の到着を待った。
それから2時間程で、狛達は先技研の施設に到着した。道中の車内で、ある程度の話は聞いている。しかし、まさか自衛隊そのものではなく、その装備を作る研究施設を狙うとは、なんとも悪辣な相手である。ましてや、戦う力など持たない研究者達を襲うなど許せるものではない。狛は義憤に駆られつつ、待ち合わせていた弧乃木の上役という人物と、顔を合わせることになった。
「弧乃木さんの上司か、どんな人なんだろうね?怖い人じゃなきゃいいけど」
「軍人なんて皆大体おっかないもんじゃねーのか?それよりもこの敷地にかけられてる幻術は大したもんだぞ……一流の陰陽師だってこうはいかねぇ…何者だ?」
唸る猫田や狛の元に、あのグレースーツの女性が顔を出す。彼女が醸し出すそこはかとない威圧感に、二人は息を呑んで向き合うのだった。