目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第194話 狂猿の軍団

「しかし、そうなると俺達三人とアスラだけか?敵の数はわかんねーが、ちょいと厄介そうだな」


 猫田の言う通り、この場にいるのは畦井と十畝を除けば、狛と猫田、幻場まほろばとアスラの三人と一匹だけである。幻場一人では生存者の救出もままならないと言っていたばかりだが、三人になっても問題はあまり解決しそうになかった。

 すると、幻場がやや自信に満ちた表情を見せて言った。


「助っ人なら他にも手配しているよ。ただ、彼はまだ到着するのに時間がかかるようでね。あまり時間もないので我々だけでも先に入っておこうという話さ」


(彼って…助っ人は一人だけなのかな?)


 三人が四人になってもそこまで違いは無さそうだが、幻場の自信ありげな表情を見るに、そこを突いても意味がないような気もする。それよりも自分達のやれることをしっかりやる方が良さそうだ。そう考えた狛は頬を叩き、気合を入れ直した。


「そろそろ時間だ、幻術の効果が消える。準備はいいかい?」


「はい!」


「なるようになれってとこだ、なっ…と!」


 そう返事をしつつ、猫田は巨大な猫の姿になって臨戦態勢に入っていた。アスラも狛の様子を窺いながらいつでも走る準備は出来ていそうだ。敷地全体から薄れていく霧を確認して、幻場が合図を出した。


「よし、行こう!」


 幻術の霧が晴れるや否や、三人と一匹は放たれた矢のように門から敷地の中へ駆け出していく。その後ろ姿を、畦井と十畝は食い入るように見つめていた。


 正門を抜けて建物前の駐車場に入ると、逃げ遅れて殺害された研究者達の遺体があちこちに見つかった。その傍には、幻場の幻術によって眠らさせていた狒々ヒヒ猩々しょうじょう達が、ゆっくりと起き上がり始めている。猫田は進行方向にいるそれらの妖怪を片っ端から踏み潰し、爪と牙で引き裂いていった。


「結構な数がいるぞ!こいつら、建物から逃げてきたやつらをわざわざ待ち構えてやがったみたいだ。猿妖えんようは狡賢いからな、胸糞悪い奴らだぜ、ったくよ!」


 猫田は吐き捨てるように言いつつ、未だふらついている狒々達を蹴散らしていた。敵の数はかなり多いが、この調子なら殲滅に時間はかからないだろう。


「よし、では私と狛君と犬で建物の中に入ろう。、外の敵は君に任せるよ。その図体ではどっちみち、建物の中は辛いだろう」


「ちっ、しょーがねーな。癪だがお前の言う通りだ。狛、気を付けていけよ!」


「うん、猫田さんも気を付けて!アスラ、行くよ!」


 二手に分かれ、建物に入って行く狛の背中を見送ると、猫田は敷地の中央にある建物の屋上に立ち、思いきり息を吸い込んで非常に高音で金切り声のような鳴き声をあげた。まるで犬の遠吠えのようだがそうではない。これは猫田が独自に編み出した、敵…主に妖怪を引き付ける特別な鳴き方だ。

 一般的な普通の猫が遠吠えのような声を上げる時は、猫自身が強いストレスを感じていたり、寂しい時に仲間を呼ぼうとして行うものだが、これはそれを改良したものである。


 霊力を込めた高音の遠吠えは、特に妖怪に対し、非常に強い効力を発揮する。これを聞いた妖怪は異常な不快感を覚え、それを発する猫田に対して強烈な敵意を抱くのだ。それによって、敵の注意を引き付け自分への攻撃を誘い出すのである。

 猫田がその声を発した途端、意識を覚醒させた狒々達がこぞって猫田を目指して集まって来るのが見えた。中には、人間を襲う事を中断してまで猫田に向かってくるものもいる。狙い通りの結果に満足をして、猫田はニヤリと口の端を上げて笑った。


「へっ!久々だが、よく釣れるじゃねーか。ここでまとめて相手になってやるよ!」


 猫田を取り囲むように、地を這って近付いてきた無数の狒々達が一斉に飛び掛かった。予めそれを狙っていた猫田は、空中に跳んで避けられない狒々達を、七本の尾を巧みに操り、熱線の刃でバラバラに切り落としていった。


「さぁどうした猿共!もっとどんどんかかって来やがれ!」


 挑発する猫田の声が敷地内にこだまする。仲間をやられて激昂した狒々達の叫びも重なって、敷地内は緊迫した空気に包まれていった。



「こんな、酷い…」


 狛達が入った建物の中は、外よりも遥かに凄惨な状況であった。あちこちに人間の手足や骨、そして形の解らない肉塊が落ちていて、それが誰のものかは、もはや見ただけでは判別できそうにない。白い壁は大量に飛び散った血飛沫の跡で汚されていて、どす黒い赤色に変わってしまっている。血と内臓の匂いが鼻腔の奥を刺激して、それは以前立ち入った地獄のような光景である。


 あまりの惨さに狛は思わず目を背けそうになったが、どこで敵が待ち構えているか解らない以上、目を瞑る事は許されない。唇を噛んで不快感に耐え、狛はアスラを連れて幻場と共に進んでいった。


「確かに酷いな、連中はここの人間を完全に皆殺しにするつもりでいるようだ。それにしても、こうも食い散らかして弄んでいるのが解る殺し方をするとは…これは明らかに妖怪達を指揮している者がいるな」


 おもむろに死体を見分した幻場がそう呟く。狛には見ても解らないが、幻場の口振りによると、死体に残された殺害の手口は尋常のものではないらしい。妖怪達は人間のように、わざわざ殺しを隠そうとはしないものだが、遊びや食事、そして殺しは明確に分けるパターンが多い。

 そもそも、妖怪が進んで人間を弄んで殺す事自体が少ないのだ。人を食料とする妖怪にしてみれば、人間は余すところ無く食べられるご馳走のようなものだ。多少の好き嫌いや、身体の形態から食べ残したりすることはあっても、必要以上に痛めつけて放置したりはしない。

 逆に、復讐のような目的があって殺す場合ならば、猟奇的な殺害方法を取る事もあるがその場合は食事などはほとんどしない。何故なら彼らは人間以上にを嫌うからである。殺す程憎い相手の血肉など、我が身に取り入れたくはないという発想だ。


 しかし、この場に残されている犠牲者の遺体は、どれも異常なほど傷つけられている。身体の一部分だけを食われて絶命している者もいれば、食べるまでもなく身体をを引き千切られている者もいる。殺す事自体が目的で、殺す理由はなんでもいい…そんな風に見える遺体ばかりであった。

 それはつまり、そうしろと命令している存在がいるという証でもある。一匹やそこらの妖怪がやっているのではなく、徒党を組んだ妖怪達が、のだ。個人主義である妖怪が、集団で同じ行動を取るのは命令系統が無ければ有り得ないことであった。


「群れの長がいるってことですか?」


「そうだね。特に狒々や猩々達は、小さなグループを作って群れで行動する珍しい妖怪だ。これほどの規模となると、相当力のあるリーダーが……待て、何かくる」


 幻場が人差し指で口を抑えて言葉を抑えると、視線を向けた先からのそのそと二足で歩く影が現れた。目は赤く爛々と輝き、白かったであろう毛は、返り血で恐ろしいほどに真っ赤に染まりきっている。足よりも腕が長く、その姿はオランウータンに近い。


「猩々か…っ!?」


 幻場が呟くとほぼ同時に、それまでゆっくりと歩いていた猩々が、突然猛スピードで駆けだしてきた。かなりの速さで走ってきた猩々は、一瞬で距離を詰めて、気付いた時には幻場に肉薄していた。


「ふっ…!!」


 急接近してきた猩々の頭部に向け、狛は小さく息を吐いて横蹴りを叩き込んだ。まだ人狼化していないとはいえ、霊力の籠ったその一撃は容易く猩々の頭を砕き、そのまま壁際までその身体を弾き飛ばす。幻場はその力に驚愕したようだが、すぐに笑顔に変わって、狛を拍手で称えた。


「君の力は素晴らしいな。弧乃木から聞いていたよりもずっと頼もしいよ、これなら十分なんとかなりそうだ」


「あ、ありがとうございます。…でも、本番はこれからみたいです。今ので気付かれました」


 狛の言葉通り、続々と猩々達が集まって来るのが妖気からも、そして視覚でも確認できた。フロアの奥から敵意に満ちた影が狛達の前に姿を現す。長い戦いの夜は、こうして幕を開けた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?