激しい戦いが、続いていた。
「はあああああっ!!」
狛は狗神走狗の術で人狼化して霊力を全開にし、次々に襲い来る
猫田が口にしていたように、本来、猩々という妖怪は比較的温和で、率先して人に危害を加えるタイプではない。ただ、この場にいる猩々達は、狂わされているのではなく、何か別のものに駆り立てられているような雰囲気を持っていた。そんな彼らを殺してしまうことに、狛は多少の罪悪感を覚えているものの、やらなければこちらがやられるプレッシャーと既に彼らの犯した罪を考え、心を鬼にして戦いを続けているのだった。
「ガウウウウウッ!」
アスラも狛の傍を付かず離れずといった、絶妙な距離を保ちつつ猩々達を牽制、または撃破していた。アスラは訓練によって、霊力を使った攻撃を覚えているので、妖怪相手にもその爪と牙を使って効果的なダメージを与える事ができる。そもそも、アラスカンマラミュートと秋田犬のミックスであるアスラの体格は、個体としてもかなり大きい。立てば普通のオランウータンと同等以上のサイズだ。もしもアスラがオスだったら、ネットでよく見かける、成人男性に引け取らないビッグサイズの犬に成長していただろう。
そんなアスラが全力で体当たりをするだけでも、実は相当な威力がある。そこに訓練で鍛えた霊力が合わされば、対妖怪では凄まじい戦力になるのである。
そんな一人と一匹の快進撃で、後から集まってきた30体ほどの猩々達は瞬く間に撃破された。
「……いやはや、君達のコンビは凄まじいの一言に尽きるね。私の出番などほとんどないようだよ」
「そんな…でも、ありがとうございます。私達、小さい頃からずっと一緒でしたからコンビネーションは誰にも負けません。ね?アスラ」
「ワフ!」
むせかえるような血の匂いの中だが、一息ついた狛とアスラはハイタッチをしてみせた。まるで信頼を確かめ合っているような光景に、幻場も思わず顔が緩みそうだ。それに気付いた幻場は気を取り直して、上階へのルートを考えることにした。
「この調子だと、エレベータは危険だな。待ち構えられている可能性がある。…非常階段で昇るしかないか」
このフロアでは生存者は見つからなかったが、上階はまだ解らない。もちろん非常階段でも待ち構えられている可能性はあるが、エレベータほど狭い空間ではないので、まだ対処のしようがあるはずだ。二人は頷いて、非常階段へ走った。
想像していた通り、非常階段の中も、死屍累々という有様であった。ただ、ここへ逃げ込めた人の数が少ないのか、足の踏み場がない程とは言えず、通れない状態ではない。狛と幻場は出来るだけ死体を踏まないようにして、慎重に階段を昇っている。
「ん?アスラ、どうしたの?」
二階へ昇る中間の踊り場部分に着いた時、アスラが倒れている死体の山に反応し、匂いを嗅いで小さく吠えた。二人で慌てて死体をどけていくと、一番下に埋もれていた男性は、辛うじて息があるようだった。
「おい、君!しっかりしろ、大丈夫か?!」
「うぅ……か、怪物が…」
「酷い。この人、お腹が……」
掘り起こして助けだして見たが、男の腹と太ももはかなり深く抉られていて、もはや助かりそうもない状態なのは明らかであった。上に載っていた死体で圧迫されて、出血が抑えられていたらしい。幻場は服や体が血で汚れる事も
「すまない。残念だが、ここまでの重傷を癒せる効果はない。だが、痛みはだいぶ
幻場がそう囁くと、男は痛みが楽になったのか、少し落ち着きを取り戻し最後の力を振り絞るように呟いた。
「あり、がとう……7階…の大会議室に、生き残った、仲間が集まって…助けを待っている、はずだ…頼む、助けて、やっ…て………」
「解った…!私達に任せて、安らかに眠ってくれ…」
幻場は、彼の霊魂に語り掛けるように、静かに言葉を投げ掛けた。実際、死者の魂はすぐにはあの世に行かないものだ。幻場や狛のような霊能のある人間の言葉であれば、それは死んだばかりの霊魂にもしっかりと届くだろう。
二人は手を合わせ、ほんの短い時間祈りを捧げて男の死を悼み、その遺体をそっと隅に寝かせた。
「7階の大会議室と言っていたな。…あそこは確か、研究結果の発表をする為に様々な機器が配置されているはずだ。もしかすると、装甲車に使われていた
そう言いつつも、幻場は頭を悩ませていた。まだ2階もまともに調べていないのに、7階へ直行してしまっていいものだろうか?その他の階にも生き残りが居る可能性はゼロではないのだ。むしろ、今から7階へ向かった所で、既に全滅してしまっている可能性もあるだろう。
刻一刻と流れる時間は、一秒たりとも待ってはくれない。悩み焦る幻場の傍らで、狛は黙って視線を宙に向けて、そしておもむろに口を開いた。
「……幻場さん、7階に行きましょう。亡くなった人達が、教えてくれてます。今ならまだ間に合うって」
「なに…?待ってくれ、君は死んだばかりの死者とも交信が出来るのか?」
「…はい。と言っても、こんなこと初めてなんですけど」
狛は幻場に応えながら、その視線はあちこちの空中へ移動しているようだった。どうして幻場がそれほど驚いているのかというと、亡くなったばかりの魂は肉体との結びつきがまだ完全に外れていない為、純粋な霊魂として機能しにくい状態にあるからである。
よほど優秀な霊媒としての才能でもない限り、死んだばかりの魂と交信する事は出来ない。場合によっては、己がまだ死んだ事を認識すらしておらず、魂が魂として覚醒していない状況の場合もあるのだ。狛が、この場に漂う魂達の声を拾う事が出来たのは、類い稀な狛自身の霊媒の才能と、魂達が痛切に訴えているからに他ならない。
「……よし、解った。行こう」
その訴えをみすみす聞き逃すほど、幻場は霊能者として未熟でも愚かでもなかった。ここで出会ったばかりの狛を信じてみる気になったのは、自分の中でやはり7階を優先すべきという気持ちもあったのだろうが、それ以上に、短い時間でも狛という人間に触れてその人柄に惚れたからに他ならない。狛は妖怪だけでなく、
そうと決めた後の行動は早かった。狛達は一気に7階まで駆け上がり、フロアへと続く扉を開く。
「やはりここにも待ち構えていたか!」
「…アスラ!GOッ!」
「ウオォォォォォンッ!」
非常階段からフロアへ繋がる扉の先には無数の猩々達が廊下に座り込んでいた。理解するのも悍ましい何かを口に頬張り、くちゃくちゃと音を立てて開いた扉の方へ一斉に剥く。狛はいち早くアスラに指示を出して、廊下を占拠する猩々達へ突撃させていた。
霊力を壁のように使って正面に展開し、まるで機関車のような勢いでアスラが突進すると、無防備だった猩々達は次々に弾き飛ばされ壁に激突して動かなくなった。その後ろを狛が走ってアスラに霊力を送り、幻場は最後尾について倒れた猩々達へ霊符を投げつけてトドメを刺していく。
三位一体のコンビネーションにより、狛達が通った廊下には無数の猩々達の死体が積み上げられていった。普通、妖怪の死体は現世には残らないものだが、
「幻場さん、会議室ってこのまま進んでいいんですか!?」
「次の角を右だ!…確かに生きている人達の霊気を感じる、このままいけば間に合いそうだ!」
幻場の指示を受けて狛はアスラに右へ曲がるよう指示を出す、そうしてさらに進んでいくと、フロアの内装が少し変わった。だが、目的の会議室の前には、あの黒スーツの男…緋猩が、狛達を待ち受けていたのだった。