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第326話 急がば回れ

「さて、何から話したものか……うむ、やはり一から説明した方が解りよいかの。お主ら、組香というものを知っておるか?」


「クミ、コウ…?ごめんなさい。解らないかな…」


「組香ってのは、大昔の貴族がやってた遊びのことさ。何種類かの香を焚いて、それを嗅ぎ、何の組み合わせだったのかを推理して競うんだ。今時の人間は、やらねぇのかもしれねぇな」


 聞き慣れない単語に首を傾げていると、猫田が救いの手を差し伸べてくれた。なるほど、古い貴族の遊びなら知らなくても無理はない。逆に、何故猫田がそんな事を知っているのかと思うくらいだ。猫田の説明に満足したのか、隠神刑部はうんうんと頷いて話を続けた。どうもこの狸、人と話をすること自体が好きなようである。


「概ねその認識で合っておるな。そこまで知っている猫田なら解るじゃろうが、儂ら妖怪は人の遊びが大好きじゃ。妖怪にもよるが、特に組香のような直感的に遊べるものは妖怪達にも人気がある。故に、人が遊ばなくなったような今でも、儂らは定期的に組香を楽しむ催しをしておるんじゃよ」


「話が見えねーな。それが何だってんだ?俺も狛も鼻は利く方だが、そんなことして遊んでる暇はねーぞ。遊び相手が欲しいんなら他を当たれ」


 猫田が突き放すように言い放つ、まさにけんもほろろと言った有り様だ。気が短い妖怪なら激怒しそうな物言いだが、隠神刑部は決して怒らず、少々不満気味に話を続けた。


「猫田、お主、本当に気が短いのう……まだ話は終わっとらんぞ。ともかく、儂らは組香を嗜んでおる。そこで、一つ問題が起きたんじゃ」


「問題?」


「うむ。儂らの組香は人間共のやる組香とは少し違う、そもそも焚く香が違うんじゃ。当然じゃが妖怪は人間よりも鼻が利くもんでな、人が扱うような香では遊びにならぬ…特別な香が必要なんじゃよ。問題なのはその香の一つが、人間に盗まれてしまったんじゃ」


「なんだと?」


 その言葉に、猫田の顔つきが変わった。妖怪である隠神刑部がと評する香木は、ただの代物ではない。時には人に害を及ぼすような、強い毒性の作用を持つものもあるだろう。狛はピンと来ていないが、猫又である猫田には、その危険性が言われずとも認識出来たのだ。


「盗まれたのは、樹木子じゅぼっこという妖怪の身体を削って作った香木じゃ。他人の血を吸う性質を持った樹木子じゅぼっこの香木からは、何とも言えん独特の香りがするのが特徴でな。妖怪の間でも特に人気があるんじゃが…現代ではもう樹木子じゅぼっこはほとんど残っておらん。幻の香木なんじゃよ」


樹木子じゅぼっこって確か、先技研で戦った時に出てきた…樹の妖怪、だよね?」


 狛はその名を聞いて、緋猩を始めとした猿妖怪と戦った時の事を思い出していた。自身の敗北を感じた緋猩が先技研に蓄えられていた霊石を奪って暴走した際、近隣の森に生えた樹々を樹木子じゅぼっこという妖怪に変えてしまったのだ。

 猫田は狛の呟きに反応して、深く頷いている。あれは完全なイレギュラーで生まれた樹木子じゅぼっこ達で、野生の…天然のと言うべきかもしれないが樹木子じゅぼっこはもうほぼ絶滅している。隠神刑部の言う通り、それは幻の品と言っても差し支えは無いだろう。


「……そうだ、昔はよく見かけた奴らだったけどな。しかし、まさか妖怪の身体を削って香木にしちまうとは……ぶっ飛んでるぜお前ら」


「勘違いするでない、あれはちゃんと了承を得た上で分けて貰ったものよ。あれは特に樹齢の長い樹木子じゅぼっこでな、儂とは古い馴染みだったんじゃ。…そ奴ももう、流石に生きておらんがな」


「隠神さん…」


 仲間意識とまではいかないものの、妖怪達には多少の友情を感じる心もある。隠神刑部が部下の狸達を失う事を恐れ、それを隠したかったのは、それが己の致命的な弱点になり得るからだ。それだけ大事に思う部下や仲間がいれば、縄張り争いをするような他の妖怪達にとっては格好の的となる。例えば人質ならぬ、狸質にされてしまう危険もあるだろう。そう言った状況を防ぐ為にも友愛や親愛の情は隠さねばならないのだ。

 逆に言えば、そう言った関係になりそうもない相手であれば、多少の交流をするのは人の世で生きていくならむしろ必要不可欠なものだろう。猫田と土敷の関係も、初めはそんなものから始まったに違いない。

 一方で、猫田は最悪の展開を予想していた。樹木子じゅぼっこは人を襲って血を吸うという、かなり凶悪な妖怪の一種だ。彼らを妖怪なし得ているのは、強烈な負の感情でもある。戦場や刑場の近くにある樹木が、罪人や戦で死んだ者達の末期の血を吸って妖怪となったもの…それが樹木子じゅぼっこだ。彼らの中には、人の恨みや憎しみが強く宿っているのである。


「その盗まれた香木ってのは、人の手に渡って大丈夫なのかよ?聞いてる限りじゃ、かなり厄介そうな代物に聞こえるが……」


「残念ながら、安全とは言えぬ。人間が樹木子じゅぼっこの香木を焚いて出た煙を吸えば、どんな悪影響が出るか解らん。死ぬか、それとも……」


 その先を隠神刑部は口にしなかったが、想像しただけで狛は背筋がゾッとする感覚に襲われた。緋猩の力でただの樹が樹木子じゅぼっこへと転じたように、人がその煙を吸えば、もしかするととんでもない化け物へと変化するかもしれないと、隠神刑部はそう危惧しているのだ。


「そいつを盗んだ相手の事は解ってんのか?っつーか、結局俺達に何をしろってんだ?」


「ああ、それは既に調べがついておる。ただ、儂はもう歳でな、表立って動けんのじゃ。……頼みというのは他でもない、どうかあの香木を取り返してくれんか?」


「取り返す…」


 ここまでの話を聞いた狛は、取り返しに行く事事態はやぶさかではない。しかし、目下のところ、狛と猫田は犬神家に追われている状況だ。危険なアイテムとはいえ、取り返しに行っている余裕があるとはとても言えなかった。

 猫田も同じ事を考えているようで、渋面をして答えに窮している。だが、改めて隠神刑部が語った報酬でその考えを検めることになる。


「さっきも言ったが、もし無事に香木を取り返してくれたなら、今のお主らに必要なものを与えてやろう」


「…それだ。俺達に必要なものってのは、一体何なんだ?」


「お主ら、咎の無い罪で身内に追われておるんじゃろ?ならば、お主らの後見人として仲裁に入ってくれる神を、紹介してやろうではないか」


「か、神様…を!?」


 それは大きく予想の斜め上を行く報酬であった。神に渡りを付けてもらうというのは、一見すると意味が薄そうだが、よくよく考えてみれば効果的かもしれない。一体どういう理由で拍達があれほどの反応をしたのか定かではないが、仲裁に入るのが名のある神であれば、拍とて流石に無碍には出来ないだろう。

 他に仲裁に入ってくれそうなのは京介や弧乃木達だろうが、拍が彼らを信用するとは思えない。彼らは猫田や宗吾、そして狛自身の縁が結んだコネクションだ。どうしても狛達に肩入れをするだろうし、拍達から見ても、中立とは思ってくれないだろう。


 その点、相手が神であれば話は変わる。隠神刑部の紹介する神にもよるが、日本の中級神以上の神々ならば、契約によって中立性を担保することも可能である。そう言った相手ならば、仲立ちを頼む価値はあるはずだ。


 猫田はそう考えて、隠神刑部の頼みを引き受けてもよいと考えるようになっていた。どちらにせよこのまま狛と二人、日本中を転々として逃げ回った所で問題の解決には至らない。当てのない逃亡劇を演じるよりは、隠神刑部が紹介するという神に賭けてみる方がマシである。


「……よし、解った。その頼み引き受けてやるよ。ただ、解ってんだろうな?使えない下級神なんか紹介すんじゃねーぞ?」


「無論じゃ。日本中の狸の親分、隠神刑部の名に懸けて、お主らの役に立つ神を紹介してやろう」


 こうして契約は成立し、狛達は逃亡の最中に香木を奪取するという新たな目的を得た。隠神刑部が紹介してくれるという神の威光がどこまで通じるか、一抹の不安を残しながら。

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