「猫田さん、このヒト達っ…!?」
「ちぃっ!おかしいと思ってたんだ。屋敷の中に大勢の人の呼吸が聞こえるのに、誰一人喋ってもいなけりゃ、身動き一つしてねぇ!そんなもの、
先程から猫田が感じ取っていた違和感は、まさにそれであった。さながら、洞窟の中で夜を待つ蝙蝠のように、彼らはじっと屋敷の中で息を殺して潜んでいた。それは全体の統率者である和合本人の命令が無ければ有り得ない事だ。つまり、正真正銘、彼らは和合の手によって下僕にさせられた犠牲者達なのである。
そんな哀れな
「はあぁぁぁぁぁっ!!」
狛は二本の尾に霊力を込めて、後方から襲い来る吸血鬼達を蹴散らした。それは身体にたかろうとする蠅を掃うかの如く、ある種軽やかな動きに見える。だが、霊力を込めた狛の尾は鋼鉄のこん棒よりも硬く、強力でしなやかだ。蹴散らされた吸血鬼達は成す術もなく屋敷や塀に激突してその動きを止めて行った。
「せぇいっ!」
更に前方から来る者達は、最も近い者をハイキックで蹴りつけ、その勢いのままに全てを弾き飛ばす。スピードだけでなく、アスラとイツという二匹の犬神を得た狛のパワーはこれまでの比ではない。槐の狗神十匹からなる大狗神でさえ、狛の敵にはなり得なかったのである。
狛は前方から来る吸血鬼を文字通り蹴散らすと、その勢いのまま、和合に向けて突撃をした。身内の退魔士達とは違って、敵は凶悪な吸血鬼だ、狛が戦う事を躊躇う相手ではない。
「このまま、一気に…!」
「ば、バカ、狛待てっ……!」
「ほう!」
猫田の制止を振り切り、狛は間に控えていた下層吸血鬼を吹き飛ばして和合に肉薄した。しかし、そんな狛の力を目の当たりにしても、和合は怯む所か、一切その余裕を崩しはしなかった。それどころか、突如として黒い翼を生やし、真向から狛を迎え撃つつもりのようだ。そして、その手を鋭い手刀の形にして構えた和合と狛の影が重なった――
「く…う、あ、ああああっ!?」
「狛っ!?」
「ふん…!」
和合の身体が一瞬ブレたように見え、次の瞬間、狛の身体のあちこちから大量の血が噴き出していた。和合はその信じられない程のスピードを持って、狛の全身を切り裂いたのである。
寸での所で倒れず、踏み止まった狛だったが、流れ落ちる血の量は決して少なくない。そして、それをやってのけた手刀にべっとりと着いた血をべろりと舐めとって、和合が呟く。
「……生臭い血じゃ。獣が混じっとるけんか?なんぼ処女の血言えど、わやじゃのぉ。…いや、珍味じゃ思うたら悪うもない、か」
先程より強い伊予の訛りで、和合は狛を嘲笑った。吸血鬼にとって、処女の血は特別だ。どうやら、それは和合にとっても同じらしい。一舐めしただけでそれと解るのは吸血鬼らしい特性である。しかし、今の狛にそんな煽りを気にしている余裕はなかった。先程蹴散らし動かなくなったはずの下層吸血鬼達が、再び立ち上がってきたからである。
「そ、そんな…!この人達、倒したはずじゃ!?」
「ちっ!これだから吸血鬼は厄介なんだ。コイツらは不死身だ、生半可な事じゃ死なねぇ。…何しろもう既に
向かってきた一匹の吸血鬼に、猫田は尻尾を向けて炎を放った。まるで乾ききった布に火を点けたような勢いで、立ちどころに全身に火が燃え広がっていく。
「くそ、この身体じゃ魂炎玉もこれが精一杯か…!」
普通の猫サイズでいる猫田は、扱える力も小さい。七つの尾から繰り出した魂炎玉は一つだけで、猫田の頭ほどの大きさしかない火球だった。それでも、炎に弱い下層吸血鬼一匹を完全に燃やし尽くす火力はあるようだ。あっという間に燃え尽きた吸血鬼の死体が倒れると、黒い灰になってその身は崩れ落ちていった。
「…ふむ、おもっしょいな。ええ見世物じゃ」
「見たか?狛!コイツらは火に弱いんだ!炎を使え!」
「ほ、炎……!?炎って言われても…!」
狛は人狼化しても、火を吐けるような能力はない。火弾符のような霊符でもあれば別だが、今は人狼の里から着の身着のままで逃げてきた状態なので、霊符の持ち合わせもない。頭の上の猫田は何とか魂炎玉を使おうとしているが、霊力を封じられた状態では連続でそう何発も撃つ事は出来ないらしい。火を扱う霊術もあるにはあるが、狛はその手の術が得意ではなかった。
「クソっ!早く何とかしねーと!」
「はぁっ、はぁっ…!くっ!」
一体一体の下層吸血鬼達は、今の狛には大した敵ではない。しかし、それを操る和合だけは別格だ。その尋常ならざるスピードとパワーで手下の吸血鬼達を隠れ蓑にして、執拗に狛に攻撃を仕掛けてくる。その上、どれだけ狛が下層吸血鬼達を叩きのめしても、彼らは立ちどころに復活してくるのだ。耐久力だけで言えば、吸血鬼達はゾンビ以上のタフさを持っているようだった。
また猫田が狛の頭上に乗っているのも問題だ。頭の上という、ある意味で狙われやすい場所にいる猫田はとにかく狙われやすい。その証拠に、狛は何度も猫田を庇って攻撃を受けていた。かといって、満足に戦えない猫田を放り出すわけにもいかないし、猫田は魂炎玉が回復し次第、一匹ずつ吸血鬼の数を減らしてくれているのでその意味でも狛の傍から離れるわけにはいかないのだ。
そんな戦いは数時間以上にも及び、月はどんどんと高くなっていた。傷だらけの狛に何度目か解らない攻撃を仕掛けた和合が、少しウンザリした顔で言葉を放つ。
「しぶとい奴じゃ、まだ死なんのか。人狼いうのはしんから厄介な種族のようじゃのぉ。やはり、その血ぃ一滴残らず吸い尽くさな終わらんか」
「野郎…!おい、狛。大丈夫か?まだ戦えるか?」
「う、うん…!まだ、大丈夫……っ」
息を切らしてそう答える狛だが、消耗しているのは明らかだった。今の狛は、アスラとイツという二匹の犬神をその身に有していることで、脅威の回復力をみせている。だが、流石にそれも一晩中とはいかないだろう。朝になれば状況は逆転するだろうが、このまま朝まで戦い続けるのは不可能だ。その前に、狛の力が尽きてしまう。猫田は起死回生の策が無いか、必死に頭を巡らせていた。
(俺の力が戻ってりゃ、こんな奴らなんぞ…!やっぱりここは、あの和合って親玉を狙って仕留めるしかねぇ。あいつをやっつけりゃあ、手下共は連鎖的にくたばるはずだ…だが、どうやって…!)
そこで猫田は、一つの作戦を思いついた。場合によっては危険だが、他に手はない。猫田は和合に聞かれないよう、尻尾の一本を狛の耳に当て、身体の中から声を震わせた。
『狛、黙ってよく聞け。こうなったら相打ち狙いだ、奴が次に接近してきたら俺に構わず奴を捕まえろ。きっとアイツは勝負を決める前に、魂炎玉を使う俺を狙ってくるはずだ。その瞬間を狙って、思いっきり魂炎玉を叩き込んでやる。いいな?』
「そっ、そん…!」
『静かにしろ、奴に聞こえちまう!それしか手段はねぇんだ。…安心しろ、俺はそう簡単にはやられねぇ。こんなナリでも、体力は元のままだからな!』
狛は不服そうだが、他に手はないと判断したのか、渋々頷く。このまま消耗戦を続ければ不利なのは、狛自身がよく分かっているのだ。そして、猫田同様に覚悟を決めた。
(危ないと思ったら、私がどんなことをしても猫田さんを助けるんだ…!それが出来なきゃ、私は私じゃいられない!)
月明かりの下で、人狼と吸血鬼の戦いは決着の時を迎えようとしていた。