猫田と狛がそれぞれに覚悟を決める頃、それまで晴天だった空にどんよりと雲がかかり始めていた。和合の屋敷は山間にある為か、天気が変わりやすいらしい。月を隠すように雲が湧き立って、狛達の戦いすらも覆い隠そうとしているようだった。
狛のしぶとさに苛立ちを見せていた和合だったが、狛達が何か作戦を決めた事に勘付いたのか、ニヤニヤと底冷えするような笑みを浮かべて敢えて攻撃の手を緩めて佇んでいた。その間に、手下の下層吸血鬼達は復活し、猫田によって燃やされた十名ほど以外の戦力は元に戻っている。
あの大狗神ですら容易く打ち破った狛のパワーは凄まじく、破壊された吸血鬼達が完全に回復するにはそれなりに時間が必要だ。和合はそれを見て、一対一で狛と戦えば、狛には勝てない事を悟っていた。だからこそ、時間をかけてでも手駒が復活するのを待ったのだ。
それは狛と猫田もよく理解しているのだが、かといって、自分達から仕掛ける事はしなかった。狛の消耗具合の事もあるが、仮に狛の方から攻撃を仕掛けても、狡猾な和合は決して正面から相手にせず狛の消耗を更に誘ってくるのが目に見えていたからだ。それならばいっそのこと、猫田の作戦通りに行くよう僅かでも休息する方を選んだのである。
『そろそろ来やがるぞ。準備はいいか?狛』
耳に押し当てられた猫田の尻尾から、振動が混じった猫田の声が聞こえる。狛は少し不思議な感覚を覚えつつ、静かに頷いてみせた。
古来より、人狼と吸血鬼は互いに不死の怪物として、その頂点と覇権を争ってきた。それはまさに戦争と言っても差し支えないほどの歴史ある争いである。生命力とパワーに満ち溢れるが特定の条件下でしか不死身ではない人狼と、パワーやスピードに加えて非常に狡猾で、常に不死身の肉体を持って行動する吸血鬼との戦争が何故長引いたのかと言えば、それはひとえにその性質の違いだ。
本来、群れで行動し、圧倒的な数と力で蹂躙する人狼に対し、独立して個体で活動する吸血鬼では戦い方がまるで違う。そもそも、基本的な身体能力という面で言えば、吸血鬼と人狼ならば吸血鬼に軍配が上がる。特に真祖と呼ばれる魔界で生まれた13体の最上位吸血鬼の力は凄まじく、血で血を洗い力こそが全てという魔界において、己が力のみで魔界における貴族階級を勝ち取るほどの猛者達だ。だが、彼らは基本的にアンデッド…つまり死者である。新しく直系の子孫が生まれると言う事はまず無いし、その絶対数は少ない。それが純血の上位吸血鬼であればあるほど顕著である。その代わりに、彼らは血を吸った相手を支配したり、また自分より下位の吸血鬼へと変貌させる事が出来るのだ。
それに対し、人狼族は生物として対抗している。満月の夜にその力を最大限に発揮し、不死ともなる超絶の再生回復能力を持ちながら、人狼は子を産み育てて、自分達の群れを大きくしていくのだ。伝承上は人狼にも吸血鬼のように、噛んだ相手を人狼化させる伝染性を持っているが、彼らはほとんどそれをしない。狼は元々多産な生物だからだろう、自分の血を分けた群れの家族――つまり血統こそが彼らの力であり、誇りなのだ。
そうして地に満ちるほどの数の差と力を持って、いかなる策謀や悪略をも踏み抜き荒らし、例え仲間が倒されようと止まらずに突破する。その勢いこそが、吸血鬼達を上回る人狼の武器なのである。
だが、今の狛と和合の戦いは、それが全く逆転している状態だ。単独での戦闘能力では劣るものの手下である下層吸血鬼達を大量に有し、その数で圧倒しようとする吸血鬼の和合と、猫田の力を借りながらも、ほぼ独力で立ち向かう人狼の狛…それは正しく人狼と吸血鬼の戦いを真逆で再現したものに他ならない。そして、歴史上こうした勝負を制してきたのは
「どがいなに一人で強かろうと、組織には勝てん。……永遠の命得たこの新たな和合組に、勝てる者やらおらんのじゃ!」
和合が叫ぶように合図を送ると、狛達を取り囲んでいた下層吸血鬼達が一斉に牙を剥いた…何度目かの総攻撃だが、狙いは狛と猫田の双方だ。だが、今度ばかりは猫田も魂炎玉を使うわけにはいかない。それを使う相手はただ一人、親玉である和合のみである。
「はあぁぁぁぁっ!!」
狛は気合と共に襲い来る吸血鬼達を迎え撃った。これまで同様、二本の尾と拳、それに蹴りを巧みに使って次々に近づいてくる吸血鬼達を打ち倒していく。これまでに十体ほどの吸血鬼を猫田の魂炎玉で屠って来たが、狛が倒した者達は全て復活してしまっているので、ほとんど減ったようには見えない。恐らく和合組の構成員の大半がここに集結しているのだ。四国トップの暴力団だけあって、その人員の数にして百人は下らないだろう。
(まだだ!まだ来てねぇ…どこから来る?野郎の狙いは絶対に俺のはずだ!)
猫田はいつでも魂炎玉を放てるように、狛の頭の上で身を固めて和合の攻撃を待っていた。基本的に吸血鬼の弱点は、陽光と十字架、白木の杭に聖水、そして炎である。ニンニクも弱点と言われるが、ただぶつければいいというものでもないので、戦いの中で効果を発揮させるのは難しい。そして、その弱点の中で今この場にあるのは魂炎玉の炎だけだ。魂炎玉は猫田の魂そのものを炎に変えたエネルギーであるので、猫田に触れた途端、たちまちの内に相手を燃やす事が出来る。和合がそこまで気付いているとは思えないが、猫田を一番の障害として認識しているのは間違いないだろう。
そうして、遂に、その時が訪れる。
「ヒャハハッ!」
「ぐっ……来たかっ!そこだぁ!!」
甲高い笑い声と共に、猫田と狛の直上から、鋭い手刀が伸びてきて、猫田の胴体に突き刺さった。狛の手に捕まれないようにタイミングを狙っていたのだろう。ちょうど狛は前から来た吸血鬼を殴りつけている瞬間だった。だが、周到に待ち構えていた猫田には十分なほど反撃する余裕があった。その傷は内臓にまで達しているが、猫田は全く怯む事無く、魂炎玉でその手に火を放つ。
「グ、ギャアアアアアッ!」
断末魔の叫びが聞こえて、一気に吸血鬼の身体が燃え上がった。少し時間が経過したことで、猫田の霊力は元に戻りつつあり、魂炎玉もその威力を増している。文字通り瞬く間に燃えた吸血鬼は全身を炭化させてボロボロに崩れ落ちていった。
「やったぜ!…なに?!うおぁっ!?」
だが、次の瞬間、猫田の身体に衝撃が走って狛の頭から弾き飛ばされてしまった。そして、黒い霧が狛の背後に集まって鋭い牙を剥いて残酷に笑う和合の姿へと変わった。
「ね、猫田さんっ!?あっ……」
「バカめ、畜生の企みなんぞお見通しよ。端から儂の狙いは人狼の小娘のみだ。…クク、綺麗な首じゃ、もらうぞ、その血ぃ!」
和合は猫田の狙いを察し、タイミングを見計らって手下の吸血鬼に猫田を攻撃させたのだ。和合自身はその手下の身体に霧となって隠れ、妖気で自分と錯覚させて、敢えて魂炎玉を猫田に使わせたのである。そして、猫田がやられた一瞬の隙を突いて、狛の背後から、勢いよくその首に噛みついた。
「く…こ、狛ぁーーっ!?」
弾き飛ばされた猫田の叫びが、屋敷の外までこだまする。吸血鬼は一度嚙み付けば、決してその牙を放しはしない。和合は勝利を確信し、猫田は己の敗北を認めざるを得なかった。しかし。
「……む?」
「……滾る我が血と霊力を糧とし、来たれ、霊なる炎…
猫田の叫びに打ち消されて聞こえなかったが、狛は呪文を唱えていた。それは狛が苦手としている犬神家の霊術の一つで、己の霊力と血を媒介として炎の竜巻を生み出す技だ。霊符を使わずとも発動できるのが強みだが、血を媒介とする為、何度もは使えない。
「な、なに!?…ち、血が燃えるだと!?ほ、炎がッ!燃える、俺の身体、が!グァ!ギャアアアアッッ!」
如何に不死身の吸血鬼であっても、飲み込んだ血が炎になっては一溜りもない。しかも、狛はこの術の
和合は身体の内部から、灼熱の激しい炎に焼かれて燃え上がり、灰となって死んだ。それだけでは飽き足らず、和合の身体から巻き起こった凄まじい炎の竜巻が、庭全体を焼き尽くそうとしている。
狛はすぐに和合から離れ、猫田を拾い上げて屋敷の反対側へ跳んだ。庭にいた下層吸血鬼達は和合の死によって連鎖的に苦しみ出し、炎の竜巻に飲み込まれていく。このままでは屋敷全体どころか、周囲の山まで延焼が広がるだろう。こうなる事を恐れて、狛はこの術を使わなかったのである。
「ど、どうしよ!?全部燃えちゃう…!」
「狛、待て……!アレだ、あの池を使う…ぞ!」
「え?あ、うん!」
狛が跳んだ屋敷の反対側には、大きな池があった。猫田はそれに気付くと狛を誘導してその池の辺に立たせた。そして、もう一度魂炎玉を使って、今度は池の水を巨大な氷へと変えた。
「氷雨……お前の力があって助かった…ぜ」
「…よぉしっ、猫田さん、待っててね!」
狛はその巨大な氷を持ち上げると、猫田をその場に置き、一足飛びでまた燃え盛る庭へと戻っていく。そして、激しい炎の中心にその氷を投げ込む。叩きつけられた氷は砕け散り、大量の霧と極低温を生み出していた。それはただの氷ではなく、氷雨が遺した結晶の力を借りた魔性の氷だ。それはまるで意志を持っているかのように嵐となって、あっという間に炎と打ち消し合って消滅していった。
結局、庭だけでなく、屋敷も少し燃えてしまったが香木のあった部屋は無事だろう。狛と猫田は少しだけ身体を休めてから、隠神刑部の元へ戻ることにした。ちょうど、その時だ。屋敷の中で和合が見ていたのか、テレビからはニュースが流れたままだった。そこから聞こえた内容に、狛と猫田は自分の耳を疑った。
「猫田さん、これって……」
「う、ウソだろ…そんな、バカな……」
――現在、我が国は心霊や妖怪という怪物の攻撃によって、未曽有の被害を受けております。我々はこれまでそれらに対して、有効な反撃、防衛手段を持ち得ておりませんでした。しかし、国民の生命と財産を守る為、自衛隊の内部に新しい防衛部隊の設立を表明致します。その部隊の名は……