睨み合って対峙する美沙とトワ、他の隊員達はその場に満ちるプレッシャーの強さで全く動けず、固唾を飲んで見守っている。そんな中、まず先に動いたのは美沙だった。
「シッ!」
「へぇ…!やるじゃない。
「さぁね。…アンタの狙いがいい加減だっただけかもよ?」
もちろんそれは嘘である。トワはちゃんと銃弾を目で見てから回避していた。そう言ったのは、美沙への挑発をしたいが為だ。美沙は舌打ちをして再び速射で攻撃するが、やはりトワにはかすりもしなかった。
そして、二度三度と攻撃を躱した後、今度はトワが動き出す。両手を前に出し、肘を曲げて顔を守りながら、文字通り一直線に美沙へ向かってダッシュしていく。美沙はそんなトワに銃弾を浴びせ掛けたが、それらは全て、手や胴に纏った外骨格の鎧に弾かれた。
「シャァァァッ!」
「ちぃっ!」
まるで耳さえも切り裂くような高音で叫びながら、トワは美沙に肉薄すると、美沙に向かって鋭い蹴りを放った。足の膝から下にも外骨格は纏われていて、それが非常に鋭利な刃の役割も果たしている。美沙は咄嗟に一歩後ろへ避けたが、それだけでは回避できないと判断して、舌打ちしつつ銃でその蹴りを防ごうとした。
ザンッ!という鉄を切り裂く鈍い音と共に、美沙の持つ
「あ~あ……やられちゃったわ。初めから銃が狙いだったってわけ?」
「まあね。見たとこ、銃がなきゃアンタは戦えないだろ?安心しなよ、とりあえず命までは取らないでおいてあげるから」
「…へぇ、優しいんだ、女郎蜘蛛サマは。言っとくけど、アタシはアンタを見逃したりしないよ?」
「武器も無しに戦うつもり?やれるもんなら……なに!?」
トワが言葉を言い終える前に、美沙はトワに向かって駆け出していた。その速さは尋常ではない、まるで人狼化した狛のような、人の限界を遥かに超えた動きだ。アーマーの付いたスーツなど、重い装備を着ている美沙がそんな動きをみせると思っていなかったトワは、完全に不意を衝かれた。そのまま一瞬のうちに接近を許し、美沙が放つ鋭い斬撃によって、トワの身体に腰から胸まで大きなX状の傷をつけられていた。
「クゥッ!?」
「舐めんじゃないよ、妖怪風情が!」
トワは背中の六本の足で大きく飛び退って距離を取ると、改めて美沙を睨む。その美沙の両手には薄っすらと光を放つ、ナイフが握られていて、僅かに血が滴り落ちていた。それは美沙専用に開発された
トワの纏う外骨格は、銃弾を弾いた事からも解る通り、相当な強度と硬度を兼ね備えている。トワ自身の妖力で吐き出す糸を寄り合わせ、そこにトワの血を混ぜることで呪術的にも強化した鎧で、トワの切り札とも言える戦闘形態だ。それをここまで簡単に切り裂ける美沙のノワールは、尋常でない破壊力を持っていると言っていい。
(やれやれ、コイツの相手がアタシで良かったよ……他の皆じゃ、大怪我どこじゃすまなかったね)
トワが腹の傷を指でなぞると、決して少なくない量の血がベッタリと指についてきた。外骨格のおかげで致命傷とまではいかなかったのが不幸中の幸いだが、浅い傷でもない。しかし、トワはそんなことなど気にも留めずに、顔を覆う外骨格のマスクを外し、その血をペロリと舐めとった。それを挑発と捉えたのか、美沙は激昂し、再びトワへと接近する。
「…死ね!この売女蜘蛛っ!!」
「くぅっ!?ホントにさっきまでと別人みたいだねっ…!」
逆手に持ったノワールを巧みに扱い、美沙はトワの身体を切り苛む。トワは別人のようだと評したが、それはあながち間違いではなかった。須佐美沙という女性は、ナイフを持つと性格が変わる、二重人格に似た性質の持ち主だったからだ。
美沙の祖母は沖縄でユタとして生きる女性である。それは代々続いてきた家系の
美沙は幼少期に、祖母のユタとしての仕事を真似して口寄せを行ってしまった。普通なら経験や能力が不足して成功するはずの無いそれは、美沙の高い霊的な素質故に成功してしまう。そこで厄介だったのは、彼女が降霊したものは単なる人の魂ではなく、
荒魂は神の魂の一部分、即ち怒りなどの激情を表したものである。大人であってもそれを御する事は難しいというのに、その時の美沙は年端も行かない子どもであり、到底そんな感情を制御する事はできなかった。このままでは、彼女は荒ぶる魂に支配された狂気の中に飲まれてしまう……一計を案じた彼女の祖母はその荒魂を美沙の中で封じ込めることにした。荒魂の現出に条件付けをして、普段は表に出さず美沙の魂の中に閉じ込めておく。そうすることで、美沙の成長と共に荒魂を制御させ、完全に融和させようとしたのだ。
その条件こそが、美沙が刃物を持った時である。ある意味危険すぎる条件だが、実のところ荒魂の力は凄まじく、それを全くの無駄にするのは惜しい。戦う手段としてでもそれを活用するにはその条件が適している…そう判断したようだ。そしてその目論見は一定の成功を見せ、美沙は刃物さえ持たなければ普通の少女として生きる事が出来た。その間に、厳しい修行をこなした彼女は、荒魂の力を我が物とすることにも成功した。
荒魂による霊力の強化と、それを扱うに足る凄まじいまでの身体能力の向上…その代償が、二重人格とも言える性格の激変である。
「オラオラ、死ね死ね!さっさとくたばればいいんだよっ!蜘蛛女め!」
「こ、コイツ…どんどん動きが早く…っ!?」
トワが防戦一方に追いやられているのは、攻撃する度に美沙の動きがその速さを増しているからだ。
美沙の持つ
(このナイフ…!威力はあるけど、強度は無さそうだね。これなら上手く隙を突けば破壊できる、けど……!)
トワはどんどんと削り取られていく外骨格の状態を確認しながら、反撃の機会を窺っていた。トワの見立て通り、ノワールは刀身自体も薄く作られているので、衝撃にはそこまで強くない。だが、美沙の攻撃は苛烈で素早く、中々チャンスは巡ってこないようだ。出来れば二本同時に無力化したい所だ、しかし狙っている余裕はほとんどない。
そこでトワは、ダメージを受けた風に装って両手の防御を下げ、隙が出来そうな美沙の攻撃を誘う事にした。一歩間違えれば危険極まりないのは確かだが、このまま削られ続ければ同じ事である。幸い、蜘蛛は疑死をするほど演技に自信がある。それは妖怪となっても同じで、トワもやられたフリで攻撃を誘うくらいは容易いことだ。
「うっ…!?」
数瞬の間を置いてトワは両手から血を流しながらガードを緩めた。タイミングよく攻撃が来れば間違いなくノワールを破壊できるだろう。そして、その隙を逃す美沙ではなく、チャンスはすぐに訪れた。
「はっ、隙だらけなんだよっ!くたばれ!」
勝ち誇るように美沙が叫び、ノワールを左右から腹部に突き刺す。美沙はトワの狙いを見切っていた。先程、
「ふっ…!アタシの狙いはアンタの無力化さ。
「なに……?はっ!?」
次の瞬間、美沙の両腕に鋭利なものが突き刺さった。トワの背中から生えている、鋭く尖った六本の足…その内の二本だ。それはスーツごと腕を完全に貫通し、骨をも破壊している。
「ぐぅっっ!?ああああああっ!!」
「…へへ、アタシを甘くみるんじゃないよ……っ!」
(カイリさん、ショウコ姐……ごめん…)
美沙は痛みのあまり絶叫し、悲痛な叫び声が異界にこだました。トワの意識はそれを聞きながら、深い闇の底へと落ちていくのだった。