新支隊によるくりぃちゃぁ襲撃が始まってから二時間が経過した頃…その頃、とある神社の片隅で、一匹の妖怪がその身を震わせていた。
「あら、トワちゃん……そう…」
それは蛇の半身を持つ女の妖怪、沼御前のショウコである。彼女は妖怪でありながら、他のくりぃちゃぁに棲む妖怪達とは違い、一地方においては荒神として祀られている存在だ。立場としては土地神などのような下級神の末端という立場にある。それ故、くりぃちゃぁには棲まず、夜には大抵、自身が祀られている神社へ帰るのが決まりだ。今日もいつも通り、くりぃちゃぁから自身の社へ帰って休んでいた最中、
異変を察知したショウコは、すぐに飛び起きてくりぃちゃぁへ向かおうとしたが、上位の神によってそれを禁じられてしまった。彼女が曲がりなりにも日本の神の一柱である以上、それに逆らう事は許されない。まるで、
そしてショウコは胸に大きなわだかまりを残しつつ、トワの最期を感じ取っていた。くりぃちゃぁで二人と出会ってから数十年、いつしかくりぃちゃぁの妖怪三人娘と称されて仲間となり、ここまで仲良くやってきたのだが、まさかこんな別れになるとは思ってもみなかった。傍にいるはずのカイリは無事なのか、他の仲間達はどうしているのかを考えつつ、ショウコは空を見上げている。その瞳から、大粒の涙が流れ落ちているのもはばからずに。
「トワ…っ!?…………逝ったか」
一方、もう一つの異界空間で城戸率いる分隊を相手にしていたカイリもまた、トワの最期を感じ取っていた。美沙が率いていた分隊とは違い、城戸隊は非常に練度と士気が高い。その上、異常なほど連携が取れている。二列で陣形を組み、前方の十人が膝立ちで銃を構え、後列の十人は立ったまま銃を構えている。彼らはまさに寸分の狂いなく動く歴戦の兵隊そのものだ。その射撃の精密さにはさすがのカイリも手を焼いていて、迂闊な攻めが出来ずにいた。
「私がもっと早くこいつらを始末出来れば、助太刀に行けたものを……すまない。トワ、ショウコ」
苦々しい、忸怩たる思いを口にしつつ、カイリはトワの魂と、この場に駆けつける事ができないショウコへ詫びた。既にくりぃちゃぁ側で戦力になりそうな妖怪達はほとんどいない状態だ。カイリを除いて残っているのは、土敷と鬼部、それに玖歌と蛇骨婆のジャコくらいのものだろう。流れてきた妖怪達もほとんどが最初の襲撃によって壊滅し、後は戦う力を持たないハマのような妖怪達だけである。そう言えば、鬼部にいつもベッタリとくっついている
異界化に伴い、大きく歪んで形を変えた物陰に隠れるカイリへ向けて、城戸は静かに、しかし力強く言葉を放つ。
「どうした、妖怪。出て来ないのか?時間稼ぎをしていれば、仲間が駆け付けると思っているのなら大違いだぞ。俺の仲間は確実にお前達を殲滅する。確かにお前は強力な妖怪だが、俺達の役目はお前の足止めでもあるんだ。お前という強力なカードを俺達が止めておけば、その間に他の仲間達が、お前の仲間を殺し尽くすだろう。そして、最後にここへ来てお前も終わる。どちらにしても長引いて困るのはお前の方だぞ」
「ちぃっ…忌々しい男だ。しかし、このままでは奴の言う通りか」
城戸のそれは、明らかに挑発だ。彼らは確実にカイリを脅威と見ている。だから、カイリを無視して進む事が出来ず、カイリが姿を隠していてもこの場を離れる事ができないのだ。だが、それはカイリも同じことである。もしもカイリが城戸隊を自由にさせてしまえば、本丸である土敷と店は確実に潰されるだろう。いくら鬼部が強くとも、この数と実力の敵を複数相手には出来ない。土敷達が負ければ、待っているのは戦えない妖怪達への虐殺である。仲間として、それだけは絶対に避けなければならない結末だ。
「トワは命懸けで敵を抑え込んだとみるべきだ。となれば、私も……覚悟を決める時が来たか」
壇ノ浦の戦いで夫を亡くし、泣きに泣いて後を追うようにして身を投げた後、カイリは妖怪、海御前となった。あの日の苦しみと悔しさは、例えその身を妖怪に窶した今でも忘れることはない。あれ以来、ずっとカイリは、自分の命をどう使いきるかだけを考えて生きてきた。そして今、守るべき仲間はくりぃちゃぁの者達だけに止まらない。海御前は河童達の頭領でもあるからだ。
この新しい
「その後の事は……こんなことに巻き込みたくないが、狛や神奈に任せられれば、か。とにかく、今の私はくりぃちゃぁを守る事だけに全てを懸けよう…!」
こうして、カイリは覚悟を決めた。しかし、闇雲に命を投げ捨てるつもりはない。確実に戦果を挙げて、敵の進軍を止めなくては犬死にだ。それを避ける為にどう戦うか、カイリは知恵を絞り始めた。
「奴らの動きは完璧だ。全く乱れがない…だが、それはあの統率している男がいるからこそだろう。ならば、あの男を倒せば集団は瓦解するはずだ……!」
カイリは城戸に狙いをつけ、彼らの強みである連携を崩すことに決めた。土敷からの命令は、出来るだけ人間を殺さないようにということだったが、彼らは手加減をして勝てる相手ではない。カイリ自身、決して人を殺したいという気はないが、己の命を懸ける以上、相手の命ばかりを気遣うつもりもないようだ。
「そうとなれば……!」
カイリはその場ですっくと立ちあがり、歪んだコンクリートの物陰から身体を出した。城戸隊はすぐさま
「観念したようだな?残念だが、見逃してやることは出来ない。お前達妖怪を始末するのが俺達の役目だからだ、だが、その心意気に免じて苦しまないように殺してやろう。全体、構え!」
「……観念?この私がか?ふ、生憎とこの命、易々とくれてやるつもりはない。…聞け!私は誇り高き河童の頭領、海御前のカイリ!そして、何よりも武人であり貴人たる平家の血を宿すもの…どこの馬の骨とも知れぬ卑賎の輩に、我が身を冒す許しなど無しと知れ!」
「偉そうに吠えるな妖怪如きが!人であった頃の名も血も誉も、妖怪に身を窶した時点で喪われたも同然だ!撃てっ!」
城戸の合図から寸分も遅れずに、隊員達が一斉に引鉄を引くと、薄暗い異界空間に激しい銃火が巻き起こって一筋の光を放った。浴びせ掛けられる無数の銃弾を、カイリは極めて冷静に見極めて最小の動きでそれを躱す。
(そうだ。
華麗に銃弾の雨を躱したカイリは、そのまま大きく右に跳んで集団の側面に回り込んだ。しかし、城戸隊はそれを見越していたかのように滑らかな動きをみせ、銃口が素早くカイリを追った。カイリの動きと城戸隊の狙いが完全に連動しているような速さと正確さだ。その動きに負けじと、カイリは軽やかなステップで大きく左右に揺れ動いている。だが、向けられた銃口はピッタリと吸い付くようにカイリを捉えて離そうとしない。
「無駄だ、その程度の動きで俺達の狙いから逃れられるものか。…今だ、撃てっ!」
「…っ!」
僅かな隙をも見逃さず、再び火を噴くような銃撃がカイリを襲った。相変わらず狂いの全くない狙いは完璧で、カイリは直撃こそ避けたが、数発の弾丸が身体をかすめていく。
(見切り損ねた!?いや、奴らは学習しているのか。敵ながら大したものだ!)
「よし、次は中てるぞ…!総員集中っ!」
銃弾がその身をかすっても尚、カイリは動きを止めることなく更に動きに緩急をつけてステップを踏み続けていた。それはまるで白拍子の舞のように、どこか気品と妖しさを感じさせる動きである。しかし、城戸も隊員達も、その美しさに惑わされる様子はない、ただひたすらに銃弾でカイリを引き裂く事に集中しきっているようだ。そして……
「ここで…っ!」
十数秒の後、カイリは突如スピードを上げて、そこから高く、高く跳躍した。普通の人間ならば、その突然の行動に惑わされていただろう。だが、彼ら城戸分隊はそんな動きにも全く動じず、空中で身動きの取れないカイリに向かって一斉射撃を放った。
「かかった!」
放たれた銃弾は見事にカイリを撃ち貫き、やがてその身体は靄のようにゆっくりとぼやけて……消えた。それは、影だ。カイリはそのスピードと妖気を巧みに操り、自分が飛んだように見せかけていたのだ。隊員達はそれに気付かず、跳躍したカイリを撃ったのである。
「それもお見通しだ。…残念だったな」
そんな中、たった一人……城戸だけはそれを見抜いていた。自分が跳んだように見せかけたカイリの策を看破し、城戸だけは地上を走って接近する本物のカイリに狙いをつけていた。そして、その心臓に向けて一発の弾丸を叩き込む。
ダァンッ!という銃声が響き、走るカイリの胸から鮮血が飛び散る。信じられないといった驚愕の表情のまま、カイリはその場に崩れ落ちた。
「ふん…偉そうにほざいていてもこんなものだ。班長の手を煩わせる事にならなくてよかったな。これで心置きなく先に進めるだろう」
「……いいや、お前はどこにも行けないさ」
「なに!?」
城戸の背後で、呟きに応える者がいた…それはたった今、銃弾に倒れたはずのカイリであった。城戸が驚き、振り向く前にカイリは手にした薙刀の刃を城戸に突き刺す。更に素早くそれを抜くと、今度は全力で振るって隊員達全員を吹き飛ばし、完全に沈黙させた。先程カイリがステップを踏んでいたように見えたあの動きは、カイリ自身の身体を使った催眠術であった。
カイリは、自らを狙い撃とうと城戸隊全員がその動きに集中するのを見越して、催眠をかけるように妖気を放ちながら動いていたのだ。平の隊員達はまんまとそれにかかり、空に跳んだ影を撃たせる事に成功したが、城戸だけは催眠のかかりが浅く、遅かった。城戸に催眠がかかったのは、カイリを狙い撃った瞬間である。
城戸は一人カイリの策を見破り心臓を撃ったことで、カイリを仕留めたと確信し、心のガードを緩めたのだ。カイリは銃弾をその身に受けた瞬間、城戸の心を捕らえていた。崩れ落ちたように見えたのは、全くの幻である。
「一か八かだったが、うまく行って良かった。…思ったよりも、ずっと強敵だった、な。……ああ…皆、すまな、ぃ……」
その胸から更に鮮血が溢れ出し、カイリはその場に倒れ込んだ。囁くように呟いたその言葉を聞いているものは、誰もいない。