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第337話 死に往く者達

「トワ、カイリ…!」


 二人の名を口にして、土敷は拳を握り締めていた。あまりに強く握った為に、指先が鬱血し、食い込んだ爪が肉を切り手の平から血が流れ始めている。


 トワとカイリはそれぞれ別々に土敷の元へやってきた妖怪だが、長い間、そこにショウコを含めた三体でくりぃちゃぁの用心棒として働いてくれた、頼れる仲間達だ。鬼部が土敷を守る事に注力している分、彼女達には戦う力を持たない妖怪達を守ろうと尽力してくれた恩があるのだ。そんな彼女達の最期を看取ってやれないのが土敷には悔しくて堪らないようだった。もっとも、既に手に掛けられてしまった他の妖怪達にも同じ気持ちはある。だからこそ、その手に力が入ってしまっているのだが。


「…かのうさん、こらえてください」


「解っているよ、僕が最後の要だからね。ただ、無力な自分が情けないだけさ。トワとカイリには、いつか僕があっちに行ったら謝るよ。……地に頭をこすりつけてでもね」


 土敷はそう言って、力無く笑ってみせた。あまりにも弱々しい表情に、鬼部はそれ以上何も言えず静かに黙って、二人に黙祷を捧げることしか出来なかった。




 そして、美沙と城戸の分隊が進攻して三十分ほどが経過した頃、手元に残した十人ほどの隊員の前で、真護は顔をしかめて何かを考えていた。


「先行した須佐隊と城戸隊から連絡がない。異界化の影響で通信が途絶している可能性もあるが、それにしても時間が掛かりすぎている。…まさか、あの二人に限って、不測の事態は考え難いが……仕方ない。我々も突入するぞ」


 真護の言葉に、付き従う隊員達は待ってましたと言わんばかりに素早く立ち上がった。本来、真護達の役割は外から別の妖怪が救援に来た時の為の防波堤である。それに加えて、撃ち漏らしを避け、逃げてきた敵を確実に仕留める事も求められている。そんな彼らが前線に入るのは、そもそもイレギュラーなのだ。


「本部に応援を要請しますか?」


 隊員の一人がそう訊ねると、真護は少し考える様子をみせた。自分が出向くとなれば、応援など必要ない所だ。彼はそれだけ自分の力に自信を持っている。ただ、あの美沙と城戸がもし遅れをとるような相手だとしたら、油断は禁物だ。ライバルである弧乃木への対抗心と、よくあるプライドをとるような矮小な人間にはなるまいと、真護は思い直して答えを出した。


「…連絡しておけ、どちらにしても怪我人がいれば運び出すのに人手がいるだろうからな」


「了解しました。…………外部協力者をこちらに回すとのことです」


「何?外部から?…本部め、何を考えている…?」


 そんな訝しむ真護達から少し離れた道路脇のゴミ捨て場に、小さな少女の姿をした人形が置かれていた。…人形神ひんながみだ。彼女は当初、鬼部と一緒にくりぃちゃぁの店内にいたのだが、事態が大きくなるに従って、鬼部へ近づく危険を察知し密かに店外に出て偵察していたのだ。そして今、そこにいる真護が敵集団のリーダーだと知って、その獰猛な牙を研ぎ澄ませているようだった。


(様子を見に外まで出てきてみれば…アイツが親玉ね!他の妖怪達はまぁどうでもいいけど、コイツらを放っておいたら鬼部サマに危険が及ぶわ……そんなこと、絶対に許さない!)


 人形神ひんながみはくりぃちゃぁにいる他の妖怪達とは違い、人間が好きだから争いを避けてくりぃちゃぁにいるわけではない。狛がたまたま持ち込んだ時に、自称運命の相手である鬼部と出会ったから、くりぃちゃぁの居候になっただけである。その為、他の妖怪達に対して特別な感情は持ち合わせていない。元々、人形神ひんながみというものはどちらかと言えば悪神に近い妖怪だ。その性質は間違いなく悪であり、人に害をなすタイプの妖怪なのである。そのせいだろう、彼女はくりぃちゃぁにいる妖怪達とはあまり反りが合わないようだった。彼女にとっては鬼部という至高の存在がいて、彼が仲良くしている妖怪達だからこそ、必要以上にぶつからず生活していただけというのが本当のところだ。


 そんな彼女にとって、トワやカイリ、そしてその他の妖怪達が真護達の手にかかったことなど、気にするほどのことではない。彼女が怒るのはただ一つ、鬼部に敵対しようとする者を許さないという一点に尽きるのである。


 人形神ひんながみは真護達に気取られないよう、密かに妖気を練り上げていく。彼女は小型であるが故に、非常に素早い妖怪だ。全力で行動すればくりぃちゃぁにいるどの妖怪にも負けないスピードがあると自負している。当然、人間如きに捕まる事などあり得ない。ましてや不意を衝けば尚更だ。

 昂る怒りの衝動を隠しつつ、人形神ひんながみから見て真護が背を向けた次の瞬間、彼女はその猛る全てを解放して、一気に飛び出した。


「死ぃぃぃ…ねぇぇぇぇッッッ!!」


「っ!?」


 人形神ひんながみはその目を見開き、文字通り電光石火のスピードで真護の首を狙って、飛んだ。鋭くギザギザに尖った歯は、サメの歯を思わせる獰猛な様相で、ガチガチとその歯を鳴らしながら飛び掛かる姿はどんな妖怪よりも恐ろしい。真護率いる隊員達のほとんどは人形神ひんながみの動きに対応できず、固まったままだった。そんな中、真護は人形神ひんながみの姿など見もせずに、接近してきた人形神ひんながみの身体を掴んで止めた。


「ふん、奇襲のつもりか?浅はかな」


「……なっ!?なんで…っ」


 事も無げにそう呟く真護だが、ほんの一瞬でも遅れれば、その首に噛みつかれて致命傷を負っていたはずだ。しかし、真護は落ち着いた様子で、掴んでから初めて人形神ひんながみの姿を確認したようだった。


人形神ひんながみ、か。ずいぶんと珍しい妖怪だな。いくら妖気を上手く隠そうとも、あれほど殺気をばら撒いていては、存在をアピールしているようなものだ。しかし、お前は危険な存在だ。人に仇なす敵性妖怪め、貴様のような奴にかける情けはない。…死ね」


(そ、そんな…!?身体が、一体何をされて……こ、この私が、人間なんか、にっ…!)


 真護は片手に人形神ひんながみを掴んだまま、極めて強い激情を見せて罵倒した。するとその直後、人形神ひんながみの身体が見る間に賽の目状に切り落とされていく。しかも、ただ身体を切られているだけではない、人形神ひんながみを妖怪たらしめている魂そのものを巻き込んで切り刻まれているのだ。このままバラバラにされてしまえば、確実に死に至るのは明らかだった。しかし、身体を掴まれたままの人形神ひんながみは、それを避ける事も防ぐことも出来ず、ただ自分の身体が壊れていく感覚だけに意識が支配されていた。


「あ、あああっ!?お、鬼…部サ、マ…ッ!」


 真護に身体を掴まれ、身動きの取れないまま人形神ひんながみは鬼部の名を呼びつつ散っていった。バラバラになった人形神ひんながみだったものをその場に投げ捨て、真護は一瞥もせずに部下達を引き連れ、くりぃちゃぁに向かって歩き出す。それを近くのビルの上から見ていた百地は、身悶えさせながら満面の笑みを浮かべていた。


「ふ…はは、はははっ!ああ、あの悪辣な人形神ひんながみの最期が、まさか愛した男の名を呼んで果てるだなんてっ!!あっはははははっ!これは傑作だ!あれじゃあまるで、人間の少女のようじゃあないかっ!あはははははっ!異界化が始まって面白いものが見れなくなったと思っていたのに、ここへ来てこんな最高のが待っていたとは…ククク、ああ、面白い、面白すぎるなぁ、これは!」


 一人笑い続ける百地だったが、ふと何かに気付いたように西の空へと視線を向けた。


「おやおや…?ずいぶんとだ。ああ、嫌だなぁ…こんなに楽しい見世物ももうすぐ終わりということか。フフフ、最後にもう少し楽しめるといいなぁ……!」


 その視線の先には何も見えない。しかし、百地には確かに何かが感じ取れているようだ。惨劇が続く悲壮な空気の中、爽やかな朝の光が対照的にくりぃちゃぁを照らしている。

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