土敷が銃弾に倒れ、鬼部も右腕を切断されて膝をついてしまったちょうどその時、くりぃちゃぁを包んでいた異界化が解け、外ではある異変が起きていた。
「異界化が解けたぞ、班長達がやったようだな!」
「流石は真護班長だ。須佐さんと城戸さんの分隊が出てきた時はどうなる事かと思ったが、この分なら外部協力者も……ん?おい、あれは、なんだ?」
「え?」
先に気付いたのは千田である。たまたま見上げた空に、キラリと太陽の光が反射するものがあった。黄金色に光るそれが何なのかは遠すぎて解らないが、飛行機のようには見えない。だが、明らかに上空だ。あんな高さを飛ぶものは飛行機くらいしかないはずである。
千田の疑問につられて、十峰も空を見上げると、その黄金色の光は確かにこちらへ近づいてきているようだった。それもかなりのスピードでだ。二人がそれを妖怪だと気付いた時には、既に止められる状態ではなかったようだ。銃を構える暇すらなく、慌てふためく二人の間を、金色のそれは駆け抜けていった。
「ずいぶんと手こずらせてくれたものだが、異界化も解けた。これで終わりだな」
「は、班長…!子どもです、倒れているのは人間の子どものようでっ…!」
膝をついて右肩を抑える鬼部の視線の先で、分隊員に囲まれて倒れる土敷の姿が見えた。異界が暗かった為に、正確に急所を撃たれたわけではないはずだが、土敷は無防備な状態だったので、あれだけ撃ち込まれれば一溜りもない。しかも、鬼部は彼が飛び込んでこないように動きを抑えてしまっていたのだ。あれでは避けることはおろか、防ぐことすら難しかっただろう。この時ばかりは、最悪の偶然が重なったと言える。
「狼狽えるな、こんな所に人間の子どもがいるものか。そいつは子どものように見えるだけで、れっきとした妖怪だろう。……そうか、座敷童か。この鬼め、座敷童を味方につけていたとはな」
「グッ…!グワァッ!」
真護はギラついた瞳で鬼部を睨みつけ、トドメと言わんばかりにその両足を切断していった。もはや鬼部は立つことも出来ないだろう。かといってトドメを刺す事もしないのは、真護の目に浮かぶ昏い加虐心の現れだろうか。
真護が言っているのは、座敷童の持つ特性のことである。座敷童は本来、棲み付いた家の家人に幸福を与える妖怪とされてきた。それは即ち、運命を捻じ曲げる力と言ってもいい。普通の座敷童なら、そこまでの力は持たないのだが、土敷の場合は一般的な座敷童とは一線を画す能力を持っていた…それが、偶然を味方につける力である。
運命を捻じ曲げると言っても、全く完璧にあり得ない事をやってのけるわけではない。あくまで偶然に、起こり得る様々な事態の中で、最悪ではないものを選んでいるだけだ。鬼部に致命の一撃が当たらなかったのも、真護や部下の隊員達が足を滑らせるという、普段ならやらないであろうミスをしたのもそれが原因だった。
「道理で、妙に貴様らに都合の良い事ばかり起こるわけだ。今まで貴様らが見過ごされてきたのも、それが理由だな?そうでなければこんな店などおおっぴらに営業出来るはずもない、か」
真護は異界化の解けた店内の様子を見ながら、吐き捨てるように言った。きちんと整えられたテーブルや、清掃が行き届いた床。普段ならば、およそ妖怪が営業しているなどとは誰も思わないだろう。それは土敷の力ではなく、この店に集う妖怪達が、必死に管理し、守って来た証である。だが、それすらも、真護の目には人を欺き、騙して自分達の餌にしようとする為の偽装工作にしか見えていなかった。彼にとって、妖怪は全て悪であり、倒すべき敵だったからだ。それが例え、座敷童であっても。
真護はツカツカと足音を響かせて、土敷の元へ向かった。その足取りにはどこか緊張感があって、感情の昂りが感じられた。
「く……ぅ…」
倒れ込んだ土敷は、束の間の気絶から意識を取り戻し、痛みを堪えて仰向けになった。長い間生きてきたが、銃で撃たれたのは初めてだ。焼け付くような痛みと出血で、力が抜けていくのが奇妙なほどハッキリとよく解る。辛うじて動く手を腹に乗せてみると、べっとりとした血の感触がそこにはあった。
(致命傷……か?地下の皆だけでも、守りたかったが…)
はぁはぁと荒い息をしていても、考えるのは仲間達の事である。死を恐れる気持ちは確かにあるが、それは今の彼にとって些細な事だ。トワやカイリだけでなく、多くの仲間を死なせてしまったと言う事実がある以上、自分がみっともなくそれから逃れようとは思っていない。妖怪の自分が死んだら冥界のどこに行くのかは知らないが、遥か昔に亡くなった、元居た呉服屋の主人に会いたいという気持ちは根強い。彼は土敷の事を知らないまま、幸せな人生を歩んで亡くなったはずだが、もしかしたら、あの世から自分の子孫の事を見ているかもしれない。そうであるならば、自分の事も気付いているだろう。
(会えるものなら、会って話をしてみたかった、な……)
熱に浮かされた譫言のように、痛みで朦朧とした意識の中でそう考える。そんな土敷の隣には、いつの間にか真護が立って、見下ろしていた。真護はじっと血の気を失った土敷の顔を見つめるとマスクの上からでも解るほどに顔を歪ませていた。
「座敷童……違うな、アイツじゃあない。おい!起きろ、妖怪。まだ意識はあるだろう。…聞きたい事がある」
「はぁ…はぁ……なんだい?全く、おちおち死んでもいられない…な」
「質問に答えたら、苦しまないようにトドメを刺してやる。……お前の他に座敷童はいるか?」
「…はぁ、質問は……明確に、して欲しい、な。この店に…ってことなら、他にはいないよ。はぁ…はぁ……僕、だけだ……他の場所なら、まだ…残っている仲間もいる、だろう…ね」
「……そうか。一応聞くが、そいつらの居場所は?」
「はぁ、はぁ…生憎と、僕らは……あまり仲間と…連絡を取ったりはしない、んだよ…はぁ…はぁ……どう、して…そんな…?ああ、君の傍にもいたのか……僕らの、仲間が…」
「…!」
言葉には出なかったが、後少しで何故それを?と口を吐いて出そうになり、真護は動揺していた。そんな明らかな瞳の色を見つめて、土敷はさらに答える。
「解るんだよ、僕ら座敷童は……家に居ついて、家人幸運をもたらす、妖怪だ…その力は、対象……の人間について、まわるから…ね。よく見れば、君には…仲間の力、が……感じ、られる。だいぶ、弱くなって…しまって、いるけれど……はぁ…はぁ…」
「バカな!?…俺が、まだアイツの力に護られているだと!アイツは俺の家を……俺を捨てて出ていったんだぞ!?そのせいで、家は没落し、家族は……!」
「何があったのか、は…知らない、が……君は…その力に護られていなければ…命を落としていた、はずだ。はぁ…はぁ…姿、が見えないのは、きっと…君を護る、為に…限界、を超えて……力を使ってしまった、から、だろう…僕のように、ね……」
「何…?」
「おかしいと、思わなかったかい…?…異界化、に力を使って……いるとはいえ……鬼部、を守る力が、弱すぎると……僕はね、ずっと他の事に、力を使っていた…んだよ。偶然を手繰り寄せ続けて…いたんだ……」
「世迷言を…っ!そんな戯言にこれ以上付き合っていられるか!もういい、貴様は今すぐ殺す!仮に何かを企んでいようと死んでしまえば同じ事だっ!」
思わぬ事実を突き付けられた真護は、信じられないほどに激昂し、怒りと殺意を露わにしてみせた。それは信じたくなかった現実を突き付けられた事による逆上である。それを認めてしまったら、自分の人生全てがひっくり返ってしまう…そう考えているかのような激情だ。
真護は右手から霊糸光刃を生み出し、土敷の身体を括った。ただ土敷を殺すだけなら、それほどは必要ない。まるで百の破片に切り裂いても飽き足らないとでも言うような、そんな感情に流されてのことである。
「
這いずりながら、鬼部が力を振り絞って叫ぶ。それに応えるように、店内の入口ドアをぶち破って、輝く何かが飛び込んできた。そして、今まさに土敷を殺そうとする真護を吹き飛ばして、霊糸光刃から土敷を救った。
「なにっ!?うおおっ!」
それはとても大きな獣の姿をしたもの…薄暗い店内にあっても尚、黄金色に輝く毛皮を身に纏った大きな猫である。そう、遂に猫田と狛がやってきたのだ。