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第342話

 くりぃちゃぁは歓楽街の外れにあるので、朝のこの時間は行き交う人々も少ない。普段ならばスズメなどの小鳥達や、時折カラスが餌を探しにやってくるくらいの静けさのはずだが、今日に限っては全く違う様相を呈している。


 何人もの武装した人間達が倒れ、または恐れながら、その光景を前に立ち尽くしていた。炎の霊力を纏う少女…狛と、厳しい表情でその前に立つ着物姿の若い男…拍。二人はその顔つきこそそっくりで、明らかに兄妹と解るはずだが、今それを気にしている者は一人としていない。ただただ、二人の間に満ちているすさまじい緊張感と圧迫感に気圧されているばかりである。


 しばらく睨み合っていた二人だが、ふと拍は狛を見つめる視線を弱め、溜め息を吐いて頭を振った。


「…お前には心底失望したぞ、狛。ささえ隊の外部協力者として呼ばれてきてみれば、まさかお前が彼らと戦っているとはな。そこまで妖怪共に肩入れするなど……お前は人類の敵にでもなるつもりなのか?」


「もういいよ…!私の話なんて何一つ聞こうとしない癖に!お兄ちゃんなんかより、くりぃちゃぁの皆の方がよっぽど優しくて、私の事を考えてくれてたよ。いくら妖怪だからって何も悪い事をしてない妖怪ヒト達を殺そうとするのを、見過ごせるわけないじゃない!どうしてもそうするっていうなら……例えお兄ちゃんが相手でも私はっ!」


「バカな事を…!俺がお前の話を聞かないのは、その必要がないからだ。いつだって俺は、お前を…………俺、は……いや、掟を破ったお前はもう、妹でも何でもない。人に仇なす半妖として、俺が引導を渡してやる!」


 異常な、どこか矛盾した口振りだが、拍は自分の発言がおかしいとは微塵も思っていないようだ。何かに操られているというよりも、不自然に思考を歪められている…そんな様子だった。しかし、頭に血が上っている狛は、そんな拍の様子には気付いていない。拍の言葉はもう取り返しのつかない決別宣言だが、それを悲しんでいる暇はない。


 狛は改めて拍を睨み、その霊力を解放した。青い炎が道路を舐めて、アスファルトがじわりと溶け始めている。信じられない程の高温だ。対する拍は額に汗を搔きながらも、一二三四ヒフウミイヨウの四匹の犬神を呼び出し、自身専用の錫杖を持って狛と目を合わせた。


「うあぁ…!」


 その間で這いつくばっていた真護はずるずると身体を引きずり、二人から距離を取った。火傷が痛むが、二人の戦いに巻き込まれたら確実に命はない。そう感じている。そうして、真護がある程度離れた所で戦いが始まった。


「あああっ!」


 先に動いたのは狛である。十メートル弱あった距離を一足飛びに詰めて、炎を纏った右の拳で拍を殴りつけた。


「ぬうううっ!…こ、このパワーは……!?ええい、四犬参陣!やれっ!」


 狛の拳を錫杖で受け止めた拍だったが、その余りの膂力に驚愕し、すぐに一二三四ヒフウミイヨウ達に命令をして飛び掛からせた。人よりも大きな狼へと変化した犬神達の内、まずヒイが狛の腕を噛み裂こうと試みる。狛は咄嗟に拳を引いてそれを避けたが、続けてフウミイがその牙を剥いた。


「っ!?」


 左右から狛の手足を狙って噛み砕こうというつもりなのだろう。狛はすぐにバックステップをして二匹から距離を取る。しかし、そこを見越していたヨウが後ろに回っていて、狛の頭上から上半身目掛けてそのアギトを開いていた。


「っ…この!」


 狛は上手くヨウの上あごと下あごを掴み噛みつかれるのを防いで見せた。拍が操る犬神の数は、槐の狗神十匹には及ばないものの、その分一匹ずつの力は桁違いだ。拍の霊力をたっぷりと流し込まれていることもあって、かなり厄介な相手達である。

 何より問題だったのは、狛には四匹を傷つける気持ちが無かった事だ。槐の大狗神を蹴散らしてみせたように、今の狛の力であれば、拍の操る犬神達とも互角以上に戦えるはずだ。だが、どうしても狛には彼らを傷つける事が出来そうにない。それは狛と一つになっているイツの意識もあるように思える。犬神家の歴史の中に、本家の犬神同士で争ったという話はなく、今の状況はまさに初めての出来事なのだ。


 ヨウが押し込んでくる両顎を、渾身の力でぐぐぐっ…と押し返そうとする間に、拍は一二三ヒイフウミイの三匹に霊力を流し込み、退魔の遠吠えを放たせた。退魔の遠吠えと言っても、それは物理的な衝撃波でもあるので、当然まともに食らえば狛もダメージを受ける。両手を塞がれた状態で、正面から来る三つの咆哮には、流石の狛も成す術がない。


「ううぅっ!?く、あぁっ!」


 まるで、巨大な鉄球が三つも身体にぶつかってきたような激しい衝撃を受けて、狛は大きく吹き飛ばされてしまった。今の狛を吹き飛ばすほどの威力があるということは、相当な霊力を込めたと言う事でもある。その証拠に、拍は三匹に今の一撃を使わせただけで一瞬ふらついて、倒れ込みそうになっていた。


「まだだ…っ!この程度では狛は……っ!」


 続けて更に霊力を回し、四匹の犬神へ同時に流し込む。それによって一二三四ヒイフウミイヨウの四匹は、より大型化した。それは猫田が変化した時に匹敵するサイズである。そして、四匹は素早く狛を取り囲み、四方から霊波を発していく。


「うう……はっ!?こ、この術は…?!」


 あまりの衝撃で意識が飛んでいたのか、狛はその動きにほんの一瞬遅れてしまった。それは狛もよく知っている拍の得意技だ。拍の霊力と犬神達の霊力を合わせて強化し、四方を囲む箱状の結界に敵を封じ込める…それが『四犬天陣・護法封滅』である。囚われることを予期した狛は、すぐに逃げようと試みたが既に結界は発動していて簡単には抜け出せそうにない。


「くううううっ!!」


 結界の壁に手を触れ、霊力をぶつけて壁を崩そうとする狛。しかし、拍も負けじと更に霊力を流し込んでその干渉を打ち消していく。勝負は二人の霊力のぶつかり合いとなっていた。


「おい、コイツはどういう状況だ?……あ、拍の野郎!なんでここに…!?」


 ちょうどその時、猫田が店内から飛び出してきて予想もしていなかった状況に目を白黒させていた。ちょうど視界の先に拍の姿を見つけたこともあり、余計に混乱しているようだ。そのまま狛の元へ飛んでいき、結界を外から壊そうと爪を立てる。すると、バチバチを激しい干渉音が響いて火花を散らし、猫田の毛皮を焦がしていく。


「ぐぐぐっ!狛、待ってろ!今出してやる!」


「猫田さん…!?ダメ、離れてっ!」


「ちっ……!猫田か、やはりヤツもここに居たのだな。だが、例え猫田と狛が揃おうとも、俺の四犬天陣は破れんよ!」


 拍はそう吠えると、結界に流す霊力を更に増大させていった。結界の壁は目に見えて分厚くなり、それを外から破壊しようとする猫田に対する反発も激しさを増している。それでなくとも高速で走り続けた直後ということもあり、猫田は消耗しきっている。このままでは、結界の反発で大怪我をしかねない。


「こうなったら……イツ、アスラ、力を貸してっ!」


 少し冷静さを取り戻してきた狛は、改めて自身の中にいるイツとアスラに声をかけた。今までは狛の強い怒りに引っ張られ、流されていた二匹も、狛が落ち着いたことで彼らもまた落ち着きを取り戻し始めている。皮肉だが、不意に拍と出会ったことが、逆に狛の心へ水を差すきっかけになったのかもしれない。


 狛は二匹と精神を同調させ、より強い霊力を引き出そうとする。だが、四犬天陣がその動きを簡単には許さない。


「狛…抵抗しても無駄だ。知っているだろう、この四犬天陣・護法封滅が持つ、真の恐ろしさを!」


「くっ!?き、きゃあああああああああっ!!!」


 拍がそう言い放つと同時に、結界の中で激しい雷が発生して、狛の身体を襲った。の名が示す通り、四犬天陣はただ相手を封じ込める為の結界ではない。この術は、結界に閉じ込めた敵を強烈な迅雷が襲い、それを滅するなのだ。結界で相手を封じるのは、威力の高すぎる破壊の雷が余計な破壊を引き起こさない為である。これは犬神家に伝わる技ではなく、結界系の術を得意とする拍が編み出した、オリジナルの攻撃術である。


「狛!?くっそぉ!早くなんとかしねーと…!」


「ぐぅぅ、んんんんっ…!ね、猫田さん…待っ、て!わた、し…大丈、夫、だから……っ!」


「な、何?!」


 強固な結界の中で、目も眩むほど激しい雷に打たれながら、狛はそれに耐えていた。拍はその姿に驚愕し、言葉を失っている。それもそのはず、今狛がその身に浴びている雷は、ただの雷ではない。それは拍が自ら雷神と約定を交わし、借り受けた権能の雷だ。今まで、どんなに強力な妖怪であろうとも確実に消し炭にしてきた強力無比な雷なのである。以前戦った雷獣の操るそれを、遥かに上回る破壊力だ。いくら狛が人狼と化していても、人間が耐えられる威力ではないはずなのである。


 しかも、拍が驚いたのはそれだけではなかった。その身を砕こうとする破壊の雷に耐えながら、なんと狛は結界の壁に手を触れ、霊力を振り絞って中から破壊しようとしている…そしてそれが、実を結びつつあるのだ。


「うううう……うあああああっ!!」


「ば、バカな……!?狛、お前は…俺と、四匹の犬神達の霊力を上回ると言うのか!?お前一人と、たった二匹の犬神だけで……っ!」


 拍は驚きながらも手をこまねいているわけではなく、狛の試みを潰す為に、鼻血を流しながら必死に霊力を送り込んでいる。しかし、既に狛の力をそれを完全に凌駕し、それまでバリバリと鳴っていた干渉音は、ビシビシと結界に亀裂が入る破砕音に変わりつつある。こうなれば、もはや拍に打つ手はない。その動揺は四匹の犬神達にも伝染し、ついにその時が訪れた。


「狛、おま、ぇっ…?!おわあぁぁっ!?」


「ぬ、うおおおおおっ!?」


 四犬天陣の結界が完全に破壊され、ガラガラガラガラ!という轟音が響いて破壊の雷が地面を砕く。その衝撃の余波で猫田と一二三四ヒイフウミイヨウ達は吹き飛ばされ、拍もまた逆流した霊力の影響で身体に大きなダメージを受けていた。だが何よりも、これまでに破られた事のない必殺の術が狛に破られた、そのショックが大きいようだ。


「こ、これほどとは……狛、お前は…」


「はぁっ!はぁっ!…ふぅっ……、ううっ!」


 肩で激しく息をしつつ痛みに顔を歪ませて、それでも狛は両足で立っている。対する拍は膝をつき、霊力も底を尽いてしまっていた。誰がどうみても、拍の敗北は明らかだろう。それでも、拍は錫杖を杖代わりにして、立ち上がり、狛を睨みつけた。よく見れば、狛も人狼化が解けて、霊力を著しく失っているようだ。ならば条件は五分と言ってもよい。


「俺はお前を、このままにはしておけん…!狛、勝負は……」 


「――待ちなさい。その勝負、私が預かります」


「誰だっ!?」


 突如、天から降ってきた声に、その場にいた全ての人間が反応し、空を見上げた。そこにいたのは金髪と金色の尾を持った、茶褐色の肌をした美しい女性である。その身から発せられる神気を前に、逆らえるものは一人もいないだろう。女神の如き威容を持ったその女性は、静かに、だが何よりも響く鈴のような声だけで場を制圧する。


「我が名はダーキニー…荼枳尼天狐だきにてんこの名を冠する者。……稲荷の主神足る、宇迦之御魂神ウカノミタマの名代として馳せ参じました。双方、矛を収めなさい」

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