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第351話 魔性の糸

 現れた常世の神は、その象られた石像そっくりな、とても巨大な芋虫の姿をした神であった。


『う、うわわわわっ!?』


 その大きさは想像以上で、あっという間に屋根を突き破り、家を壊してしまいそうだ。腰を抜かして動けない空だったが、どれだけ恐ろしくとも子犬達を手放そうとはしない。自分の身がどうなろうとも、子犬達は守ろうと庇っている。


『ッ!』


 白狼はそんな空の着物の端に牙を引っ掛け、優しく身体を咥えて家の外へ飛び出した。その間にも常世の神はどんどん石像から伸びだしていて、白狼達が家の外、少し離れた森の入り口に立った頃、常世の神は集落全体を押し潰してしまいかねない大きさになっていた。


『な、何なんだ……アイツは…』


 常世神は見た目こそ芋虫そのものだが、身体のサイズは凄まじい。森で白狼の次に大きいだろう熊でさえ、軽く一飲みにしてしまいそうだ。


『空、何があったのかは後で聞く。離れておれ…!』


 白狼は空にそう言うと、常世神に向き直って獰猛に唸って見せた。常世神も恐ろしいが、そんな風に白狼が憤怒をみせるのは初めてで、空は頼もしく感じながらも恐れ頷き、子犬達を抱えたまま森の中へと逃げ込んでいった。


『ガルルルッ!ゥガァッ!!』


 それを見届けた白狼は、より大きく吼え猛り、常世神へ向かって行く。素早い身のこなしで鋭い爪を突き立て、常世神の柔らかい皮膚をやすやすと切り裂いてみせた。


『ピギャアアアアアアアアッッ!!』


『ひっ!?な、あああっ……!』


 身の毛もよだつという言葉では足りないほど、常世神の絶叫は凄まじいものだった。現代風に言うならば、黒板に爪を立ててギギギ…と引いた音を数十倍にしたような悪寒を感じるものだ。もちろんこの時代にそんなものはないので、あくまで解り易い例えである。全身を貫くような悪寒はそれほどに強烈で、森の入口にある茂みの中でその様子を見ていた空は、絶叫を聞いて意識を失いそうになってしまった。もしも、腕の中に子犬達がいなかったら、空はその叫びに負けて発狂してしまったかもしれない。


 白狼はどうやっているのか、舌打ちをしつつ、それでも攻撃の手を止めようとはしなかった。短期決戦で仕留めなければ、被害はさらに広範囲に及ぶだろう。何しろ常世神はこの巨体である。このまま放っておけば山の外にある村なども危険だ。白狼は過去に常世神が誕生した時に知っていたので、今、自分の目の前にいる怪物が常世神である事は知っている。加えて、つい先ほど大国主命から復活の兆しを聞いたばかりだ。まさかこんな場所で出会うとは思っていなかったが、この国に住まう神の一柱としては都合がいい。ここで打ち倒してしまえば後顧の憂いを断てるだろう。


『グルルルルル…ッ!ゥオオオオオンッ!!』


 白狼は全霊の力で吠えたてて、更に勢いを増して飛び掛かった。縦横無尽に飛び駆け、爪と牙を使って常世神の全身を切り刻む。常世神はその形態もあって、素早い動きには対応できないのか無抵抗に攻撃を受けている。その度に叫び声を上げるので、隠れている空は全身が痺れて吐き気を催していたが、何とか耐えているようだった。

 辛そうにしている空の頬を、五匹の子犬達が代わる代わる舐めてくれた。きっと励ましてくれているのだ、母親を失ったばかりだというのに、空を気遣ってくれるのが嬉しくて、空はより気合を入れて子犬達を守るべく彼らを抱き締めた。


『うぐっ…!ぁうぅ、ぎぃっ!…お前ら、だ、大丈夫だぞ。オレ達はこれからずっと一緒だ、きっとオレが、お前らの母者の分までお前らを守るから……!』


 特に耳がいい空には、常世神の絶叫は耐え難いものであるらしい。苦痛に顔を歪めて、呻き声を上げながらも、子犬達に微笑みかけて安心させようと踏ん張っている。常世神の力は、そもそも人間に強く作用するものである。それは常世神が、本来はに富と繁栄をもたらすとされた神だからだろう。だが、その表向きの恩恵を得る為には、先に人が命と富を捧げ、それを捨てねばならない。そうすることで、常世……つまりあの世の神である常世神は人々の魂と命、そして欲望を食らって取り込む事が出来るのだ。それによって与えられる富と繁栄とは、常世神の中で一つになることにより還元される利益なのである。しかも厄介なことに、常世神に取り込まれた魂は解放されることなく、その中に閉じ込められてしまう。本来は死しても輪廻の輪の中で復活するはずの魂は、その状態では二度と復活することが出来ない。永遠に行き場のない魂を生み出してしまうのだ、それこそが常世神が邪神として断罪され、誅された最大の理由であった。


 その後も続いた白狼の攻撃は確実に常世神を削っていて、ダメージを与えているように思えたが、常世神はいまだ健在であった。何故なら両者には圧倒的とも言える体格差があるからだ。白狼の鋭い攻撃も常世神にとっては簡単に致命傷にはなり得ない。一点集中で傷口を広げていくか、心臓や脳のような弱点を破壊しない限り、常世神を倒すのは難しい、白狼はそう判断した。


『むぅ……!なんと頑丈な…!かくなる上は仕方ない、その身体を掘り進めてくれるわ!』


 白狼は一点集中で、常世神の身体を貫く事に決めたようだ。考えてみれば、相手は曲がりなりにも神であり、生物ではない。芋虫の形をしていても、心臓や脳と言った弱点となる器官があるとは限らない。本来であれば肉の一片迄まで燃やし尽くして消滅させてしまうのが理想的だが、白狼は火に通じる術を持っていない。日本の神が使う火炎術は太陽神に連なる力である故か、極めて神聖なものであり、それを行使できるものは少ないのだ。

 また、穢れをたっぷりとその身に蓄えた常世神の血は、非常に強力な不浄を宿している。穢れを嫌う白狼にとって、それを浴びるのは出来るだけ避けたいものだった。しかし、そうも言っていられないのが現状だ。先程から近くで空が呻き声を上げて苦しんでいるのが、白狼の耳にはしっかりと届いていた。近在の村への被害云々よりも、これ以上長引けば空の命が危ない。白狼もまた母としての焦りが生まれているようだった。


『ゥオオオォォォッッ!!』


 大地を揺るがすような低い咆哮を放ち、白狼はここまでに最もダメージを深く与えていた、常世神の胴体上部に狙いを定めた。ちょうど頭の下あたりだが、芋虫には首がないので胴体上部としか言いようがない場所だ。そして、疾風の如き速さで、そこを目掛けて突撃を仕掛ける。


『は、母者…っ?!』


 その時、空が見たのは、世にも恐ろしく悍ましい光景だった。白狼が爪を突き立てた瞬間、常世神の身体から大量の人間の腕が生えてきて、白狼の前足を掴んだのである。常世神は、取り込んだ人の魂を用いて自分の身体を変化させているのだ。それは白狼にとっても予想外の事態であり、ほんのわずかな一瞬ではあるが、その動きを止めるきっかけになってしまった。その隙を逃さず、常世神は自身の口から大量の白い糸を吐き出し、白狼に吐きかけた。


『ガァッ!?ウウゥゥゥッ!お、おのれぇっ!』


 その糸は蜘蛛の糸よりも遥かに強い粘着性を持ち、妖力と妖毒を備えた恐るべき魔性の糸である。その身体に絡みついた糸を引き剥がそうと白狼は藻掻いているが、それは逆に藻掻けば藻搔くほど、白狼の身体を包み込んで離さない。あれよあれよという間に、白狼は身体のほとんどを糸に囚われ、繭上の糸玉から頭だけが出ている状態になってしまった。


『は、母者あああああっ!?』


 常世神はその状態になった白狼の身体を放り投げ、何度も地面に落としていく。糸自体の弾性が強い為に、投げられれば反発も強く、地面にぶつかった時の衝撃も大きい。このままでは白狼は全身を強打して命を奪われてしまうだろう。絶体絶命の危機に陥った白狼の耳には、空の悲しい悲鳴が聞こえてくるばかりであった。

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