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第354話 千年の時を経て

「はっ!?」


 気づけば、狛達はあの大口真神の眠る洞窟の中にいた。完全に没入していた為に、いつ戻って来たのか解らないほどだ。周りを見ると、拍や弧乃木、そして朧も同じように周囲を確認し、それぞれが今見てきたものに思いを巡らせている。

 そうして、目の前に立っている宇迦之御魂神ウカノミタマは、優しい表情で狛達に声をかけた。


「おかえりなさい。いかがでしたか?今見て貰ったものが、この大口真神とその息子、空の記憶です。あの後、異変を察した私が駆け付けた時、空は大口真神に縋りついてずっと泣いていました。あの時の子が立派に成長し、その子孫がここに訪れるとは……私も感慨深いものです」


「それ、って…やっぱり」


「ええ、狛。あなたの考えている通りですよ、あの子こそがあなた達の先祖、開祖犬神と呼ばれた犬神空いぬがみくうです。しばらくあの山と森に留まっていた所を、安倍晴明という陰陽師に見出されて、山を降りたようですね。犬神という名を名乗る様になったのは、その頃からでしょう」


 特に狛と拍は、自分達の先祖がなんであるかをハッキリと知り、衝撃を受けたようだ。一方、狛の頭の上では猫田がしきりに納得したように唸りを上げた。


「道理でな、あの空って奴の顔に見覚えがあるわけだぜ。あいつの顔は狛や拍、ついでに宗吾さんにもそっくりだったもんな。……ん?ああ、逆か?アイツの方が先祖なんだから、コイツらがアイツに似てんのか」


 猫田は頭がこんがらがった様子で、狛の上でうにゃうにゃと顔を洗って考えをまとめている。その間に、今まで黙っていた弧乃木が口を開けた。


「しかし、今見た記憶の通りなら、あの……常世神という邪神は、もういないのでは?だとすると、我々が戦うべき相手とは一体なんなのですか?」


「あなた達が見た記憶の中で、大口真神はこう言っていませんでしたか?常世神は冥府の神であり、殺せない、と……」


「あ……ああ、それは、確かに」


「常世神を完全に滅ぼすには、もはや概念として全ての人間の記憶や記録からその存在を抹消するほかありません。しかし、これだけ人の文明が進むとそれすらも難しい…となれば、後は封じるしかないのです。大口真神はそれを理解していたので、あれを狭間の世界へ追放しました」


「狭間の世界…?」


 聞き慣れない言葉に反応した狛だけでなく、他の面々も渋い顔をしている。そんな中、宇迦之御魂神ウカノミタマは静かに話を続けた。


「狭間の世界と言いましたが、明確にそう言った世界があるわけではありません。解りやすく言えば、あの世とこの世…その境界にある小さな隙間のような場所を、狭間の世界と呼称しているだけなのです。冥界と人界は、必ずしも地続きではありませんからね」


 宇迦之御魂神ウカノミタマはそう言うと、手の中に拳より少し大きな玉のようなものを出現させた。それは真っ暗で、何も見えない闇を映し出している。


「狭間の世界とは、こうした何もない世界です。命も光すらもなく、ただひたすら時間が流れるのみ……虚無の空間と言ってもよいでしょう。ここには古の時代から、ごく稀に冥界へ行くはずの魂が落ちていくこともあるのですが…ここに落ちれば、二度と魂は復活できず正常な輪廻の流れに戻る事はできません。ここへの放逐は、事実上は魂の死と言っても過言ではない……はずでした」


 宇迦之御魂神ウカノミタマはしばらくその玉を眺めて、溜息と共にそれを消した。後に続く言葉を待つ狛達の間に、静寂が訪れる。


「常世神は、この狭間の世界に落ちてもなお、現世への復活を企んでいたのです。最近では自身の手を枝葉のように伸ばし、人を狭間の世界に引き込むようなことまでしているようですね。よくある神隠しというものの一部は、常世神によるものでしょう」


「そんな……!?」


 人間には信じ難い話ではあるが、宇迦之御魂神ウカノミタマの言葉に嘘は無いように思えた。これが人間からは想像もつかない神のスケールなのだろう。


「あなた達が見た記憶……つまり常世神が放逐されてから千年と少しになりますが、その間に、常世神は着々と力をつけてきたようです。残念ながら、私達は全ての未来を見通せるわけではありませんからね。ましてや、常世神の側に着き、それを手引きする神がいたとあっては……」


「…ちょっと待てよ。あの記憶で見た限りじゃ、お前らの裏切り者は見つかったんじゃなかったのか?」


「恥ずかしながら、大口真神が常世神を狭間の世界へ追い込んだ事で、脅威は去ったと大多数の神は思ってしまったのです。ですから、裏切り者を探すということも、率先しては行われませんでした。それは、私達の不徳の致すところでしょう」


 宇迦之御魂神ウカノミタマはそう言って、沈痛な面持ちで俯いてしまった。元々、日本の神々は和を以て貴しとなす考えが根付いている。元凶である常世神が居なくなったのならば、敢えて仲間を疑って罰する必要はないと考えたのだろう。それは容易に想像できる話であった。今回はその甘さが、尾を引いているというべきか。


「数十年前、神の託宣によって常世神の企みを知った私達ですが、肝心の相手が狭間の世界にいる以上、手出しは出来ません。仮に、奴が現世に舞い戻った所で滅ぼせないのですから、結局のところ、現状維持が最も有効な手段であると言うのが私達神の総意です。今もたった一人で抑え続けている大口真神には、申し訳ないことですが……」


「それで、俺達に何をしろってんだ?話が見えねぇぞ」


「それは」


 宇迦之御魂神ウカノミタマが言いかけた時、突如、離れた場所で大きな物音が聞こえた。何かが爆発するような、激しい音だ。突然の出来事に狼狽える狛達だったが、宇迦之御魂神ウカノミタマはそれを予期していたかのように、冷静な態度を崩さない。


「来ましたか…」


「な、なんだ!?何が起きてる?」


「この神域に侵入してきたものがいます。…恐らく、疫病神でしょう。猫田、あなたが持っていた呪符を私が潰したことで、疫病神との間にここへの縁が出来たのです。彼らの目的は、ここに居る大口真神でしょうね。現状、常世神が現世に戻れないのは大口真神がその力の大半を使って、あれを封じているからです。恐らく、連中は直接大口真神を始末して、常世神を現世に呼び込むつもりなのでしょう。なりふり構わぬ行動に出てくると予想はしていましたが……」


「あ、あの野郎…っ!」


 またも疫病神の名が出てきたことで、猫田は毛を逆立てて怒りを露わにしてみせた。宇迦之御魂神ウカノミタマの言葉通りなら、猫田は疫病神の術中にはまり、狛の追放に続いて今回も利用されたことになるだろう。それは我慢がならないようである。


「あなた方に助けを求めたいのは、これです。常世神復活を阻止する為、奴を手引きする神や妖怪を打ち倒す必要があります。しかし、私達のような神には力を行使するにあたって大きな制約がある…この世で自由に動けるのは、あなた達人間や妖怪だけなのです。どうか、手を貸して頂けませんか?」


 宇迦之御魂神ウカノミタマはそう言って、深々と頭を下げた。それは本来、神が人間に対して、絶対にやらない行為である。神は人の上位者であり、そうあるからこその存在を求められているからだ。神が気安く人に首を垂れるなど、彼らに向けられる信仰心を失いかねない行為と言っても過言ではないのだ。


宇迦之御魂神ウカノミタマさん…うん、私手伝います!」


「お、おい狛、お前そんな簡単に!」


「…簡単じゃないよ、ちゃんと考えて答えてるし、それに……」


 狛は改めて、眠る大口真神に視線を向けた。大口真神に出会ってから抱いていた、不思議な感情の答えが、あの記憶を見たことで少しだけ解った気がする。ここに来てから狛はまるで、母であるあめと再会したかのような懐かしさと喜びを感じていたのだ。それはきっと、先祖である開祖犬神こと犬神空の想いなのだろう。狛はその想いを受け取った気がして、胸を熱くさせるのだった。

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