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第355話 疫病神の実力

 狛達が現実に帰還する、少し前、荼枳尼天狐ダキニテンコは神域の入口にある門の前で陣取り、仁王立ちしていた。その出で立ちは、軽量化した和風の鎧を身に纏い、二本の刀を腰に帯びた鎧武者のようだ。その背中からは、これから一戦交えようという凄まじい気合が漲っている。狐の耳はピンと立ち、金色の尻尾はゆらゆらと動いて空気を感知して警戒しているようだ。女神らしく整った美しい顔立ちも、険しく睨みを利かせていた。


 この神域に出入りするには、例えどんな存在であっても、必ずこの門を通らねばならない。つまり、ここを守っていれば曲者は入れないということだ。宇迦之御魂神ウカノミタマは外部からの襲撃を予測し、荼枳尼天狐ダキニテンコをここに置いた。それは彼女が、どんな存在よりも優秀で信頼できる番人である証だと言える。


「…………来たか」


 腕を組み、じっと目を瞑っていた荼枳尼天狐が何かを感じ取ってゆっくりと瞳を開く。その動きとその男がそこに現れたのは、全くの同時であった。


「おやおや……君は確か、荼枳尼天狐と言ったかな?君ほどの神族がここで守りに就いているとは…嫌だなぁ、僕はまた貧乏くじを引かされたみたいだねぇ」


 その男はくりぃちゃぁにいた時のような、真面目そうで野暮ったい服装はしていない。どちらかと言えば、ストリートギャングのような、布面積の薄い厳つさを押し出した格好をしていた。


「白々しい。貴様、今は百地泡沫ももちウタと名乗っているようだな?…何が泡沫ウタだ。貴様如きが水面みなもに浮かぶ泡のような、儚い存在であるものかよ。疫病神め」


「おお!君のような神が僕を知っているのか?嬉しい限りだ、光栄だよ。何しろ、僕は同類にも嫌われているから……」


 そう言って泡沫ウタが俯くと瞳からキラリと光るものがこぼれた。それと同時に、荼枳尼天狐は目にも留まらぬ速さで抜刀し、泡沫ウタに斬りかかる。その刃をあっさりと躱して跳び退った泡沫ウタだったが、彼がさっきまで立っていた場所には、惨殺された何体もの小鬼の死体が落ちている。泡沫ウタはそれを見て、パンパンと拍手をし荼枳尼天狐を褒め称えていた。


「素晴らしい…!よく気付いたね。せっかく手下を涙の中に忍ばせて運んできたというのに……こうも簡単に見抜かれるとは思わなかったよ」


「…黙れ。貴様のその手に乗るつもりはない、これ以上貴様と交わす言葉など、一編足りともないわっ!」


 荼枳尼天狐ダキニテンコはそう叫んで、更に両手に刀を構えて突撃する。彼女が持つ二連の刃は凄まじい切れ味で、その刃風が微かに触れた玉砂利さえも容易く切り裂いてみせた。だが、その疾風の如き斬撃は、尽く回避されて疫病神には当たらない。

 正確に言えば、当たりそうにかすめてはいるのだが、直撃をしていないのだ。泡沫ウタは時折隙を見せ、荼枳尼天狐ダキニテンコの攻撃を誘っているものの、ギリギリの所で攻撃を避けている。対する荼枳尼天狐も、どんなに泡沫ウタが隙を見せても必要以上の追撃はせず、一定の距離を保ったままであるから、攻撃が中っていないように見える。


「ふぅ……嫌だなぁ。やっぱり僕は貧乏くじだ。君みたいに強い相手と戦うなんて、僕の専門じゃあないというのに…」


「……」


「だんまりかい?やっぱり僕は嫌われているね。嫌だ嫌だ、疫病神なんてろくなことがないよ。君のような美しい相手にも構ってもらえないのだから」


 荼枳尼天狐ダキニテンコは、そんな疫病神の言葉に一切の反応を示そうとしない。彼女はそれが、疫病神の罠であることを知っているからだ。疫病神とは、実際の所、かなり強力な神である。彼に味方するものは全てに不幸が降りかかり、相手を苦しめる。例えそれが神や悪魔であろうとも例外なく…そんな存在だ。それはある意味、運命を司る力とも言えるだろう。しかも、彼の一挙手一投足だけでなく、その口から発せられる言葉さえも不幸の影響が宿っているという。疫病神とは、そんな恐るべき力を持つ神なのである。


「もう会話もしてもらえないか。当然だね、あまり僕と仲良く会話をしていると、。正直な所、僕自身にもどこまで僕の力が影響するのか解っていないんだよ。それを知りたくて色々な相手と触れ合ってみたけど……それを知る前に、皆不幸になって死んでしまったから、ね」


 ギリ…と荼枳尼天狐ダキニテンコから歯を食いしばる音がした。それはだ、こうして喋っている間、泡沫ウタは荼枳尼天狐から少し離れた場所にいる。その理由は、荼枳尼天狐を自分の元に引きつけ、神域への門から彼女を遠ざけるためである。先程からずっと、泡沫ウタは明け透けに隙を見せては、荼枳尼天狐に攻撃を仕掛けて来させるよう仕向けてきた。荼枳尼天狐は罠を承知である程度の攻撃をしていたが、それにも限度がある。今ある二人の距離は限界の距離だった。これ以上門から離れれば、泡沫ウタの他に伏兵が居た場合、荼枳尼天狐は役目を守れない。だが、このままでは埒が明かないのも事実だろう。そんな攻防に、荼枳尼天狐は苛立ちを隠せないようだ。


 そんな中、ふぅ…と大きく溜め息を吐いた泡沫ウタはまるで降参したかのように両手を肩まで上げて、そのままゆっくりと歩き出した。予想外の行動に、荼枳尼天狐は一瞬眉をひそめたが、決して警戒は緩めていない。


「そうかそうか、やっぱり君に構ってもらうには、僕の方からもう少し歩み寄る必要があるらしい。嫌だなぁ、僕は命を懸けないと、与えられた仕事をこなせないようだよ。全く、とんだ貧乏くじだ」


 ザッザッと音を立てて近づいてくる泡沫ウタに対し、荼枳尼天狐はその行動の裏を読みつつ、決定的な隙をものにするよう彼の動きを凝視した。彼女はここまでに何度か攻撃を躱された間に、泡沫ウタの動きの癖を頭に叩き込んできたのだ。


(何を企んでいるのか知らないが、不幸が私を襲う前に奴の首を刎ねれば済む事……!余計な小細工などさせる間も与えん)


「ふふ、ドキドキするね。こんなに自分の命を危険に晒したのは初めてだよ、やはり神同士が争うべきじゃあないな。……さて、まぁこんなものか。この距離、確実に君の間合いだろう?」


 泡沫ウタの言う通り、そこは完全に荼枳尼天狐ダキニテンコが致命の一撃を振るえる間合いの中だった。欲を言えばあと一歩、いや、あと半歩踏み込んでいれば、荼枳尼天狐ダキニテンコの刃は彼の首を捉えているだろう。泡沫ウタという男はそれを誰よりも理解してそこに立っている、まさに絶妙な間合いである。


(いやらしい男だ、本当に…その位置、私の全てを賭けて仕留められるギリギリの場所だ。コイツは、この短時間のやり取りでここまで私の剣を理解したのか!)


「どうした?おいでよ。僕は十分歩み寄ったはずだけど。それとも、僕を殺すのを躊躇っているのかな?……或いは僕を、?」


「っ!」


 明らかな挑発だが、敢えて荼枳尼天狐ダキニテンコはそれに乗った。一撃で、不幸に見舞われるその前に仕留めれば済むというのは、決して誤りではない。むしろ、疫病神を相手にするなら、最良の戦術と言える。聞くに堪えない泡沫ウタの言葉に激昂した訳ではないが、それ以上聞いていたくもないと思ったのも確かだ。


 荼枳尼天狐ダキニテンコの放つ刃は、確実に泡沫ウタを捉えていた。一瞬の閃光のような速さで泡沫ウタの首にその刃が当たる……だが、切り落とせたはずのその首は繋がっていて、そこからは堅い…とても堅い金属音が聞こえて二連の刃を受け止めていた。


「なにっ!?」


「クックック…。さっきの涙のように、僕は自分の手下をこの体に潜ませてきたんだが、よりによって一番強固な霊亀れいきを宿らせた首を狙うとは。頭から真っ二つに両断していたら、結果は違っただろうに」


 その言葉を言い終えた瞬間、泡沫ウタの身体から無数の妖怪達が溢れ出し、一斉に荼枳尼天狐ダキニテンコに襲い掛かった。首を刎ねられるだけの至近距離にいた荼枳尼天狐ダキニテンコは、その大量の妖怪達の突撃に対処しきれず、その身体を弾き飛ばされてしまう。しかも、不幸はそれだけでは終わらない。飛ばされた先には、いつの間に現れたのか一匹の黒猫が待ち構えていて、防ぐ間もなく荼枳尼天狐ダキニテンコの首に噛みついたのである。


「ぐっ…ば、ば…かな……!?」


「あははははは!短い間とはいえこれだけお互いの事を考え、言葉を交わし、舞のように追って離れて……さながら僕らは、?そうさ!もう既に、しっかりと君には僕の力が影響する縁が結ばれていたということだよ。ああ、嫌だなぁ、ますます僕は仲間がいなくなってしまうねぇ」


 荼枳尼天狐ダキニテンコは遠のく意識の中、泡沫ウタの途方もない能力の深さを思い知らされていた。相手に不幸をもたらす力がこれほどだとは、予想もしていなかったのだろう。そして、静かに宇迦之御魂神ウカノミタマへの詫びの言葉を抱いていた。


(ミタマ様、申し訳ございません……!)


「さて、では仕事の続きと行こうか!お前達、この神域のどこかに潜む大口真神を探せ、探し出して仕留めるんだ!そうすれば、常世神様がお前達に望むままの永遠を与えてくださるぞ!」


 それを聞いた妖怪達の群れは怒号のような雄叫びを上げ、津波のように神域への門を突破した。かくして、神聖なる宇迦之御魂神ウカノミタマの神域は邪悪な意志の蔓延る騒乱の中に飲み込まれていくのだった。

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