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第360話 泡沫の最期

「う、ウソ……そんな…!?トワさん、カイリ、さん…」


 精気の無い虚ろな表情で、狛の前に現れたのは、紛れもなくトワとカイリである。予想外の人物の出現に、狛は動揺し金縛りにあったように身動きが取れなくなっていた。


「クククッ!アッハハハハハ!不幸だよねぇ彼女達も、死んだ後もこうして利用されて…挙句、大事に可愛がっていた狛クンを殺す道具にさせられるとは!いやぁ、やっぱり僕の傍にいると不幸に見舞われるんだなぁ、実に悲しい。悲しくて悲しくて、笑いが止まらないよ!ハハハハッ!」


「あ、あなたってヒトは……はっ!?」


 狛が泡沫ウタに視線を取られた瞬間、まるで人形のようなトワとカイリが狛に向かって飛び掛かり、攻撃を繰り出してきた。咄嗟にカイリの槍をいなし、トワの鋭い蹴撃を躱すも、狛はその場から数歩飛び退って二人から距離を取る。泡沫ウタに操られているのは間違いなさそうだが、狛にはとても反撃など出来る訳がない。狛は戸惑いながらトワとカイリに訴えかけた。


「トワさん、カイリさん!止めて!私、二人と戦いたくなんかないよ!?お願いっ!」


「アハハハッ!声をかけたって無駄さ、その二人は間違いなく死んでいるんだ。可哀想な彼女達の死体を、僕が有効利用しているだけなんだよ?まぁ、もっとも、二人の魂が肉体から離れる前に回収したから、魂は身体に留まっているけどねぇ、ハハハッ!」


「な、なんって…っ!」


 人であれ妖怪であれ、死した後肉体から魂が離れるまでには、若干のタイムラグが存在する。肉体が生命活動を停止しても、魂が完全に離れていなければ明確な死とは言えないだろう。心肺が停止しても治療で蘇生することがあるのは、まだ肉体と魂が完全に離れる前に繋ぎ止める事が出来たからである。

 ただし、泡沫ウタは蘇生を目当てに魂と肉体を繋げているのではない。そうした方が、より狛を苦しめられ、また操られている二人の魂にも苦痛を与える事が出来るからだ。恐らく、苦痛を与えた後の魂も何かに利用するつもりなのだろう。百地泡沫ももちウタという疫病神は、根っからの悪性を持った疫神であった。


 そうして狛が怒りを滾らせると、そこに水を差すようにトワとカイリが襲い掛かってくる。狛が怒りを向けているのは、あくまで泡沫ウタに対してだ。泡沫ウタと正面から戦うのであれば、それは正しく力になるだろうが、トワやカイリが相手では返って隙を見せる事にしかならない。かといって、二人を倒してしまおうという事も狛には到底できないので、結果として防戦一方に追いやられてしまっている。これが猫田なら、非常に徹して二人を倒す事も出来たはずだが、当の猫田は無理な妖化とダメージによってしばらく動けそうにない。その上、結界が敗れないと見るや、残った妖怪達の群れは猫田にトドメを刺そうと群がっていく。事態は完全に、泡沫ウタの術中にはめられた危険な状況と言えた。


「狛!……っ!?なんだ?!」


 妖怪達の数が減った事で、唯一余裕の出来た朧が狛の元へ駆け寄ろうとしたその時、頭上から二つの影が現れ、朧を押し潰そうと何かが落ちてきた。朧は間一髪でそれを躱し、落ちてきたものが何かをその眼で確認する。一つは霊亀れいきで、先程、泡沫ウタの身体に潜んで荼枳尼天狐の攻撃を受け止めた妖怪である。そして、もう一体は……


「こ、コイツは…牛鬼か!?こんなヤツまで……!」


 霊亀と共に落下してきたもう一体の妖怪は牛鬼と呼ばれる鬼であった。ズズンッ!という地を揺らすほどの轟音と共に降り立つと、朧に向けて恐ろしい形相で気炎を吐きながら睨みを利かせている。伝承によると牛鬼の身体は7尺…約2.1メートルほどの大きさで、鬼の頭と牛の胴体を持ち、六つの足先は太く鋭い爪になっているという奇怪な姿をした鬼のはずだが、今朧の目の前にいる牛鬼は伝承よりも体格が大きい。猫田が大型化したサイズよりは小さく見えるが、明らかに朧よりは大きいので、恐らく5メートルほどはあるだろう。


 二匹の妖怪は、それぞれが壁のようになって、朧を狛の加勢に行かせまいと通せん坊をしている。どちらも爪と牙で戦う朧にとっては相性の悪い相手だ。霊亀の甲羅は荼枳尼天狐の刃すら防ぎきる硬さを持っているし、牛鬼は見た目とは裏腹に機動力があって素早く、おまけに足先は爪になっている為、攻撃してもダメージになりにくいのである。泡沫ウタは非常によく考えて、狛達に手駒をぶつけてきたようだった。


「クソっ!どけぇっ!」


 霊亀を無視して、一気に駆け抜けて振り切ろうとした朧だったが、その目論見はすぐに潰された。牛鬼は己の足元に向け、強力な毒の息を吐きかけたのである。それはまるで生きているかのように蠢いて広がり、朧の進行方向を塞いでしまった。寸での所で足を止め、踏み止まって回避したが、まともにあの妖毒を食らえば朧とてただでは済まない。その証拠に、その毒に触れた草花や妖怪達の死体は、あっという間に腐り果ててしまったのだ。厄介なことに霊亀を避けて毒の息が進んでいる為、同士討ちすら期待できないようだった。


「ちぃっ!こっちだ、デカブツ!来い!」


 その妖毒の威力を目の当たりにした朧は、狛の加勢へ行く事を諦め、反転して逆に牛鬼を狛達から引き離すことにした。あの毒は非常に危険だ、もしも今の狛があれに襲われれば、朧以上に追い詰められることとなるだろう。それだけは、絶対に避けなければならない。


(狛、すまない!コイツらを倒すまで、無事でいてくれ!)


 幸いと言うべきか、牛鬼と霊亀は朧の誘いに乗り、一心不乱に追いかけてきた。ひとまず最悪な状況は避けられそうだが、狛が追い詰められている事に変わりはない。そんな中、狛は何とかカイリ達を説得しようと試みている。


「カイリさん、お願いもうやめて!トワさんも、お願いだから!」


「アハハハハ!無駄だって言ってるのにねぇ。狛クン、そういう甘さが君の最大の欠点であり、弱点だよ。君はそうやって、心を通わせた相手を傷つけることを極端に嫌う。そのせいで自分や他の仲間が傷つくだけだと言うのに。死んでしまった者達の事など忘れて、さっさと倒してしまえばいいのさ!ほら、早くしないと猫田サンも危ないよ?クククッ!」


「ね、猫田さん…!?ううっ…わ、私……」


 その挑発も、泡沫ウタの罠である。泡沫ウタは狛に二人を壊させて、狛の心を折ろうとしているのだ。現実問題として、狛の力は、本人の精神状態に大きく左右される。それは狛自身の未熟さと、イツやアスラと言った犬神と精神を上手く同調させねば力を発揮できないという、基本的な問題でもあるのだが、そうした欠点も泡沫ウタにはしっかりと見抜かれているらしい。もしも、追い詰められた末に狛がカイリ達を倒してしまったら…狛は嘆き悲しむあまり戦えなくなってしまうか、或いは心を壊してしまうかもしれない。泡沫ウタはそれが狙いだった。


(わ、私…どうすれば……ううん、どうすればいいのかは解ってる、解ってる…けど……!)


 トワとカイリの猛攻を避けながら、狛は必死に頭の中で打開策を探していた。あれだけ明確に殺意を持って向かってきたレディを相手にしてさえ、狛は戦うことを嫌ったのだ。哀れにも殺された挙句、死体とその魂さえもを利用されているだけのトワ達を倒すと簡単に決められるほど、狛は非情さを持ち合わせていない。ましてや、泡沫ウタが言葉の刃を使って、狛の心から余裕を奪っている。落ち着いて考えることさえ許されない状況では、狛に冷静な決断をすることなど出来るはずもなかった。


(フフッ、もうすぐだな。追い詰められて二人を殺すか、それとも……ああ、不幸だねぇ狛クン!出来れば君があの二人を殺してしまえばいい!そうだ、本当はその二人は生きていたんだと、狛クンがその手にかけた後で教えてやろう!想像するだけで震えがくるほど楽しみだよ。さぁ、早くやってしまえ!)


 その邪悪な真意を、泡沫ウタは巧妙に隠しつつ狛を煽っている。そう、トワとカイリはまだ生きていた。瀕死寸前ギリギリの状態で泡沫ウタに回収され、自由を奪われて操られているのだ。狛に死んだと言い聞かせているのも、狛が二人を殺す決断をしやすいように嘘を吐いているのである。

 そして、狛が壁際に追い込まれた時だった。


「あっ!?さ、下がれない…も、もう……!」


(そうだ!やれ、やってしまえ!)


「あ……!?」


 ドスッと、何かが刺さる音がして、トワとカイリはギリギリで動きを止めた。目を瞑り、攻撃を受けようとしていた狛には、何が起きたのか解らない。そして、それは泡沫ウタも同じである。


「な…なんだっ……矢?ど、どこから…!?」


 泡沫ウタの背中から、心臓を貫くように、一本の矢が突き刺さっていた。それは身体を貫通して、先端が胸から飛び出ている。それに気付いた泡沫ウタは、ゆっくりと振り返ってその屋の持ち主を探した。


「ふ……お前のもたらす不幸とやらは、お前のようだな。ゴフッ……あれで、私を殺したと思い込んだのが運の尽きだ」


「だ、荼枳尼天狐ォッ…!アイツ、い、生きていたのか……!?」


 神域の門の上で首や口から血を流しながら、荼枳尼天狐が立っていた。その手には弓があり、彼女が矢を放ったのは間違いなさそうだ。ただ、それで力が尽きたのか、荼枳尼天狐はその場に座り込み、再び意識を失ったようだった。宇迦之御魂神ウカノミタマは、荼枳尼天狐が神域にいる以上、命を落とす事はないと言っていたので、まだ生きているだろう。泡沫ウタは思わず膝をつきそうになったが、神というだけあってまだ倒れはしないようだ。心臓を貫かれてもなお、生きているのは流石である。


「く、くそぉ…こ、この僕が、こんなっ……ぐぅ…!」


「い、今なら……えっ!?」


 突然の出来事に驚く狛だったが、泡沫ウタはダメージによってトワ達の操作が止まっていた。それをチャンスとして動き出そうとしたその時、今度は狛の頭の中から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


(…狛殿、後は私に任せてくれ)


「え、その声……鬼部さん!?」


 その声に触発されたように、狛の中から青い炎が溢れ出す。それはくりぃちゃぁで、怒りの余り狛の霊力が変化した霊炎である、そして炎は見る間に形を変えて鬼部の姿へ変化していく。狛は知らぬ間に、自らの霊炎で鬼部の遺体を焼き尽くしてしまったのだが、その際、彼の身体と魂までもを炎の中に取り込んでしまっていたらしい。その魂が、神域に満ちた神気によって一時的に蘇ったのである。


「き、貴様…は……し、鍾馗しょうき!?ひ、ヒィィ!止せ、止めろっ、来るなぁっっ!」


 鍾馗しょうきとは、古く中国で伝えられた魔除けの鬼である。疫病神を祓う神として日本でも信仰されている、まさに疫病神の天敵というべき存在だ。鬼部は狛の莫大な霊力と神域の神気を借りて復活したが、それが泡沫ウタには鍾馗しょうきに見えているらしい。そして、鬼部は泡沫ウタの元へ移動するとその炎そのものの身体で泡沫ウタに抱き着き、一気に体を焼き尽くした。


「ギャアアアアアアアッ!あ、熱い、熱いいいいいいッ!?燃える、身体が焼けるぅぅぅぅッ!!」


「疫病神、泡沫ウタよ。貴様の策によって命を奪われた仲間達の無念…かのうさんに代わって、この私が晴らさせてもらう!……狛殿、トワとカイリはまだ生きている。どうか、二人を頼む。それと……」


「え?!ま、待って鬼部さん!…ごめんなさい!あなたの遺体は、私が……っ!」


「君のおかげで仲間の仇を討つ事が出来るのだ、何も問題はない。ありがとう。それと、店長に…かのうさんに、よろ…しく……」


「あああ、待ってっ!?鬼部さん、鬼部さん!」


 狛の制止も空しく、炎となった鬼部は泡沫ウタの身体を跡形もなく焼き尽くし、そして消えた。神域には、狛の悲しい慟哭がいつでも響いていた。

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