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第361話 最悪の報せ

「うう、うううぅぅ…っぐす、うううう……ずずっ!」


「もう泣くなよ、鬼部の奴はお前に感謝してただろーが。無事じゃあねぇが、トワとカイリも生きてたんだしよ、良しとしようぜ」


 鼻を啜りながら泣く狛に、猫田が声をかけた。あまり優しくない物言いではあるが、猫田にとっては精一杯の言葉である。何しろ、猫田自身も大きな傷を負っていて、正直、頭がフラフラしている状態だ。ちなみに狛が泣いているのは、トワやカイリが生きていたことの嬉し涙と、鬼部に対する申し訳なさが鬼部自身の言葉で許された事による安堵も含まれているので、猫田の指摘はむしろ逆効果である。それを意識すればするほど、今の狛は泣いてしまうだろう。火に油を注ぐとはまさにこのことだ。


 泡沫ウタを倒した事で、彼の引き連れていた妖怪達は動きを止め、神域から排除されていった。残ったのは狛達三人に荼枳尼天狐と、気絶しているトワとカイリの二人である。正直な所、狛と朧を除いて、他は皆重傷だ。トワとカイリは本来ならば死んでいるほどの怪我を負っているし、荼枳尼天狐も同様だ。一応、猫田の舌による心霊医術ヒーリングで治療はしたが、そこまで完璧な治療にはならないので、出来れば早く宇迦之御魂神ウカノミタマに傷を診てもらいたい所である。


「……しかし、この結界があるうちは俺らも入れねぇな。どうする?」


 猫田は右目を抑えながら、大口真神のいる地下へ繋がった建物を見上げて言った。拍の展開した結界は強固だが、当然これがある内は狛達も中に入る事が出来ない。宇迦之御魂神ウカノミタマなら中から外の様子が解りそうだし、しばらく待つしかなさそうだ。


 だが、狛達にのんびりとした休息は許されなかった。ちょうど今この時、恐るべき敵がすぐ傍まで迫っていたからだ。





「……静かになりましたね。戦いが終わったのでしょうか?」


 眠る大口真神の前で、拍がそう呟いた。狛ほどではないが、拍も犬神家の一族として、大口真神には言葉に出来ない感情が湧いてくるようだ。恐らく、開祖であるくうの血を引く犬神家の人間ならば、誰もが同じ感覚を抱くだろう。それは郷愁と、ある種の思慕である。犬神家にとって、大口真神は母なる大狼というわけだ。


「…どうやらそのようです。何とか防ぎきりましたね、本当に……あなた達に助けを求めてよかった。あとで改めて礼を言いますが、ありがとう、拍。これで常世神の復活は」


「阻止できた、と本気で思っているのなら、その甘さが命取りだ。宇迦之御魂神ウカノミタマよ」


「え!?」


 それは、そこに居るはずの無い存在の声だった。かつて八花と猫田が戦った際に、八花を迎えに来た白髪の老人…志多羅しだらと呼ばれた男がそこにいた。


「バカな!?コイツ、いつの間に……うぐっ!?」


 志多羅に気付いた拍はすぐに霊符を取り出そうとしたが、一瞬の隙を衝かれて衝撃波のようなものを喰らい、あっけなく吹き飛ばされた。洞窟の壁にぶつかった拍は、その激しい衝撃で倒れ込む。立ち上がる事さえままならない程のダメージを受けた拍は、倒れたまま志多羅を見上げる事しか出来ずに苦悶の声を上げた。


「無駄だ、お前は外に結界を張っている以上、戦う力などないはず。大人しくしているがよい」


「く、く…そ……!ど、どうやって…」


 老人と言っても、志多羅は腰の曲がったようなよぼよぼの老人ではない。背筋はしゃんとして、鍛え上げられた肉体にスーツが良く似合う、ダンディな初老の男性と言った見た目である。一見すると、どこにもおかしい所はなさそうだが、そもそもこの結界の中に拍と宇迦之御魂神ウカノミタマ以外の存在がいる事、それ自体がおかしいのだ。

 それに何より、拍は自分の張った結界に異常が起きていないことは誰よりもよく解っている。結界を破って入ってきたのなら、少なくとも怪我をするか、身なりに多少の影響は残るはずだが、そんな痕跡はどこにもない。


「金剛大結界か…あれは確かに鉄壁の防御を誇る結界だが、あれに防げるのは人間や妖怪共のみ……儂のようなや仏には通用せぬ、残念だったな。しかし、泡沫ウタの奴め、いつまでも遊んでいるから本来の仕事を果たせずに果てるのだ」


 志多羅はそう呟いて、その顔一杯に不満感を露わにしている。まさに唾棄すべきと表現するのがピッタリな態度だ。そんな志多羅を前にした宇迦之御魂神ウカノミタマは、驚愕の表情を浮かべて、絶句している。


「志多羅!?……まさか、あなたが…!」


「久しいな、宇迦之御魂神ウカノミタマよ。こうして会うのは儂が八幡の末席に加えられて以来か?儂はこれでも、毎年の神在祭には顔を出しているのだがな。まぁ、末端の神が貴様のような上位の神と顔を会わせることなど少なくて当然か。……だが、儂はずっと貴様を監視していたのだぞ。今も大口真神を守っているのは貴様くらいだと確信していたからな」


 そう言って、志多羅は底冷えするような冷たい笑みで宇迦之御魂神ウカノミタマを見やっている。あの大口真神の記憶で見た通り、宇迦之御魂神ウカノミタマは昔から、神在祭を一部取り仕切る立場にある日本の上位神である。当然、そこに参加するほとんどの神を見知っているのだが、その中でも志多羅と呼ぶ神が敵対者であるとは、想像もしていなかったらしい。


 そもそも志多羅神とは、今から千年と少し前…およそ西暦900年代に生まれたとされる民間信仰の神である。今で言う新興宗教のようなものだが、現代よりも人々の暮らしに神や仏の教えが身近で根深かった事もあり、かなりの力を誇っていたという。

 平安時代と言われた当時、京の都を始めとして、日本は全国的にみて荒れに荒れた時代であった。飢饉や疫病は言うに及ばず、菅原道真追放によって大怨霊と化した道真の呪いや、平将門の台頭と失脚、そして呪い。更には酒呑童子一派という鬼などの猛威など……まさに激動の時代と言える。狛達が大口真神の記憶で見たあの事件も、ちょうどこの時代の出来事だ。


 そんな時代だった事も後押ししてか、志多羅神は農民などに強く信仰されていた。一部では疫神として見られた事もあったようだが、彼を信奉する者達は熱に浮かされたように寄せ集まると、歌い踊りながら、凄まじい勢いで京の都まで押し寄せたという。これが後に志多羅神上洛事件と呼ばれた歴史上の出来事である。

 志多羅神がどういう素性と逸話を持つ神であるかは定かではないのだが、一部で疫神…つまり疫病神の一種と呼ばれる存在であったこともあり、総合的にみればあまりよろしくない神であったようだ。こちらも経緯は不明だが、彼らは石清水八幡宮を目指して入京した後、八幡神の末席に取り上げられ祀られることとなった。

 そこで問題なのは、一説によると、志多羅神と常世神を信じる者達の行動様式にと指摘する学者がいるという点である。


「……人間というのは目ざといな。貴様ら日本の神々は全く気付かなかったというのに、儂と常世神様の関係性に気付きかけた者がいるぞ。…最も、それも千年近く経ってからの話ではあるがな」


「そんな……常世神が生まれたのはあなたが生まれる三百年以上も前のはず…それに、そもそもあなたは京都以西で発生した神ではありませんか!?それが、何故」


「ふん、貴様も存外に頭が固いものだ。簡単なことよ、儂は一度滅せられかけた常世神様が、その復活をかけて時を置いてこの国に遣わした存在…云わば儂こそあの方の子という訳だ。子が母を守り、またこの世に蘇らせようとするのに、何のおかしさがある?そこの人間と大口真神の関係も大差ないではないか」


「な、なんということ……」


 宇迦之御魂神ウカノミタマは思いもよらぬ事実を突き付けられ、一瞬だが、文字通り肩を落としていた。しかし、そのままでは終わるまいと、キッと志多羅を睨みつけ、その力を振るおうとする。だが、その動きすらも志多羅は読んでいた。宇迦之御魂神ウカノミタマが攻撃に出ようとする前に彼が柏手を打つと、そこから凄まじい霊波が発生し、宇迦之御魂神ウカノミタマを吹き飛ばしたのだ。技自体は拍を吹き飛ばしたものと同じだろうが、その威力は桁が違う。その上、宇迦之御魂神ウカノミタマはその衝撃で弾き飛ばされた後、両手両足をどこからか現れた鎖で抑えつけられてしまった。


「くぅっ…こ、これ…はっ!」


「無駄だ。それは自分達を抑えつける人間達の神への不満を形にしたもの……神に対してのみ力を発揮する呪縛そのものよ、誰よりも神である貴様には解く事などできぬわ。何故、儂があの時上洛まで漕ぎ着けられたか忘れたか?儂は貴様ら既存の神々に対抗する者として祀り上げられ、その存在を確立させたのだ。八幡神の末席に上げられたとて、その力は変わっておらぬよ」


 そう言うと、志多羅は倒れた拍の頭を跨いで通り、大口真神の許へと進む。そして、忌々しさを隠さない顔を見せて口を開いた。


「大口真神……ようやく見つけたぞ。我らが母を狭間へと追いやり、自分はこんな所に隠れ潜んでいたとはな。貴様さえいなければ、、常世神は現世に降臨し、この世は永遠に常世神様のものになっていたのだ!貴様だけは絶対に許さぬ」


「や、止めなさい!志多羅!」


「長い間ご苦労だったな、宇迦之御魂神ウカノミタマよ。大口真神は儂が貰っていく。貴様も殺してやってもよいが、貴様ほどの上位神を殺せば、他の神々が黙っておらぬだろうからな。ここは永らえさせてやろう、どうせ常世神様が復活すれば、貴様らも滅せられて取り込まれることとなるであろうよ。精々、残りの時間を有効に使うがよい。……常世神様復活はすぐそこだ」


 志多羅は宇迦之御魂神ウカノミタマを横目に見た後、その手を大口真神の鼻先に持っていくと何事か呪文のようなものを唱えた。すると、大口真神の身体が巨大な泡のようなものに包まれ、それは次第に小さくなって手のひらに乗るほどの大きさに変わってしまった。そして、志多羅は満足したようにそれを持って、この空間から消え去った。


 結界が消えた事で入ってきた狛達が事態を知るのは、その数分後の事である。

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