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第365話 悪神の目覚め

 は、微睡むように夢を見ていた。


 かつて、祝福されて生まれたはずの小さな存在は、人々の信仰心を集めて神となった、その記憶だ。


 人に、富と繁栄の礎となる永遠の命を与えるモノ……と望まれて生まれたはずだった。


 しかし、生れ落ちたその神が与えたのは禁断の結果である。富というものは、決してゼロから無限に湧き出て来るものではない。人の営みの中で得られる糧によって、生活に余裕が生まれ、そこで初めて富と呼べる貯えが出来るのだ。だが、はその理を知らなかった。求められるがままに、あるはずのない富を人に与え続け、ある者は破滅する。

 また、永遠の命を望んだ者は、生命と魂の連環から外れた悍ましい怪物と化していった。人が人のまま、完璧に永遠を生きる事などあり得ないというのに、はそんな当たり前のことすら知らなかったのだ。だからこそ、永遠に続く命という結果だけを与えてしまった。そんなことを繰り返し、それは人を人ならざる者へと変え、破滅をもたらすとして疎まれ忌まれ、そして排された。


 次こそは間違えないようにと、数百年の時を経て復活を目論んだが、その時既に、は祝福を受けて生まれたかつての存在ではなくなっていたのだ。だが、自身が悪なるものとして神格を与えられていたと気付いていないは、人の命と魂を食らって復活しようとし、狼の神によって狭間へと放逐される。


 狭間の世界は、揺蕩たゆたう波間のように緩やかで穏やかで、そして何もない無の空間であった。そこから見える現世は、あまりにも眩しい。手を伸ばせば届くはずなのに、狼の神がかけた封印が、それに邪魔をする。千年に渡る現世への渇望は、に憎悪と無限の執着を植え付け、極度の飢えにも似た強い感情を芽生えさせた。


 ――欲しい。現世の全てが、人間の命と魂が、欲しい。


 そうして、は封印の綻びや隙間から干渉し、己の手駒を人間界に置き、また直接人を狭間の世界へ落としたりもした。もちろん、偶然狭間へと落ちてきた人間も、は容赦なく喰らって糧とする。だが、その全ては人の望みを叶える為である。どんな形であれ、富と繁栄こそが人間の究極の理想であることに変わりはない。ならば、今度こそ、全ての人間にその望みを与えよう。


 が自らの中に命と魂を取り込むことで、その願いは成就される。何故なら、神の体内であれば、富も永遠の命も思うがままだからだ。代わりに現世で生きる命と、輪廻の輪へは戻れなくなってしまうが、望みが叶うならば些末なことだろう。ゆっくりと磨り潰すように、取り込んだ命と魂を使ってまた次の命と魂を飲み込む力にする。例えどんなに苦痛に塗れても、富をもたらし永遠に生きられればそれでいいはずだ。人の望みは、あくまでその結果なのだから。


 そうして、復活の時を待ちわびていた――常世神は、遂に微睡から目覚めようとしていた。歪んだ形で人の望みを叶えようという、飽くなき自らの欲望を果たす為に。





 狛達が宇迦之御魂神ウカノミタマの神域から桔梗の家に戻った翌日の午後、狛と猫田は家を出て、くりぃちゃぁへ向かっていた。警戒して気を張っていたとはいえ、桔梗の家で食事を摂り、身を綺麗にして一晩休めたことは狛にも猫田にとってもとても有意義な時間であった。まさに生き返ったような心地で、命の洗濯とはこういうことを言うのかと狛は若いながらに思ったほどだ。

 そんなわけで気力と体力は充実しているが、どうも朝起きてから、狛は身体が重い。こんな時に体調不良とはあまりに情けないが、熱があるわけでもなく、症状も他にないのでとりあえず動いてみることにした。


 桔梗の家を出るにあたって、問題だったのはルルドゥだった。狛達と離れたくないと駄々をこねて泣くばかりで、正直に言って手を焼いた。それでもなんとか説得して置いてきたのは、他でもない、桔梗を守る為である。


 桔梗は傑物として身体能力も高いが、所詮それだけでは有事には生き延びられないだろう。もしも万が一、常世神が復活するような事があれば、何が起こるか見当もつかないのである。それでも、ルルドゥの槍を使った鉄壁な守りがあれば、多少は安心できるだろう。そう言う計算だ。だからこそ頼み込んで、狛達が留守にする間、桔梗の事を頼んだのだった。


「ちょっと可哀想だったけど、ルルドゥが居てくれれば、桔梗さんは安心だもんね」


「まぁ、アイツは防御だけなら大したもんだからな。あんなビビリがついてきたってどうしようもねぇってのもあるけどよ」


 猫田は辛辣に言っているが、それはルルドゥを心配してのことである。もしも常世神が復活すれば、狛達は真正面から戦う事になるだろう。恐がりなルルドゥを凶悪な常世神の前に立たせるのは忍びない、狛も猫田もそう思っているようだ。尚、狛はメイリーと神奈にも連絡を入れていてもしもの時には桔梗の家に逃げ込むよう指示を出しておいた。神奈は狛と一緒に戦いたがっていたが、神奈は槐の基地へ乗り込んだ時の怪我がようやく治ったばかりなので、やはり巻き込みたくはない。なので、いざという時にメイリーを守って欲しいと伝えてある。


 そんな中、狛達がくりぃちゃぁに向かうのは、大怪我を追っていた土敷の様子を見る事と、玖歌を始めとした残りの仲間達の安否を確認する為である。場合によっては彼らをどこかへ避難させなければならないのだが、まずは彼らの状況が解らないと何とも言えない。その為にくりぃちゃぁに向かうのだ。それに何よりも、トワとカイリが生きている事を、一刻も早く伝えたかったのもあった。


「皆、大丈夫かな?はぁ…一応、あの後は弧乃木さんが取り成してくれたから、攻撃されたりはしてないと思うけど…はぁはぁ……」


「新しいささえ隊って連中の事は解んねーが、弧乃木は信用できるだろうからな。今の内に、何とかアイツらを安全な場所に移動させてやりてぇが……しかし、狛、お前大丈夫か?相当辛そうだぞ」


「うん。身体が重いだけ、なんだけどね……どうしてだろう」


 狛がただ歩いているだけでこの疲れようは、本当に異常だった。猫田は嫌な予感がして、大型の猫に変化すると有無を言わさず狛を尻尾で拾い上げ、背中に乗せてくりぃちゃぁへ飛ぼうとした、その時だ。


「な、なんだっ!?」


 突如として空が黒く染まり、文字通りの暗雲が立ち込めてきた。時刻はまだ午後三時を少し過ぎた所で、陽が落ちるのはまだ早い。だが、それだけでは説明がつかないほどに、辺りは暗くなっている。猫田が慌てて太陽の方を見ると、太陽そのものが濁ったように変色を始めていた。暗い緑や暗い赤…いくつもの色味に変化するそれは、もはや太陽とは思えない常軌を逸した姿をしていた。


「な、何が起きてるの…?」


 じとじとと纏わりつくような湿った空気が辺りを覆い尽くし、筆舌に尽くしがたい、今までに嗅いだこともない悪臭が空に充満していった。それは全て、あの太陽から流れ出ているのは明らかだ。太陽は色だけでなく形を変え、蠢く何かに変貌する。


「や、ヤベぇぞっ!狛、しっかり掴まってろ!」


「きゃっ!?な、なに、これっ!?」


 いつの間にか狛と猫田の周りに突風が吹き荒れて、二人はその風に呑まれまいと必死に耐え凌いでいる。だが、そこで狛が体験したのはあり得ない事態だった。風が手のように狛の身体を掴んだのだ。そして、それは猫田の身体も同様に掴むと、子どもがおもちゃを強引に振り回すようにして力任せに二人を引き離そうとする。


「うおおおおおおおっ!?」


「きゃああああああっ!?」


 狛と猫田はそれぞれ別の方向に弾かれ、投げ飛ばされてしまった。どこからともなく不気味な笑い声が響き、太陽だけでなく、空もそれに伴ってその色を変えていく。――そして、空が割れた。

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