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第375話 心の間隙

「ふっ!!」


 立ちはだかる不死身の怪物を、神奈がその顕明連で切り捨てた。どうやら、彼らの不死身は常世神が輪廻の輪から魂を強制的に抜き出し、行き場のない魂を作ることで肉体から魂を離れさせないようにしているものらしい。何とも滅茶苦茶な理屈ではあるが、そんな力業の権能を使う所こそ常世神が邪神と呼ばれる所以ゆえんだろう。

 そして、神奈は自身が持つ顕明連の神通力、天眼通を応用してそれを見切り、彼らを斬り伏せることで魂の呪縛から解き放ち再び正しい輪廻の輪へ戻すという荒業をやってのけている。本来であれば神の権能にも似たその技を可能とするのは、鈴鹿御前の血を引く彼女だからこそ出来る芸当と言っていい。


 神奈とメイリーはクラスメイト達を連れて桔梗の家、即ち神子神社にやってきたのだが、そこは必ずしも安全とは言えない状況であった。と言うのも、何故狛が神奈達に神子神社に行けと言ったのかと言えば、そこにはルルドゥがいたからだ。鉄壁の自動防御能力を持ったルルドゥ自慢の神の槍があれば、神奈やメイリー、それに桔梗の命を守る程度なら万全だと考えていた。ところが、神奈達が到着した際には、既に神子神社には数十人の避難民が集まっていたのだ。

 その多くは外出中にあの不死身の怪物に襲われた人達で、そこへ神奈達が連れてきたクラスメイト十数人を混ぜれば到底ルルドゥ一人では守り切れない。結局、神奈は神社の境内で自ら先頭に立ってクラスメイトを守る事になったのである。


 だが、当の神奈はその状況を快く思っていなかった。本来であればすぐにでも狛を助けに行きたい所なのに、それが出来ない。それどころか、クラスメイト達は狛を酷い言葉で非難して追い払ってしまう有り様だ。あれから神奈自身、彼らを何度見捨てようかと思ったか解らない程だった。


 それでもそうしなかったのは、狛にもしもの時は、自分を助けるより他の人達を助けて欲しいと請われていたからである。


『神奈ちゃん。常世神と大きな戦いになって、もしもたくさんの人達が巻き込まれるような戦いになったら、私より他の人達を助けてあげてね。常世神とは、私や猫田さんが戦うから。…神奈ちゃんは戦う力のない人達を守ってあげて』


(狛……クソ、私は何をやっているんだ。いくら約束したとはいえ、狛を助ける事も出来ず、こんな勝手な奴らを守って…そもそも私が守りたいのは、狛やメイリー、それに家族や一部の親しい人達だけだろう。そうだ、今からでも遅くないじゃないか。こんな、狛を蔑ろにするような奴らなんて……)


 そんな意識が溢れ出しそうになった時、そっと神奈の手にメイリーの手が触れた。神奈はハッとして、メイリーの顔を見やる。


「神奈、コワイ顔してる。……ダメだよ、それはコマチが悲しむよ」


 神奈の心を見透かしたように、メイリーが優しく呟いた。メイリーは神奈と狛の約束の事を知らないが、神奈の表情から何かを察したようだ。今、神奈の脳裏に過ったのは、鬼そのものの非情な判断である。心まで鬼になってはいけないと、まるで狛が窘めてくれたようだった。


「…っ!ああ、解ってる、さっ!!」


 メイリーの言葉で少しだけ冷静になった神奈はそう言って、抑えきれぬ怒りを胸に秘めつつ、近づいてきた不死身の怪物を音もなく切り捨てた。


「す、すげぇ……」


 クラスメイトの誰かがそう呟くが、誰も神奈の勝利を祝おうとはしない。敵がまだ残っていて、次々ここに集まってきているという事も理由の一つだが、声をかけられないのは先述の通り、神奈が凄まじいまでの怒りをみせているからだ。今の神奈は鬼の力を全開にしてはいないが、その怒りと気迫は人のそれを大きく超えている。一般人であるクラスメイト達が怯えて委縮するのは当然だろう。


 そんな時間がしばらく過ぎると、段々と不死身の怪物達の数が減ってきたように感じられた。元々、志多羅が用意した不死身の怪物達は総数が多くはなかったからだろう。神奈の活躍により、ようやく終わりが見えてきた…そんな時だった。


 ――ルロロロロロロロォッ!


「うっ!?」


「な、ナニ!?」


 突然、どこからともなく不気味な叫声が聞こえてきた。正確に言えば、それは聞こえたのではなく頭に直接響いたと言う方が正しい。そう、狛と猫田が常世神と相対し、常世神がその声を上げたのだ。その声と共に、全員の脳裏には常世神に立ち向かおうとする二人の姿も同時に届いていた。神奈達は頭を抱え、その光景に意識を奪われる。そこへ、常世神が産み落とした新たな怪物達が現れたのである。


「新手か!?……くぅ、頭が…!」


 他者の脳に直接情報を送り込むというのは、受け入れる側にもそれを受け入れる土壌がなくてはならないものだ。超能力者が能力の使い過ぎで脳に負担がかかり、自滅するというのと同じで、未開発の脳には五感を通さず大量の情報を受け入れる準備が整っていないのである。流石の神奈もそれは他のクラスメイト達と同じで、突然浴びせ掛けられた情報をうまく処理できず激しい頭痛に苛まれてつい動きが鈍ってしまう。


 それを待っていたのか、新たに集まってきた怪物達は一斉にクラスメイト達へ襲い掛かった。初めから、抵抗する力を持たない彼らに狙いをつけていたようだ。


「あ、あああ……!?」


「っ、止せ!止めろ…!ハッ!?」


 神奈が動き出そうとすると、怪物達の一部が神奈とその隣に立つメイリーへと襲い掛かってきた。怪物は姿形こそ人に近いが、頭髪や体毛などは一切なく薄く黄緑がかった肌の色をしていて、まるでマネキンのような肌質だ。しかも、頭はあっても顔や耳なども何もないのっぺらぼうそのものである。当然、裸ではあるが、男女と言った概念すらないようだった。

 だが、彼らが真に悍ましいのはここからだった。彼らはクラスメイト一人一人の前に立ち、何をするでもなくじっとしている。そこに目があれば目を合わせているのだろうが、のっぺらぼうだけあって、何をしているのかは解らないままだ。


「あ、ああ……欲しい。金が、欲しい」


 その内に怪物と向き合っていたクラスメイトの男子が、ぼそりとそう呟いた。すると、怪物はその男子の肩を抱き、まるでキスをするように顔を近づけていった。そして、その男子と顔を合わせた瞬間、男子生徒の身体がずるりと怪物の中に吸い込まれてしまったのだった。


「い、いやぁっ!?」


「な、なんだ!?コイツら、人間を…食うのか……!?」


 神奈に護られながらそれを見ていたメイリーが悲鳴を上げ、神奈もまた驚きを隠せない。一瞬にして飲み込まれた男子生徒の衣服だけがそこに落ちていて、怪物はその場にゆらゆらと立ち尽くしている。それを皮切りにして、あちこちから生徒達の呟きが広まっていった。


「わ、私…恋人が欲しい」


「俺は、死にたくない…ずっと、ずっと生きていたい」


「俺も彼女が、欲しい…一人は、嫌だ」


「おい!皆しっかりしろ!取り込まれるんじゃないっ!」


「神奈!?アブナイ!」


「っ!?しまっ……」


 波のように一斉に広がっていく異変を止めようと、刀を振るいながら神奈が大声で叫ぶ。だが、ちょうどその横薙ぎの一閃を避ける様に、一匹の怪物が仲間の身体を踏みつけながら神奈に飛び掛かってきた。そして、呼吸の隙をついて神奈の両腕を抑えつけると、神奈の目を覗き込んでくる。

 のっぺらぼうの怪物には目がないはずだが、その瞬間、確かに神奈はと、そう感じた。すると、頭の中に、聞いた事のない声が響く。それは心安らかになるような、それでいて胸の奥をざわざわと何かが走り回るような不快感を合わせた、奇妙な声だった。


 ――あなたも望みを言いなさい、私がそれを叶えてあげる。その代わり、あなたの全てを私に捧げなさい…さぁ、あなたの命と魂をかけた願いはなぁに?


(私、の…願い?私の……望み、は…)


「神奈、ダメェっ!!」


「っ!?め、メイリー…?私は、何を…くっ!?」


 知らぬ間に脱力していた神奈は、メイリーの呼びかけで目を覚ますと咄嗟に怪物の手を払いのけ、今まさにメイリーを掴もうとする怪物を蹴り剥がす。今ので自分の身に何が起きたのか理解し、同時にクラスメイト達に何が起きたのかも察することができた。あの呼びかけに答えた者が怪物に取り込まれてしまうのだ。


「メイリー、ありがとう、助かった。しかし、これは……!」


 周りを見渡せば、既にかなりのクラスメイト達が怪物の中に取り込まれてしまったようだ。抵抗出来ている者達もいるようだが、半分鬼である神奈でさえ呆気なく陥落しかけたのだ。普通の人間がいつまでも耐えられるとは思えない。それほどに強力な催眠であった。


「…ワタシ達、大ピンチじゃん」


「ああ、だが、狛と約束したんだ。諦める訳にはいかない…!」


「コマチか…ふふ、昔ワタシを助けてくれた時のコマチ、格好良かったなぁ」


「……そうだな。私だって狛には助けてもらったよ、だから、ここを切り抜けて今度は私達が狛を助けに行くんだ。そうだろう?メイリー」


「だね!」


 怪物達に囲まれる中、神奈とメイリーは笑い合う。どんどん深くなる夜の闇に、怪物達が蠢く音だけが響き渡っていた。

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