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20:酒とドラ息子と先代と

 ケーリィンはエイルにしこたま撫でられた (頭だけでなく、何故か顎も撫でられた)後で来店日を取り決め、学校へ向かう彼女を見送った。


 大学生に、洋裁店の店員、そして男ヤモメで社会不適合者な父に代わっての、家事担当。

 多忙なはずなのに、エイルはいつもニコニコしている。

「エイルさんって、美人で恰好良いですよね。お店でもテキパキされて」

 ぽんやり、とケーリィンは呟いた。

 ドレスの素材やデザインを決めるため、何度か洋裁店を訪れていたが、いつも彼女の接客にはそつがないのだ。


 ふん、とディングレイは鼻を鳴らす。

「親父がああだと、子どもは嫌でも自立すんだろ」

「あー……」

 否定は出来ない。ケーリィンは半笑いになる。

「その逆を行ってるのが、この酒屋のドラ息子だな」

 ちょうどバレイユ酒店の前を通りかかったので、ディングレイは冷めた目をそちらへ向けた。

「親父さんは商売上手の敏腕だが、息子があれじゃあな。先が思いやられるぜ」

 ケーリィンもドラ息子こと、レーニオには痛い経験を与えられた。苦笑を浮かべ、小さく肩をすくめる。


 聡いアンシアは、気遣わしげに二人を見た。

「その方と、ケーリィンさんの間に……何かあったんですか?」

「あ、いえ、大したことではないのですが……ちょっぴり、息子さんから嫌われちゃって……」

 苦笑いのまま歯切れも悪く答えるケーリィンに、ディングレイが補足する。

「それも逆恨みでな。先代舞姫とドラ息子の間でひと悶着あって、まだ向こうが引きずってるだけだ」


 吐き捨てるように言われた言葉に、アンシアも陰鬱な表情になる。

「まぁ、そうだったのですか……先代がご迷惑を掛けてしまった方々にも、聖域から謝罪を行うべきですね……」

「あー。いらねぇ、いらねぇ」

 苦い顔で、ディングレイが手を大きく左右に振る。

「今でも恨んでる連中の大半が、先代に粉掛けられて本気にしちまった奴だ。あの女の本性も見抜けなかった奴らも悪いだろ」

 所帯持ちもいたって言うのによ、と吐き捨てるように言った。


 それが聞こえた訳でもなかろうが、酒店の扉が開いた。思わず、ケーリィンが両手を胸の前で握りしめ、身構える。

 彼女の警戒は無駄にはならず、出て来たのは店主でも客でもなくドラ息子その人だった。なんとも間が悪い。


 箒とちり取りを持っていたレーニオは三人を見つけ、飛び上がらんばかりに驚く。そしてすぐさま、ケーリィン以上に身構え、へっぴり腰で敵意を丸出しにした。

「なんだよ、何しに来たんだよ! あっ……まさか……」

 ケーリィンたちが釈明する前に、レーニオの枯葉色の目に怯えが灯った。彼の視線はアンシアの着ている、教官用の濃紺のドレスに注がれている。


 それは一見すると飾り気のない、地味なドレスである。しかしスカートの裾を縁取るように、聖域の象徴である白百合の刺繍が施されていた。

 この刺繡によって子どもであっても、彼女が聖域関係者だと一目で分かるのだ。

 すっかり青ざめたレーニオは、裏返った声で叫ぶ。

「ぼっ……僕のこと、聖域に言いつけたんだな! 卑怯者ぉ! 僕は悪くないぞ! 向こうが欲しいって言ったから、だから!」


 ケーリィンには、彼の絶叫の意味が分からなかった。

 彼女は彼から、悪罵以外に何も受け取っていない。もちろん何もねだっていない。

 そうなると、ねだった人間は――

「お前、何言ってやがるんだ? 先代に何を貢いだんだ?」

 ディングレイから、冷え冷えとした空気が発せられる。それは比喩表現などではなく、事実であった。

 氷の粒混じりの冷気が、彼の全身から発せられ、レーニオの体へとまとわりついた。


 レーニオが情けなくも、甲高い悲鳴を上げた。

「えっ、なにこれ? なんなの? やめっ、だって僕っ……僕も、被害者じゃないか!」

「寝言言ってんじゃねぇ! 無関係なのにてめぇに罵倒され続ける、リィンが一番の被害者だろ!」

 レーニオは反論できなかった。

 もはや喉の奥から、ヒュー……と無意味で物寂しい音しか出せずに、下肢や腕を氷で覆われていく。


 湖の主である、リズーリのちょっかいに応戦した時と同じ、氷の魔術だ。

「だっ……駄目ですっ! レイさん、落ち着いて!」

 ケーリィンは焦りながら、魔力の放出を止めない護剣士の胴にしがみつく。

「レーニオさんが凍死しちゃう!」


 実のところケーリィンだって、レーニオに好感情は一切抱いていない。

 だが、殺したいほど憎んでもいない。出来れば関わり合いになりたくないな、という位置づけなのだ。

 そんな相手に対して、ディングレイが手を下すのは嫌だった。

 舞姫としては最低の考え方かもしれないが、それでもディングレイのため、彼を必死に制止する。

 何故ならば、彼はきっとケーリィンのために怒って、こんな荒っぽい手段に出たのだから。


 駄々をこねる子どものように、彼に抱き着いて揺さぶれば、レーニオをねめつけていた視線がこちらへ向く。途端に、眼光の殺気が緩んだ。

 すると魔力も途切れ、レーニオを覆っていた氷も溶ける。

 氷が消えたのではなく溶けただけなので、彼はずぶ濡れのままだ。下半身を重点的に凍らされたため、まるでお漏らししたかのようだ。きっと、わざとだろう。

 だが本人にも、そんなことを気に掛ける余裕はないらしい。その場にへたり込み、安堵の息を吐いていた。


「お話を聞かせては、いただけませんか?」

 彼の呼吸が落ち着くのを待って、アンシアが前へ出る。

 疲れと怯えにまみれた表情が、彼女を見上げる。

「あなた、僕を調べに来たんじゃ……ないの?」

「ええ。私はこちらの、ケーリィンの元教官です。彼女の様子伺いに参っただけの身ですので、今この場で貴方を罰する気持ちも権利も、一切ございません。どうか、先代との禍根について教えていただけませんか?」


 教育者然とした、優しくも凛々しい声音に促され。

 レーニオは青ざめた顔のままだが、ゆるゆるとうなずいた。

「……店の中、でいいですか? 今、中にいるの、店番してる僕だけなんで……」

「もちろんです。ご協力感謝いたします」

 レーニオが笑う膝を抑えて立ち上がり、ゆるゆると店の扉を開ける。笑顔のアンシアが、それに続いた。


 ディングレイとケーリィンも、その少し後を並んで歩く。

「さっきは、悪かった。いい加減、あいつに腹が立って」

 ばつが悪そうに、ディングレイは視線を落としている。

「ううん。怒ってくれたの、嬉しかったです」

 ケーリィンは笑って首を振る。


 続いて背伸びをして、うなだれる彼の頭を控えめに撫でた。ふわふわとした見た目の通り、柔らかい髪質だ。

 薄青の瞳を大きく見開き、ディングレイは彼女を凝視した。が、撫でる行為は拒否されなかった。

「……ありがとう」

 褐色の肌を僅かに赤らめた彼は、平素以上に低い声でぼそりと、そう言った。

 彼に受け入れてもらえたことが嬉しくて、ケーリィンも頬を染めてはにかむ。

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