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21:舞姫の役割

 舞姫たちは、原則飲酒が禁じられている。

 これは彼女たちの健康に配慮してというよりも、奇跡の失敗に配慮しての禁則事項なのだ。

 もしも酩酊状態で舞でも行おうものなら、どんな事態を引き起こすか予想が付かない。


 本人が魔力の制御も出来ていない状態のため、青いバラを咲かせるレベルではない、「逆奇跡」を引き起こした事例もあるという。


 ケーリィンも聖域で、飲酒によって引き起こされた災害について学んだ。

 火山の噴火や大規模な雪崩など、いずれも多くの人を巻き込む天災……いや、人災であった。

 神の子とも呼ばれるだけあり、酔って暴れる際も規模が違うのだ。

 だが一方で、住民との交流のための、宴の場等での少々の飲酒ならば黙認されている。そもそもアルコールに耐性がない場合は、この限りではないが。


 それはともかく。

 先代舞姫の残していった金メッキだらけの部屋には、度数も値段も高そうな酒があった。

 どうやらそれは、レーニオが貢いだものだったらしい。

「あの女が『いい酒くれたら、あなたを見直すかも』って言いだしたんだ……僕らだって舞姫様たちの仕事とか、暮らしとか、周りの爺さん・婆さんたちから聞かされてたし。学校でも習ったから、舞姫様を酔い潰したせいで、沢山人が死んだことがあるって知ってた……でも」

「ハッ。惚れた弱みで断れなかったってか」

 店内に置かれた木箱に座って意気消沈するレーニオの前で、腕組みするディングレイが鼻で笑った。

 さながら、取り調べを受ける容疑者と警察官である。


 全てを諦めた容疑者然としたレーニオは、頭を抱えてうめく。

「そうだよ……でも最後には親父にはバレて、しばらく無給で働かされたし……あのビッチはビッチで酒だけ受け取って、一度もさせてくれなかったし……」

「ご愁傷様だよ、お前の親父さんに」

 対するディングレイは、どこまでも冷ややかだ。


 ケーリィンは強張った顔で二人のやり取りを傍観しつつ、何をさせてもらえなかったのか、と密かに考えていた。

(やっぱりデートかな?) 

 彼女より世間慣れしているアンシアは、開けっぴろげな自供に少々顔を赤らめつつも、宥めるようにレーニオの腕へ手を添えた。

「本当にご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。舞姫自身が望んでお酒を求めていたのなら、貴方の行為を私共が責める権利などございません。一住民として、舞姫の求めを断るのは荷が重いでしょうし」


 涙ぐんだ目で、レーニオはアンシアを見上げる。ずびびぃ、と鼻もすすった。

 無遠慮なその音に頬を引きつらせるも、彼女は続ける。

「ですからどうか先代とケーリィンさんを、別人と割り切ってはいただけませんか? 無理をお願いしているのは、重々承知ですが……」

 何かを言おうと、レーニオは口を半分開けた。しかしアンシアの視線は真っ直ぐ注がれたままだ。それに気圧されたように、結局声は発せられなかった。


 アンシアは一つ息を吸い、

「レーニオさん。これから申し上げることは、他言無用にお願いいたします」

「えっ……」

それだけ言うと、彼の理解や了承を待たずに、アンシアは続けた。

「舞姫は踊りによって、街を豊かにすると言われています。それも事実ですが、本来は彼女たちの内包する、膨大な魔力を祈りに変えて、街の未来に良い選択肢をもたらすことが最大の役割なのです。踊りは一過性の奇跡を生み出すだけの、言わばパフォーマンスでしかありません」

「……は?」


 ぽかん、とレーニオは目と口を大きく開けて固まった。

 それはケーリィンも同じだった。そんな話は、今まで聞いたことがない。

 ディングレイだけは、変わらず不機嫌な顔のままだった。


 三人に構わず、アンシアは滔々と続ける。抑揚のない声は、どこか懺悔するようにも聞こえた。

「……ケーリィンさんはたしかに、あがり症で踊りもよく失敗してしまいます。ですが彼女は、優しい心と、どの舞姫にも負けない魔力を持っています。貴方がたが彼女を受け入れてさえくだされば、あの子はそれ以上の愛と祈りで、この街に光を呼び込むでしょう」

 そこまで評価されていたなんて、とケーリィンは耳を赤くしてうろたえる。


 ただそれでも、彼女は二人の会話へ割って入らずにはいられなかった。

「アンシア先生……わたし、そんなこと、聞いたことなかったです……聖域でも、一度も教えてもらっていません……」

 アンシアが顔を持ち上げる。柔らかい笑顔のはずなのに、どこか苦し気だった。

 やはり彼女は、懺悔していたのだ。ケーリィンや、ここにいない教え子たちへ。


「ええ、そうでしょうね。このことは、聖域でも極秘事項扱いとなっていますから」

「どうして、ですか……?」

 自分たちの踊りが、見世物に過ぎないだなんて。本当は祈る心自体が必要だなんて。

 そんな重要事項を何故、舞姫当人には教えないのか。ケーリィンは聖域の方針が理解できなかった。

「舞姫たちは街へ赴任すれば、その地位を退くまで、赴任地で暮らし続けることを義務付けられていますでしょう?」

 アンシアの確認に、ケーリィンはためらいつつ頷いた。

「はい……」

「では。もしもそこに愛まで強制されれば、貴方がたにとって途方もない負担となりませんか?」


 愛することを強制されてかえって舞姫が反発すれば、酩酊時どころではない災害をも、街に呼び込みかねないのだ。過去にはそれが元で、衰退した街もあったのだという。

 だから神殿管理者や護剣士たちが、舞姫が終の棲家を好きになるよう密かにお膳立てするのだ。


「……じゃあ、レイさんも知ってたの?」

 疎外感でつい、責めるような声音になった。見つめると、ディングレイも沈んだ顔になる。

 彼はおずおずと、うっすら涙ぐむケーリィンの手を取った。

「黙ってて、悪かった。でも、俺や爺さんが気を回さなくても、リィンはここを大事に思ってくれた。他の連中に嫌われても、めげずにいてくれた。本当に感謝している」

 彼の声もつないだ手も、温かい。

「そんなこと、ない、です」

 ふるふる、と首を振るケーリィンの声は、上ずっていた。


 それでも懸命に嗚咽を抑え、気持ちを真っ直ぐ言葉に乗せる。

「だって、レイさんが、おじいさんが、皆が優しいから、私も頑張れたんだよ?」

 笑うところり、と雫が零れた。

 頬を伝うそれを、ディングレイの無骨な手が拭う。

「ん。リィン、ありがとうな」

「うん」

 頬に触れた手が、そのまま彼女の髪を撫でる。

 彼に感謝されれば、全てを受け入れられる気持ちになった。


 二人を観察するアンシアの瞳から、後ろめたさや罪悪感がゆっくりと溶けだしていった。穏やかな表情に戻る。

「ケーリィンさん、そういった事情がございますので。実は住民や、もちろん護剣士の方との自由恋愛は禁止されておりません。聖域側も、舞姫が所帯を持った方が地域とのつながりも強固になると考えており、恋愛や婚姻を奨励していますね。こちらも、大っぴらには言えませんが」

 そう言ってクスリと笑んだアンシアは、人間味あふれる少し下世話で、だけどケーリィンを思いやる表情を浮かべていた。


 ケーリィンは初めて見るアンシアの表情にも驚き、言われた言葉にもどぎまぎし、理由の分からぬ汗をかいて赤面する。

「やっ、え、あ、その……レイさんとは、わたし、そういう関係じゃ、えっと──」

「え、違うのか?」

「はいっ?」

 そのディングレイ本人から間近で即座に問われ、とうとうケーリィンは思考停止した。しかもあざとくも、少し悲しそうな顔を作っている。

 ケーリィンは意味不明な言語未満の声を、半開きの口から断続的に漏れ出すしか出来なかった。

 彼女が自動人形なら、耳から蒸気も噴き出しているだろう。


 一方、自分への事情説明だったはずなのに、いつの間にか蚊帳の外に置かれ、あまつさえなんとも甘々しい空気を見せつけられ、レーニオは拗ねていた。

 何せ先代舞姫とのワンナイト・ラブも達成出来ず、そして今も昔も恋人がいないのだ。


「なんだよぉ、あんたらばっか! イチャコラしやがって! 酒屋の息子は、幸せになっちゃダメなのかよ!」

 ディングレイはすかさず出荷前の肉牛を見るような目で、がなるレーニオを見下ろした。

「あ? なればいいじゃねぇか、勝手に。ただ、その前に女を見る目を養った方がいいな」

「はぁっ?」

 ニヤリ、とディングレイは普段より悪辣な笑みを浮かべる。

「てめぇが先代に骨抜きだと聞いた時、正直引いたぜ。全裸で地雷原に飛び込む馬鹿がまだいやがったのか、と引きながら感心したよ」


 酷評も酷評である。精神的痛手で灰になる寸前のレーニオに、アンシアは再度平謝り。

「彼女については、我々も後手に回ってしまい、本当に申し訳ありません……現在は身柄も確保して、更生のため、しかるべき施設へ入所させておりますので」

「施設っ?」


 予想外の顛末に、レーニオはのけぞる。彼の座る、二段重ねの木箱が揺れた。

「はい。その……異常性欲型の色情症との、診断結果が出ておりまして……」

 詰まりながらもアンシアが伝えた先代の末路に、ケーリィンは赤くなるのを忘れて絶句する。詳しい病状は分からないが、とんでもなくエッチらしいということだけは理解できた。


 そんな女を愛していたレーニオも、のけぞったまま愕然、と固まった。

 が、彼の衝撃は、木箱にとっても重圧だったらしい。

 二段重ねの椅子替わりは、レーニオの傾いた重心に耐えきれず瓦解した。呆然自失のレーニオも、一緒に倒れ込む。


 そして運の悪いことに、木箱の中には空き瓶が入っていた。

 不運とは重なりやすくなっているらしく。レーニオは受け身も取れず、空き瓶を巻き込みながら床を転がったのだ。甲高い音と共に割れた瓶が、彼の腕や頭に刺さる。

 ひっ、と女性二人が喉を引くつかせた。

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