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23:それからの彼と彼女たち

 レーニオの転倒並びに流血騒動は、ささやかな変化をもたらした。

 彼の説得によって楽団が、ケーリィンが踊る際の演奏を快諾してくれたのだ。一ヶ月と六日後に控えた収穫祭で、ケーリィンのお披露目を行うことが正式かつ急遽決まった。


 楽団の態度の軟化が伝播したのか、ケーリィンに悪感情を持つ住民も徐々に減って行った。

 なにせ、赴任二日目の彼女へ我先に喧嘩を売ったレーニオが、甲斐甲斐しくも神殿への配達を買って出ているのだ。

 先代との禍根かこんで強固な態度を崩さなかった住民も、これには困惑しただろう。


 そうとは知らないレーニオは、今日もケーリィンへの土産片手に神殿へやって来た。

 なお、住民の大半から「あいつは犬っぽい。馬鹿な犬っぽい」と評されていることも、本人は知らない。

 ケーリィンもそんな総評を耳にして、納得したように何度も頷いていた事実も、もちろん秘密である。


「ご注文のワインとジュースと――はい、これ!」

 にっかり笑顔でレーニオが差し出したのは、酒の肴でもあるナッツの瓶詰。

 飲酒をしないのに、ケーリィンは薄塩味のナッツが好きなのだ。それ以外にもプレーンな焼き菓子やドライフルーツなども好きなため、周囲からは「粗食の見本図」と呼ばれている。

「わぁっ。ありがとうございます!」

 大事そうに瓶詰を抱きしめる彼女を見て、レーニオはだらしなくやに下がる。


 ケーリィンの斜め後ろからその様子を伺っていたディングレイは、眉間や鼻の上にしわを作る。不機嫌そのものの顔であり、実際のところ不機嫌だった。

 馴れ馴れしくするな、とレーニオの頭を掴み上げて説教したい衝動を堪える。


「お前は舞姫なら、誰でもいいのかよ。節操ねぇな」

 ディングレイは説教する代わりに、皮肉っぽい笑みで茶々を入れた。

「ケーリィンちゃんは、そういうのじゃないです! 命の恩人だし、なんか小ぢんまりしてるし、自慢の姪っ子的みたいな? それにほら、もう怖いコブが付いちゃってますから」

 レーニオに指さされつつ、下品な笑いで意趣返しをされるが、それも鼻で笑う。

「お前も付けば良かったのにな、人面そう


 ケーリィンへの評価を逆転させるきっかけとなった、血みどろの痛々しい思い出を蒸し返され、レーニオは青ざめた。

「いっ、いらない! 付いてたまるかぁ!」

 地団駄を踏んで、天を指さした。

「それに僕ぁしばらく、恋はいいんです! 心を入れ替えて、仕事と楽団のために生きるんです!」

 楽団という言葉に、ケーリィンが金色の瞳をウキウキと輝かせた。

 踊りへの苦手意識もだいぶ和らいできた彼女へ向き直り、レーニオは一つウィンク。


 ――そのウィンクは挙動がぎこちなく、やり慣れていない感がヒシヒシと伝わって来る代物だった。

 ディングレイはそっぽを向き、そっと共感性羞恥に耐えた。頭痛も覚えたので、こめかみを揉みほぐす。


 自分の行いが二次被害を生み出していることに気付く様子もなく、レーニオはグッと親指を立ててケーリィンへ笑いかけた。

「収穫祭では期待しててねっ」

「はいっ、わたしも頑張ります」

 素直さが売りであるケーリィンは、ウィンクもサムズアップもさらりと受け流してニコニコしたままである。

 素直というか鈍いというか、ある意味大物なのかもしれない。


 神殿の前庭で益体もない会話をしていると、自転車に乗った女性も近づいてきた。

 フォルトマ洋裁店のエイルだ。自転車の後ろの荷台には、包装紙に包まれた箱がくくり付けられている。

 エイルに懐いているケーリィンが、小走りで出迎える。

「エイルさん、いらっしゃいませ!」

「ふふ、お邪魔しますね。ドレスが出来上がりましたので、お届けに参りました」


 荷台の箱――三日後に迫った、市長との対談用のドレスを掲げ、エイルは恭しくケーリィンへ差し出す。

「お渡しがギリギリになってすみません。父がなかなか満足しなくて……でも、おかげ様で自信作になったと保証します」

 フォーパーの腕が良いのは、ディングレイも認めている。彼のスーツも、フォーパーその人に仕立ててもらっている。体格が良いため、既製品ではサイズが合わないのだ。


 ただフォーパーは服飾に関して天才で奇才な反面、スケジュール管理の腕前は雑魚だった。依頼品の提出期日についても、いつもギリギリである。下手をすれば期日を過ぎることもままある。

 おまけに凝り性も度を越すことがあり、ディングレイは以前

「これはスーツじゃねぇ。仮装だ。なんでスパンコールとスタッズ縫い付けてんだよ」

と、ギラギラ・トゲトゲスーツを受け取り拒否した過去があるほどだ。


 ただエイルが歯止めを掛けたのならば、ケーリィンがスパンコールやトゲまみれになってしまう危険性はゼロだろう。

 父親を唯一操縦できる彼女は、そういえば、と穏やかな声で言った。

「どうしてレーニオさんが、こちらにいらっしゃるんですか?」

 声は凪いだ海のようだが、目は氷海のように冷たい。


 それもそうだろう。彼がケーリィンを罵倒する場面を、彼女も見ているのだ。

 ごくりと息を飲んで、レーニオは顔を引きつらせている。

 レーニオに釈明させると、他言無用の舞姫の秘密まで暴露しかねない。代わってディングレイが、説明を請け負う。

「この馬鹿は自分の店ですっ転んだ挙句、ビールの空き瓶で怪我したんだよ。で、その時にリィンに助けられて、あっさり寝返りやがった。今じゃあ、すっかりリィンの舎弟だな」

「まぁ……節操はないんですか? どれだけ恋愛体質なんです?」

 日頃の行いが悪いためか、むしろエイルの態度は悪化した。


「ええぇぇー……違うよぉ、エイルちゃん! ケーリィンちゃんは親戚の可愛い子ポジションであって、僕的にはむしろ、エイルちゃんの方が――」

「やっぱり恋愛体質じゃねぇか。てめぇは寂しくて死ぬウサギかよ」

 思わず、舌打ちがこぼれ出る。

 万年発情期なのもそっくりだ、とはケーリィンの手前だ。控えておこう。

 しかしウサギのたとえがよく分からなかったのか、彼女は物珍しげにレーニオを見ている。

 これ幸いと、ディングレイはケーリィンの華奢な肩に手を乗せ、レーニオを呼ぶ。


「ほれ、見てみろ。お前の醜態を、無垢な舞姫様が観察してるぞ。恥ずかしくねぇのか?」

 あらまぁ、とエイルもわざとらしく痛ましい声を出して、身をよじった。が、顔は完全に笑っている。

「本当ですね……レーニオさん。あなた、心は痛みませんの?」

「うぅっ……! やめて、ケーリィンちゃん! 灰になる!」

 のけぞるレーニオ本人もノリノリだ。


 彼の大袈裟なのけぞりが面白かったのか、ケーリィンは思わず小さく噴き出した。

「おいおい。ついに舞姫様が、アルカイック・スマイルを繰り出されたぞ」

「まぁ大変。これではレーニオさんが浄化されて、死んでしまいます」

 エイルにとって、レーニオは死霊や魔物と同類なのか。

「あぁー! だ、駄目だ……眩しすぎて、目がぁーっ!」

 当のレーニオも、そんな扱いを甘んじて受け入れた。予想以上にノリがいい。


 三人の寸劇に耐えきれなくなったケーリィンが、とうとう本格的に噴き出した。

 が、慌てて両手で口を覆い、少々恨めし気にディングレイたちをじっとり見渡した。


「もうっ! 違います、お払いなんてしません! 皆さんが仲良しなので、ちょっと面白かっただけです!」

「いえ。別に仲良しじゃないですよ」

 あっけらかんと、エイルが即答する。面白いぐらいに、ケーリィンは固まった。

 目が点になっている彼女を見て、含み笑いをしつつレーニオも同意。

「うん。エイルちゃんとは幼馴染だけど、年もちょっと離れてるし、小さい頃から接点も少なかったんだよね」


 しみじみ、といった風情でエイルはため息をつく。

「だってレーニオさんって昔から女風呂を覗いたりしていて、下手に関わるとこちらまで、火の粉が飛んで来そうだったんですもの。控えめに言って、疫病神と言いますか」

 つまり同世代であっても、あまり近づきたくない存在だったということか。ディングレイが同じ立場なら、確かに距離は取るだろう。

「……お前、ブレないんだな」

「一本筋が通ってますもんで!」

「犯罪に筋通してんじゃねぇぞ」

 悪びれずにテヘ、と肩をすくめたレーニオを、ディングレイは蔑んだ目で見下ろす。


 お人好しのケーリィンも、レーニオに半ば呆れ顔だ。

「覗きは駄目ですよ」

「あ、はい……ごめんなさい」

 可愛い姪っ子に真っ直ぐ批判され、さすがのレーニオもしょぼくれた。これでは叔父と姪というより、愚息と賢母だ。


 エイルはレーニオにさほど興味もないのか、我関せずで何かを考えている。頬に手を当て、視線を空へ飛ばす。

「ジルグリットさんはたしか、三・四年ぐらい前から赴任されてますけど……以前はいつも、刺又さすまたか大きなタモを片手に、舞姫様を捜索されてましたよね。死神みたいな形相で」

 死神という表現は不本意極まりないが、ディングレイに否定材料もない。

 なお、刺又とタモは、神殿の倉庫に今も眠っている。


 黙していると、レーニオも遠い目で同意する。

「いやぁ……あれは怖かったよなぁ……先代を匿ってる時に氷責めにされてさ。ちょっとだけチビりそうになったよ」

「いや、思い切り漏らしてやがっただろ」

 さらっと嘘を吐くな、と目で威嚇する。


 三人を眺めていたケーリィンが、小鳥のように首を傾げる。

「それって、大きい方ですか?」

「やだケーリィンちゃん! なんで掘り下げようとするのっ?」

 赤い顔でレーニオがわめく。ざまぁみろ、とディングレイは内心で嘲笑った。


 下衆な男どもから引き離すように、エイルがケーリィンを手繰り寄せる。そして当然のように、彼女の頭を撫でた。

「ケーリィンちゃんが来て下さってから、ジルグリットさんもあまり怒らなくなりましたし、街も明るくなったということですね」

 そうだね、とレーニオもはにかんだ。

「ケーリィンちゃんのおかげだね、ありがとう」


 彼もケーリィンの頭頂部に手を伸ばす――が、その手はディングレイが遠慮なく弾く。

 しばし両者睨み合うも、迫力負けしたレーニオが、口を尖らせて一歩後退した。


「やっぱり仲良いですね」

 小競り合いも、ケーリィンにはじゃれ合いと映ったらしい。彼女は屈託なく笑う。

「わたしも、ちょっとでもお役に立ててるなら、嬉しいです」

 次いで照れくさそうに肩をすくめて、そう締めくくった。


 ケーリィンの無垢な笑顔を眺め、陶然とした吐息を零したのはエイルであった。

「可愛い……このまま剥製にして、お部屋に飾りたいわ」

 この発言には、エイル信者のケーリィンも青ざめる。ディングレイも彼女を引き寄せ、背中に隠しながら後ずさった。

「そうそう。エイルちゃんが実は一番ヤバいんだよね、昔から」

 幼馴染であるレーニオだけは、訳知り顔で静かに呟く。

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