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25:名状しがたき間柄

 ディングレイはケーリィンに訊きたいことが、もう一つあった。いや、こちらの方が本題か。

「リィン。あんたの同期が今、ノワービス市にいるんだったよな?」

「あ、はい。そうです」

 彼女の首肯を確認して立ち上がり、壁に埋まった追想球の一つに触れる。

 こちらが半裸でも、悲しいかな舞姫様は無反応なので、汗だくシャツはそのままだ。


 触れた追想球はパッと光った途端、中空に文字の羅列を浮かび上がらせた。

 ここ一ヶ月ほどの、舞姫に関する事件の一覧だ。

「最近、ノワービス市で事件が相次いでる」

 ディングレイは壁に背を預け、婉曲えんきょくなしに懸念事項を口にした。立ち上がったケーリィンも真剣な眼差しで、宙に浮かぶ事件名と概要を読み取っていた。


「元々大都市だ。揉め事が少ないわけじゃねぇ。にしても最近は多すぎる――その同期から、何か聞いてるか?」

「ううん……」

 ケーリィンから返って来たのは、力ない否定の声だった。想定内の反応ではあるが。

 なにせこちらへ赴任して一ヶ月近く経つが、その間にケーリィンの口から、同日に巣立った同胞の名が出たことなどなかったのだ。


「元々、ヴァイノラさん――ノワービス市に赴任した子とは、あまり仲が良くなかったので、何も……ごめんなさい」

 どこか言い淀んだ口ぶりから、ヴァイノラという人物が、ケーリィンをいじめていた連中の仲間あるいは主犯か、と考える。瞬間、ディングレイは憤りを覚えた。

 しかし彼がいくら詮索したところで、彼女の過去が変わるわけでもない。

 追想球だって、映し出された過去には介入できるが、それは過去の模倣品に過ぎない。

 真作の過去には、誰も手出し出来ないのだ。


 ディングレイは再度追想球を操作し、事件リストをかき消した。

「変なこと訊いて悪ぃ。まぁ舞姫が交代すりゃ大なり小なり、いざこざは起きる。どの街でも、就任後のトラブルは付きものだからな」

 それにしても多すぎるが、という感想は飲み込み、話題を打ち切った。

 ケーリィンの友人の赴任地ならば、と案じていたのだが。彼女が関わり合いを求めないのなら、ディングレイもそれ以上何も言わない。

 そんな態度で安堵したように、ケーリィンも小さく微笑んだ。


 そこで、ディングレイはようやく気付く。彼女が見慣れぬ、華やかなドレス姿であることに。

「その服、どうしたんだ?」

 声に出すと、途端にケーリィンの顔色が明るくなった。

「さっき、エイルさんが届けてくれたドレスです。嬉しくて、試着しちゃいました」

(エイルが昼間、市長との面談用に持って来たあれか)

と記憶を反芻はんすうする。どうやら彼女はこれを見せるため、わざわざ地下室に来てくれたようだ。


 その場で姿勢を正し、ケーリィンは裾をついと摘まむ。次いで恐々と、ディングレイを見上げた。

「あの……似合って、ますか? 変じゃないですか?」

「ん? 似合ってるし、可愛いよ」

 女性の服の良し悪しはあまり分からないが、素直な感想を伝えた。

 スカートに真珠を散りばめたローズピンクのドレスは、色白の彼女によく似合っている、と素人目にも思えたのだ。

 腰に巻かれたリボンがデカ過ぎる気もしたが、純真無垢の見本図のようなケーリィンが着ていると、違和感を覚えないのだから不思議なものだ。


 自己評価が底割れしている上、未だに褒められ慣れていないケーリィンは、たちまち耳まで赤くなった。

 いつもならそのまま、居たたまれないとばかりに俯いたり、視線を左右に泳がせるのだが、何故か今日は違った。


 真っ赤な顔のまま、思わずディングレイがのけぞってしまう程の真剣な顔で、距離を詰めて来る。

「あの、レイさん! ずっと……ずっと訊きたかったことが、あるんです!」

「は、はぁ」

 ディングレイは気後れして、間抜けな相槌しか出なかった。

「わっ……わたしとレイさんって、何ですかっ?」


 悲鳴一歩手前の声が紡いだ問いかけに、彼の脳内はしばし真っ白になった。何だと問われると――たしかに何なのか。

「舞姫と、護剣士だろ?」

 よって一番妥当なものを答えた。もしくは中央府に雇用されている同僚、いや、対外的には上司と部下辺りが適当か。

 しかしやはり、ケーリィンの欲しかった答えとは違ったらしい。彼女の金の瞳が、困ったように左右へ泳ぐ。

「いえ、そうじゃなくて……その、ア、アンシア先生が仰ってた……自由、恋愛の……」

 最後は、蚊の鳴くようなか細い声だった。


 しばし無言のまま、ディングレイは頭をかく。汗だくになったため、髪もべたついていた。

「……実は俺、まだ八歳なんだ」

「はい?」

 今度はケーリィンが、呆けた顔を浮かべる番だった。その顔に、ディングレイはつい噴き出す。

「ホムンクルスって知ってるか?」

 笑いを噛み殺しつつ、尋ねる。


「へ? あ、はい……たしか、人の体液を基に魔術によって生み出される、人造生命体の総称ですよね」

 教科書を読むように、ケーリィンは模範的な回答をした。

「ああ。俺もその一人なんだ。護剣士になるべく、ヒヒイロカネと相性の良い、なるべく頑丈な人間になるよう造られた。それが八年前」

 はちねん、と口中で呟き、ケーリィンは眉を寄せた。


「……でも、レイさんはどう見ても大人です」

 こんな立派な八歳児がいてたまるか、と言いたげである。ディングレイは、露骨な疑惑の視線にもう一度笑う。

「赤ん坊から育てたら、時間も金も掛かるだろ? だから、十八歳頃の状態で造られたんだ。もちろん子供時代もねぇし、あんた以上に恋愛や交友経験がない」

 そのことを恨めしく思っていない、と言えば嘘になる。

 街中で遊んでいる子供を見れば、自分にもあんな時代があれば良かったのに、と羨む気持ちが時折芽生えるのだ。


 だがそんな気持ちも、ケーリィンの前ではおくびにも出さない。自己満足であっても、彼女にとって頼れる護剣士のままでいたいのだ。

 ただ軽く両手を広げ、そのまま肩をすくめた。

「で、そういう経験もねぇから、情緒も乏しい」

「そんなことないです。レイさん、結構分かりやすいです」

 醜い体にも異様な生い立ちにも臆さず、自分をおもんばかってくれる彼女の優しさが、嬉しい。


 分かりやすい、というのが誉め言葉かは、ともかく。


「そう言ってくれるのは、たぶんリィンだけだ」

「そう、ですか?」

「ああ。あんたといる時が、一番安心するんだ」

 だからつい、彼女に触れてしまうし、それを許容してくれる彼女に甘えてしまう。


 頼られたいのに、甘えてしまう。この相反する気持ちは、何と形容すべきなのか。

「……これって、恋愛感情でいいのか?」

 ディングレイは考える前に、当人に尋ねてみた。

 情緒もへったくれもないことを訊いたものだ、と彼自身もそう思う。


 無論、ケーリィンもむくれた。赤い顔で。

「わっ、わたしに訊かないでください! ずるい!」

 案の定不機嫌になるも、ケーリィンは今度は躊躇なく彼の手を取った。

 白く小さな両手が、何かと傷だらけの手を優しく握りしめる。

「あのね。わたしもね、レイさんといる時が一番幸せで……泣きたくなるぐらい、幸せなんです」

「そっか、良かった」


 ディングレイもケーリィンも、育った環境は全く異なるが、お互い足りないものが多い。

 だからまだ、二人の関係性に名前を付けなくてもいい、と思った。

 重なる手から視線を上げると、ケーリィンと目が合った。ほんのり色づいた頬のまま、彼女ははにかむ。

 ディングレイもつられて、口角を緩めた。


 名前のない関係だが、それほど困るものでもない。お互い、相手が一番大切だと了解しているのだ。

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