狩場へ至る道の途中、その開けた場所に奴はいた。
キング・ダモクレス――その姿はノーマルのダモクレスと何も変わらない。だが、名前に「キング」とつくだけで、奴のすべてが異質に見えてくる。その金の瞳には鋭い知性が宿り、炎のように揺らめくたてがみが威圧感を放ち、隆々とした筋肉の一つ一つが圧倒的な力を誇示しているようだった。
しかし、ただ怯えて横を通り抜けるだけだった今までとは違う。これからこの恐怖の象徴たる怪物に俺達は挑もうとしているのだ。
感じる震えは恐怖だけによるものではない。絶対的な強者へ挑むという高揚感――武者震いが全身を駆け巡る。これが戦いに挑む者だけが味わう興奮なのだろう。
そして、この広場にはすでに多くのプレイヤー達が集まっていた。マテンロー率いる「蒼天の牙」のメンバーだけではなく、「片翼の天使」や「ヘルアンドヘブン」、「異世界血盟軍」の連中も当然いるはずだ。それだけでなく、HNM見たさに集まってきた一般プレイヤー達だっているだろう。
俺はその人だかりの中からマテンローの姿を探した。
「ショウ! 来てくれたか!」
俺が見つけるより先に、マテンローの方が俺を見つけて声をかけてくれた。
こちらに近づいてくる彼に、俺は手を上げて応える。
「言われた通り来たぞ。でも、勘違いしないでくれよ。これはギルド同盟を結ぶってことじゃないからな」
「わかってる。今はキング・ダモクレスを倒すための協力ってことだろ? とにかく、まずはユニオンを組もう」
マテンローが言い終わるとすぐにシステムメッセージが目の前に浮かび上がった。
【マテンローがユニオンを申し込んでいます。許可しますか?】
【はい/いいえ】
俺が「はい」を選ぶと、それまで四人だけだったパーティメンバーの表示に、さらに二つのパーティ、12人分の名前と体力、SPの表示が加わった。
このゲームにおける1パーティの最大人数は6人。しかし、HNMクラスの相手になると、6人ではどう頑張っても倒せない。そこで必要となるのが、このユニオンというシステムだ。
プレイヤー同士がチームを組むのがパーティなら、パーティ同士がチームを組むのがユニオン。パーティリーダー同士がユニオンを許可すれば、最大3パーティ18人で一つのチームとして戦うことができる。
通常、モンスターと戦闘は1パーティしか行えない。すでに別のパーティが戦闘中ならば、ほかのパーティはそのパーティが全滅でもしない限り、そのモンスターに攻撃することはできない。だが、ユニオンを組んでいれば、最大で3つのパーティが同時に一つのモンスターに攻撃できるのだ。
そして、ユニオンを組んでモンスターを倒した場合、経験値や金はユニオン全員が均等に得られ、ドロップアイテムへのロットも全員が可能だ。ただし、パーティメンバーが対象となるスキルは、自分の属するパーティメンバーには使えるが、ユニオンを組んでいるほかのパーティメンバーには使えないという制限がある。つまり、ユニオンはパーティ同士の連携システムであり、単純に18人パーティになるわけではない。
今回は、マテンローはすでに6人パーティ同士でユニオンを組んでいたようで、俺達を合わせてこれで16人となった。とはいえ、キング・ダモクレスに挑むのなら、やはり最大人数である18人を揃えたいところだ。敵は初めて討伐されるまでに何組ものユニオンを葬り去り、ここを通るプレイヤー達に恐怖を与え続けた怪物なのだから、ユニオンメンバーが何人いても多すぎるということはない。
「マテンロー、あと二人、誰か来るのを待つのか?」
「ああ。もう近くまで来ているはずだ」
彼の返答を聞きながら、俺は周囲を見渡した。16人だけで戦いを挑むつもりではないとわかって、ひとまず胸を撫で下ろす。
しかし、それでもこの場の空気が張り詰めていることに変わりはない。どのギルドがいち早く戦力を整え、キング・ダモクレスとの戦闘権を得るのか――そんな見えない競争が、すでにこの場所で始まっているのだ。
「ほかのHNMギルドもメンバーがどんどん集まってきているんだろ?」
「ああ。あそこにいるのが『片翼の天使』のギルマス・ルシフェルだ。奴らはもう10人以上集まっている」
マテロンーが指さした方向を目で追うと、確かにレア装備に身を包んだプレイヤーが目立つ集団を形成している。その中央にいるのが、エルフの男、ルシフェルだ。職業は精霊使い。彼の名は耳にしていたが、その姿をこうしてじっくり見るのは初めてだった。冷ややかな表情と気品のある佇まいは、まさにギルドマスターとしての風格を漂わせている。
「あっちにいるのが『ヘルアンドヘブン』のギルマス・フィジェット。あいつらも10人近く集まっているな」
別の方向を見ると、フィジェットを中心にした集団が目に入る。彼女は人間の女性で、職業は聖騎士。銀色の鎧に身を包み、堂々とした姿が印象的だ。彼女の破天荒な行動についての噂は多々聞いていたし、街中でも何度か見かけたことがあるが、この場の空気を掌握するようなオーラはさすがと言わざるを得ない。
「あのあたりにいるのが『異世界血盟軍』の連中だが、肝心のギルマス・ソルジャーがまだ来ていないようだ」
マテンローが指す方向には、これまたレア装備の別集団が固まっていた。ギルドマスターが不在のせいか、他のギルドと比べるといささか士気が低いようにも感じられる。
……それにしても、マテンローの奴、HNMギルドの連中について詳しいな。
まぁ、それだけ真剣に三大HNMギルドに対抗しようとしているのかもしれない。その熱意は称賛に値する。
「あとはほかのギルドより先に、二人のメンバーが来るのを祈るしかないというわけか。でも、ただ待っているだけじゃ時間がもったいない。今のうちに対キング・ダモクレスの作戦を教えてくれないか?」
そう。俺達はとりあえずここまで駆け付けたが、キング・ダモクレスどころか、通常のダモクレスとの戦闘経験さえない。強敵に挑むのなら事前の打ち合わせは必須だ。今のうちに話を聞いておけば、全員揃ったあとの話を多少なりとも省略できると思い、マテンローに説明を求めた。
「いや、待っている必要はなくなったようだ。呼んでいた二人が来たぞ!」
マテンローが笑みを浮かべながら大きく手を振る。その先には、こちらに向かって駆け寄る二人のプレイヤーの姿があった。装備からして、なかなかの実力者であろうことがうかがえる。
「ショウ、あの二人――リクとゴルゴをそっちのパーティに誘ってやってくれ」
「わかった」
俺はすぐにシステムメニューを開き、二人にパーティへの招待を送った。ほどなくして承諾の通知が表示され、俺達のパーティにリクとゴルゴが加わり、ついに3パーティ18人のユニオンが完成した。
リクは黒魔導士、ゴルゴは狩人。その職業を確認しながら、自分達のパーティ構成を改めて見てみる。タンク(クマサン)、ヒーラー(ミコトさん)、近距離アタッカー(俺)、遠距離アタッカー(リク、ゴルゴ)、オールラウンダー(メイ)と、バランスはいい。しかし、ユニオン全体で考えた時に、このままでいいかとなると疑問が残る。バフの関係もあり、タンクならタンクでどこかのパーティに固めた方がいいだろうし、アタッカーに関しても同じだ。近距離アタッカーと遠距離アタッカーが同じパーティにいるのはどうかと思う。
俺は「蒼天の牙」のメンバーについてはよく知らないので、何かしらの指示がマテンローからあるのだろうと、彼の言葉を待った。
「よし、これで揃ったな! それぞれのパーティでバフとデバフの用意をしてくれ。準備ができ次第、戦闘を開始する!」
驚いたことに、マテンローの口から出たのはそんな言葉だった。
ミコトさん達も驚いた顔を浮かべたので、慌てて俺が声を上げる。
「待ってくれ、マテンロー! パーティのメンバー構成はこのままでいいのか!? それに作戦は!?」
「各パーティにヒーラーはいるし、問題はない。俺のパーティでキング・ダモクレスのターゲットを固定する。俺がメインタンクで、俺のパーティのジャックがサブタンクを務める。ショウ達はアタッカーに専念してくれればいい」
マテンローの自身満々の言葉に、胸の奥で不安が膨れ上がる。助っ人メンバーである俺達に色々な情報を与えて混乱されるよりは、何も考えずに攻撃に専念させたほうがいいという考えなら、これ以上深く考えずマテンローの言うことを信じて戦えばいいだろう。だが、もしマテンロー自身、今放った言葉程度のことしか考えておらず、対キング・ダモクレス戦を楽観視しているようなら、この戦いはかなり危ういものになりかねない。
第一、うちのクマサンは、「猛き猪」や「インフェルノ」相手でも生き残った優秀なタンクだ。そのクマサンに、アタッカー役をやらせるなんて宝の持ち腐れもいいところだ。
「マテンロー! うちにはタンクのクマサンがいる。クマサンにアタッカーをさせてもダメージなんて期待できないぞ!?」
「だったら、俺やジャックに何かあった時の予備タンクとして控えていてくれればいい。とにかく今は、ほかのHNMギルドより先に仕掛けることが重要だ」
人数が揃ったことで、ほかに先に越されるかもしれないという危機感を感じてしまったのかもしれない。マテンローの声には焦りの色が見えた。
それはよくない。こんな時こそ、リーダーは誰よりも慎重でなければならない。
それに、クマサンに対するその扱いは、俺としては納得できない。マテンローやジャックがどれほどのタンクかは知らないが、クマサンがそれに劣っているとは俺には思えない。
なおも食い下がろうとした俺の肩に、誰かの手が置かれた。
「ショウ、ここはマテンローに従おう。今のこのユニオンのリーダーは彼だ」
俺を止めたのは、ほかでもないクマサンだった。
「でも、クマサン――」
「俺のことを気にしてくれるのなら、大丈夫だ。考えがバラバラのままでは、戦う前から負けが決まっている。今はNM戦の経験のある彼の言う通りにしよう。これも俺達にとっての経験だ」
固い決意を秘めたクマのどこか可愛らしい黒い瞳で見つめられ、俺はそれ以上何も言えなくなる。
「……わかった」
周りを見れば、ミコトさんが「だから私は反対したでしょ!」と言いたげな視線をこちらに向けていた。
これから戦闘だというのに、戦う前からいたたまれない気持ちになってしまう。
それでもミコトさんは、口をつぐみ、黙ったままスキルを使ってみんなにバフをかけてくれた。
単純なヒーラーとしての能力は、マテンローのパーティの白魔導士達の方が勝っているかもしれないが、バッファーとしては巫女のミコトさんの方が優秀だ。そのミコトさんをメインタンクのパーティに配置しないのも腑に落ちない。
とはいえ、ギルド同盟も結んでいない今の俺達は、「蒼天の牙」にとってはおまけみたいなもの。信頼できるメンバーで重要な部分を固めたいという思いはわからなくはない。わからなくはないが、俺の大事な仲間が過小評価されているようで、悔しさが湧き上がってくる。
俺はその気持ちを抑えながら、クマサン、ミコトさん、メイに俺が持ってきたとっておきの料理を配った。こういう時のために、出来のいい料理は店に出さずにストックしておいたのだ。
「すみません、もし料理にあまりがあったらもらえませんか?」
「俺もお願いしたい」
リクとゴルゴが遠慮がちに声をかけてきた。
聞けば、彼らは別の狩場から駆け付けたそうで、HNM戦向けの料理を用意できなかったらしい。
もうこの時点で不安しかないが、俺は手持ちにあった料理を二人に渡した。あいにく遠距離アタッカーに最適な料理は手元になかったため、汎用的に火力アップできる料理選んだ。最初からパーティ構成がわかっていれば、それ用のを持ってきていたのだが……。この状況でそれを言っても仕方がない。
まさかマテンローも料理を持ってきていないんじゃないかと不安になって、彼の方を見たが、さすがにちゃんと食事を済ませた様子で、ひとまず安堵する。
「みんな、準備はできたか!」
スキル使用や食事などを終え、ユニオンメンバーの動きが静かになると、マテロンーが声を張り上げた。
「今こそ、三大HNMギルドの牙城を崩し、新たなHNMギルドとして俺達の名前を轟かせる時だ! 俺に続けっ!」
雄叫びと共に、マテンローが先陣を切る。その背中に続いて、彼のパーティメンバーも次々と走り出した。
「俺達も行くぞ! 『三つ星食堂』の力がどれほどのものか、ここで見せてやろう!」
俺も仲間達へと声をかける。
その言葉に、クマサン、ミコトさん、メイが不敵な笑みを浮かべた。
舐められているとまでは言わないが、マテンローに重要視されていないのは、みんなも感じていたのだろう。「見ていろ! やってやる!」という意気込みが、みんなから見て取れた。
キング・ダモクレス、奴が強敵なのはわかっている。だけど、気合なら負けちゃいない!
俺達にとって初めてのHNM戦が、今始まる。